週があけての月曜日、放課後に佳織は茜音と菜都実を引き連れて、校内のOA実習室に向かった。
授業が終わると時間まで生徒たちに公開されていて、自由に使うことが出来る。
「週末どうしたのぉ? お店に来なかったからぁ」
「ん? あ、ごめんねぇ。それより、これを見たら一発で分かるって」
「ほえ?」
佳織は自分で記録してきたと思われるCD-ROMを演習室のパソコンにセットすると、その画像を一覧表示した。
「ここはぁ? あ~!」
茜音は思わず大きな声を出して口をふさいだ。
「どうだぁ~。あたしのデジカメだけどね。これで文句ないでしょ?」
「佳織……、あんたねぇ……」
端末の画面に表示された画像はあの渡された写真とほぼ一致したものだ。ファイル日付を見ると、週末土曜日の日付になっている。
「あうぅ……。こんなことしてたのかぁ……。内緒で行くなんてずるぅい」
全部で100枚近くある写真をざっと確認していく。
「まぁまぁ……。大見得切って行って大はずれだったら最悪じゃん? 従兄に車出してもらって、こき使ってきたのよ。萌ちゃんのお墨付きが無くても行くつもりだったんだけどね」
「最初から見当ついていたってこと?」
菜都実も不思議そうに尋ねる。いくら佳織とて全国の沿線風景を、しかもこんな山の上からのアングルを見ているわけではないはずだ。
「実はさぁ、この写真、同じアングルはある意味有名なんだよ。あと、このプリントを見てみそ?」
「ふに? ほぇ~、ほとんど同じ~っていうかそのまんまじゃん……。どうしたのこれぇ?」
佳織が差し出したもう1枚の紙にはいわゆるアニメの1シーンらしい画面が印刷されている。問題はそこに映っている場所の方で、問題の写真とほぼ場所が一致している。
ここまで一致しているということは、この絵がこの場所からの風景をベースに描かれてているとしか考えられない。
「これさぁ、衛星放送でやってた番組の1シーンなんだよね。どっかで見覚えがあった訳よ。行ったら笑っちゃったっけ。もう景色もそのまんま。ここまでそのまんまだたとは思わなかったわぁ」
「へぇ~。本当にこんなところなんだぁ。すごくきれいな場所だねぇ」
これまで高知県の山の中、飯田線沿線など言ってみれば秘境ゾーンを旅してきた茜音だが、それよりは場所も開けている。しかしこの景色は一度見てみたくなるような風景が記録されている。
「それだけじゃないぞぉ。この写真は先輩には伏せるか迷ってるんだけどさぁ……」
駄目押しのように、佳織はあるファイルを開いた。テーブル席に座って、佳織の方に視線を向けてくれている。
「なんか優しそうな人だねぇ。お化粧とかもしてないけど、結構気さくな人だったでしょう?」
茜音は写真や声などからでもその人の雰囲気をズバリ言い当てることもある。施設で育ち、幼い頃から多くの人たちの間でもまれて育ってきたことが影響していると本人は話していた。
「そうそう。そんで、この人が例の人なんだよ。まぁ、たまたまそんな話になっちゃったんだけさぁ」
「すげぇ強運……」
佳織の話では昼食をとるために立ち寄ったレストランで、写真の話をしていたところ、オーナーさんが気がついて、本人に連絡を取ってくれたというのだ。
「あ、そいで、今も茜音が見抜いたとおり、ものすごく穏やかで優しいお姉さんって感じの人。こんな突然押し掛けたのに時間取ってくれてね」
「そうなんだぁ……」
「今回のことを話したら大笑いしてた。下級生を使うとはレベルが上がったって。連絡先も聞いてあるからいつでも出発できるよ」
「すごぉい……」
いつもながら佳織の手際の良さには舌を巻くばかりだ。
「でも、本当に行くかどうかは本人に決めさせた方がいいね……」
自慢げに話していた佳織が突然トーンを落とす。
「どしたん? まさかその人にはもう彼氏でもいるの?」
「ううん、正直に聞いたら今でもその理香さん、誰ともお付き合いしていないって」
「そんなら話が早いじゃん?」
「そうも言ってられないんだなぁ……」
「なんか分かってきた気がするぅ……」
茜音もこれまでに人間関係はかなり濃いところまで突っ込んでいる経験もあるだけに、佳織の雰囲気からなんとなくその理由をつかんでいた。
