ETERNAL PROMISE  【The Origin】




「千夏ちゃん、もうすぐ降りるよぉ」

 隣に座っている茜音の声でハッと目が覚める。

 電車の中は混雑する区間を過ぎたようで、空席も目立つほどになっていた。

「へ? いつから寝ちゃってた?」

「乗ってすぐに……」

「ごめん!」

 まさかの久しぶりの再会で、電車に乗ったとたんに寝てしまったとは、せっかくせっかく迎えに来てくれた茜音に申し訳ない。

「いいよぉ。疲れたでしょぉ。夜行って緊張してたりすると、かえって眠れないもんなんだよねぇ。それと朝ごはんまだでしょ? うちで用意してもらってるから、一緒に食べよ」

 電車を降り茜音の家への道を歩く。千夏は改めて親友が迎えに来てくれたことを感謝していた。通勤・通学時間を過ぎてしまえば、この辺の学校のものではないにせよ、自分の制服姿は目立ちすぎてしまう。

 茜音が朝食を自宅に設定したのも、それを考えてのことだと気が付いた。それに、茜音自身もこんな時間に学校に行かないこともあるのか、目立つ大通りを避けているのが分かる。

 駅から歩くこと15分ほどで、二人はマンションの前に到着した。

「ただいまぁ」

 玄関を茜音が開けた瞬間、千夏は一瞬緊張した。もしかしたら、自分を連れ戻しに誰かが来ている可能性があったのをようやく気づいたからだ。

「おかえり茜音。お友達は一緒?」

 しかし千夏の心配は不要で、返ってきたのは親しげな女性の声だけだった。

「いるよぉ。千夏ちゃん、早く上がって」

「お、お邪魔します……」

 茜音に腕を引っ張られて、玄関から部屋に上がった。

「まぁまぁ……、遠いところお疲れさま。すぐに朝ごはんにするわね。茜音、千夏さんの着替えを用意してあげなさい」

「はぁい」

 あまりにも緊張感がなく普通に友達が来客で来たときのような違和感のない会話に、逆に千夏の方が拍子抜けしてしまう。茜音の母親への挨拶もそこそこに、彼女の部屋に通された。

「狭くてごめんねぇ……。千夏ちゃんとこみたいに一軒家じゃないから……」

 茜音はタンスやクローゼットの中からいくつか服を取り出している。

「茜音ちゃん、ずいぶんあちこちに行ったんだね……」

 千夏は部屋を見回して言った。

 机の上や棚、壁にもいくつかフレームが置かれ、その中に各地で撮ってきた写真が収まっている。

 そこに一緒に写っている人物がそれぞれ違うことも、茜音が自分たちの場所に来た後にも各地を駆け回っていることが十分に分かるものだ。

「うん。でもまだ見つかってないんだぁ……。あ、とりあえず服ね。たぶんサイズ合うと思うけど……。下着は新品だから、机の上にハサミ置いておくね。合わなかったらあとで買いに行くからちょっと我慢してねぇ 。着替え終わったら朝ごはんにするよぉ」

 そこまで一気に話し終えて、腕に抱えている一式をベッドの上に置くと、茜音は部屋を出て行った。




 部屋に一人残された千夏が、茜音の選んでくれた服を手に取ってみると、千夏の趣味に合わせた物を選んでくれたようだ。下着も確かにタグが付いたままの新品で、ハサミを用意してくれたのも嘘じゃない。

