夕陽を背景にした音楽室で、並んでピアノを弾いている茜と杏奈。
*高校二年生の夏、夕方
廊下を歩いていると、噂話をしている一年生の女の子二人組がいた。
「ねぇ、ここの学校の音楽室、誰もいないのに放課後、ピアノの音が聞こえてくるらしいよ!」
「えっ? 本当に? 幽霊? こわっ!」
「なんか、ピアノに未練とかあるのかな?」
「どうなんだろうね……。てか、ありえないしょ。嘘じゃない?」
私は、嘘だと思えなかった。
――茜だ。
*回想 高校一年生の夏、早朝
音楽室のドアを開けると、茜が幸せそうにピアノを弾いている。
「茜!」
声を掛けたけれども、茜はピアノを弾くのに夢中で私の存在に気がついていない。しばらくしてから気がつき、彼女は手を止めた。
「杏奈、おはよう!」
「また、朝早くからピアノ弾いてたの?」
「そうだよ! だって私の唯一の幸せな時間だもん。貴重な時間。まぁ、将来はピアニストになる予定だから、未来ではずっと弾いていられるんだけどね」
「いいな! 夢とかあって。羨ましいな」
「羨ましい? 私は杏奈が羨ましいけどね」
茜は微笑んだ。そして再びピアノを弾いた。
*
私は、茜の唯一の幸せな時間を奪った。そして、茜は自ら命を、絶った。
茜とは幼なじみだった。彼女は小さい頃からピアノを弾く事が大好きで、毎日彼女は彼女の家にあるピアノを弾いていた。けれど中学一年生の時に、彼女の家からピアノが消えた。茜の両親が離婚して、ピアニストだった茜のお父さんと共に。
それから彼女のお母さんはピアノを嫌い、娘がピアノを弾くのを禁止した。でも茜は、ずっと学校のピアノをこっそり弾いていた。私が茜のお母さんにその事をチクる高校一年生の秋までは。
そう、私はチクった。羨ましかったんだもん。大好きなピアノを弾いて、幸せそうにしている茜が。ちょうど何もかも上手くいかない時期で、ピアノも中途半端にやっている私に対して嫌味かなって程に、キラキラしていて。チクった次の日から茜はピアノを弾かなくなった。そして茜は……。
――自分がした事に対して、今は後悔の気持ちしかない。
音楽室に向かった。ドアは少し開いていた。まるで導いてくれているかのように。
教室に入ると、茜の気配がした。見えないけれど同じ空間にいる感覚。しかもこっちを向いて、微笑んでいる気がする。
「茜、ここにいる?」
「うん」
――えっ? 今声が聞こえた気がした。
「茜?」
「……」
「もしここにいるのならずっと伝えたかった事があるの。茜からピアノを奪ったのは、私……。学校でいつも茜がピアノを弾いていた事、茜のおばさんにチクったの。ごめんね」
「ピアノ辞めたの、杏奈のせいじゃないよ! 気がついたの。私には才能がないって」
ピアノの方から声が聞こえてくる。なんというか、心の中に言葉が流れてくる感じ。
私は、ピアノに近づいた。
小さい頃から無理矢理習わされて、辞めたいと親に訴えても辞めさせて貰えなかったピアノ。弾くのは嫌いだったけれど、茜の弾くピアノの曲を聴くのは大好きだった。聴くのが大好きだったのに、彼女とピアノを引き離した。矛盾してる。
「茜のピアノ、私は大好きだったよ。心がこもっていて、悲しい時とか、元気な曲を弾いてくれた時、心が晴れた。それに、上手だし」
「私よりも杏奈の方が上手だったよ。すぐにすらすら弾けて。ひそかに嫉妬していたんだから。私ね、ピアニストになるとか言っときながら、全く自信がなかったんだ、実は」
確かに私はすぐに弾けるようになった。上辺だけの曲を。茜は物凄く時間を掛けて弾けるようになるタイプだったけれど、彼女が弾く曲はひとつひとつが丁寧で、心に響いた。
「どうして茜みたいな、人に幸せを届ける事の出来る人が自ら命を絶って、私なんかが、生きているの? ただなんとなく生きているだけの私が……。茜がこうなってしまったのは、私のせい」
涙が溢れてきた。
「本当に、杏奈のせいじゃないよ。前に話した、私がピアノを弾いている時の『幸せな時間』には杏奈が私のピアノを聴いてくれるのも含まれていてね、杏奈が私の弾く曲を聴いて、幸せそうな顔してくれるのが、とても嬉しかったんだから」
――きっと幻だよね。茜の気配も、この言葉も。自分の都合の良いように、頭の中で描かれているだけ。
「茜のピアノ、また聴きたい……」
そう呟いた瞬間、茜の気配が消えて、なんだか、すーっと私の中に入ってきたような気がした。
私は、嫌いなピアノに触れたくなった。触れた。その中でなんとなく一番嫌いだった〝ラ〟を弾いた。茜が一番好きだった音。
――今から、真面目にピアノを弾いてみようかな。