「え~? 茜音までずるい。まぁいっか。そんで連れていくなら早い方がいいの遅い方がいい?」
「出来ることならすぐにでも……」
「なるぅ……。かいちょー、まだいっかなぁ? あたし連れてくる!」
言うが早いか、菜都実は演習室を飛び出そうとする。
「菜都実! 理香さんの話はしないで! 場所は見つけたってだけにしておいてね」
「了解!」
菜都実が出ていくと、佳織は茜音に別のフォルダを開いて見せた。
「あとね、茜音にはこっちがメインなんだけど、この線が大糸線っていう路線なんだけど、この北側の白馬から南小谷の間と、その先の糸魚川の間だってずっと峡谷なんだよ。だからざっと見ただけでも何本も橋がかかってるんだ。先輩だけでなくて、茜音にとっても行ってみる価値はあると思うな」
佳織がざっとプレビューで見せてくれた写真の中には何枚か川沿いの線路と、鉄橋の写真が何枚か入っていた。
「うん……。佳織ありがとう……」
茜音は彼女の手を握って頭を下げる。今回の話は勢いからだけど、佳織が自分の学校での状況を打開するための条件を相手にのませている。
佳織としても見つけると言った以上見つけなければならなかった。それに加えて茜音のために情報が少ない地域の写真を自ら集めてきてくれた。
茜音が自分一人で行動できる範囲を超えている。
「気にしなくていいって。あたしだってこれ楽しんでやってんだからさぁ。なんか茜音がこの旅をやってるのが分かる気がしてきた。実際に普段行かないところだからものすごく新鮮でリフレッシュするね。受験勉強の息抜きには一番いいんじゃない?」
茜音がこれまで各地に赴いてやってきたことはそれだけではない。佳織はそれも気づいていたが、同じことが自分にも出来るかは自信がなかった。茜音だから出来る。それが佳織なりの結論だ。
「佳織、連れてきたっす」
菜都実が清人を連れて戻ってきた。
「もう見つけちゃったのか?」
「見ますか?」
佳織はさっき開いたファイルを開いて見せた。
「一昨日の写真なので、紅葉が進み始めてますけど……」
「間違いないね……。よく見つけたなぁ……」
「だから言ったじゃないですか。必ず見つけるって。あとは日程だけですよ。それにそれまでの間に他にも情報が集まるかもしれませんからね」
佳織は現地の情報をなるべく清人には最初からは伝えないでおくらしい。
「わかった。週末の結果は出次第知らせる。あと約束の件はもう少し待っていてくれ。必ずやるから」
清人は目的の場所が分かったということで少し興奮しているらしかった。佳織は借りていた写真を返し、こう続けた。
「行く日が決まったら教えてください。あたしたちも一緒に行きますから」
「えっ?」
「心配しなくても大丈夫です。あたしたちはこの場所よりもまだ奥地に行く予定です。茜音の場所を探す旅のついでです。それだけでよければですけど……」
実際、清人には現地の理香の情報は教えていない。つまり佳織がいなければ現地のコンタクトをすることが出来ない。
気がついたときにはすっかり佳織の戦略にはまっていたと言うわけだ。
「負けたよ。分かった。よろしく頼むよ」
数日後、清人から推薦試験合格の通知が三人の元に知らされた。
「んじゃ、次の週末に行きますかねぇ……」
ウィンディにやってきた清人から通知を聞いた佳織は菜都実を呼び寄せて言った。
「今回の旅に由香利ちゃんを連れて行くから、調整しておいてね。本当にきれいな場所だから」
「ほんと?」
「任せて。現地の足もほとんど確保済みだから。会長には内緒よ?」
「あんたにはホント、今回は負けたわ。その行動力どこから出てきたのよ?」
菜都実はそう苦笑したのだった。
その週の金曜、茜音たち三人に由香利、清人を含めた五人は日が変わる直前の新宿駅にやってきた。
「行きの分は確保しましたけど、帰りは自分でお願いしますね」
そう言ってそれぞれにチケットを渡した。
「なんだってこんな時間出発なのよぉ……」
最初の予想では土曜日の早朝出発と思っていたのだが、急遽佳織からの連絡で出発を前倒すことに決めたのだと言う。
鉄道で移動すると、特急列車のスーパあずさ1号なら翌朝の7時発車。しかし佳織が選んだのは新宿駅前のバスターミナルから発車する深夜バスを使うという。
