「よかったら、川の方行ってみる? なにもないけど、景色だけは保証できると思うよ」

 まだ夕食の時間までは少し時間がある。茜音に対する警戒心が解けていた千夏が誘ってきた。

「うん、おねがい!」

 二人はもうすぐ夕焼けに染まり始める道を河原に急ぐ。

「ここだよ。と言っても川しかないけどね……」

「うわぁ……」

 目の前に広がる風景に茜音は言葉を失った。

 木立の間を抜けると、そこは急に少し開けた場所になっていて、さっきから聞こえていたせせらぎを発している川が現れる。

 川をはさんだ反対側にも畑があるから、軽トラックが通れるほどの幅の簡単な橋が渡されている他は何もない。

 茜音が住む横須賀ではもう見ることが出来ない自然のままの河原だった。

 水は澄み、涼しげな音を立てて流れている。夕方でなければすぐにでも裸足になって足を浸したくなるような魅力がある。ここに菜都実がいれば一番にはしゃぎ出すのではないだろうか。

 さすが四万十川に注ぎ込む支流の一つと言うだけあり、濁りはほとんどない。川底まできちんと見える川を見たのは「あの日」以来だったように思える。

「もう少し下ると本流とぶつかるの。まだ上流だから写真で見るような広い川じゃないけどね」

 茜音は川面を見つめたまま黙り込んでいた。

 彼女の記憶にあるあの場所とは確かにここは一致しない。それでも、この川の流域であれば、もしかしたら見つかるかも知れないと期待をさせてしまうような雰囲気がそこにはあった。

「茜音ちゃん?」

 千夏に言われてハッと現実に戻ってくる。彼女が心配そうに見つめてくれていた。

「ご、ごめんね。なんか懐かしく思えちゃって。でも、ここに来たことはないはずなのに」

 間違いなくこんなに遠くまで来たとは思えない。もちろん景色も違う。でも……。

「河原の景色で綺麗なところは他にもたくさんあるよ。同じような景色だから。でも、私にはここが一番気に入ってる。小さい頃はよく真っ暗になるまで遊んで、気がついたら怖くなったときもあったよ」

「そっかぁ。少し山奥に入れば関東でもこういう場所はあるけれど、みんな違った……」

 これまで少しずつ訪ねていた場所は、昼間が多かった。

 そう、あの日はこのくらい薄暗くなるまでふたりでいろいろ話していたのだと。そのイメージが離れずに脳裏に残っている。

「茜音ちゃんの場合は普通の場所じゃダメなんでしょう?この辺は川の周りが高くないからあまり大きな橋はないんだよ」

「はぅ? どうしてそれを……?」

「お兄ちゃんから茜音ちゃんのこと聞いてるよ。私、最初はそんなこと真剣に考えてるって変な子だなって思っちゃった。でも、茜音ちゃんを一目見て変わった。この人だったらお兄ちゃんの言っていたことも本当かも知れないって」

「千夏ちゃん……」

「ごめんね。でも、都会の人っていうのと、まさか恋愛小説にあるような事を本当に思い続ける人がいるって、最初は信じたくても信じられなかった……本当にごめんなさい」

 真剣な顔で頭を下げる千夏。その手をそっと握る。

「謝らないで? わたしも言われるよ。茜音は珍しいって。でも、あと1年で約束の日が来ちゃう……。今時変だと思うよ? 10年も前の約束を信じてるって……。でも、わたしにはそれしかなかったから……。他に何もなかったから……」

 そこまで言うと、茜音は口をつぐんでしまった。

「茜音ちゃん、もう暗くなるよ。帰らなくちゃ」

 何かを思い出し、耐えるような表情をしながら固まってしまった茜音を見かねて、千夏はそっと声をかけた。