 サイズ的にもほぼ問題はないとわかり、ようやく制服を脱いで着替えることにした。

「お待たせしました……」

 茜音の服に着替えた千夏が部屋を出ると、家の中にいい匂いが漂っていた。

「わたしもお腹すいたぁ。食べよぉ」

 テーブルには焼き魚や卵焼きなどのの和食が並んでいる。

「ごめんねぇ。急だったから洋食に出来なくて」

「どっちでも大丈夫。突然なのに気を使わないでください」

 昨日の夜は一応食べたとはいえ、緊張の中では空腹をごまかした程度に過ぎなかったから。

 地元を飛び出してから、暖かい食事が出来るとは当初思ってもいなかったことだ。

「あの……」

 一通り皿を空けて一息ついたところで、千夏は二人へと視線を投げかけた。

「大変だったわねぇ。もう落ち着いたかしら?」

 茜音の母親がお皿を片付けながらサラっと聞いてくる。

「はい……」

「大丈夫。実はね……、ちゃんとご両親には連絡が付いてるんだよ……」

「え?」

 千夏は呆気にとられて茜音を見た。

「昨日の夜にね、お兄さんから電話がかかってきてね。千夏ちゃんが向かっているかも知れないって」

「そうなんだ……。なんか言ってた?」

「ううん、とにかく連絡があったら教えて欲しいって」

「それであんな遅い時間だったのにすぐに出てくれたの……」

 千夏は昨晩かけた茜音への電話を思い出す。

 通話履歴から見ても、あの電話をかけたのは日が変わる頃だった。それなのに、茜音はすぐに電話に出てくれた。

「それであの後ね、お母さんたちも起きていたんで、事情を話したらお父さんが千夏ちゃんのお家にかけてくれて、千夏ちゃんのことを預かりますって話してくれたんだよ……」

「そんな……。私、迷惑かけてばっかり……」

 千夏は下を向いた。

「大丈夫。うちは、わたしがいるからねぇ、そのくらいじゃ驚かないよぉ。それで、ちゃんとわたしからも伝えたの。千夏ちゃんが帰るまで一緒にいるって。だからもう千夏ちゃんは旅行中ってみんな安心してるよ。それで今日の学校さぼりも公認だし」

 茜音は笑った。

 夜中につながるようになったスマホに着信履歴がなかった謎もこれで解ける。

 結局、今回の騒ぎは茜音の家族が全面的なバックアップをすると約束したことで千夏本人の知らぬ間に収まっていたのだと。

 千夏には茜音が全国を飛び回ることにどうしてこれだけ理解が得られているのかが分かった気がした。

 『無茶』をしているようで、決して『無謀』なことはしていない。行動などもきちんとオープンにしているので、大人を心配させていない。

 それに比べれば自分の行動は軽はずみだった。茜音の協力がなければ、きっと警察沙汰になって、周りに迷惑をかけることになったはずだ。

「ありがとう……」

「午後は菜都実と佳織に会うから一緒に来てね。あと、明日は予定空いてる?」

「う、うん……」

 深いことを考えずに飛び出してきてしまった千夏に予定などあるわけがない。

 やはりなかなか熟睡が出来なかった長旅のせいで、疲れが出てきた千夏はその日の午前中、茜音のベッドでようやくゆっくりと休むことができた。




 翌日、千夏と茜音は小さな荷物を持って駅に向かった。

「茜音、遅い!」

 駅には先に到着していた菜都実と佳織が待っていた。

「ごめんごめん。でも遅刻してないじゃんよぉ?」

「ごめんなさい。私の準備が遅かったから」



 前日の放課後、バイト先のウィンディに茜音は千夏を連れて行き、遅ればせながら初顔合わせとなる菜都実と佳織の二人を紹介した。

 昨年夏から始まった茜音の場所探しの最初の旅で出会ってからの交友が始まったことを、当時は居残り組だった二人とも千夏のことは話には聞いていた。

 そんな千夏が突然のこととはいえ茜音の家に来ているというのであれば、実際に会ってみたいというのが当然の反応ではある。

 一方、千夏には幼い頃から人見知りが激しいことを覚えていた茜音は、二人に会う前に大丈夫かを聞いていた。

「大丈夫です。私もいつもお話に出てくるお二人に会ってみたいです」

 快諾した千夏をみて、茜音も千夏がこの半年での成長を感じ取っていた。

 茜音が学校を突然休んだ原因の事を聞いて興奮している二人にも臆することなく接することが出来ていた。

 もっとも、茜音が休んだ表向きの理由が体調不良というものだったけれど、佳織も菜都実もまともに信じていなかったのは、放課後のウィンディに呼び出したということでも分かる。

「ひどいよねぇ。体調不良って言ったってわたしだって女の子の日にお腹が痛くて動けないときもあるよぉ」

「うんにゃ。そういうときは茜音はとりあえず出てきて保健室ってのがお約束だし、明日の予定がキャンセルにはなってなかったでしょ。朝から突然ってのは佳織とも『絶対病気じゃない』って話してたんよ」