茜の夢を叶えたくなった。
*高校二年生の夏、夕方
廊下を歩いていると、噂話をしている一年生の女の子二人組がいた。
「ねぇ、ここの学校の音楽室、誰もいないのに放課後、ピアノの音が聞こえてくるらしいよ!」
「えっ? 本当に? 幽霊? こわっ!」
「なんか、ピアノに未練とかあるのかな?」
「どうなんだろうね……。てか、ありえないしょ。嘘じゃない?」
私は、嘘だと思えなかった。
――茜だ。
*回想 高校一年生の夏、早朝
音楽室のドアを開けると、茜が幸せそうにピアノを弾いている。
「茜!」
声を掛けたけれども、茜はピアノを弾くのに夢中で私の存在に気がついていない。しばらくしてから気がつき、彼女は手を止めた。
「杏奈、おはよう!」
「また、朝早くからピアノ弾いてたの?」
「そうだよ! だって私の唯一の幸せな時間だもん。貴重な時間。まぁ、将来はピアニストになる予定だから、未来ではずっと弾いていられるんだけどね」
「いいな! 夢とかあって。羨ましいな」
「羨ましい? 私は杏奈が羨ましいけどね」
茜は微笑んだ。そして再びピアノを弾いた。
*
私は、茜の唯一の幸せな時間を奪った。そして、茜は自ら命を、絶った。
茜とは幼なじみだった。彼女は小さい頃からピアノを弾く事が大好きで、毎日彼女は彼女の家にあるピアノを弾いていた。けれど中学一年生の時に、彼女の家からピアノが消えた。茜の両親が離婚して、ピアニストだった茜のお父さんと共に。
それから彼女のお母さんはピアノを嫌い、娘がピアノを弾くのを禁止した。でも茜は、ずっと学校のピアノをこっそり弾いていた。私が茜のお母さんにその事をチクる高校一年生の秋までは。
そう、私はチクった。羨ましかったんだもん。大好きなピアノを弾いて、幸せそうにしている茜が。ちょうど何もかも上手くいかない時期で、ピアノも中途半端にやっている私に対して嫌味かなって程に、キラキラしていて。チクった次の日から茜はピアノを弾かなくなった。そして茜は……。
――自分がした事に対して、今は後悔の気持ちしかない。
音楽室に向かった。ドアは少し開いていた。まるで導いてくれているかのように。
教室に入ると、茜の気配がした。見えないけれど同じ空間にいる感覚。しかもこっちを向いて、微笑んでいる気がする。
「茜、ここにいる?」
「うん」
――えっ? 今声が聞こえた気がした。
「茜?」
「……」
「もしここにいるのならずっと伝えたかった事があるの。茜からピアノを奪ったのは、私……。学校でいつも茜がピアノを弾いていた事、茜のおばさんにチクったの。ごめんね」
「ピアノ辞めたの、杏奈のせいじゃないよ! 気がついたの。私には才能がないって」
ピアノの方から声が聞こえてくる。なんというか、心の中に言葉が流れてくる感じ。
私は、ピアノに近づいた。
小さい頃から無理矢理習わされて、辞めたいと親に訴えても辞めさせて貰えなかったピアノ。弾くのは嫌いだったけれど、茜の弾くピアノの曲を聴くのは大好きだった。聴くのが大好きだったのに、彼女とピアノを引き離した。矛盾してる。
「茜のピアノ、私は大好きだったよ。心がこもっていて、悲しい時とか、元気な曲を弾いてくれた時、心が晴れた。それに、上手だし」
「私よりも杏奈の方が上手だったよ。すぐにすらすら弾けて。ひそかに嫉妬していたんだから。私ね、ピアニストになるとか言っときながら、全く自信がなかったんだ、実は」
確かに私はすぐに弾けるようになった。上辺だけの曲を。茜は物凄く時間を掛けて弾けるようになるタイプだったけれど、彼女が弾く曲はひとつひとつが丁寧で、心に響いた。
「どうして茜みたいな、人に幸せを届ける事の出来る人が自ら命を絶って、私なんかが、生きているの? ただなんとなく生きているだけの私が……。茜がこうなってしまったのは、私のせい」
涙が溢れてきた。
「本当に、杏奈のせいじゃないよ。前に話した、私がピアノを弾いている時の『幸せな時間』には杏奈が私のピアノを聴いてくれるのも含まれていてね、杏奈が私の弾く曲を聴いて、幸せそうな顔してくれるのが、とても嬉しかったんだから」
――きっと幻だよね。茜の気配も、この言葉も。自分の都合の良いように、頭の中で描かれているだけ。
「茜のピアノ、また聴きたい……」
そう呟いた瞬間、茜の気配が消えて、なんだか、すーっと私の中に入ってきたような気がした。
私は、嫌いなピアノに触れたくなった。触れた。その中でなんとなく一番嫌いだった〝ラ〟を弾いた。茜が一番好きだった音。
――今から、真面目にピアノを弾いてみようかな。
茜の夢を叶えたくなった。