「文句言わないの。これなら明日の6時前には現地に着けるんだから。普通に行ったら10時過ぎになっちゃう。滞在時間を延ばすにはこいつしかないんだってば」
「でもさぁ、今日は別に泊まりって聞いてないけど、なんで着替えなわけ? これってまぁ泊まりって言っても車中泊でしょ?」
菜都実にはこの時間はもう睡眠時間らしく、なんだか会話しながらも眠そうだ。
「会長さんは現地の状況次第でしょ? 着替えって言ったってシャツとかしか要らないって言ったじゃん。うちらは今日中に現地出発しちゃうから」
「えー? そうなん?」
不満そうな声を上げる菜都実。このメンバーで出かけるのは過去にも何度かある。夏にやはり同じような旅をしたときは泊まりがけの行程だったからだ。
「だって、由香利ちゃんに無理させられないでしょ? 夜出発して明後日の朝には帰ってくるようにするから」
「あうぅ、逆にそれって結構凄いペースのような気がするぅ……」
「まぁね……。でもうちらの分は帰りはちゃんと車を用意したから、まぁ許してよ」
茜音の言うことももっともだ。確かに普通の週末でいくつもの計画をこなすためには少々きつい行程になる。
それだけではなく、紅葉シーズンで近くの宿が取れなかったというのも真相の一つらしかった。
「由香利ちゃん大丈夫?」
座席に座ったとたんに本日の営業は終了と言った菜都実とは対照的に、由香利はまだ元気そうな顔をしている。
「大丈夫みたい。この話を聞いた後から興奮しちゃって寝付けなくて……」
菜都実から聞いた話では、この由香利も同い年ではあれど、やはり身体の障害のためか双子とは思えないくらいの差があった。
もっとも菜都実は学年女子の中でも一番背の高い部類にはいるのだけど……。
「気分悪くなったりしたら絶対に無理しないでね。うちらもなるべく休みは取りながら行くけどさ」
「分かりました」
バスは真夜中の中央道を抜けていく。高尾までは道路脇の照明が設置されている。そこから先は車のヘッドライトだけの世界になる。
「考えてみれば夜行って初めてかもぉ……」
「え? そうなの?」
「うぅ。だって飯田線の時は新幹線使ったじゃん。夜に電車に乗っても周り見えないからさぁ」
「あ、そっか。移動だけじゃないからか」
起きているのは佳織と茜音だけ。
翌日の行程を考えたら少しでも休んでおく方がいい。
「茜音も休んだ方がいいよ?」
「う~、眠くならないんだよねぇ……。いつものことだからいいけどぉ……」
「なんか遠足前の子供みたい?」
「そんなとこかもぉ……」
夜間帯なので途中からは大きめのサービスエリアも通過してしまう。車内の明かりは落とされているから、少しだけ開けてあるカーテンの隙間から暗闇の道路をただ眺めていた。
結局、軽くうとうとしただけで目的地のある長野県に入っていった。
「おはようさん。もうすぐ着くよ。起きなさいってば」
早朝5時頃、バスはすでに長野県の安曇野付近を走っており、佳織は熟睡していた清人と菜都実を起こした。
「えー、なんで茜音が起きてんのよぉ……」
「茜音はほとんど寝てないって……。菜都実が一番寝てんのよ」
「そうかぁ、茜音にとっても緊張だもんねぇ……」
途中、通過する車窓の左側を佳織はじっと見ていた。
「先輩、見覚えありませんか?」
「なんか不思議なんだよなぁ……。本当に初めてなんかな……。どっかになんか引っかかっているみたいだ」
佳織と同じく、窓の外をじっと見ていた清人も、なにかを考えるように口数も少なくなっていた。
「茜音……、佳織まだなんか知ってるよあれ……」
ここまで来ると、菜都実も茜音も先日までの情報だけでないものを佳織が知っているのだと感づき始めていた。
「うん……。いつもの佳織じゃないみたいぃ……」
「そうそう由香利、この先に茜音が狂ったように見えても気にしないで。ときどきフリーズするから」
「フリーズ?」
「あ、ひどぉ……。ちゃんとその場所を見ようとしてるだけだもん~」
茜音が言うには10年近く前と全く同じ景色が残っているとは思えないので、集中して雰囲気やその他の状況を見極めようとしている。
そのために五感を総動員するというのだが、傍目にはその場で固まってしまっている風に見えるという。いつの間にか、菜都実の佳織の間では「フリーズ」という表現で呼ばれるようになっていた。
