竹中様は呪われているのです。これをアレイスター・クロウリーから授かった時に気づいていたはずです。

しかし、それを知りつつカフェーもんたなの女給たちに使ったのです。

お千代さんも、わたくしも、ああ、そうとは知らず、恋の魔道に堕ちました。竹中様がそこまでして恋愛にこだわる理由は彼のお父さんに問題があるのです。

竹中様はいじめられっ子でした。

彼のお父さんは鉄拳制裁で報いていたのです。竹中の親父は怖い、という噂がながれ、竹中様は学校で孤立しました。

話はそれだけで済みません。竹中様のお父様はいじめに加わった女子たちを強姦しておりました。

その因果が子に報い、竹中様は女日照りになられたのです。

アブラメリンの鈴を用いてまで女を愛して償おうとしました。この事実を暴露すれば、お千代さんをとりもどせます」
船長の目には希望が灯った。しかしそれも一瞬のことで「そんなもの何の証拠にもならん」と言い放った。

「竹中はそう簡単には口を割らんよ」
「いえ、その逆です」
「どういうことだね?」

目井はスカートのポケットから懐中時計を取り出す。その文字盤には亀甲と円を組み合わせたいわゆる紋切り型があしらわれている。
伏蝶丸――古代の女性宮司が魔除けにした文様だ。

「さきほど、おっしゃましたよね。つながりを永遠のものとしたい。太陽の天下としたい。ですが、それは間違いです。昼と夜は一対です。エジプトでは日時計《さんだいやる》を、夜は月時計《むーんだいやる》が時を刻みました」

恋の病は時薬で治すと彼女は言う。
「金毘羅様は断ち物の神様ですアブラメリンの鈴など一時の迷いにすぎません。竹中様の時を進めれば気も変わりましょう」

そして、目井は少しはにかむような、誘うような目線を投げると、セーラー服のスカートをチロとからげた。
船長は唾をのんだ。白地のシュミーズに麻輪違の柄がのぞく。
「これと同じ物をカルナックの海岸沿いにある仕立屋で織らせてください。お千代さんに」
「着せれば魔除けになるというのか。もし、それでも口をつぐんだら?」
目井の霊は船長の腕の中で眠る赤子の顔を撫でた。「これが私の最後の切り札です」
「どういう奥の手かね?」
「呪いには呪いで返します。人を呪わば穴二つと申しますが正当防衛は仇になりません」

目井は懐中時計をみやり「そろそろか……あの子が来てしまいます」と言った。
彼女が潮風に消えた後、スフィンクス船長は恐ろしい夢を見た。
竹中に待ち受ける恐るべき分岐だ。
どこかの病院で無数の管につながれている。もがき苦しむ竹中に看護婦がモルヒネ投与した。
それから間もなく、竹中重治は意識を取り戻した。
セーラー服姿の少女が見舞いに来ている。

「おお、お帰り。私の愛娘よ。よかった。これで私は思い残すことはないぞ! 私はもうすぐ死んでしまうだろう。それが怖いのだ…助けてくれぇ」
船長は竹中の娘の正体に気づき、「あっ」と驚いた。

目井が抱かせてくれた赤子の幽霊だ。
いったい誰の子だろう。目井でもお千代でもない。もちろん竹中の面影もない。少なくとも彼はどこかの馬の恥骨と縁を結び難病で死んでいくのだ。

「愛娘を遺してか?! おお、これが呪いだというのか。ああ、これが報復だというのか」
その子は頬がこけ、よれよれの制服を着ている。母親が健在なら放置しない。
スフィンクスは青ざめた。
貧しいまま両親に先立たれたら、娘はどうなる。
「パラフィン長屋は亡霊の置屋だといったな。目井! 女をないがしろにした者にたいして女はそこまで容赦ないのか?! おお」
船長は戦慄し、舵輪の傍においていつも愛でているお千代の写真を抱き寄せた。「お千代。私が悪かった! 私は何としてもお前を護る。そして、こんなこともあろうかと、神様は『悔い改めた時にこれを開け』と」
スフィンクス船長は木箱を開けた。長方形で高さは人の背ほどもある。
●犯行前夜
メインデッキは書斎を開放しているらしくドアを開けると香ばしいコーヒー豆の匂いに包まれながら古びた椅子とテーブル、革張りのソファ、真鍮製タイプライター、ガラス板を嵌めた黒檀製の本棚、蓄音機、それに何よりも壁一面を埋める書棚、天井に届く高さまで蔵書が詰まっている。
珈琲は美味かった。
黒檀の机には書物が二冊。
ひとつは聖書だがもう一冊は詩集であった。一ページ目はこんな具合になっている。
―――『君よ我に帰れ』
――
君は我を知らぬと 言ふよりほかに仕方がないか ――
――
我を知らねば 君も知らず 我を知らずんや 汝が心に棲めるを 汝も知らずと いはるゝこと如何にして 我が魂を去らせ得べき……
(中略)……わが眼差しを向けしを見れば(以下略)
――
「これは旧約聖書の一節だな。君は挑発しているのかね? やはり太陽神の使いだからか?」と俺は訊ねた。
「そう。私は神を信じている。そして悪魔も信じている。悪魔というのは太陽を崇めず、神を讃えることもしない、しかし世が滅んでしまえば悪事も善行も不可能。必要最小限の秩序は必要なの。そして貸借に神も悪魔もないわ。それに貴方は借りた物を用いて巨悪をなす資本に用いようとしている」
ラモトリギンはスフィンクス船長の企みを見抜いていた。
「積み荷のことか。あれは確かに私がハトホルの神々から賜ったものだ。しかし堕落したエジプト王家よりもっと相応しい所有者に渡すべきだ」
「中身が何か承知の上でですか? 無辜の人々に大いなる災いを齎す知識が詰まっていると知ってのことですか?」
「構わない。世界は2回目の大戦争を経験せねばならない。人類が成長するために必要な血だ。だから私は積み荷を大英帝国に渡すのだ。枢軸国よりはよっぽどふさわしい相手だ」
「それはいけません! もしそんなことをすれば世界は再び混沌の時代に戻ることになります。太陽と水と大気と土と木によって生れた我々人間の社会を再び戦火で焼き尽くしてしまうのは愚の骨頂!」
「ではどうするというのだ!? あの忌まわしい『バビロンの塔』の時代から何年経ったと思っている。またあの悲劇を繰り返すというのか?」
「いいえ。それこそ悪魔たちの望み通りでしょうね」
「私を殺しても無駄だぞ
。英国はユダヤ人たちを虐殺するつもりだ」
「知っています。でもそれも歴史の必然なのです。神の御心です。人間は決して抗うことができない。だから神と悪魔の闘いは永遠に続く。しかし人間はいつか勝利を掴むことができる。そのためにこの世界に生を受けた者たちがいるのですから。貴方も私の夫となる男。ならば私の力になるのが夫の務めではありませんか。そしてそれができるから貴方を選んだのですよ、船長さん」
船長はラモトリギンに魅入られた。
「神を信じる者に悪魔は存在しないのと同じだよ。私は君の言葉に従って行動しよう。ただ私は神を信じてはいるが、悪魔を信じないわけじゃないんだ。悪魔をも恐れぬ所存ではあるがね」
「それで十分だわ。神を信じながら悪魔の存在も認める人なら私は大好き」