「千夏ちゃん、こんな二人だから、本当に遠慮しなくていいからねぇ?」

 こんな三人のやりとりを聞いて吹き出してしまう千夏。

「こんなお二人がついていたんですね。茜音ちゃんのページの更新のスピードとか、内容にも納得です」

 そう、茜音のSNSは記事こそ本人が書いているけれど、写真の加工やアップロードの処理、茜音に来てほしいというようなリクエストに対しての対応などはこの二人も交えて回答を返している。

 結局そのまま夕食までをウィンディで大騒ぎのうちに済ませるころには、茜音の最初の心配もすっかりなくなり、千夏も古くからいるメンバーのようにすっかり打ち解けてしまった。



 佳織から告げられたコースとスケジュールは大船駅から東海道線で西に向かう。

「それにしても、よく飛び出してきたねぇ」

 すっかり旧知のように溶け込んで、今回の事情を知った二人が感心したように千夏を見る。

「そんな……。本当に感情だけで飛び出しちゃって……」

「いや、あたしだってそんなことになったら冷静じゃいらんないって。同じように飛び出してくるかなぁ。しかも、相手ボコボコにしてやってからだけど」

「菜都実じゃないんだから……。でも、気持ちわかるなぁ……」

 菜都実に続き、佳織も千夏に対しては同情的だ。茜音を入れた三人とも、やはり何も言わずに他の子と付き合いだしてしまうという状況には素直に受け入れることは出来なさそうである。

 そもそも、翌日の話は家族で出かけた温泉巡りがすっかり気に入ってしまった佳織の提案で、もともと熱海あたりで息抜きをしようと言うのが予定で組まれていた。

 そこに偶然にも千夏がやってきたのだが、一緒に行かないという選択肢は最初から頭にない。当然のように四人での出発と変更になる。

「伊豆半島じゃ大したことないからなぁ……」

 特に目的がないようなこんな休日であっても、茜音が幼なじみと約束をした再会の場所を探しているということは忘れていないし、菜都実や佳織も外出先の情報は調べてくれている。少しでも可能性のありそうなところは現地を回っておきたいと考えている。

「また明日ね!」

 偶然にも半年ぶりに千夏とコンビで出発できることが楽しみになっていた茜音だった。




 熱海に到着すると、熱海の観光をするという二人と別れて、そこから先のJR伊東線と伊豆急下田までの区間を見てくるという二手に分かれることになっている。

「千夏ちゃんはどっちでもいいよぉ。こっちに行っても遊びに行くわけじゃないから、面白くないかもしれないし……」

 隣のホームにいる下田への直通列車へ乗り換えるとき、茜音は尋ねる。

「ううん、茜音ちゃんと一緒に行く」

 悩む様子もなく、千夏は即答した。

「そんじゃ、あとで温泉で合流ね」

「ほ~い。出発するときにでもメールするねぇ」

 熱海下車組を見送り、列車を乗り換えて窓際の席に陣取る。

「いいの? こっちに来ちゃって……?」

 勝手に一緒に来ることを決めてしまったとは言え、茜音の地味な作業は同行してくれても期待するほど楽しいものではない。千夏もそれは知っているはずなのに……。

「うん。茜音ちゃん大変なの分かってるし……。一人じゃ寂しいでしょ」

「まぁ……、もう……、慣れたけどねぇ……」

 千夏に言われた一言が、茜音に突き刺さった。

 これまでもあちこちに出かけ、菜都実たちとの三人で出かけることも多いのだが、土日などの短時間の調査は茜音が一人で出かけている。

 本来、二人と同年代の女の子であれば、休日は1週間の疲れを取る時間であり、友達と遊んだり買い物に出かけたりできる楽しい時間であるはずだ。

 各地での出会いもあり、景色を楽しんだりと収穫もたくさんあるけれど、肝心の情報を得ることは出来ず、ハードなスケジュールの連続は、さすがの茜音にも疲れが溜まってきていた。