終点の白馬に着く頃はちょうど夜が明け切ったくらいで、朝日がバスターミナルを明るく照らしている。
「さぁて、これからどうするの?」
「ん~と、本当はこのまま乗り換えて南小谷まで行きたいんだけど……、その必要はなさそうだね」
「ほぇ?」
佳織が改札口の方を見ていたので、他の面々も見やる。
「うそ……だろ……?」
清人の口から思わずそんな言葉が飛び出した。
到着するバスを待つように出迎えの人が何人もいる。その中に一人、若い女性が混じっていた。
「さて、覚悟決めていきますか?」
佳織は呆気にとられたような彼を引っ張るようにバスの外へ降ろし、あとの三人はその後に続いた。
「出迎えてもらっちゃってすみません」
「いらっしゃい。来る便が分かってたから来ちゃいました」
彼女は佳織と挨拶を交わすと、清人の方に向き合った。
「お久しぶり。受験も合格おめでとう。来年春から大学生かぁ」
「せんせ……、なんで俺が来るの知ってんだよ?」
清人はその女性、西村理香に拗ねるようにたずねた。
「こちらの名探偵さんはものすごい洞察力ね。あの場所も私のこともあっと言う間に探し出しちゃったわ。本当なら反則と言いたいところだけど、私も住所書かなかったり意地悪だったからおあいこね」
理香は清人と佳織を相互に見やって言った。
「佳織、これを隠してたのか。やるなぁ」
「ちょっち衝撃すぎかもしれないね……」
「ほえぇ、そうだねぇ……」
そんな様子を後ろから見ていた三人は顔を見合わせて苦笑していた。
「あなたが片岡さんね。お話は聞いているよ。みんなで行ける車にしてきたから、先にそっちに案内するわ」
「は、はいぃ、お願いしますぅ」
まだショックが抜けきらない清人と、他の四人は理香の後について駅前に止めてある八人乗りのワンボックスカーに乗り込んだ。
その車の中で、佳織はこれまでの種明かしをした。
前回の単独調査の時に理香と出会っていた佳織は来訪の目的を話していた。その中で大糸線の話になったときに、佳織は茜音の話も持ち出し、詳しい話を聞いてきたと言うわけだ。
「最初はね、どうするか迷ったのよ。でもね、写真の場所が分かったら来なさいって言ったのは私だし、そのために頑張ったんだから、佳織ちゃんには迎えに来るって言っておいたの。本当はもっと後に登場する予定だったんだけどね」
理香は運転しながら答えた。清人の話だと彼女は今21歳くらいのはずだが、表面上は年上と言うことをあまり感じさせないながらも頼れるお姉さんというような魅力の女性だ。
「んじゃ、場所が分かったって報告してきたときにはもう全部筒抜けだったのかよ?」
助手席に座っていた清人は佳織を見る。
「もちろん。でもそれで試験当日に動揺しちゃったら困りますから黙ってました」
「さすがだな……。完敗だよ。片岡さんのことは帰ったら手を打とう。これでも少しは考えたんだから」
「い、いいですよぉ……。私は今のままでもぉ……」
茜音の中では下手に騒がれて今よりも状況が悪くなってしまうことの方が心配だったから。
「さぁて、着いたわよ。ここが車で行ける一番北側かな。ここから先は写真で佳織ちゃんに送ったとおり」
六人の乗った車は朝日に照らされた南小谷の駅を視界に入れた道路の路肩に停まった。
「すごい……」
最初に声を上げたのは茜音ではなく由香利だった。既に北アルプスの分水嶺を越えており、川は日本海に向かって流れている。
「茜音がさぁ、由香利を連れていけないかって言い出したんだよ。きっと病院暮らしじゃいろいろと行けないってわかってたんだろうから」
この日は現地撮影カメラを佳織に任せ、身軽な茜音は河原に向かった。
「凄いね……。普通女子一人でこんな山奥まで来ないよ……」
河原にしゃがみ込んで何かを話している茜音と佳織を見て、清人は感心したように声を上げた。
「茜音と一緒にいたら、あの子のことを好き放題言っている奴らが許せなかったのよ佳織は。あれを見ちゃったらとてもからかう事なんて出来ないでしょ」
「自分だったらあそこまで出来ないなぁ……。お姉ちゃんはもし自分だったら出来る?」
