(12)
烏丸の冷静な言葉を聞きながら、暁は十二年前――家を出た翌年の記憶を過らせていた。
保江の訃報を聞き、一心不乱に駆け戻った実家。
案の定門前払いをくらい、もみ合いになった挙げ句、玄関先で凍えるほどの冷水を浴びせられた。
姉さんが亡くなったなんて。
じゃああの子は? 千晶はどうなるの? 今度はあの子をこの家に縛り付けるつもりなの!?
散々喚いた挙げ句、暁は父が通報した警察によって連れて行かれた。
田舎の警察も牛耳る父の権力に、また嫌悪をいっそう濃くしたのを覚えている。
当時暁は十六歳。今の千晶と同学年だ。
母親を亡くした四歳の子どもを一人暮らしの学生寮に引き取って育てる。
そんな芸当は到底できるはずもなかった。
「そんな他人不信野郎も、お前には妙に心を許しているがな」
烏丸の言葉に、暁はテーブルを拭く手を止める。
「何を期待していたかは知らん。だが、お前の元に行くと家から言質を取ったときのあいつは、酷く満足そうだった。端から見ていて気味が悪いくらいにな」
「でも、それはまた、どうして」
「知らん。逆にお前に聞きたいくらいだ」
「いや、私にだって心当たりはないんだけど」
本当か、と疑う烏丸の視線に、暁は何度も頷く。
千晶が生まれてから、保江は子育てに専念するために離れの部屋に移った。
暁も当時中学生で部活動もあったため、平日はほとんど関わりがなかった。
休日の空き時間を見つけて千晶の顔を見に行っていたが、逆を言えばそれだけだ。
「うーん。もしかして千晶ってば、子どもの頃から叔母の私に恋でもしてたのかなあ?」
「だとすれば、あいつの目はとんだ節穴だな」
「あはは。確かに」
そこは本気で同意する。
万に一つもない、どこの源氏物語だよって話だ。
「ああでも。毎日自分と母親の端正な顔を見続けてきて、逆に平凡以下の叔母の顔に魅力を感じ始めたという可能性もあるか……?」
「与太話はそこまでだ。来たぞ」
ドアベルが小気味良い音を鳴らし、喫茶店の扉が開く。
そこにはつい先日も相まみえた、黒いワンピースの少女が立っていた。
一度目にしたら忘れないニワトリのとさかに似た髪型が、今日もバッチリ決まっている。
「来てくれてありがとう、カミキリちゃん。どうぞ入って」
「こちらこそ! 先日は大変失礼いたしました! 今日はその、千晶様は?」
「あの子は学校。昨日はごめんね。あの子、すごい剣幕で詰め寄っちゃって」
「いえいえそんな! わたくしが紛らわしい行動を取ったことが原因ですので……!」
「落ち着かねえな。いいからひとまず座れ。この喫茶店は今日休業日だ。人目を気にする必要もあるまい」
ため息交じりに席を促され、カミキリ少女はいそいそと隣の席に腰を下ろした。
あらかじめ喫茶店のおじさんから了承を得ているお茶を淹れ、二人に差し出す。
「ここの店主さんとは昔から贔屓にしてもらっててね。店主さんがふらっと遠出するときはいつも、お店の掃除を任されてるんだ」
「そうでしたか! 千晶様のお連れ様は何でも屋を開かれていると、風の噂でお聞きしました!」
「そうそう。今日はこの喫茶店で、あなたのお話をもう少し聞きたいと思ったの。本当は事務所内でと思ったんだけど、ちょっと訳があって」
「要は、その千晶様とやらに、お前との接触を悟られないようにしようって魂胆だ。あいつはお前のことをまだ信用していないからな」
「……うん。もう少しオブラートに包もうか、烏丸!」
相変わらず言い方に難ありの男に威嚇したあと、改めてカミキリ少女に向き合う。
「聴取っていうほどのことじゃないの。ただ二つ三つ、質問し忘れていただけ」
「琴美様が、何者かに嫌がらせを受けている件でございますね?」
きゅっと表情を引き締める少女に、暁は目を瞬かせた。
「カミキリちゃん、知っていたの?」
「あの美容室をうろついているあやかしとして、当然その噂も耳に入っておりました。あのカリスマ美容師の鑑のようなお方に、なんと無粋なことでございましょう! わたし、是非ともご協力させていただきますっ!」
「……うん。ありがとう。助かるよ」
ただ純粋に憧れの人の役に立ちたい。そんな感情がひしひしと伝わるまっすぐな瞳に、暁は胸が温かくなるのを感じる。
千晶の固く閉ざされた表情が不意に頭を過ったが、うん、きっと大丈夫。
今は、この子を信じてみよう。
カミキリ少女は、二ヶ月ほど前にあの美容室の存在を知ったらしい。
曰く、「それまでもあちこちの美容室を観察して回っておりましたが、あの美容室が一番だと判断しました! なにより、店内の雰囲気が抜群にいいのです!」とのことだ。
目の前の手帳にサラサラと記述していく。
・二ヶ月前→琴美さん、誰かに尾けられ始める気配。カミキリちゃん、美容室通いを始める。
・一ヶ月前→琴美さん、自宅に無記名の手紙、職場に無言電話。
・最近→美容室のネットレビューの荒らし行為。
あちこちから仕入れた情報は、それぞれ情報元を記載しつつ時系列に整理していく。
「あれ。何か書き忘れがあるような……あ、そっかそっか」
暁は冒頭のさらに上に書き足した。
・四ヶ月前→琴美さん馴染みの客が来客、以降予約が入らず。
烏丸の冷静な言葉を聞きながら、暁は十二年前――家を出た翌年の記憶を過らせていた。
保江の訃報を聞き、一心不乱に駆け戻った実家。
案の定門前払いをくらい、もみ合いになった挙げ句、玄関先で凍えるほどの冷水を浴びせられた。
姉さんが亡くなったなんて。
じゃああの子は? 千晶はどうなるの? 今度はあの子をこの家に縛り付けるつもりなの!?
