撮影の後、わたしたちは喫茶店に残って打ち合わせを行うことにしました。

 飯村さんとは別れ、ついでに外にいる俊樹くんを呼んで欲しいと頼みました。話があるなら遅くなっても良いと言ったのですが、俊樹くんは飯村さんが出ていってすぐ入れ替わるように戻って来ました。「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げて、わたしの隣の席に座ります。

「じゃあ、構成はこんな感じで。脚本は安木、編集とナレーションはマイな」
「船井は何もしないの?」
「俺は当日の司会があって忙しいから」
「受付とか会場設営とか、僕たちもやることあるけど」

 打ち合わせが進む中、わたしはちらちらと俊樹くんを見やります。俊樹くんは打ち合わせに参加せず、かと言ってスマホを弄ったりするわけでもなく、じっとみんなの様子を眺めていました。船井先輩が大きく伸びをして愚痴をこぼします。

「にしても、一か月後に結婚式やりたいから準備よろしくはふざけてるよな」
「本職より準備期間短いからね。まー、でもいつものことだし」

 長野先輩が明るく笑いました。いつものこと。そう、いつものことです。小笠原先輩が自由奔放なのも、そんな小笠原先輩にわたしたちが振り回されるのもいつものこと。だから気にすることはない。本気に、深刻に、受け止める必要はない。

 そういう態度が、きっと納得いかなかったのでしょう。

「皆さんは兄貴のこと、ムカつかないんですか」

 ずっと押し黙っていた俊樹くんが、いやに大きな声で場に割って入りました。会話を止めたみんなに見つめられながら、俊樹くんが語りを続けます。

「自分勝手に他人を振り回す兄貴に、腹は立たないんですか。自分が世界の中心みたいな態度を取られて、ふざけんなとか思わないんですか。皆さんみたいな人たちが兄貴を甘やかすから、兄貴はいつまで経ってもあのままなんじゃないんですか」

 俊樹くんが唇を噛み、わたしたち全員をざっと見渡しました。わたしたちはお互いに顔を見合わせて、最初に答える人間を無言の多数決で決定します。票が一番多く集まったのは、わたしと長野先輩と安木先輩に見つめられた船井先輩でした。

「ムカついたことは無いって言ったら、それは嘘になるわな」

 船井先輩の野太い声が、ずしりと響きます。

「後先考えねえし、めんどくせえことは全部丸投げするし、それでこっちがどんだけ苦労しても気にしねえし。俺が借りたレンタカーを無断でパクってデート行かれた時はどうしようかと思ったよ。生きた心地がしなかった」

 船井先輩にじろりとにらまれ、わたしは肩をすくめました。その節はどうもすいません。

「ただ『バカにされてる』みたいに思ったことは、これまで一度もないんだよな。逆に信頼を感じる。お前なら大丈夫だろって、そう言われてる気がするんだ。それが気持ち良くて、何だかんだ期待に応えたくなるのかもしれない」

 船井先輩が隣の長野先輩を見やりました。お前の番だぞというメッセージ。長野先輩が軽く身を乗り出します。

「私は正直、ムカついたことはない。でもそれはたまたまだと思ってる。あの性格で誰一人ムカつかないわけがないもの。君が鴨志田さんに言ったように、ただの結果論でしかないよ」

 手持ち無沙汰に髪をかき上げ、長野先輩が余裕のある微笑みを浮かべました。

「でも世の中に結果論じゃないものって、どれぐらいあるんだろうね。私はほとんどないと思うよ。私はムカつかない。君はムカつく。それでいいとじゃない。ムカつかないのはおかしいみたいなテンションで来られても、お姉さん困っちゃうかな」

 からかうような言い方で、言葉の強さを和らげます。長野先輩が私のターンは終わったとばかりに身体を引きました。続けて安木先輩が無表情で口を開きます。

「君は、服を買った方がいいと思う」

 俊樹くんが目を見開いて固まりました。頭の上に見えない「?」が浮かんでいるのが分かります。ここまでほとんど喋っていないので、俊樹くんは安木先輩の「AのためにBをしたいからまずCをしよう」のCから話を始める癖を知りません。

「最初に君が言った『フォーマルな場だからフォーマルな服で来た』という話を、僕は過剰適応だと感じた。君はたぶんあるべき姿を目指す気持ちが強くて、それを他人にも要求しがちなんだと思う。でも人間は個性の塊で、簡単に型には嵌まらない」

 一度口にしたAのためのBのためのCを、安木先輩が再び繰り返します。

「だから君は、服を買った方がいい。自分に似合う服を、自分のために。そうすれば自分と他人のままならなさに気づく」

 心を見透かしたような台詞を聞き、俊樹くんは黙って目を伏せました。いくらか思い当たる節があるのでしょう。そして図星をつかれてムキにならない程度には、他人の言葉を受け入れる用意もある。

「俊樹くん」わたしだって。「自分が世界の中心って、そんなに悪いことかな」

 小笠原先輩の家で俊樹くんと話した時から、ずっと思っていました。自分が世界の中心だと思うことと、周りの人間を引き立て役だと思うことは違います。

「わたしは俊樹くんのお兄さんのことが好き。好きだから許してることだって確かにある。それが俊樹くんには、私がお兄さんの言いなりになって、お兄さんを調子づかせているように見えたのかもしれない。でもね――」

 胸に手を当てます。背筋を伸ばし、肺から上がってきた空気を声に変換します。

「わたしの世界の中心は、わたしだよ。小笠原先輩じゃない」

 ――全部やろう。

 イベントサークル潰しをやった時、小笠原先輩はわたしたちにアイディアを求めました。そして集まった意見を全て実行しました。小笠原先輩は自分が世界の中心だと思っています。そして人の数だけ世界があることを認めています。

 わたしは小笠原先輩の世界の恋人役ではありません。

 わたしの世界の、主人公です。

「……トイレ行ってきます」

 ボソリと呟き、俊樹くんがテーブルから離れました。残されたわたしたちはその背中を見送ってから、テーブルを挟んでお互いに顔を見合わせます。船井先輩が軽く首をひねりました。

「やっぱ、連れてこない方が良かったんじゃないか?」
「そんなことないですよ」

 即座に否定を返します。流れに任せるよりも幸せな未来があるなら、目指すだけでも目指しておきたい。飯村さんから聞いた小笠原先輩の言葉を思い浮かべながら、わたしは繰り返します。

「そんなことないです」

 長野先輩が「そうだね」と頷きました。そして話は結婚式の打ち合わせに戻り、そのうちに俊樹くんが戻ってきます。わたしたちが話し合っている間、俊樹くんはテーブルの下で組んでいる自分の手を見つめ、ずっと何かを考え続けていました。