 同時に、この旅を続けていて、本当に目的の場所を見つけ出すことが出来るのか。ターゲットを消化していくうちに、茜音の中に少しずつ自信を持てなくなりつつあった。

「茜音ちゃん、夏に会ったときより疲れた顔してる……。気持ちは分かるけど……」

 向かい正面に座った千夏は、まっすぐに茜音を見ている。

「千夏ちゃんの言うとおりだよ……。なんか肩の荷がどんどん重くなっていくようで……」

 そこまで言ったとき、茜音は突然席を立ち上がった。

「次の駅で降りるね。本当は下田まで行く必要は無かったんだけど……」

 二人が話しこんでいる間に列車はいつの間にか伊東を過ぎ、伊豆急行に入っている。二人は山間の小さな駅に降り立った。海岸までは少し距離があり、駅の周囲は森が取り囲み、近くには小さな集落が見えている。

 駅からの階段を降り、来た方向に戻り始めたところで、また茜音は話し始めた。

「千夏ちゃんが来てくれて、嬉しかったよ……。寂しくないって言えば嘘になるし、でも、誰にもそんなこと言えないしね……」

 茜音はまっすぐ前を向いて歩を進めている。

 SNSをはじめとして、表面上のそんな姿を見ただけでは、今のような弱音を吐くようにはとてもみえない。

 しかし、千夏は違う。偶然だったとはいえ、茜音が年に一度だけ、1年分の寂しさや悲しさを集めて泣く日を知っているし、茜音も彼女にそれを伝えた特別な存在だ。

 そうでなくても茜音の本来の姿を知る者であれば、こんな長期間寂しい思いを抱きながら一人旅を続けること自体がだんだん心を蝕んでいくのは無理もないことなのだから……。



 駅から線路沿いをしばらく引き返しながら、線路は山の中に消えていく。しかし茜音はその山に入る口を見つけると、ずんずんと進んでいく。

「足下気を付けてね」

「うん」

 幼い頃から周囲の自然が遊び場所で、このくらいの山を歩き回ったとしても体力に不安はあまりない千夏でも、多少道が悪い場所もすいすい進んでいく茜音には感心するしかなかった。

 突然、前方の木々が無くなり、小さな川が流れる沢になっている。

 こんなところに出てしまって、どうするのかと思った千夏の目の前で、茜音はその沢へ降りる急斜面を下り始めた。

「すごいなぁ……」

 思わず口に出てしまう。そもそも今日の茜音の恰好はと言えば、茶色い地にタータンチェックが入ったワンピースと布製のカジュアルスニーカーで、とても山歩きをするような装いではない。

 そんな茜音は千夏が下りてこられないことに気付くと、そこで待っているようにとゼスチャーで知らせてきた。

 周囲を見回すと、近くに人家らしき存在はほとんど見られない。もしこんなところで怪我でもしたら大変だ。

 しかし、そんな心配をよそに、茜音はあっさりとまた急斜面を戻ってきた。

「大丈夫だった……?」

「うん、このくらい平気。さて、みんなの所に戻りますかぁ?」

 特に興奮した様子もなく、元来た道を歩きだした二人。

 しかし、行きに比べると足取りが重い茜音に気づいた千夏。

「違った……?」

「ほえ? うん……、まぁね……。あんまり期待はしてなかったしね……。こんな潮の香りはしていなかったからなぁ。これで海沿いじゃないってことは分かったかな」

 期待はしていなかったと言っているけれど、自分で現地に乗り込むというのは、茜音が多少なりとも可能性を見いだしたという証拠でもある。全く落胆しないということではないはず。

 帰りの熱海への列車の中でも、口数は少なかった。半年前の夏に会ったときには候補が外れた時でももう少し明るく振る舞っていたことを思い出すと、千夏の方が心配になってしまう。