由香利もようやく列車内で言われていたことを実感した。実際に聞くのとその現場に立ち会うのとでは話が別だ。
「あたしじゃ無理だね。いくらなんでも10年間一度も会えないんじゃ厳しいよねぇ。しかも再会できるかどうかも分からないっていうんじゃさぁ」
そこまで言ったときに、二人が戻ってくる。
「次の場所ってありますかぁ?」
「ええ。戻ることになるけどいい? 姫川のこの先は道路が沿っていないから」
「それでいいですぅ」
車は元来た道を戻っていく。しかも今度は舗装道ではなく、横道にそれた砂利道に入っていく。
標高の高いところにはもう紅葉がだいぶ進んでいる。このあたりが赤や黄色に染まる頃は山頂のあたりには雪が降り始める。
そうなるとこのあたりも茜音たちがふらりと立ち寄れる場所ではなくなってしまう。
「うー、ここでもなかったですねぇ……」
結局、この訪問は茜音本来の目的としては空振りに終わったようだ。
「そうかぁ。また1つ候補地が消えたわけか……」
「残念だったわね……。このあとどうする?」
白馬の駅前まで戻ってきて、朝と昼御飯を一緒にしてしまうことにした。
「これでうちらの目的は果たしたわけだけど、かいちょーはまだでしょ?」
「まぁ、うちらはお邪魔虫ですから、今日中にさっさと消えちゃいますけど」
「おいおい」
当然のことながら、本来主役であるはずの清人の用件はまだ終わっていない。
そんなことは最初から分かっている佳織は、由香利の体調も考慮して、他の面子を短時間で引き上げるように調整済みだったから。
「でも、素敵よね……。初恋でそこまで一生懸命になれるって……。きっとその彼も茜音ちゃんのこと探してるんじゃないかな」
さっきまでの少し陰った顔も戻り、デザートのパフェをどう攻略しようか考えていた茜音に理香は微笑みかける。
「そうですかぁ? でも初恋じゃなかったら出来ないかもぉ……」
「そうねぇ。一度失恋経験味わっちゃうと、こんなにピュアには動けないかもしれないわぁ。場所と人を同時に見付けなきゃならないなんて大変よねぇ」
「どうでしょうか……。もしかしたら、その彼氏さんは茜音さんのこと、もう探し当てているのかも……」
「ほぇえ?」
唐突に由香利が口を挟んだ。
「だって、私もお姉ちゃんから茜音さんのことを聞いてちょっと検索してみたんです。もし同じようにキーワードを入れてネットで検索していたとしたら、茜音さんのスレッドを見つけるのはそんなに難しい話ではないんですよ」
「そうかぁ……。健ちゃん意地悪してんのかなぁ……」
由香利の言ったことももっともだ。今の時代、ネットでの情報網は10年前とは大きく変化している。
それこそ一番最初に茜音たちが検索したときにも見切れないほどの情報が手に入ったように、茜音が動き回っているという話はネット上で公開されていることだ。
佳織と萌をはじめとする支援してくれる各地のメンバーによってSNSのサイトも立ち上がり、情報の提供や写真を入れたレポートなどもある。今日の事も佳織が撮影している写真も一両日中には公開されるのだから。
「きっと、その場所で会いたいんじゃないかなぁ……。ネットでひょいと再会しちゃったら、なんか盛り上がりに欠けるじゃない。だからそれまではじっと見ている可能性もあるよね」
理香の言葉はある意味説得力がある。彼女は清人の住所なども知っていたにも関わらず、時期が来るまでヒントの手紙を送らなかったからだ。
再会していないと思っているのは実は茜音だけだったりする可能性もゼロではない。
「うぅ……。ってことはあと半年以上はまだ会えないってことになるよぉ……」
スプーンをくわえたままうなる。もし彼が自分を既に見付けているのなら、茜音に会いに来るのはそれほど難しい話ではない。
本当に自分を見付けていないのか、それとも由香利が言うようにわざとなのか。その答えはどのみち来年にならないと分からないわけだ。
「茜音はどっちがいいの?」
「うぅ、そりゃぁ早く会いたい……。でも、次に会う時ってそんな簡単に話が終わらない気がするんだよねぇ……」
「うんうん、茜音の一大決心でしょ?」
「なんか他人の気がしなくなったぞ……」
清人の呟きに、なにを今さらという様子にため息をつく佳織だ。
