「それで、本当に同棲しちゃうんだもんね」

 長野先輩がローテーブルの上にトランプを三枚捨てた後、山札から三枚引いて手札を五枚に戻しました。続けて船井先輩が、同じように二枚捨てて二枚引きながら言葉を重ねます。

「親とか大丈夫だったの?」
「大丈夫でしたよ。ずっと同棲するわけじゃなくて、三日おきに戻りますし」
「そこ、そんなに違うもんかな」

 首をひねる船井先輩の横で、安木先輩が無言で手札と山札を三枚交換しました。次に手番の回って来た小笠原先輩が、五枚の手札を全て捨てます。

「俺もちゃんと許可取りに行ったからね。誠意が伝わったんでしょ」
「家賃とか生活費とかはどうしてるんだよ」
「親父から貰ってる。積み立ててた俺の学費がダダ余りなんだって。じゃあ、みんなチェンジ終わったね。行くよ。俺ワンペア」
「勝った。俺はツーペア」
「私もツーペア」
「フラッシュ」
「……ブタです」

 手札を表にしてテーブルに置きます。これで三連敗。小笠原先輩が唐突に言い出した「アイス食べたくない?」の一言から始まった、買い出しに行く人を決めるポーカーはわたしの負けです。立ち上がってみんなに声をかけます。

「じゃあ、行ってきますね」
「待って。夜に女の子の一人歩きは怖いし、私も行くよ」

 長野先輩が動きました。船井先輩も口を挟みます。

「それなら女子二人で行くより俺が――」
「いいから。男三人は適当にダベってて」

 長野先輩にはねつけられ、船井先輩が腰を中途半端に浮かせて止まりました。わたしと長野先輩は気にせずマンションの部屋を出ます。廊下に出てすぐスーツを着た男性とすれ違い、長野先輩がひそひそと話しかけてきました。

「このマンション、やっぱああいう社会人が多いの?」
「仕事の関係で短期間だけこっちに住む人が多いらしいです。こういうマンションはだいたいそうみたいですけど」
「結婚前のカップルが同棲の練習をするみたいなパターンはないのかな」
「あるみたいですよ。わたしたちは契約する時、それだと勘違いされたので」

 エレベーターで一階に下りてマンションの外に出ると、夏の残り香を含んだ風がふわりと頬を撫でました。散歩をするにはちょうどいい温度と湿度で、近くのコンビニに行くだけなのが勿体なくなります。長野先輩が自分たちの出てきたマンションを見上げて、はーと息を吐きました。

「結婚したら一緒に住むのは普通だけど、ガチでやるとはねえ」

 全くです。

 小笠原先輩が同棲したいと言い出した時、わたしがさすがにそれは難しいと思いました。しかしそこからわずか一週間で、お互いの親に話をして、家具付きのマンスリーマンションを契約して、レンタカーを借りて荷物を部屋に運び込むところまで済ませてしまいました。荷物運びを手伝ってくれた船井先輩、安木先輩、長野先輩が帰ったら、いよいよ本格的に同棲の始まりです。

 とはいえ、ずっと一緒に住み続けるわけではなく、わたしも小笠原先輩も三日間の同棲と三日間の実家暮らしを繰り返すことになっています。このやり方はわたしのお父さんが「小笠原くんの最後の時間を一人が独占するのは良くない」という理由で提案しました。わたしもそれはそう思います。小笠原先輩を大切に思っている人は、わたしだけではありません。

「断ろうとは思わなかったの?」
「思いませんでした。小笠原先輩にはやりたいことをやって欲しいので……」

 おかしなことを言ったつもりはありませんでした。だけど長野先輩はムッと顔をしかめます。

「実は忠告があって買い出しについてきたんだけど、言っていい?」
「忠告?」
「そう。あのね、小笠原の望みを叶えてあげたいって気持ちは分かるよ。でも本当に何でもかんでも無制限に受け入れないようには気をつけて。小笠原がいなくなった後も人生は続くんだから、長く影響を残しそうなものはきっぱり断ること」
「例えば?」
「子孫を残したい、とか。っていうか私の心配はぶっちゃけそれ。そういうこと言って避妊なしで来たらちゃんと断りなよって言いたかったの」

 ひゅう。

 生暖かい秋風が、わたしと長野先輩の間をぬるりと抜けていきました。硬直するわたしを見て、長野先輩が何かを察したようにまぶたを大きく上げます。長野先輩は鋭い女性です。その気づきは、見事に的中していました。

「……まだ?」

 わたしはこくりと頷きました。長野先輩が気まずそうに口を開きます。

「えー……もう結婚式までやってるんだし、そこまでは行ってると思うじゃん」
「そう言われても、行ってないものは行ってないので……」
「そっか。じゃあ、まず迫られた時にどうするってところからだ」

 話が想像しやすいレベルまで落ちて、わたしは息を呑みました。長野先輩がまたしてもわたしの思考を読み切ります。

「まさか、そういうの、具体的に考えてなかったの?」
「……はい」

 わたしは首をすくめて縮こまりました。小笠原先輩がわたしの前で「男の人」にならないから、何となく想定からすっぽり抜け落ちていました。それでもわたしたちは恋人で、これから同棲をするのです。ベッドだってダブルベッド。考えれば考えるほど、ぼんやりしていた自分がバカに思えてきます。

「なるほど」

 長野先輩がにやりと笑いました。そしてコンビニの方に歩きながら、楽しそうに呟きます。

「アイスと一緒に、ゴムも買っといた方がいいかもね」

 耳たぶがカッと熱くなりました。長野先輩は上機嫌に鼻歌を歌っています。どこかで聞き覚えのあるその歌が、サークル潰しの時に使った『雌豚音頭』であることに気づいたのは、コンビニに着いて長野先輩が鼻歌を止めた後でした。