 約1時間後、熱海駅に降り立った二人は、先に菜都実と佳織が向かった温泉を目指すことにした。

「佳織がさぁ……、温泉巡りにはまったらしくてねぇ……。しかも隠れたところを探し出してくるもんだから……」

 幸い、日はまだ高く乾燥した秋晴れ。散歩がてらに歩くにはちょうどいい季候で、二人は途中の土産屋などを覗きながら歩いていった。

 その場所は表通りから少し離れた坂の上にある。昔からの由緒ある熱海の温泉浴場で、佳織が以前一人で温泉地巡りをしたときに見付けておいたイチおしだという。

 受付で料金を払い、畳が敷いてある休憩室を横目で見たとき、見覚えのある顔が横になっているのが見えた。

「ほえぇ~、なに寝そべってんのぉ……」

「あ、お帰り茜音……。このおばかさんのぼせちゃってさぁ……。また後で入りに行くから先行ってて」

 菜都実の顔をうちわであおいでいる佳織。

「すまんっちゃぁ……。目が回ってよぉ……。また後で行くっすー」

 確か、何度か温泉施設には一緒に行っているけれど、菜都実はそれほど長風呂ではなかったはずだと思い出す。

「はぁ……。まぁいいや、千夏ちゃん行こ」

 休憩室の二人を置いて脱衣所へと進んだ。

「あれ……、今日は露天のお風呂は使えないのかぁ……」

 事前に佳織に教わっていた情報ならば、日替わりで男女が入れ替わるので、運が良ければ露天風呂になるとのことだったけれど、残念ながら今日は男性側に設定されているようだ。

 他のリゾート温泉などとは違い、これと言って楽しむアトラクションなどは設置されていない。その分静かな雰囲気が良かった。




「あ~~~、あったかぁい……」

 先に浴槽に入っていると、後から千夏が隣に並んで座る。

「お疲れさま。久しぶりのオフロードはきつかった?」

「千夏ちゃんの地元ではあのくらい普通だもんね。今日くらいならまだまだかなぁ……。疲れてるときは、足がガチガチになっちゃうよ」

 お湯の中で伸ばした足をさすってみせる茜音。病気ではないけれど、昔から疲れが溜まった時には、筋肉が硬直し痛くて動けなくなるといった癖がある。

「そうかぁ……。でも、凄いよねぇ……」

 仮にそんなものを抱えていることを知らなくても、初めて会ったときから茜音の細い足を見れば、山奥の悪路を長期間歩き回るには向いていないことぐらい容易に予想はつく。

「この夏まで動けばいいかなぁなんてね……。その後は車椅子になるかもしれないけどぉ」

「まさか?」

「冗談だって。調べてもらったけど、特に骨が折れやすいとか、壊れやすいとかいうのは聞いていないから」

「ならいいけど。茜音ちゃん……、ごめんね……」

「ほぇ?」

 千夏は申し訳なく思っていた。自分は茜音の尽力もあって和樹と進むことが出来ている。一方の親友はまだ一人でゴールに辿り着くことが出来ずにいるのだから……。

「そんなこと気にしないのぉ。そうかぁ……、千夏ちゃんうまく行ってたんだもんねぇ。なんか夏に会ったときより大人っぽくなったみたいね……」

「そかな?」

 隣に座る千夏は半年前に見た時よりも、数段大人びたように見える。

「ごまかされないぞぉ~。プロポーションよくなってるでしょぉ? やっぱ彼が出来ると幼児体型って訳にはいかないかなぁ……」

 水面の下に隠れているとは言え、滞在していた数日間は一緒のベッドで寝ていたこともある。数ヶ月前に比べ、明らかに出るべき所は成長しているのは脱衣所で服を脱いだときから一目見れば分かる。

「でもねぇ……。いくら頑張っても香澄には勝てないよ……。もともとが違うから……」

 千夏は視線を下ろして胸元に手を当てる。

「和樹君はなんて言ってくれてるの?」

「うん……、別に張り合う必要はないって言ってくれてるけど……。香澄なんか『小さいのは小さいなりに需要がある』って……」

「ははは、それわたしも菜都実に言われたことあるよ。それって慰めてないよねぇ」

「ほんとにねぇ……」

 思わず笑顔になったが、すぐに思い出したようにまたうつむいてしまった千夏。

「ご、ごめん……。嫌なこと思い出させちゃった……」

「いいよ……。私に魅力がないなら仕方ない……」

 言葉少なくなってしまった千夏から視線を外し、膝を抱えて茜音は考え込んだ。

 成り行きが分かり、きちんと彼女の自宅に連絡は付けてあるとはいえ、自分に救いを求めてきた千夏に大したフォローもせず連れ回してしまった。

 本当なら千夏はもっと自分とじっくり話したかったのではないだろうか……。

 彼女をいつどうやって高知に帰すかはまだ決めていない。

 帰りたいと言えばいつでも手配できる準備にはしてあるが、その前に千夏の気持ちをきちんと聞いておく必要は絶対にある。

 自分がなにも分からない土地にいきなり飛び込んだときに、人見知りという恐怖感がありながらも精一杯もてなしてくれた千夏には何かの形で恩返しが必要だと考えていたからだ。