「だから最初に言ったじゃないですか。先輩と同じなんですよって。茜音はフリーなんかじゃないんです。言い方が悪いですけど、茜音と誰が付き合うかなんて勝手に盛り上がっている人たちに言いたいのは、茜音は10年前から相手を決めているんです。でも真面目な茜音は不確定な話で誰も傷つけないためにまだ正式発表していないだけのことです」
「なんか……、健ちゃんと会った後の学校を想像したくないなぁ……」
「暴動が起きるかも……」
校内の男子で茜音の名前を知らない者はいない。
人気があると分かっていても決して高飛車になったりしないと彼女の株は上がる一方で、最近では菜都実の言うように少し過熱気味。彼女は全く悪くないのにもかかわらず、問題視をする教師や、その姿勢を批判する女子がいるという噂も聞こえてきているからだ……。
「はあぁ……。最近断るのが疲れちゃったんだよねぇ……。こんな私のどこがいいのかなぁ……」
「生徒会でも有名だもんな。顔は見たことなくても名前だけは知ってるっていう生徒多いぜ?」
「中学から高校生ぐらいが一番気にするわよね。その辺小学生は楽よ。たまに妙におませさんの子もいるけどね」
理香は地元に戻った後は、小学校で事務員として働いているそうだ。もともと子供好きだった彼女にはちょうどいい職場だと言う。
「もう少し落ち着かないかしらねぇ……。茜音ちゃんが一人でどうにか出来る範囲を超えてるでしょう?」
本来なら茜音の騒動も周りが勝手に過熱しているだけなので彼女自身に責任はないけれど、誰かが危害を与えに走らないとも限らない。
「かいちょー、茜音に手を出す奴がいたら容赦なく退学だかんね」
「ほえぇ……。そんなことにはなってほしくない……」
「でも、用心に越したことはないでしょうね。さて、それじゃあの答え合わせの場所に案内するわ……」
一区切りついたところで理香はまた全員を車に乗せ、朝もバスで通った道を南へと進んでいく。
「佳織ちゃんは来てるけど、他の人たちはまだだもんね。今日は天気がいいからきれいに見えるわよ」
以前はヤナバスキー場としていたゲレンデ斜面の芝はそろそろ枯れはじめているようで、斜面はまだらの模様を描いている。
突然、国道から外れ細い道へと車を進めていった。
「これから先、カーブが多いから注意してなさいよ」
「はーい。でももう少しで紅葉真っ盛りだねぇ……」
「この辺は難しいのよ。なかなか地元の人だってベストの日に休みなんか取れないもん」
今走っている道も先にスキー場があるらしく、途中まではそれなりに広い道が続く。しかし急坂の部分もあり、スタッドレスタイヤだとしても入りたくない山道だ。
そんな坂を上っていき、次に車1台通るのがやっとという林道に入っていく。対向車が来てもすれ違いは出来ない。
「こんなとこになにあんのぉ~」
「まぁまぁ、黙ってなって」
佳織は周りを見回しながらデジカメを用意している。
突然、それまで車の両サイドを覆う木々がなくなって空が大きく正面に見えた。
「到着」
「茜音、菜都実、由香利ちゃんも急いで下りた下りた」
「なんだっつーのよ」
「ほわぁぁ…………」
「写真のまんまですねぇ……」
佳織にせっつかれて車から降りた四人は、目の前の光景にしばし言葉を失った。
写真で見ていた景色そのままが目の前に広がっている。急斜面の一部がきれいに整備されており、そこからは目の前の湖を見下ろす絶景のポイントになっているの。
「ここがあの写真の答えかな。ハンググライダーで木崎湖の岸のところまで下りていけるのよ」
「そうなんですかぁ……」
「本当は雪の時を送ればもう少し問題を難しくできたんだけどね。でもここまで登れないし」
冬はこのあたり一面が雪で覆われ、この場所まで素人が上ってくるのはほぼ不可能だという。
道も一般車は閉鎖されてしまうと言うことなので雪の中を歩いて上ってくるしかないそうなのだが、晴れた日はそれは見事な景色となると言う。
「んでも、どうして教えてくれなかったんだよ。こんな手の込んだことしてさ……」
「そうね……。もう少し早く素直に教えていれば良かったかもね……」
会話はそこで途切れた。
清人や茜音が住んでいる場所からこの地区はそれほど遠いわけではない。今回のような夜行バスや特急列車を使えば数時間で到着してしまう。
