ぼんやりとした視界に茶色の天井が見える。

「よかった……。目を覚ました……。大丈夫……?」

「あ、あれぇ……」

 茜音はまだ回っていない頭で自分の置かれている状況を理解しようとした。

 記憶の最後とは違って、体がほかほか暖かい。それに倒れこんだのは真っ暗な川の中だったはず。

 今は枕元の明かりがつけられた薄暗い部屋の中らしい。それに布団の中に寝せられている。

 そして、あの時は周囲に誰もいなかった。

 しかし今は枕元に、佳織の従兄ではない同い年くらいの少年が心配そうな顔で自分の横に座っていた。

「苦しいところとかはない?」

「う、うん……」

 どうやらあのまま天国に行けた訳ではなさそうだと茜音は考えた。それとも、これもまだ自分の夢の中なのか……。

 暗くてあまりはっきり見えなかった、彼の顔をもう一度よく見ようとした。

「茜音ちゃん、無理しないでくれよ……」

「へ……。け、健ちゃん?」

「他の誰があんなところに行くと思う?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。彼は茜音の顔を見ようと、明かりの中に入ってくる。

「来て……、くれたの……?」

「遅くなってごめん。もっと早く来られていればこんなことにはならなかったのに」

 間違いない。ずっと聞きたかった懐かしい声だった。声変わりをして幾分低くなってしまったようだが、茜音の記憶の鍵を開けるには十分だ。

「会い……たかったよ……ぉ」

 手を伸ばそうとするも、まだ少し影響が残っているようだ。それでも暖められたおかげで動かせる。

 体を起こそうとしたとき、彼は慌てたように顔を背けた。

「どうしたの?」

「茜音ちゃん、着替え洗濯してくれてるみたいだから、その間、これ着てくれないかな?」

 彼は折り畳まれている浴衣と、今回自分で持ち出さなかった下着を入れている袋を腕を伸ばして渡してくる。

「え? はうぅ~! あっち向いててぇ~」

 自分の状況が少しずつ分かってくると、茜音は裸にバスタオルと毛布を巻きつけただけの状態で寝かされていたのだから。

 部屋の暖房と周りに湯たんぽをいくつも入れてくれていたので気が付かなかった。

 浴衣を着て落ち着いたところで、改めて彼を見つめた。

「変わってないね、茜音ちゃんは」

「うん……。健ちゃんもあんま変わってないね」

「見た目はね。目が悪くなっちゃったし、忙しくて床屋にも行けなかったんだけどさ」

 茜音がこの再会に備えて頑としてヘアスタイルを変えなかったように、健も同じことを考えていたようだ。

 細い縁のメガネをかけている変化はある。ヘアスタイルは聞いていたスポーツ刈りではなく、昔のように特に髪型をセットしてはおらず、自然に伸ばしている。

 ただ、少々伸びすぎでボサボサになってしまっているのを恥ずかしそうに笑っていた。

「そんなのいいんだよぉ。助けてくれたんだね……」

 あのあと、彼が助けてくれなければこうして言葉を交わすことはない。

「お、茜音起きたか」

 部屋の中から音がし始めたので気が付いたのだろう。ふすまを開けて菜都実が入ってきた。

「菜都実……。ごめん……」

「あとで、たっぷりお説教してやるから。ご飯食べる?」

 口調とは反対に涙ぐんでいる菜都実をみて、ようやく本当に助け出されたのだと理解した。

「う、うん」

 まともに固形物を口に入れたのは、強行出発した当日の夕食以来だ。それ以降は空腹も感じなかったし、そもそも何かを食べられるような精神状態ではなかった。

 菜都実はすぐにおかゆといくつかおかずを持って来てくれた。

「健君がさぁ、茜音に食わせるんだっておかず残してあったんで豪華だぞぉ。ま、今日はもう夜中だから二人ともゆっくり休めば。茜音の服は今乾かしてるから明日にはできるよ。ま、お邪魔虫は消えるわぁ」

「菜都実ぃ……」

 何か言いたげな茜音を残し、親友は部屋を出て行った。