手元のペンケースをいじりながら、気づかないふりでやり過ごそうと息を潜める。
しかし私が振り向かないことに痺れを切らしたらしい星野くんから、またしても「涼音ちゃん」と呼ばれてしまい、私は渋々彼の方を向いた。

「つかぬことを聞くようだけどさ」

「何?」

「夜はきちんと眠れてる?」

「……眠れているけど」

「それにしてはクマがひどいね。メイクかなんかで隠そうとしているみたいだけど、よく見ていると分かるよ」

「ほ、星野くんには関係ないでしょう」

いったい突然なんだというのだろう。
睡眠不足は確かに彼の言うとおりだけど、別にそのことを星野くんに責められる謂れはない。
しかし不思議な淡い色の目で取り調べのように見つめられると、まるでこちらが悪いような気分にさせられた。

彼の気の多さや馴れ馴れしさが苦手なのは建前だ。
本当は人の心の内まで見透せそうなその目が一番苦手なのだ。
彼の目に映ると、私の抱えた秘密が浮き彫りになるようで、今すぐにでも叫び出したくなってしまうから。
心を読むことなんて誰にもできるわけがないのに、それでも私が密かに怯えていると、星野くんは意味深に目を細めて「質問を変えようか」と言った。
そのまま端正な顔を近づけられ、自然と息を呑む。

「昨日は何人の夢を渡り歩いた?」

そうして耳元でこそりと呟かれた言葉は、私の全身を凍りつかせるようなものだった。

――昨日は何人の夢を渡り歩いた?

もしかして、彼は本当に人の心を読めるのかもしれない。

「……どうして、それを」

「昨日、夢の中で涼音ちゃんの姿を見かけたんだ。君みたいな人間がたまにいるんだよね。身近な他人の夢を旅するように渡り歩けるやつ」

「わ、わざとじゃないの。夜、ベットに入ったらそうなってしまって。自分ではコントロールできないの」

「それはいつから?」

「今年の、1月」

「つまりこの半年、ろくに眠れていないってことか」

深刻そうに眉を顰めた星野くんに釣られて、私も改めて事の深刻さを自覚する。

実は半年前から、私はとある不眠症に陥っていたのだ。
それはただの不眠症ではない。
夜になってもなかなか寝つけず、深夜3時ごろにやっと疲れから気を失うように眠ると、いつの間にか身近な人の夢の中に入ってしまうというものだ。
身近な人とは家族や友人、先生などで、私は毎夜、自分の意思とは関係なくいろんな人たちの夢を覗き見するように渡り歩いている。

どうして突然そんなことができるようになってしまったのかは、自分でもよく分からない。
初めは単なる妄想で、人の夢の中にいるような気分になっているだけなのだと思っていたけれど、連日そんな現象が続けば認めざるを得なかった。
昨日だって、夢の中で彼氏に酷い言葉を投げかけられる菜々や、リレーのバトンパスでミスをする阿久津くんの姿を見たのだ。
人間の夢には現実世界で抱える不安が強く影響することがあるようで、現に二人とも夢で見たことに対する悩みを持っているらしい。
二人に限らず、ここ半年でいろんな人の夢に出入りし続けた私は、いつの間にかたくさんの人の悩みや秘密を知ってしまっていた。
いくら自分の意思で行ったことではないとはいえ、これは立派なプライバシーの侵害だろう。

できることならこれ以上、人の夢に介入することはしたくない。
しかしどうすれば夢の中に入らずにいられるのかが分からず、私は途方に暮れていたところだったのだ。