『オープニングとか作れないから、まず説明するね。これ観てるってことは俺へのビデオレターは観たでしょ。あれ、俺の仲間と嫁さんからのサプライズなんだけど、ある筋から情報が漏れてきてさ。なんかやり返したくなっちゃったのね。そんでビデオレターの相手に俺がインタビューして、今度は俺の嫁さんへのメッセージを引き出したら面白いんじゃないかなって思った。そんな感じです』

 スクリーンの丹波先生が、やれやれという風に小さく首を振りました。小笠原先輩らしいと思っているのでしょう。わたしも同感です。やり返されているのがわたし自身でなければ、微笑ましく映像を観られたと思います。

『じゃあさっそく聞きたいんだけど、俺の嫁さんの印象どうだった?』
『そうねえ……優しい子、かしら』
『どうしてそう思ったの?』
『実はね、小笠原くんと同じように、わたしも余命宣告を受けているの』
『え』

 しばらく沈黙が流れた後、丹波先生が『そんな顔しないで』と笑いました。撮り手の小笠原先輩は映っていませんが、どんな顔かは何となく分かります。

『その話をあの子にして、小笠原くんに伝えてと言った。そうしたらあの子は、二人でまた来るから伝えませんと答えたわ。その時に本当に優しい子だと思ったのよ。小笠原くんもこの子のこういうところを好きになったんだろうなって』
『そうだね。他にもいいところ沢山あるし、それだけじゃないけど』
『惚気るわねえ』

 丹波先生が顔をくしゃくしゃにして笑いました。わたしたちの前でもよく笑っていましたが、それよりもずっと幸せそうな笑顔です。

『二人で来る約束を勝手に破ったこと、ちゃんと謝りなさいよ』
『うん。じゃあ先生、俺の嫁さんに一言よろしく』
『もう?』
『だって一回会っただけだし、そんなに話すことないでしょ』
『分かっているなら、祝言なんか取りに来ないでちょうだい』

 丹波先生が背筋を伸ばしました。そしてカメラをじっと見据えます。

『小笠原くんは、最適でも最善でもなく最高を選ぶ。あなたに言ったあの言葉の答えがこれよ。黙ってサプライズを受けるのが一番平和なのにそうしない。私の家に押しかけてまでやり返す。そういう子なの。そんな子があなたを選んだということは、あなたは小笠原くんにとって最高の存在ということ』

 小笠原先輩は最高を選ぶ。そんな小笠原先輩が、わたしを選んだ。

『結婚おめでとう。お幸せに』

 映像が切り替わりました。現れたのは、どこかの部屋のベッドに腰かけている鴨志田さん。下からのアングルなので小笠原先輩は床に座っているのでしょう。丹波先生と同じように自宅に押しかけたのが、始まりの画からすぐに伝わります。

『じゃあ、インタビュー始めるよ。俺の嫁さんどうだった?』
『かわいそうだった』
『かわいそう?』
『普通にかわいくてモテそうなのに、お前に捕まるのはかわいそうじゃん』
『俺、お祝いのメッセージを貰いに来たんだけど』
『お前と結婚する女を祝福できるわけないだろ』

 鴨志田さんが笑いました。きっと昔も同じように笑っていたのでしょう。わたしたちがインタビューした時もフランクでしたが、それよりずっと砕けています。

『まあぶっちゃけると、分かんないんだよ。ほとんど話してねえし。どうせ面白い子なんだろうなとは思うけど』
『なんでそう思う?』
『お前が好きになる女が面白くないわけないだろ。高二の夏休みとか……』
『ストップ! 今の質問ナシ! 俺の嫁さんへのメッセージ、どーぞ!』

 小笠原先輩が強引に流れを断ち切りました。鴨志田さんが大きなため息をついてから語り出します。

『結婚、ご愁傷様。こいつはこういうやつだから、きっとこれからも君のことをかき乱す。何だこいつって思うこともきっとある。そういう時は溜め込まないで俺のところに来なよ。こいつの弱点、たくさん知ってるから』

