後部座席の四人を降ろして、車の中は急に静かになった。

「行きましょうか?」

「ああ……」

 理香は再びハンドルを握る。さっきまでの和んだ空気とは別の、張りつめた雰囲気が二人を包んだ。

「ちょっとここから離れるわね」

「その方がいいだろ」

 口数も少なく答えるが、湖周辺にいて他の人に邪魔されたくはない。

 しばらく走ったところで、理香はある建物のそばの駐車場に車を止めた。

「ここは?」

「私が勤めている学校。今日はお休みだから誰もいないのよ。田舎の学校だからね、今日は私が鍵を借りてるの」

 理香が説明するには、その学校はここ数年で立て替えられたとのこと。無駄に大きいものではなく、こじんまりとした風格だった。

 それほど子供の数が多いわけでもないのかもしれない。理香は学生時代に教職のカリキュラムを履修し、教員免許も持っていることもあり、事務員としてばかりでなく、休んだ先生の代理を務めることもあるという。

 駐車場にも校庭を見ても誰もいない。彼女は鍵を開けて清人を校内に招き入れた。

 誰もいない校舎の中というのはどうにも形容しがたい一種独特の雰囲気を持っている。

 その学校に通っていたとしても、休日の学校に一人で入りたいと思う者はいないに違いない。

「あの部屋は鍵がないはずだから……」

 普通の教室や職員室ではなく、彼女が開けた扉は地区の行事や非常時の避難場所にも使えるように作られた多目的部屋だ。普段はフローリングだけど、畳敷きにもできるという。

「どっか見覚えはない……?」

 清人は二人きりになってから口数が減っていたけれど、この校内に入ったときにも何か落ち着きなく周りを見回している。

「なんかおかしいんだよな……。こんな建物に入ったことはないはずなんだけどよ……」

「この窓からの景色も……?」

 理香は部屋の窓から外を見ていた。

「なんかあんの?」

 彼女の隣に立った清人はふと頭の中に何かがつながった気がした。

「この景色は……」

「1年2組、坂口清人君……。いえ、当時はちゃんだったね……」

「なんでそれを……。まさか……、やっぱり理香ねぇ……、だったのか?」

 理香の言葉を聞いて絶句する清人。

「思い出した? 清ちゃん……」

 潤ませた目をしている理香を見て、彼の頭の中には一人の少女の顔が浮かんでいた。

 近所に住んでいた年上の女の子で、遠い昔にいつも一緒に遊んでくれたお姉さんのような存在のことをはっきりと思い出す。

 幼い頃、ほんのわずかの期間だが、この土地に住んでいたことがパズルの最後のピースとして埋まった。

 親の仕事の関係で、わずか1年ほどの在籍。この小学校からは1年生が終わる直前、現在の場所に引っ越してしまったため、あまりこの土地に深い思い出は無かった。その中でもよく遊び相手をしてくれたのが、幼い頃の彼女だった。

 彼女の家は地元の旧家で、周囲からは近寄りがたい印象があったらしい。考えてみたら数え年で4歳も離れていた自分を相手にしてくれるのだから、なにか他にも理由があったのかもしれない。理香ねぇと当時の彼女をそう呼んだのも自分だけだった。

「ずっと……、分かってたのか?」

「ううん……」

 彼女は首を横に振った。

「最初あの塾で会ったときは全然分からなかったよ……。途中からそうかもしれないって思った……。でも、本当かどうか分からなくて……。それで意地悪な問題を出しちゃったの……。もし本当の清ちゃんだったら……、きっと分かるはずって……」

「かなわねぇなぁ理香ねぇには……。でもどうしてあんな街に来たんだよ? それに、なんで出て行っちゃったんだよ……」

「この町にはあまりいたくなかったから……。あと……、あの街に一人で居ることは辛かったから……」

「どうして……」

 旧知の仲だったと素性が分かれば遠慮も必要ない。

 あの当時のように、二人ならんで窓から校庭を眺めていた。