「私、進学する学校を決めるとき……、家を飛び出したんだ……。もう両親の決めた進路通りには進みたくなくて……。それに、あの家にいたら……、私のことを普通の女の子として見てくれる人はいないから……」
「そっか……」
ぽつりぽつりと話している理香の顔が幼い頃に見た面影と重なる。
髪型を変え、一見すると別人のように変貌している彼女だが、窓の外を寂しそうに見ている顔は、以前の彼女を知っていれば大きく変わっていないことが分かる。
「あの後……、清ちゃんがいなくなってから……、私、寂しかったよ……。また……、誰も相手にしてくれる人は居なくなっちゃった……。いつもこうやって一人で外を見て……。でも誰も声をかけてはくれなかったよ……」
「それじゃここに戻ってきてもいいことはなかったんじゃないか?」
地元が嫌で出てきた都会。ところがそこでは理香にとって思いがけない再会とともに、その場所では一人で生きていくのには辛すぎる現実にも直面した。
確かに就職が思うように行かなかったからと言って、帰りたくなかった地元で長くいることはないだろうと思う。
理香はしばらく何かを言い出そうとしては思いとどまっているような様子でうつむいたまま座っていた。
「最後の賭けだったの……」
「賭け?」
ぽつりとつぶやいた理香の言葉に清人の方が驚いてしまう。
「もし、本当の清ちゃんだったら……、あのときに言ってくれたことが本当だったら……。お父さんに言えるの……」
「なんの事だよ?」
何か複雑な事情があるらしいとは想像がつく。そこにどう自分が絡んでくるのか、さすがに小学1年生の記憶は鮮明ではない。
「本当は戻って来たくはなかったんだよ……。でも……、あそこで戻らないわけにはいかなかった……。私の就職が決まらないって分かった頃から、あの人はもう……」
理香はぽつりぽつりと言葉を選びながら話しているように見えた。
「でも……、私は本当に私のことを好きになった人じゃないと一緒に暮らすのは嫌……。親が決めたことなんて……、絶対に飲めなかった……。だから……、条件を言ったのよ……」
「どんな……」
これまでの経緯でなんとなく次の言葉は想像が付いた。それでも聞かずにはいられなかった。
「私のことを本当に想ってくれる人がいるって。その人が私に会いに来てくれたら、勝手に決められた結婚の話は破棄するって。もちろんすぐに出来た訳じゃないよ……。だから、一人だけっていう条件付きでね……」
「理香ねぇは、それが俺でいいのかよ?」
大体何となく予想はついていたことだったけど、自分とは幼い頃の思い出と、塾の講師と生徒という間柄しかなかった。それが突然、彼女の運命を左右するようなことに大きくなってしまっている。
「清ちゃんは私じゃ嫌……?」
「誰がそんなこと言ったよ?」
清人だってもちろんそんな事はなかった。これまで特定の彼女無しということも、告白されたりしたことがなかったわけではないし、何となく気になった子がいなかったわけでもない。
でも、幼い頃一緒にいてくれた理香の面影が強く残りすぎて、結局踏み出せずにいた。
そして、学校外で偶然出会った女性に初めて一歩近づけたと思ったら、何のことはない。結局自分が想うことができるのは彼女一人だけなのだと気づいたのだから。
「じゃぁ……、私のこと……」
「俺だって、理香ねぇの事以外考えられねぇよ……」
「うん……」
頷いた彼女の頬をつうと一筋涙が流れた。
「泣くなよ……って、俺が昔言われたセリフじゃねぇか?」
「そうだねぇ。ひっくり返っちゃったねぇ。でもいい……。うれし泣きだから……」
恥ずかしそうに顔を赤らめてしまう理香。
年上のはずなのにその姿は自分より何歳も年下に見えた。
「ありがとう……。約束守ってくれて……」
「俺さぁ、誰とも付き合ったことないから、エスコートとか全然知らないぜ? こんなんでお父さん平気なのかな?」
理香は心配ないと言うように首を振った。
「清ちゃんだったら絶対に大丈夫。私が保証する」
「ほんとか?」
返事の代わりに、理香は清人の手を引き寄せ、そっと目を閉じた。