 眩しいものを見るように、鴨志田さんがまぶたを薄く下ろしました。

『仲良くしてやってくれ。それじゃあ、また』

 鴨志田さんが手を振り、再び映像が切り替わりました。場所はどこかの喫茶店かレストランの座席で、映っているのはもちろん飯村さん。飯村さんの前のテーブルには手つかずのミルクレープが置いてあり、食べてから撮ってあげればいいのにと少しやきもきします。

『じゃあ、撮るね。準備いい?』
『……わたしはいいですけど』
『何か気になる?』
『元カノが元カレに祝福のメッセージを送るのはギリ分かるんですよ。でも元カノから今カノへのメッセージは、さすがにありえなくないですか?』
『そうかな。大差ないと思うけど』

 あると思います。もっとも、元カノから元カレへの祝言も小笠原先輩じゃなきゃ成立しない程度には変だと思うので、そういう意味では大差ないかもしれません。

『これはないわって思ったら使わないからさ。協力してよ』
『はあ……分かりました』
『ありがと。じゃあ聞くけど、沙也香ちゃんから見てあの子の印象ってどう?』
『……いきなり答えづらい質問が来ましたね』

 飯村さんが下を向いて黙りました。そして数秒後、こわごわと様子を伺うようにカメラを下から覗き込みます。

『少しポヤッとしてるなと思いました。肩肘張っていないというか』
『ボケてるってこと?』

 せっかく良い言い方をしたのに、小笠原先輩が台無しにしました。そして小さくなる飯村さんに追撃を加えます。

『どうしてボケてると思ったの?』
『ボケてるとは思ってないですけど……普通、元カノから彼氏の昔話なんて聞きたくないじゃないですか。それなのに動じていなかったので、あまり深く考えてないのかなと思って――』

 飯村さんが言葉を切り、まぶたを大きく上げました。そしてさっきと同じように下を向いて黙り込み、小笠原先輩から話しかけられます。

『どうしたの?』
『いや、気づきたくないことに気づいちゃって』
『なに?』
『あの人、わたしに全く脅威を感じてないんですよ』

 図星を突かれ、心臓が縮こまります。確かに、同じ人を好きになった仲間としての共感はありましたが、ライバルとしての警戒心はほとんどありませんでした。

『沙也香ちゃんがいい子だから、大丈夫だと思ったんじゃない?』
『初対面ですよ。そんなの分かるわけないじゃないですか』
『じゃあ、シンプルに舐められてたんだ』
『そうですね。シンプルに舐められてました』

 さっきは悪い表現を訂正していたのに、今度は素直に繰り返す。良くない方への心境の変化を感じます。

『じゃあそんな人を舐め腐った俺の嫁に、一言バシッと言ってくれる?』
『コンセプトそれでいいんですか?』
『いいよ。普通にお祝いもらうより面白そうだし』

 良くありません。心の中で映像の飯村さんに抗議します。抗議はもちろん届かず、飯村さんが『それじゃあ』と言って姿勢を正しました。

『えっと、気持ちは複雑ですけど、わたしに少しも脅威を感じないのはすごいとも思います。自由な小笠原さんをそこまで信用するの、わたしには無理です。そういう人だからわたしと違って、小笠原さんに愛されているんだと思います。でも――』

 右のひとさし指をカメラにつきつけ、飯村さんが不敵に笑いました。

『ダメだったら、次はわたしが行きます。覚悟しておいてください。では』

 映像が切り替わります。

 わたしの喉から、ひゅうと呼吸音が漏れました。ホラー映画の怖いシーンに直面した時の反応です。ビデオレターに出た三人のインタビューが終わったから、逆ビデオレターも終わりだろう。そういう油断を突かれて、息が乱れます。

 漆塗りのテーブルの向こうで正座をし、カメラを見つめる男の子。場所にも人物にも見覚えがあります。場所はわたしが小笠原先輩の家族と顔合わせをした和室。そして人物は――

「俊樹くん」

 わたしの口から、呟きがこぼれました。