私を支えてくれたのは七海先輩だった。
その手には櫛を持っていて、彼は走って乱れた私の髪をいつものように整えてくれた。

「よくやったな。やっぱ礼は最高だよ」

先輩にそう言われて、私はやっとじわじわと実感がわいてくるのが分かった。
いつかも感じた手足のぴりぴりとした痺れを確かめるように、両手を握ったり開いたりする。
何かを表現するというのは、やっぱり楽しい。
もっとやりたい、もっと、もっと違う自分になって、世界を変えてみたい。
ああ、私、もう一度、夢を見つけられた。

「先輩っ、私っ、モデルになりますっ!」

気づいたときには、そう口にしていた。
私の前髪に触れていた先輩が、真剣な目でわたしを射抜く。

「礼……」

「もう迷いませんっ!」

高らかに宣言してみせれば、先輩は何度か瞬きをしたあと、フッと笑って頷いた。

「ああ。礼なら大丈夫だ」

先輩の穏やかな声が鼓膜を震わす。
彼はその言葉すらも魔法に変えてしまうのだろうか。
私も自然と、自分は大丈夫だと思えた。

「つーか礼、足速いな。50メートル走のタイム何秒だ?」

「えっ?」

すると先輩はふいに謎の問いかけをした。
その問いに一瞬だけぽかんとしてから、学校で行われた体力テストの結果を思い出す。

「えっと、たしか7秒ちょうどくらいです」

「すっげぇ……本当に運動神経がいいんだな。あっという間に階段を駆け下りるから驚いたんだよ」

「もっ、もしかして貴族令嬢らしからぬ速さでしたかっ!?」

そうだった、一心不乱だったせいで忘れていたけれど、私は平均よりもかなり足が速いのだ。
貴族令嬢は普通、私のようなアスリートじみた走り方はしないだろう。
本番ではもっと可憐に走れるだろうか、いや待って、可憐に走るってどんな感じだ?
新たにできた課題にパニックになりながら頭を抱えていると、すぐそばでずっと私たちのやりとりを眺めていたらしい日比谷さんが、耐えかねたように声を上げて笑った。

「大丈夫だよ。映像は曲に合わせてスローにしたりするから。本番も転ばない程度に全力で走ってね」

「本当ですか!? よかったぁ」

「あははっ、君たちは本当に面白いな。なんだか伝説の始まりを見た気がするよ」

なぜだか私たちのことがツボにはまってしまったらしい日比谷さんは、しまいには涙まで浮かべはじめた。
そんな彼の様子に動揺していると、先輩が私の左肩に右手をかけてから日比谷さんへと体を向けた。

「覚悟を決めたからには、俺らはテッペン取ってやりますよ」

そんな挑戦的な言葉とともに、「なぁ、礼」と同意を求められる。
その声に、私はすかさず「はいっ!」と返事をした。
日比谷さんもニヤリと笑ってから満足げに頷く。
なんだかとても清々しい心地だった。



撮影を無事に終えると、私たちは帰国する前に、少しだけパリを観光させてもらえることになった。
パリの夏は日本よりも湿度が低くて過ごしやすい。
私と先輩はエッフェル塔や凱旋門を眺めたり、セーヌ川沿いをゆったりと歩いた。
パリは街並みも人々もオシャレで、撮影のときから続く高揚感も相まってか、なんだか夢の続きを見ているみたいだ。