二人を遠ざけておく理由がなければ、もっと早い時間で再会していても良かったわけだ。
受験に合格してからという条件はあったものの、住んでいる場所を教えていなかったというのはどこか引っかかる話ではある。
「もしかしてぇ……」
「うん、この先は邪魔は消えた方がよさそう……」
佳織と茜音は顔を見合わせて頷いた。
「あのぉ……。あそこの温泉に連れていってもらえませんか? ちょっと朝早かったもんだから……」
本当はこの景色をもっと見ていたかったのだけど、雰囲気の移り変わりを考えれば、このあたりが自分たちの役目も潮時だ。
「えー? もう少し見ていたいんだけど……」
「菜都実……」
佳織の目配せで菜都実姉妹も意図をくみ取ったようだ。
「あとでもう一度ここには案内するから、今はちょっと。ごめん」
自分たちの認識を整えてから、佳織は理香へ声をかけに立ち上がった。
「理香さん、そろそろ……」
もちろん最初から打ち合わせてあったのだと思う。これだけの言葉で二人は互いに頷いたから。
「この辺でお風呂なら、ゆーぷるでいいのかしら?」
「そうですね。あそこが一番大きいし」
ゆーぷる木崎湖はガイドブックなどにも紹介される公共の温泉施設で、併設で温水プールなどもある。
露天風呂もあり、晴れた夜には満天の星を見ながらなんていうことも可能だという。
来た道を戻るのかと思いきや、理香は車をUターンさせずに進んでいく。途中の道はどう考えてもすれ違いは出来そうにない狭路だが、上から見下ろした時に見えていた紅葉を見ながらの道は乗っているだけなら楽しい。
この日は土曜日という事もあり、紅葉狩りのハイカーと分かる人も多数歩いている。
「ここに出るのよ」
山道を下りきったところは目の前にキャンプ場が広がる湖の畔だった。木々の間だから見える濃いブルーの水面は思わず立ち止まってみたくなるような景色を見せる。
「まっすぐ行くんじゃなくて、ぐるっと回ってみる?」
直行するならば右折する道をせっかくだからと言うので左に折れる。
「これ、紅葉もきれいだけど、夏場とかすごくきれいかも……」
対向車も後続車もいないので、歩いているのと変わらないスピードで車を進める。
「由香利でもこういうとこは来ないの?」
「だって、あんまり自由な時間ないもん。それに病院だと外の出歩きって言ったって制限されちゃうし」
「そっか……」
普段一緒にいることが出来ない二人は、時々電話連絡をする程度だと言う。
湖の北側から国道に出てすぐに理香は小さな駅の前に車を止めた。
駅だと分かったのも、建物の入り口のところに海ノ口駅という看板があったからで、これがなければそれと気づかずに通り過ぎてしまうような建物だ。
「この駅ねぇ、なんの変哲もないんだけど……」
ガラス戸を開けて四人を中に呼び入れる。
「まさかここって……」
入る前に佳織がはたと思い付いたように言った。
「そのまさかね。すっかり有名になっちゃって。今日は誰もいないのね……?」
理香は待合室で振り返って周りを見回してみた。
「茜音、菜都実これ知ってる?」
佳織は壁に貼ってある新聞の切り抜きを指して二人を呼び寄せた。
「うわ、すっげぇ……! 聖地巡礼かぁ……」
「ほぇ?」
先に切り抜きを一目見た菜都実も声を上げ、何事かと残るメンバーも向かう。
「ほわぁ~、これ凄いかもぉ……。有名になっちゃったんだねぇ……」
思わず茜音も笑わずにはいられない。地元の新聞の記事が貼ってある。以前、佳織が湖の写真と同じ風景を使ったアニメがあるという話を聞いていた。
その場所が実在すると言うことが話題を呼び、今ではその番組を見た人たちが大勢この駅や湖の周辺を訪れるようになったという記事だった。
よく待合室の中を見回してみると、それに関連するイラストなども貼ってあり、設置されたノートにも多数の書き込みがしてあることから、相当の人数がここを訪ねてきているのだろう。ホームに出ると湖を正面に見ることが出来る風景は、ここがもしそんな舞台になっていなくても十分に訪れる価値がある場所だと茜音は思った。
「おかげで少し前まではこの辺はちょっとしたお祭り状態だったのよ。たまには困った人もいるみたいだけど、それほどまだ問題は起きていないからね」
