「朝にも言ったとおり不眠症になったのは半年前で、そのときから突然、人の夢を渡り歩けるようになったの」

「いつもは何人くらいの夢を見るの?」

「初めは2、3人だったけど、最近は少しずつ増えてきて、今は一晩で20人くらいかな」

「普段の睡眠時間はどれくらい?」

「だいたい3時から5時の2時間だけ」

「そっか。睡眠時間がかなり短いし、眠ってるあいだもずっと人の夢の中にいたんだから、体も心も休まらなかったでしょう? 辛かったね」

左隣から、星野くんが気遣わしげに微笑む。
同情してくれる優しい言葉をかけられて、計らずも私の涙腺が刺激されてしまった。
しかし人に涙を見せたくはなく、眉に力を入れることでなんとか耐える。

眠れないということはたしかに辛い。
いつだって体も心も怠く、生きている心地がしないのだ。
けれど、別にそれで構わない。
そもそも私は辛いだなんて思ってはいけないのだから。

「涼音ちゃんのその能力はね、俺らのあいだでは“夢渡り”と呼ばれている、とても珍しいものなんだよ」

「……ゆめ、わたり」

「そう。親しい間柄で行き来できることはあっても、君みたいに不特定多数の人間の夢を渡り歩くことができる人間はとても少ないんだ」

思考が別の方向へ向かい始めたとき、星野くんは私の不思議な力の名前を教えてくれた。
そのせいで、この事態に一気に現実味が帯びる。
信じていなかったわけではないけれど、私は本当に人の夢を覗き見てしまっていたのかと、改めて心が痛んだ。

「星野くんはどうして私が夢渡りをしてるって分かったの? あなたの夢の中には入ったことなかったはずなのに」

「ああ、それはね――」

「そもそも私が星野くんの夢に入れなかったのはどうして? それに夢喰いって、どうやって人間の夢を喰べるの?」

「わぁ、待って待って。うーんと、じゃあちょっと夢というものについて説明しようか」

私の尽きない疑問に、星野くんが驚いて苦笑いをする。
それから彼はそのひとつひとつに答えるために頭を捻ってくれた。

「“夢の通い路”っていう言葉があるでしょう? その言葉どおり、人間の見る夢はすべて路のようなもので繋がっていて、本当は誰だって他人の夢を行き来することができるんだ」

星野くんから紡がれるのは、読んで字の如く、正に夢物語のような話だった。
彼曰く、夢の世界はアリの巣のようにいくつものスクリーンがあり、無限に繋がって広がる映画館のようなものらしい。
映画館に通路があるのと同じように夢の中にも路があり、誰でも他人の夢に行くことができるが、人間は毎夜、自分のスクリーン内から動くことなく無意識に映画を作って眺めている。
これが正常に夢を見ているという状態だ。

「だけど今の涼音ちゃんは自分のスクリーンを離れて映画館の通路を通り、上映しているほかの映画を片っ端から眺めている状態なんだよ」

普通の人間は夢の世界では意識が曖昧になり、そのため自分の映画にしか集中できず、誰かが劇場の中に入ってきたとしても分からないという。
そのため夢の世界でも明瞭に意識を保つことができる星野くん以外は、誰も私に夢を見られていることに気づかないのだろう。
私が星野くんの夢の中に入ったことがなかったのは、彼が特別な訓練を受けた末、自分のスクリーンに誰も入ってこられないようにしているからなのだそうだ。

「自分の夢に入ってこられないからって、俺もずっと涼音ちゃんが夢渡りをしていることに気づかなかった。だけど昨日、隣のクラスの女の子の夢を喰べようとしていたとき、偶然君が彼女の夢を見にきていることに気づいたんだ」