散々喚いた挙げ句、暁は父が通報した警察によって連れて行かれた。
田舎の警察も牛耳る父の権力に、また嫌悪をいっそう濃くしたのを覚えている。
当時暁は十六歳。今の千晶と同学年だ。
母親を亡くした四歳の子どもを一人暮らしの学生寮に引き取って育てる。
そんな芸当は到底できるはずもなかった。
「そんな他人不信野郎も、お前には妙に心を許しているがな」
烏丸の言葉に、暁はテーブルを拭く手を止める。
「何を期待していたかは知らん。だが、お前の元に行くと家から言質を取ったときのあいつは、酷く満足そうだった。端から見ていて気味が悪いくらいにな」
「でも、それはまた、どうして」
「知らん。逆にお前に聞きたいくらいだ」
「いや、私にだって心当たりはないんだけど」
本当か、と疑う烏丸の視線に、暁は何度も頷く。
千晶が生まれてから、保江は子育てに専念するために離れの部屋に移った。
暁も当時中学生で部活動もあったため、平日はほとんど関わりがなかった。
休日の空き時間を見つけて千晶の顔を見に行っていたが、逆を言えばそれだけだ。
「うーん。もしかして千晶ってば、子どもの頃から叔母の私に恋でもしてたのかなあ?」
「だとすれば、あいつの目はとんだ節穴だな」
「あはは。確かに」
そこは本気で同意する。
万に一つもない、どこの源氏物語だよって話だ。
「ああでも。毎日自分と母親の端正な顔を見続けてきて、逆に平凡以下の叔母の顔に魅力を感じ始めたという可能性もあるか……?」
「与太話はそこまでだ。来たぞ」
ドアベルが小気味良い音を鳴らし、喫茶店の扉が開く。
そこにはつい先日も相まみえた、黒いワンピースの少女が立っていた。
一度目にしたら忘れないニワトリのとさかに似た髪型が、今日もバッチリ決まっている。
「来てくれてありがとう、カミキリちゃん。どうぞ入って」
「こちらこそ! 先日は大変失礼いたしました! 今日はその、千晶様は?」
「あの子は学校。昨日はごめんね。あの子、すごい剣幕で詰め寄っちゃって」
「いえいえそんな! わたくしが紛らわしい行動を取ったことが原因ですので……!」
「落ち着かねえな。いいからひとまず座れ。この喫茶店は今日休業日だ。人目を気にする必要もあるまい」
ため息交じりに席を促され、カミキリ少女はいそいそと隣の席に腰を下ろした。
あらかじめ喫茶店のおじさんから了承を得ているお茶を淹れ、二人に差し出す。
「ここの店主さんとは昔から贔屓にしてもらっててね。店主さんがふらっと遠出するときはいつも、お店の掃除を任されてるんだ」
「そうでしたか! 千晶様のお連れ様は何でも屋を開かれていると、風の噂でお聞きしました!」
「そうそう。今日はこの喫茶店で、あなたのお話をもう少し聞きたいと思ったの。本当は事務所内でと思ったんだけど、ちょっと訳があって」
「要は、その千晶様とやらに、お前との接触を悟られないようにしようって魂胆だ。あいつはお前のことをまだ信用していないからな」
「……うん。もう少しオブラートに包もうか、烏丸!」
相変わらず言い方に難ありの男に威嚇したあと、改めてカミキリ少女に向き合う。
「聴取っていうほどのことじゃないの。ただ二つ三つ、質問し忘れていただけ」
「琴美様が、何者かに嫌がらせを受けている件でございますね?」
きゅっと表情を引き締める少女に、暁は目を瞬かせた。
「カミキリちゃん、知っていたの?」
「あの美容室をうろついているあやかしとして、当然その噂も耳に入っておりました。あのカリスマ美容師の鑑のようなお方に、なんと無粋なことでございましょう! わたし、是非ともご協力させていただきますっ!」
「……うん。ありがとう。助かるよ」
ただ純粋に憧れの人の役に立ちたい。そんな感情がひしひしと伝わるまっすぐな瞳に、暁は胸が温かくなるのを感じる。
千晶の固く閉ざされた表情が不意に頭を過ったが、うん、きっと大丈夫。
今は、この子を信じてみよう。
カミキリ少女は、二ヶ月ほど前にあの美容室の存在を知ったらしい。
曰く、「それまでもあちこちの美容室を観察して回っておりましたが、あの美容室が一番だと判断しました! なにより、店内の雰囲気が抜群にいいのです!」とのことだ。
目の前の手帳にサラサラと記述していく。
・二ヶ月前→琴美さん、誰かに尾けられ始める気配。カミキリちゃん、美容室通いを始める。
・一ヶ月前→琴美さん、自宅に無記名の手紙、職場に無言電話。
・最近→美容室のネットレビューの荒らし行為。
あちこちから仕入れた情報は、それぞれ情報元を記載しつつ時系列に整理していく。
「あれ。何か書き忘れがあるような……あ、そっかそっか」
暁は冒頭のさらに上に書き足した。
・四ヶ月前→琴美さん馴染みの客が来客、以降予約が入らず。