学校の喧騒は心地いい。
私の中に蠢く後悔や罪悪感を紛らわして、まるで普通の人間のように見せてくれるから。
「おはよう涼音」
朝。教室に入ると、すぐにクラスメイトの菜々が私を見つけて声をかけてくれた。
いつもはつらつとしている笑顔が印象的な彼女。
しかしその笑顔が、今日は心なしか暗く見える。
「おはよう菜々。元気なさそうだけど、どうかした?」
「えっ、分かる? 実は昨日、彼氏と喧嘩しちゃってさぁ」
「私でよければ話くらい聞くよ」
「本当? 休み時間に相談していい?」
「もちろん」
すぐさま頷くと、菜々はホッとしたように笑ってくれた。
少しだけいつもの調子を取り戻してくれたらしい彼女に手を振り、窓際の一番後ろである自分の席へと向かう。
すると今度は私の前の席に座っていた阿久津くんと目が合った。
陸上部の朝練を終えたばかりらしい彼の額には、細かな汗がきらきらと滲んでいる。
「小川さん、おはよ」
「おはよう阿久津くん。そういえば昨日、陸上部の練習見たよ。リレーすごくいいじゃん」
「そうかな。でもあんまりタイムが縮まらなくてさ」
「あんなに練習してるんだもん。きっと本番までにはよくなるはずだよ」
「ああ、ありがと。そう言ってもらえると頑張れる」
ニッとした笑みを浮かべた阿久津くんを目に留め、それから私はようやく自分の席へと座った。
教室の一番奥のこの席。
ここからは必然的にクラス全体がよく見える。
ある生徒は楽しそうに友人たちと談笑したり、またある生徒は憂鬱そうに机に突っ伏したりと、みんな様子はさまざまだ。
しかしいくら私の目からその人が幸せそうに見えていたとしても、実のところはそうではないかもしれないし、逆もまた然りだろう。
人の心の内は他人には分からない。
そんなものは今さら口に出すまでもない当たり前のことだ。
だけど、ただ。私の些細な一言が、苦しみを抱えているかもしれない誰かの生きる力になればいいと思う。
「おはよう、涼音ちゃん」
そんなことを考えながら一限目の数学の教科書を取り出していると、ふいに頭上から軽やかな声が聞こえた。
名前を呼ばれたことで反射的に顔を上げれば、私を見下ろす淡い色の目と視線がぶつかる。
「……おはよう、星野くん」
やわらかい笑みを浮かべて私の隣の席に座った男子――星野綺世。
彼は先月行われた席替えから隣同士になった、私のクラスメイトだった。
すらりと伸びた体躯に癖のある柔らかそうな髪、整った中性的な顔立ちと少し浮世離れした雰囲気を持つ彼は、見かけるたびに違う女子たちに囲まれている、いわゆる“女たらし”というやつだ。
噂に聞くと、この学校の女子だけではなく他校の子や大学生、果ては社会人の女性とも関係を持っているらしい。
まあこのくらい容姿に秀でていれば星野くんがどうこうというわけではなく、女の人の方から彼に寄っていくことの方が多いのかもしれないけれど。
とはいえ星野くんが女たらしだということに変わりはない。
私と初めて話したときだって、彼はためらいもなく私のことを涼音ちゃんと呼んだ。
その女慣れした様子を見るに、きっと女性から嫌われた経験などないのだろう。
けれどそんな距離の近い彼のことを、私は正直苦手にしていた。
いくらかっこいいからって気が多すぎるのはどうかと思うし、馴れ馴れしくされるのは好きではない。
ちょうど今だって、なぜだか無遠慮にこちらを窺う彼の視線を迷惑に思っているところなのだ。
私の中に蠢く後悔や罪悪感を紛らわして、まるで普通の人間のように見せてくれるから。
「おはよう涼音」
朝。教室に入ると、すぐにクラスメイトの菜々が私を見つけて声をかけてくれた。
いつもはつらつとしている笑顔が印象的な彼女。
しかしその笑顔が、今日は心なしか暗く見える。
「おはよう菜々。元気なさそうだけど、どうかした?」
「えっ、分かる? 実は昨日、彼氏と喧嘩しちゃってさぁ」
「私でよければ話くらい聞くよ」
「本当? 休み時間に相談していい?」
「もちろん」
すぐさま頷くと、菜々はホッとしたように笑ってくれた。
少しだけいつもの調子を取り戻してくれたらしい彼女に手を振り、窓際の一番後ろである自分の席へと向かう。
すると今度は私の前の席に座っていた阿久津くんと目が合った。
陸上部の朝練を終えたばかりらしい彼の額には、細かな汗がきらきらと滲んでいる。
「小川さん、おはよ」
「おはよう阿久津くん。そういえば昨日、陸上部の練習見たよ。リレーすごくいいじゃん」
「そうかな。でもあんまりタイムが縮まらなくてさ」
「あんなに練習してるんだもん。きっと本番までにはよくなるはずだよ」
「ああ、ありがと。そう言ってもらえると頑張れる」
ニッとした笑みを浮かべた阿久津くんを目に留め、それから私はようやく自分の席へと座った。
教室の一番奥のこの席。
ここからは必然的にクラス全体がよく見える。
ある生徒は楽しそうに友人たちと談笑したり、またある生徒は憂鬱そうに机に突っ伏したりと、みんな様子はさまざまだ。
しかしいくら私の目からその人が幸せそうに見えていたとしても、実のところはそうではないかもしれないし、逆もまた然りだろう。
人の心の内は他人には分からない。
そんなものは今さら口に出すまでもない当たり前のことだ。
だけど、ただ。私の些細な一言が、苦しみを抱えているかもしれない誰かの生きる力になればいいと思う。
「おはよう、涼音ちゃん」
そんなことを考えながら一限目の数学の教科書を取り出していると、ふいに頭上から軽やかな声が聞こえた。
名前を呼ばれたことで反射的に顔を上げれば、私を見下ろす淡い色の目と視線がぶつかる。
「……おはよう、星野くん」
やわらかい笑みを浮かべて私の隣の席に座った男子――星野綺世。
彼は先月行われた席替えから隣同士になった、私のクラスメイトだった。
すらりと伸びた体躯に癖のある柔らかそうな髪、整った中性的な顔立ちと少し浮世離れした雰囲気を持つ彼は、見かけるたびに違う女子たちに囲まれている、いわゆる“女たらし”というやつだ。
噂に聞くと、この学校の女子だけではなく他校の子や大学生、果ては社会人の女性とも関係を持っているらしい。
まあこのくらい容姿に秀でていれば星野くんがどうこうというわけではなく、女の人の方から彼に寄っていくことの方が多いのかもしれないけれど。
とはいえ星野くんが女たらしだということに変わりはない。
私と初めて話したときだって、彼はためらいもなく私のことを涼音ちゃんと呼んだ。
その女慣れした様子を見るに、きっと女性から嫌われた経験などないのだろう。
けれどそんな距離の近い彼のことを、私は正直苦手にしていた。
いくらかっこいいからって気が多すぎるのはどうかと思うし、馴れ馴れしくされるのは好きではない。
ちょうど今だって、なぜだか無遠慮にこちらを窺う彼の視線を迷惑に思っているところなのだ。