菜都実が病院から一度家に帰ってくると、正面にある店の入り口の前に人影が見えた。
「茜音……?」
「あ、おかえり」
真冬の海沿いの風の中に立っていたのは、紺色のコートを着ている茜音だった。そばには乗ってきたと思われる自転車が立てかけてある。
こんな夜中なのに……。自分の親友たちの心遣いを改めて感じてしまう。
「風邪引いちゃうよ?」
「わたしは平気だから」
菜都実は扉を開け、茜音を中に招き入れた。
「茜音……、ありがとうね……。心配してくれたんだ……」
カウンターの席に茜音を座らせ、冷蔵庫からミルクを取り出し電子レンジにかける。
「本当はね、佳織もって言ってたんだけど、明日からお願いって。佳織は初めてだと思うから……」
「そうかぁ……。明日からしばらく大変だ……」
菜都実は茜音に暖まったミルクを出すと、制服を着替えに一度消えた。
「ねぇ、茜音。不思議なんだ……」
「うん?」
店を開けるわけではないので、部屋着で現れた菜都実は呟く。
「もっとさぁ……、悲しくてワンワン泣いちゃうのかと思ったんだけど、なんかそういう気持ちとは違って……。なんか空っぽなの……。気が抜けたみたいになんにも思いつかなくてさぁ……」
コートを脱いでセーター姿の茜音の隣に並んで腰掛ける。厨房の電気がついているだけなので、客席は暗く窓からは外の海岸が良く見えた。真冬の夜では人通りなどあるわけもなく、車もほとんど通らない。
その表のほうを向いているので二人の表情は隣でも良く分からない。
「そういうものだよ……。わたしもそうだった。両親の時は病室で一人になって……、静香ちゃんの時もそうだった……。今はそれでいいんだよ。大丈夫。由香利ちゃんを思って泣く時間はあとでいくらでも取れるから……」
茜音は両親を亡くしただけにとどまらず、他にもいくつも辛い別れを経験している。その中には再び会うことも叶わないものもあるのだと。
「そだね……。さんきゅ茜音。あたしこういう経験初めてだからさ」
「たくさん経験していいもんじゃないよぉ」
茜音は微笑んだ。祝い事ならば何度でも構わない。それよりも辛い話のほうが茜音には多すぎる。
自分のわがままで話していなかった妹の存在。それなのにほぼ初対面でも茜音と佳織には心を開いた由香利。
それを十分に感じ取っていながら平静を保っていられるのは、逆に気の毒な話なのかもしれない。
「そらそーだ。さ、茜音ももう遅いから一度帰ったほうがいいよ。でも、ありがとね……」
「うん。あったかかった。ごちそうさまぁ」
二人は立ち上がって扉のほうへ歩いた。
「由香利ね、明日帰ってくるよ。それと茜音にお願いがあるんだ」
「なに?」
菜都実は普段は見られないような寂しそうな顔で続けた。
「由香利、友達がほとんどいないの。茜音と佳織で友人代表で出てもらえるかな……? それと、この間の旅行の写真、何枚かリストして欲しいんだ。写真を作らなきゃならないから……。フィルムでもデジタルでも平気だって言ってた」
「了解! じゃ明日の朝1番に持ってくるよ。学校休みだしねぇ」
「お願い……。悪いね……」
茜音は最後に自分より背の高い菜都実の肩をたたいて、再び自転車にまたがった。
「さすがだねぇ……」
菜都実は茜音の姿が見えなくなった後も、しばらく親友が帰っていった方向を見ていた。