理香はホームに置いてある木製のベンチに腰掛けている茜音のところにやってきた。
「都会にいたら、こういう所は来たくなるものかしら?」
「そうかも……。移り住んでくるかどうかは別として……」
「そう言うものかなぁ。まぁ環境的に悪い場所ではないけどね」
それは、夏に訪れた四万十川沿いに暮らす千夏も同じことを言っていた。遊びに来るのと、そこで暮らすというのは違うのだから。
「でも、ここ冬は凄いんですよねぇ?」
「そうねぇ。スキー場も近いから……。ただ晴れると景色は最高よ?」
「いいですねぇ……。何時間でもぼぉ~っとできそうだなぁ……」
由香利もホームに出てきていた。
「これでも特急が通るからね。あんまり端っことかにいると危ないわよ」
列車の接近を知らせる放送などもなく、いきなり特急などが走ってくる。掲示されている時刻表に載っていないからと油断するのは危険だ。
「もう一つ先の稲尾は車停めにくいからね……。次はもう直接行っちゃうわね」
駅を後にすると、理香はまっすぐに木崎湖温泉と書かれている方向に車を進めた。
「ここでいいのかしら?」
「はい。ありがとうございました」
緑色の屋根と白い外壁が特徴の建物が佳織たち四人の終着点で、ここからは別行動となる。
「迎えに来てもらう時間も決めてあるんで、ゆっくり帰ります」
「悪いわね……。なんか気を使わせちゃって……」
荷物を下ろしている佳織に理香は小声で行った。
「いいんです。わたしたちはおまけでしかないから……。これからが本番ですよ?」
「そうね。なんか茜音ちゃんを見ていたら自分なんてまだまだなぁって思ったわ」
「ほぇぇ? 大変かもしれないですけど……。最後に決めるのは自分ですよぉ」
「茜音ちゃん……。佳織ちゃんから聞いたの?」
突然やってきた茜音に二人は驚く。
茜音は首を横に振った。
「佳織からは何も聞いてません……。でも、何が起こっているのかは大体わかりますよぉ。わたしだって同じようなものだから……」
「そうね、茜音ちゃんも頑張ってね」
「はいぃ~」
「んじゃ、かいちょー、月曜日に報告待ってます!」
「まじかよ?」
「いいです。忘れてたら押し掛けるだけですから」
「分かった分かった」
理香と清人は四人を残して駐車場を出ていった。
「これからが本番だねぇ……」
「そゆこと……」
その車が見えなくなったときに茜音がぽつりとつぶやいた。佳織も同感だと頷く。
「菜都実、由香利ちゃんも悪かったね。うちらにできるのはここまでだからさぁ。さ、迎えまではもう少し時間があるから温泉と行きますか?」
「ほーい。お風呂ぉ~」
「茜音が羨ましい……」
そうつぶやいた直後、菜都実はその茜音の一瞬の表情を見落とすことはなかった……。
休日ということでもっと混んでいるかと予想していた温泉。まだ時間が早いのか、中はがらんとしていてまだ先客もほとんど居ないようだった。
「なんか学校の旅行みたい~」
「そっかぁ。でもあんなの本当に烏の行水じゃん……。汗流しておわりでゆっくり落ち着いて入ったためしがないっしょ。由香利、あんた大丈夫よね?」
菜都実が隣で服を脱いでいた妹に声をかける。
「あんまり熱くなければ平気……。みんななんて言うかなぁ……」
由香利は付けている下着を取ろうとしてふと不安そうに言った。
「バカねぇ。あの二人はそんなことで驚くような連中じゃないよ」
「うん、いい友達だね……」
いつの間にか茜音と佳織の姿はなく、二人だけが残っていた。
「久しぶりに背中流してあげよっか? 小さい頃みたいに?」
洗い場に行ってみると先に入っていた二人の他は誰もおらず、本当に貸し切り状態の様子。
なにやらその二人が笑っている。
「どしたぁん?」
「ほえぇ~ん。ヘアゴム外して来るの忘れたぁ……」
「気がつかないで頭洗おうとする方が悪い!」
「う~」
見れば、茜音のトレードマークでもある両サイドの三つ編みが解かれていない。
これまでにもそれぞれの家で泊まった時に、茜音は入浴時にはそれを解いてきちんと洗っているはずだ。
「ドジはほっといてうちらも洗っちゃおう」
菜都実は先行組の二人から少し離れたところに妹と並んだ。