 どれくらいの時間が過ぎたのか、いつの間にか、横にいたはずの千夏の姿が見えないことに気づく。

「あれ……?」

 脱衣所に戻ったのかと思って見てみても、千夏が脱衣かごを置いたところには中身が入ってるのが見える。

「外が見えるほうに行っちゃったのかなぁ……」

 露天風呂になっていない方でも、隅の一角に天井が開放されている区画があり、そこなら露天気分は味わうことが出来る。茜音がのぞいて見ても千夏の姿は見えない。仕方なく戻るとすぐ隣がサウナだ。

「千夏ちゃん……?」

 ドアを開けてみると、室温よりも湿度重視のタイプだ。表からはすぐに見えない端のほうに千夏が座っているのが見えた。

「ずいぶん長く入ってるよぉ?」

 手をかけると、千夏はそのまま自分の方に倒れこんでくる。

「ちょ、ちょっと、大丈夫? しっかりしてぇ!!」

 サウナから千夏を抱え出し、とりあえず浴室角の安定したところに座らせる。

「菜都実、佳織! 力貸してぇ!」

 茜音はバスタオルを巻き付けたままの姿で休憩室の二人の元に走った。




「千夏ちゃん……、大丈夫……?」

「あ、あれ……? 私……?」

 千夏が気が付くと、目の前には茜音がうちわを持ってゆっくりと顔のあたりを扇いでくれていた。

 浴衣を着せられている部分には首振りにした扇風機で弱い風が当てられている。

「サウナで倒れちゃったんだよ……。しばらく冷ませば大丈夫って。そんで……」

「そっか……。あ、でも、私みんなに見られた……?」

「大丈夫。脱衣所閉めてもらって、着替えに入ったのはわたしと佳織だけだし、そのあとここまで運んだのは菜都実だから……」

「あ、そうなんだ……」

 ほっとため息をつく。非常事態ではどうしようもないのは覚悟していたのに、茜音たちの対応には感謝するしかない。

 あとの電車の中で話を聞いたとき、どちらかといえば、バスタオル1枚だけで休憩室に駆け込んできた茜音の方に二人は焦ったという。

「ありがと……。ごめんなさい……。考えごとしてたら、いつの間にか気絶してたみたい……」

「大丈夫だよ。それよりゴメンね……。もっと早く気づけばよかったのに……」

 誰も悪いわけではない。逆にそれだけ千夏の思いが複雑だということを知らされた出来事に、茜音はこのままなにもせずに千夏を帰すことは出来ないと考えていた。

「もう大丈夫。情けないなぁ……。迷惑かけてばっかり……」

「そんなの気にしない。誰だって悩むし、千夏ちゃんの気持ち分かるから……」

「ありがと……」

 よく冷えたお茶を飲んでいるうちにようやく落ち着いてきたところで、千夏はもとの服に着替えて茜音と外に出た。

「あれ? あとの二人は……?」

 それまでようやく合流したかと思っていた、菜都実と佳織の姿が見えない。

「お土産とか他にも見て回るって言うから先に出発してもらったよぉ。うちらも少しお土産とか見てから出発しようかぁ……」

 きっと、茜音は自分が気にすることを分かっていて、友達である二人に無理を頼んだのではないか。千夏はますます茜音に頭が上がらなくなってしまう。

「それは千夏ちゃんの考えすぎだよ。逆に千夏ちゃんに気を遣わせちゃってゴメンね……」

 海岸線に向かってまっすぐ道を降りていく。茜音が先を歩き、その後を千夏はなにも言わずについてくる。



 海岸が見える道までたどり着くと、茜音は砂浜への階段を降りていった。

「天気が良くてよかったあ」

 茜音は消波ブロックの1つに座る。

「茜音ちゃん……」

「わたし……、最近の和樹君を見たわけじゃないから言い切れないけどね……。本当に和樹君は千夏ちゃんに愛想尽かしちゃったのかなぁ……?」

「だって……」

