「うううう、分からない……!」

高校に入学してからというもの、毎日のように通っている演劇部の部室。
放課後はいつもそこで先輩の魔法にかかっているはずの私だが、しかし今日は部室の隅に置かれたテーブルに向かいながら唸り声を上げていた。

「1年の期末に、そんな難しい問題なんて出ないだろ」

「ううううっ」

向かいのイスに座っている七海先輩が、訝しむような目で私を見つめる。
季節が本格的に夏へと移りゆくなか、私たちは1週間後に期末テストを控えていた。
つまりしばらく魔法の時間はお休みで、学生の本分である勉強をしなければならないのだ。
仕方なく問題集を開きのろのろと英文を目で追ってはいるものの、まだ半分も解き終わってないというのに、私はもうすでに消耗してしまっていた。

「もともと苦手なんですよぉ英語。中学のときも和奏に教えてもらって、やっと赤点を回避してたくらいで」

「その麻生も頭を抱えてるけど」

「うるさいわね、私も今は必死なの!」

隣のイスに座る和奏が、毛を逆立てた猫のような勢いで先輩を睨みつける。
彼女もまた私と同じように、顔をしかめながら教科書と格闘していたのだ。

「和奏は英語が得意なんですけど、その代わり国語が苦手なんです。日本語は話せるけど漢字が苦手らしくて」

和奏はご両親のお仕事の都合で長らく海外で暮らしてきた、いわゆる帰国子女だ。
そのため日本語と英語を操れるバイリンガルではあるが、代わりに漢字が苦手で、高校から本格的に習う古文や漢文に頭を悩ませているようだった。

「ふーん、本当に苦手みたいだな。その文は訳が少し違うし、ここはスペルミスしてる。あとそこも前置詞が――」

すると今まで私たちの様子を静観していた七海先輩は、突然私のノートを覗き込んだかと思うと、その上にさらさらとシャーペンを走らせた。
どうやら私の解答を添削してくれているらしい。
的確に赤ペンを入れていく先輩の指先を、呆然としながら見つめる。

「すごい……先輩、英語が得意なんですね」

「意外ね。勉強なんて好きじゃなさそうなのに」

「俺様は将来、世界を股にかけるヘアメイクアーティストになる男だぞ。日常会話程度の英語なら難なくできるし、高校英語ぐらいラクショーだよ」

「さすがです!」

まさか先輩が英語までマスターしているとは知らなかった。
世界一のヘアメイクアーティストになるというのは先輩の口癖だけれど、彼は口先ではなく、常日頃から本当に努力を惜しまない人だ。
そんな先輩の姿勢を、私は深く尊敬している。
それにこんな身近に救世主がいたなんて。
分からない問題を尋ねると、やはり彼は苦もなく答えてくれた。
先輩のおかげで今回の期末もなんとかなりそうだ。

「それはそうと礼。“スカウトの件”はどうなったんだ?」

ひと通り英語の出題範囲をさらい終え、和奏と漢文の問題に取り組んでいると、自分のテスト勉強に飽き始めた様子の先輩がぽつりと呟いた。

「昨日、また2社からお話がありました」

「すごいわね。あのフリーペーパーの礼、SNSでも話題らしいもの」

「俺様を差し置いてやるじゃねーか」

先輩と和奏の率直な褒め言葉に顔が熱くなる。
“スカウトの件”とは、先月フリーペーパーにスナップ写真が載ったことで私の元に届いた、複数のスカウトのお話のことだ。
その数合計14社と、本当に耳を疑うような話だと自分でも思っている。