小笠原先輩の家のトイレの前で、わたしは俊樹くんにビデオレターのことを話しまし、お兄さんの元カノからメッセージを貰いたいからコンタクトを取る方法を教えて欲しいと頼みました。

 彼女を理由に小笠原先輩と俊樹くんが揉めた話を聞いたことも、正直に話しました。俊樹くんに「野次馬ですか」と批難され、わたしは「そうなるかもしれないけど、それで終わらせたくはない」と答えました。俊樹くんはしばらく考えて、自分も撮影について行くと言い出しました。わたしは理由を聞かずに頼みを受け入れ、そして、今日に至ります。

 カメラに映らない位置に待機して、インタビューをする船井先輩とそれに答える飯村さんを観察します。船井先輩もぎこちないですが飯村さんはそれ以上です。両肩を大きく上げ、正面の船井先輩に集中せず、小まめにわたしの隣の俊樹くんに視線を送ってきています。

「じゃあ、弟くんが開く勉強会に参加して、勉強を教えて貰ったのが小笠原との出会いってことでいいのかな」
「はい」
「そこからどうやって仲を深めたの?」
「ええっと……」

 飯村さんがまた俊樹くんを見やりました。そして微動だにしない俊樹くんを確認してから、おそるおそる語り出します。

「ある日、小笠原さんからクラスメイトに面白い少女漫画を教えてもらった話を聞いたんです。その漫画をわたしはたまたま全巻持っていたので、話の流れで貸すことになったんですよ」
「なるほど」
「ただその漫画、面白いけれど腑に落ちないところもあって、それが主人公の恋のライバルの扱いなんです。いい子なんですよ。自分の想いに正直で、積極的にヒーローの男の子にアプローチをかけていて、わたしは主人公より断然好きでした。ただ物語の中でその子には何も救いが与えられていないんですね。だから奥手な主人公に負けるのは仕方ないにしても、何か欲しかったなあって思ってました」

 いまいちピンと来ていない船井先輩の隣で、長野先輩が首を縦に振って共感を示します。わたしも分かります。恋愛もの少女漫画のメインカップルは付き合っていないだけで最初から両想いなことも多く、そんな負け試合をひっくり返し行くライバルが魅力的に見えることも時にはあります。

「でもネットの感想だとそんな意見はほぼないんですよ。それどころか、ライバルの子にバチが当たってないのが許せないみたいな感想まであったりして……わたしは小笠原さんがそういう感想だったらイヤだなと不安に思っていました。でも読み終わった漫画を返してもらう時に、こう言われたんです」

 飯村さんが唇が、ふわりとほころびました。

「面白かったけど、ライバルの子が報われないのおかしいでしょって」

 ――本当に、好きだったんだなあ。

 何よりも強くそう思いました。付き合ったと言えるかどうか怪しいぐらいの付き合いだったけれど、抱いていた想いは本物だった。今のわたしと同じ気持ちが飯村さんにもちゃんとあったことがはっきりと分かります。

「わたしはそこから小笠原さんを意識するようになりました。そのうち我慢できなくなって、告白することにしました。それでラブレターを書いて……弟くんに渡して貰ったんです。弟くんには小笠原さんのことを色々聞いたりして、相談にも乗ってもらっていたので」

 飯村さんが俊樹くんを見やりました。俊樹くんは黙って動きません。飯村さんが正面に向き直り、語りを再開しました。

「ラブレターの返事はLINEで来ました。OKでもNGでもなく、会って話したいから一回デートしようという内容でした。デートは楽しかったです。ずっとこの時間が続けばいいと思いました。小笠原さんが考えていたのは――」
「俺のことだろ」

 俊樹くんがいきなり口を開きました。視線が俊樹くんに集まり、安木先輩が構えているハンディカムのレンズも俊樹くんに向けられます。

「兄貴は、俺と飯村をどうくっつけるか考えてたんだろ。飯村が『わたしのこと好きなの?』って聞いてきたの、覚えてるよ。『お兄さんがそう言ってた』って」

 俊樹くんが自嘲気味に笑いました。飯村さんが小さくなって俯きます。

「見下されてるよな。カブトムシの雄と雌を同じケースに入れて幼虫生まれないかなーみたいな、そんな感じ。俺にも飯村にも失礼だよ」
「……そんなつもりはなかったと思うよ」
「どうして分かるんだよ」
「聞いたから」

 飯村さんが、顔を大きく上げました。

 澄んだ瞳に見つめられ、俊樹くんが顎を引きます。飯村さんは揺るぎません。唇を大きく開き、今までよりも芯のある声を放ちます。

「お兄さんは、小笠原くんがもうわたしに告白しないって見抜いてたの」

 呼び方が変わりました。わたしたちへの言葉ではないことが伝わります。

「小笠原くんは真面目だから、兄貴に振られたみたいだからじゃあ俺が付き合うねとは絶対にならない。このままだと全員がちょっとずつ不幸になって、誰も幸せにならない。だからわたしに小笠原くんの気持ちを教えたの。流れに任せるよりも幸せな未来があるなら、目指すだけでも目指しておきたいって」

 苦しそうに、飯村さんがブラウスの上から心臓の辺りをギュッと掴みました。

「わたしのことだって、ちゃんと考えてくれてたよ。好きになれるかどうか確かめるためにデートしたんだって。お兄さんがわたしを好きになれるなら、そういう結末も不幸なだけじゃないから。……無理だったけど」

 飯村さんが口を閉じました。わたしも船井先輩たちも何も言えずに黙ります。わたしたちがわたしたちの撮影のためにセッティングした場ですが、もはや主導権はわたしたちにありません。何かを言っていいのは、飯村さんと――

「すいません」俊樹くんが立ち上がりました。「やっぱり外にいます。終わったら呼びに来て下さい」

 俊樹くんが早足で歩き出し、あっという間に喫茶店から出ていきました。みんなが呆気に取られて固まる中、飯村さんがこわごわと船井先輩に話しかけます。

「撮影、変な感じになっちゃってすいません」
「いいよ。編集で何とかするから」

 飯村さんがほっと胸を撫でおろしました。そして今度はわたしの方を向き、息を深く吸ってから意を決したように話しかけてきます。

「あの……聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「なに?」
「小笠原さんは、わたしのことをどういう風に紹介してましたか?」

 わたしは人の気持ちに鋭い方ではありません。だけどその時は、飯村さんがどのような気持ちでわたしに声をかけたのか手に取るように分かりました。わたしは小笠原先輩から聞いた内容を少し脚色し、分かりやすくして飯村さんに伝えます。

「元カノだって言ってたよ」

 たった一回デートをしただけでも、ちゃんと「付き合った」と言っていた。今の恋人を相手に、昔の話とか何もしていないとか取り繕うことなく、昔の恋人だと紹介していた。だから、大丈夫。心配しなくていい。あなたはちゃんと、小笠原先輩の思い出になれている。

 飯村さんが口元を手で隠し、その裏で幸せそうに笑いました。

「そうですか」

 変な人を好きになって、お互い大変だよね。視線でそう語りかけます。空気を理解していない船井先輩が「元カノなんだから当たり前だろ」と口を挟み、わたしも飯村さんも含み笑いを浮かべました。