 千夏としても、最初は違うと思うようにしていたけれど、事態を見守っているうちに耐えきれなくなったという経緯もある。

 同じように、あれだけ穏やかな千夏がこうして飛び出してきてしまったという事実は、やはりそれなりの状況が起きたのだと茜音も考えている。

 ただどうしても腑に落ちなかったのが、千夏をあれだけ想っている和樹が本気で彼女を泣かせるようなことはしない、と言うより出来ないはずだと。

 ちょうどいい機会だから、茜音は二人きりで状況整理をしてみたかった。

「悪いけど、もしよかったら……、もう一回最初から話してくれると嬉しいな……。もちろん辛いならいいけど……」

「うん。茜音ちゃんならいいよ……」

 そんな問いに、茜音ならばと千夏は頷いた。




『最初から一緒に整理して見ようよ』

 相手が茜音ひとりだけなら遠慮もいらない。

 千夏は異変が起き始めた辺りのことからを話し始めた。

「結局、一度疑い出しちゃった私が悪いのかもしれないけど……」

 小さく呟く千夏。よく考えてみれば、本当に和樹が千夏のことを裏切ったのか、その証拠となるものといえば、千夏が自分で見たあのシーンでしかない。和樹当人に事情を聞いたわけでもない。

「そっか……。千夏ちゃんの前で悪いかもしれないけど、和樹君って千夏ちゃんのことあれだけ惚れてるんだもん……。そう簡単に、しかも香澄ちゃんに心変わりするとは思えないんだよねぇ……。それだけのことができるとは思えない……」

 知らない人が聞けば、和樹をけなしているようなセリフに通常はなってしまうものを、今の状況では茜音の方が和樹の性格を冷静に判断しているようにみえる。

「内容は分からないけど、香澄ちゃんに何かあったか、起きることになって、それは千夏ちゃんにはまだ話せないことで。仕方なく身近にいた和樹くんに持ちかけたって思う方がわたしには自然に思えるかなぁ……」

「香澄に……?」

 顔を上げた千夏は不思議そうな顔をしてる。

「だって、和樹君と千夏ちゃんが本当にお互いを大事に付き合っているのを一番知っているのは香澄ちゃんじゃない? そんな香澄ちゃんが千夏ちゃんを目の前で裏切ることなんか出来ないと思うんだよねぇ……」

「そうか……」

 香澄と千夏が出会って相当の時間が経つ。なかなか外部からの転入が少ない土地で、転校してきた当初から一緒の香澄のことを一番よく理解しているのは他ならぬ自分かもしれない。

「そうだよね……。私、二人になにも聞いていなかった……。最低だな……私……。失格だよ……」

 今度は自分を責め始めてしまった千夏の肩を茜音はそっとたたく。

「それを言うなら、わたしだってどうなるか分からない……。健ちゃんのこと本当にあと半年以上も待てるのかな……。って、こんなの考えること自体最低だと思わない……?」

「でも、それは茜音ちゃんのは特別だよ……」

「うん……。そう考えてもおかしくないし、誰もそのくらいじゃ責めないよね……。それと同じ。千夏ちゃんだけが悪いわけじゃないと思うよ。でも、わたしにはどう見ても和樹君が千夏ちゃんを理由もなく見捨てるとは思えなくて……。千夏ちゃんだってそう思ってるから残してきた和樹君のことが心配なんでしょ?」

「う、それはぁ……」

 不意を突かれて赤くなる千夏。

 茜音に言われたとおりだ。もの場の弾みで飛び出してきたのはいいが、時が経つに連れ、千夏の頭の中には和樹のことばかりが浮かんでいる。

 茜音はそんな千夏を見て微笑む。

「どんなにうまくいっているカップルだって、いつも順調とは限らないよ。時々は気まずくなったり、すれ違ったりして……、お互いのことがもっと好きになっていくんだと思うよ。以前はもっと二人とも素直だったじゃない?」

