「仕方ないよ……。ねぇ、由香利ちゃん?」

 茜音は代わりに由香利の顔を覗き込みながら手を握った。

 以前よりだいぶ冷たくなってきてしまっている……。

 茜音はそれをおくびにも出さないように続けた。

「由香利ちゃんと約束したよね……。ちゃんとわたしと健ちゃんが再会できたら、お祝いしてくれるって。それまでは頑張ってほしいなぁ。ごめんねぇ……、もっと一緒に旅行に行こうって言ったばっかりなのにねぇ。でも、また元気になって会えるよね。そしたら一緒に旅行しようね。あと、菜都実のこと、あんまり心配させちゃダメだよ? また来るからね?」

 茜音は大きい声でゆっくりと話した。その間、由香利はそんな茜音の顔を見ていた。

「う…ん…。あか…さ……」

「うん、こっちこそありがとうねぇ」

 かすかに発せられる言葉と、かすかに動く唇の形で茜音は意思を交わせる。

 こんな瞬間にもかかわらず、菜都実は茜音に感心していた。これが彼女が言っていた「本当なら身につけていたくない技術」なのかと。

 握っていた手を布団の中に戻し、菜都実のほうに振り返った。

「ありがとうございます。大切な時間なのに…」

 茜音も後ろを向いてからは、こみ上げるものを抑えきれずにいた。

「菜都実、何かあったら夜中でも呼んでいいからね……。佳織を連れて帰るよ」

「ありがとう、茜音……」

 病室を出るときに、茜音はもう一度ベッドに寝ている由香利に挨拶して病室を後にした。

「わたし……、こういうの初めてじゃないからね……。佳織にはきつかったかもしれないな。悪く思わないであげて?」

 佳織を探して歩きながら、茜音は一緒についてきてくれる菜都実にぽつりと言った。

「茜音……?」

「反応がなくなってしまっても、最後まで耳は聞こえてる。寂しくないように一緒にいてあげるんだよ?」

 談話室に佳織を見つけ、一緒に帰るよう促したあと、残る菜都実に茜音は言った。

 それは何度も大切な人を失ってきた茜音だけが発せられる台詞。

 いつもとは逆のシチュエーションだけど、それを気にするような関係ではない。

「うん。分かった。ありがとう二人とも…」

 エレベーターの扉が閉まり、二人だけになる。

「茜音……、強いね……」

 それまで黙っていた佳織が茜音に寄りかかった。

「由香利ちゃんは幸せだよ。ご両親とお姉さんがいて。私は家族最後の一人だったから……。私しかいなかった…」

「そうか……」

 佳織の中には教えられた話でしかないが、彼女が事故にあった当時、既に息絶えていた父親を送り、一緒に救出されたものの重傷で数日後に息を引き取った母親をわずか5歳の幼い茜音は看取っている。

 まだ予想ができていた菜都実一家に比べ、それまで楽しく暖かい時間をすごしていた茜音にはあまりにも突然でショックは大きかったはずだ。

「あのね…、佳織、帰ったら休んでおいた方がいいよ」

「うん?」

「菜都実の前じゃ言えなかったけど、由香利ちゃん、今夜遅くだと思う……。なるべく菜都実のそばについていてあげたいから…」

 茜音はぽつりと、病室に置いてあった機械の話をした。

「うん。分かった。菜都実の力になってやらなきゃね」

 病院からの帰り道では佳織の家が先になる。二人は手を振って別れたが、その後の足取りは重かった。


 茜音も正直に言えば自分の予想は外れて欲しかった。

 その願いもむなしく、佳織からその電話を受け取ったのは、その夜の日が変わった時刻だった……。