『はい、片岡です』
「茜音ちゃん?」
『うん、千夏ちゃんだよね。元気だった? どうしたの?』
耳に当てているスピーカーからいつもの聞き慣れた声が聞こえてきたので、千夏はほっとした。
「ごめんね、こんな遅くに……。あの……、茜音ちゃん、明日の土曜日ってお休み……?」
車内の放送も終わり、廊下の照明も落とされ、千夏も個室の照明ではなく枕元の明かりだけにしたところで、彼女は東京に近い唯一の友人でもある片岡茜音に携帯から電話を掛けた。
『ほえぇ? うーん、学校は午前中で終わるけど……。どうしたの……』
「そっかぁ……。それじゃ無理だねぇ……」
『ちょっと待って、千夏ちゃん今どこにいるの? なんでこんな時間に列車に乗っている音がするわけ?』
千夏は思わず苦笑した。さすが全国を駆け回って旅をしている茜音だ。電話越しに聞こえるかすかな線路のつなぎ目の音に気づかれてしまったのだろう。
『千夏ちゃん、ちゃんと教えて? こんな時間だし、今は寝台の中でしょ? たぶんサンライズ瀬戸だよね?』
とっさに答えられなかったのを茜音は無言の返事ととったらしく、瞬時に千夏が乗りうる列車まで言い当ててしまった。
「うん、茜音ちゃんの言うとおりだよ……」
茜音に嘘を付いていても仕方がない。千夏は窓から見えた通過駅の名前を言った。
『なるほどぉ。明日からテスト休みなんだぁ、いいなぁ……。こっちでどこに泊まるの?』
とにかく東京に向かっていることを理解した茜音が尋ねる。
「ん……と、それが……」
『まさか、決めずに出て来ちゃったってわけ?』
最初、あきらかに呆れかえったような声を出した茜音だが、すぐにくすっと笑うと、
『あはは、仕方ないねぇ……。分かったよ。うちに泊まれるようにしておくね』
茜音はそれ以上詮索することなく、東京駅から地元への乗り継ぎを教え、連絡する事もあるからスマートフォンの電源を切らないように頼んできた後は「おやすみぃ」と以前と変わらない声で電話を切ってくれた。
「ありがとう茜音ちゃん……」
千夏は昼間の興奮から来た疲れで、個室のベッドに横になって目を閉じようとした。
翌朝、熟睡とはほど遠い千夏が目を覚ますと、列車は終点まで1時間を切るところまで来ていた。
旅行の用意などしてきていない千夏はトイレ以外に部屋の外に出ることなく、備え付けの浴衣からハンガーにかけてあった制服をもう一度着込む。
昨夜の電話で東京駅からの行き方を教わったメモをもう一度確認した。
スマートフォンの画面を見ても、大量に来ていてもよさそうな自宅などからの着信表示もない。もし、着信があっても無視すればいいと決めていた。
茜音の家に厄介になるのであれば、二つ手前の横浜駅で下車した方が早いのだけど、東京駅までの切符を持っていると言うことと、到着する時間が早いので、茜音と合流するまでの時間を地元で潰すのは何かと不便かもしれないと教えてもらい、東京駅まで乗り通すことになった。
朝の7時過ぎ、定刻で列車が駅に滑り込み、メモを見ながら乗り換えの表示板を確認していると、千夏は後ろから肩を叩かれた。
「千夏ちゃん、おはよぉ。お疲れさまぁ」
「へ? 茜音ちゃん、なんで?」
昨日の電話では彼女は学校のはずで、午前中の学校が終わり次第合流すると言う打ち合わせだったから、こんな時間に東京駅にいるわけがない。
「やっぱりぃ……。旅行の用意もしてないって言ってたから、ひょっとしてって思ったんだ。制服で一人ウロウロしてるとあとで厄介なことになるかもだし」
「学校休んでくれちゃったの……?」
この時間に茜音がここにいると言うことは、間違いなく学校には間に合わない。それに制服だけでなく学校用の荷物を持っていないということは、このあと登校する予定もない……、いや、自宅を出るときから自分を出迎える意思表示をしていたことになる。
「1日ぐらいいいよぉ。ちゃんと両親にも話してあるからぁ」
「ごめんね……」
これで午前中の時間を潰す必要がなくなったし、茜音が一緒ならば方向音痴の自分が迷う心配もない。
横須賀線で座ることが出来ると、千夏は張りつめていた糸が切れたように茜音に寄りかかって寝てしまった。
「大変だったねぇ……」
そんな千夏を茜音は微笑ましい気持ちで見ていた。