『えー、こいつは俺へのビデオレターに映ってないし、ほとんどの人は誰か分からないと思うので、まず説明します。俺の弟です。十七歳。好きな食べ物は唐揚げ。彼女募集中なんで興味のある人は俺に連絡してください』
『募集してない』
『そうなの? まあ、どうでもいいじゃん。気にすんなよ』

 勝手に脱線しておいてこの言い草。長野先輩が俊樹くんに言った「あの性格で誰一人ムカつかないわけがない」という評価は、本当に正しいと思います。

『で、なんで俺の弟がここで登場するかって話なんだけど、実はこいつ、俺宛ビデオレターの撮影現場にいたんですよ。そんで――』

 画面外から小笠原先輩の手が現れました。ひとさし指が俊樹くんを示します。

『こいつが俺にビデオレターの話を漏らしたから、逆ビデオレターの企画が生まれたわけです』

 俊樹くんが目を伏せました。小笠原先輩の手が画面から消えます。

『じゃあ、俺の嫁さんの印象を聞かせてもらおうか。お前はだいぶ思うところあるみたいだし、ガッツリ話してもらうよ』

 小笠原先輩に迫られ、俊樹くんが少し上目づかいにカメラを見やりました。そして観念したように身体を起こし、ボソボソと語り始めます。

『最初は、嫌いだった』
『どうして』
『兄貴の彼女だから』

 沈黙。しかし小笠原先輩も何も言いません。それで終わりじゃないだろというプレッシャーに負け、俊樹くんが再び動きます。

『自我がないように見えたんだよ。菓子折りなんか持ってきてさ。結婚式とか顔合わせとか、普通はホイホイ乗っかるようなもんじゃないだろ』

 自我がない。やはり、わたしがパセリに見えていたようです。

『ただその後、ビデオレターを撮りたいから兄貴の元カノのことを教えてくれって言われて、少し印象変わった。俺と兄貴があいつで揉めたことも知ってるって話してきて、想像より神経太くてびっくりした。そこが最初かな』
『何が』
『兄貴の彼女だなって思ったの』

 張りつめていた俊樹くんの頬が、ほんの少しだけゆるみました。

『とりあえず動く。そういうところが兄貴っぽいと思った。それで、焦ったんだ。俺の話なのに勝手に先に行かれるのがイヤで、撮影について行くことにした』
『お前らしくないね』
『うん。いつもなら放っておく。きっと俺も無意識の内に、兄貴がこんな状態なのに意地張ってる場合じゃないだろって思ってたんだ。そこを刺激された』

 俊樹くんの視線が下がりました。声のトーンも低くなります。

『撮影で会う人たちは、当たり前だけど兄貴のことが好きで、俺はどんどん惨めになっていった。でも素直に認める気にもなれなくて、最後に爆発したんだ。それまで一緒に撮影してきた人たちに、あなたたちのような人がいるから兄貴が調子に乗るんだみたいなことを言った。そうしたら、色々と説教食らってさ。特に兄貴の彼女から言われた言葉が一番響いた』
『なんて言われたの?』
『自分が世界の中心で何が悪い、だよ』

 そこまで強い言い方はしていません。うろ覚えなのか、脚色したのか、あるいは――それぐらい強く響いたのか。

『兄貴といる時、俺は世界の中心を兄貴だと思ってた。他人に自我を持て、兄貴を甘やかすなと思ってるやつが、誰よりも自我を持っていなかった。それに気づいて恥ずかしくなって、兄貴とちゃんと話したいと思ったんだ』
『それが、ビデオレター企画の暴露に繋がったわけね』

 小笠原先輩が口を挟みました。俊樹くんが頷きます。

『そういうこと。体験抜きで話すのは無理だと思ったから、俺の都合を優先させてもらった。兄貴っぽいだろ?』
『どうだろ。俺は越えちゃいけないラインは守るよ』
『どこがだよ』

 俊樹くんが笑いました。初めて見る、高校生の男の子らしい無邪気な笑顔です。

『じゃあ、もう俺の嫁さんに悪い印象はないわけだ』
『ない』
『そんじゃ義理の弟として、そろそろメッセージちょうだい』
『分かった』

 俊樹くんが姿勢を正しました。真摯な視線がわたしを射抜きます。

『まずは勝手な感情をぶつけたことと、ビデオレターの話を暴露したことを謝罪します。あなたを見くびっていました。あの兄貴の傍にいてなお、自分が世界の中心だと思えるあなたは、兄貴とは本当にお似合いの恋人だと思います』

 俊樹くんが背中を曲げ、カメラに向かって深々とお辞儀をしました。

『兄貴の残りの人生を、あなたに任せます。よろしくお願いします』

 スクリーンの俊樹くんが、涙でぼやけます。

 感情に任せて泣くわたしの肩に、小笠原先輩が手を置きました。振り返ると同時にスクリーンの映像が消え、小笠原先輩の表情が闇に隠れて見えなくなります。わたしは急に不安になり、目の前の小笠原先輩を呼ぼうとしました。

「おが……」

 か細い声が、小笠原先輩の唇に奪われました。

 電気がつき、会場が明るくなります。キスをするわたしと小笠原先輩が衆目に晒され、来賓の方々から黄色い声が上がりました。わたしは慌てて小笠原先輩から離れ、そんなわたしを見て小笠原先輩は満足そうに笑います。

「何してんだよ!」

 船井先輩が近づいてきました。小笠原先輩はあっけらかんと答えます。

「キスだけど、何か問題ある?」
「あるわ! 誓いのキスまで待てや! 流れがあるだろ!」
「そう言われても、したい気分だったから」
「気分って……」
「やっぱ俺、式典とか向いてないみたい。まだるっこしいわ」

 小笠原先輩が立ち上がりました。そして船井先輩の手からマイクを奪い、来賓席に向かって声を張り上げます。

「みんなー、グラス持って。もう乾杯しちゃいまーす」
「お前! 俺がどんだけ苦労してプログラム作ったと思って……」
「持った? じゃあ行くよ。せーの、カンパーイ!」
「「「「カンパーイ!」」」」

 会場のあちこちから、グラスのぶつかり合う音が響き渡りました。こうなったらもう収集はつきません。喧騒の中、呆けて立ちすくむ船井先輩を置いて戻ってきた小笠原先輩に、わたしは笑いながら言ってやります。

「さすがにひどくないですか?」
「でもこれ、俺らのための式だからさ。俺らが楽しいのが一番でしょ」

 小笠原先輩の口角が、大きく上がりました。

「それとも、楽しくない?」

 分かり切った答えを尋ねる不敵な笑み。わたしも同じように笑って答えます。

「めちゃくちゃ楽しいです」

 来賓席の方で、誰かが「結婚おめでとー!」と叫びました。わたしたちはお互いに顔を見合わせ、どちらからともなくまた口づけを交わします。今だけは、わたしの世界も小笠原先輩の世界も消えて、わたしたちの世界が一つだけ在る。そんな気がしました。