「うん……」

 言われなくても分かっていた。出会ってもう十数年の付き合いとなる和樹。幼いときから不器用ながらも自分をいつも見ていてくれた。

 お互いに意識しあったのはずっと後のことだったけど、その時も千夏のペースに合わせてくれていた。

 和樹には浮ついた話が起きたことはなかった。つまり周囲は彼の隣に落ち着くの千夏なのだと認識していることの現れでもある。

 きっと半年前の告白がなかったとしても、いつかは同じ所にたどり着いたのではないかと思っている。自分の中から彼がいなくなることは考えられない。

「うん……。もし私が悪いなら……、謝らなくちゃならないし……。もう一人になるのは嫌……」

 言葉に出してあらためてはっとする。この一件が収まったら、もっと仲良くなれるかもしれない。その前にもう一度お互いの気持ちを確かめることが必要だと思う。しかし、それも怖かった。

 もし、今回の一件をきっかけに一人になることを言い渡されてしまったら、自分はそれに耐えられるのだろうか……。新しい出会いを見つけるどころか、そのショックから立ち直ることすら出来ない。

 これまで考えることを避け続けてきたことが頭をよぎってしまう。

 千夏の心を見通して安心したように、茜音の顔から緊張感が消えた。




 そう、もう一人ぼっちに戻りたくはない。それが千夏の偽らざる心の声だ。

「ほら……。その気持ち、和樹君に正直に話せばいいんだよ。和樹君だって同じこと考えているのかもしれないし? それが聞けるのは千夏ちゃんだけだよ」

「茜音ちゃん……」

「わたしのいい先生になってねぇ……。うちはもっと大変だよぉ……。10年間の音信不通なんだから……。10年を取り戻すって大変なはずだから……」

 いつも一緒にい続けた自分たちと、10年のブランクを超えていかなければならない茜音とでは状況はかなり違うことになるのは間違いない。

 それでも、同い年で性格も似ている自分なら、茜音の手助けができるかもしれない。それが自分と和樹を結び付けてくれた茜音への恩返しになると千夏は考えている。

「茜音ちゃん……、私和樹にもう一度聞いてみる。ちゃんと聞かないでこのままいつまでも嫌な思いでいるのいやだもん」

「そうだね。きっといい返事が返ってくると思うよ。わたしが思ったとおりの和樹君なら」

「うん。ねぇ、さっきのところもう一度行っていいかなぁ? 考え事して気絶しちゃったからあんまり楽しめなかったから……」

 ようやく千夏に笑顔が戻る。まだ地元に帰るための余裕は十分に残っているのを確認し、二人はもと来た道を戻ることにした。





 その夜、千夏は茜音の家の近くの公園で自分の携帯電話の見慣れた番号を選択した。

「もしもし……」

 コール音が消え、電話はつながっているものの、返事の声はない。

「もしもし……、千夏です……」

 それでも声は聞こえてこなかった。

 諦めて電話を切ろうとしたとき、

「本当に千夏……?」

 小さな声が聞こえた。わずか2日ほどの間しか開いていなかったのにこれほど聞きたかった声。

「うん……。河名千夏です……」

 声の主はようやく安心したようだった。

「今どこにいるんだ?」

「茜音ちゃんのおうちでお世話になってる……」

「そうか……。元気なんだな?」

 ようやく普通の口調に戻る。

「ごめんなさい……。心配かけて……」

「こっちこそ、ごめんな……。千夏の気持ち、気づいてやれなくて……」

 千夏の膝から力が抜けていく。大丈夫。自分たちはまだ先に進むことができる……。

「もう……、ダメかと思った……」

「違うんだ千夏。今から大切なことを話すけどいいか?」

「うん? 香澄のこと?」

「そうだ。だだ先に断っておくけど千夏が想像しているような内容じゃない。もっと真面目な話題だ。話しても大丈夫か? それとも聞かない方がいいか?」

 和樹なりの心遣いだとわかる。

 自分が想像している話題ではないということはもっと深刻なことなのか。

 逆にそれを知らずに香澄とこれまでと同様に会話ができるか……。

「他の人は知ってるの?」

「千夏が飛び出していったあと、誤解していた連中には香澄が直接話している。だから、逆に知らないのは千夏だけだ。香澄からは千夏に話すかは自分に任せると言ってもらえている」

「分かった。何が起きていたのか、最初から教えてほしい」

「よし、じゃあ落ち着いて聞いてほしい……」

 和樹は千夏を落ち着かせるように、ゆっくりとしゃべりだした。