カフェーの看板娘お千代さんが水死体で見つかった。
チャンバラ河川の船頭さんが第一発見者だった。お千代さんは帝政天婦羅女学院に通う才女で喇叭が趣味のモダンガールだった。

誰にも好かれる女給さんで小町花のような淑やかさがあった。本名を駒川千代といい横浜のスフィンクス船長が仔猫のように可愛がっていた。

愛娘を失ったスフィンクス船長の憔悴ぶりは涙を誘いお千代さんの銅像を建てようと浄財が集まるほどだった。
横浜署はカフェーもんたなに出入りする常連客のうちパラフィン長屋に住む書生たちを容疑者に絞り込んだ。

ルサンチマンを気取る竹中、西洋かぶれの岸本、大正紳士の風格を備えた蕁麻疹だ。
三人にはそれぞれアリバイがあり竹中はお千代さんの死亡推定時刻に本郷の明治百科館で勉学に励んでおり、岸本は渋谷のバナナホールで白人たちとダンスパーティーを舞っていた。
蕁麻疹は相変わらず長屋で高下駄の研究に没頭していたが横浜の中華蕎麦屋が蕁麻疹の注文に応じてニンニクたっぷり蕎麦を出前した証言がある。

蕁麻疹は確かに部屋にいた。では誰がお千代さんを殺したのかと言えばやはり三人しかいないと警察は睨んだ。

なぜなら『カフェーもんたな』から裸電球が盗まれているからだ。帝政天婦羅女学院に通う子女の間で裸電球を愛玩する癖が流行しておりお千代さんも裸電球を一羽飼いたいとスフィンクス船長に強請っていた。

だが裸電球とピラミッドの相性は甚だ悪く特にハトホル電球殿の女神が裸電球を美女神ラモトリギンの使いと見做して激しく嫉妬していたので船長は警戒していたのだ。そこで裸電球を盗まれた人はどう扱おうと殺すのと殺されるのでは大違いだった。

身の危険を感じたお千代さんは帝政天婦羅女学院を休学してスフィンクス船長と帰省することにした。地元の金毘羅さんは水運の女神である。いかな異国の神といえど聖水を潤す地母神にはかなうまいと父親は考えたのだ。

ところが船出の日、万世橋からの見送り船が横浜港に到着すると船酔いの為、お千代さんや竹中、岸本の目の色が変わってしまった。スフィンクス船長主催の洋上歓送会は中止され見送り船は神田に引き返した。

そしてその後、船に乗って帰ってきた者を待ち望むお千代さんと竹中の目から涙があふれた。

なぜお月さんの日が泣くなんて。竹中と岸本は港で泣き喚いた。船から下は水の底のように静かだった。二人は悲しみに苛まれた。自分たちはお千代さんを殺害したい欲望が暴走した。

船出の当日に伊豆の金字島が大噴火した。裸電球が盗まれた日から十九日目だった。一夜で島は沈んだ。ラモトリギンの呪いは人を殺し奪っていく。自分たちだけが幸せになれるなど認めるわけにはいかないと書生たちは結論づけた。特に竹中には思い人が他におりお千代さんを始末することで呪禍から遠ざけたい思惑があった。

しかし竹中は自分がお千代さんを殺すと船の仲間を巻き添えにしてしまうと思い、お千代さんの殺害を諦めた。この時、竹中が船頭を務めていたお月さんの日、お千代さんが泣いていたという写真が後に出回った。船上の密談に目撃者がいないが警察は写真を根拠に容疑者を絞り込んだ。

書生たちは窃盗容疑で逮捕され、警察署に連行された。この事件は検事に引き継がれ、検事は3人を裁判にかけることを決めた。検察官は3人の容疑者を法廷に連れてきた。
検察官は、お千代さんの殺害について、「お千代さんは嫉妬深い恋人の被害者である」という弁護を用意していた。
被告側は、3人の容疑者は朝のうちに逮捕されたのだから、殺人を犯すはずがないと主張した。お千代さんの死亡推定時刻は正午近くだった。検察官の主張は、3人の容疑者は最善を尽くして殺人を行ったが、その最善の努力はあまり成功しなかったというものであった。

それ以前に三人の証言とアリバイと状況証拠のそれぞれに矛盾があり検察と弁護側が提出した証拠が破綻した状態で公判維持は不可能という判断が下され一時休廷する羽目になった。いったいこれはどういうことだろうか。横浜署は首を傾げた。まるで狐狸妖怪の類に化かされているようだ。

捜査は振り出しに戻り三人は仮釈放された。杓子定規な石頭にラモトリギンは見えない。彼らは法の番人でありホルスの傍女ではない。だから見えない。
殺害が行われる一か月前のこと。

お千代さんは明治百科館にて勉強をしていたという。この頃は帝政天婦羅女学院の二年生だったと思われる。お千代さんは大学生だった。そしてカフェーが酒場になる時間帯に仕事をあがってこちらにいらっしゃると館員は証言した。

同時に明治百科館は大正ロマン主義の美術館だったのでお千代さんもロマンチシズムの憧れを持っていた。文学青年と夢に恋い焦がれる乙女。ありがちな外見と内面は著しく乖離していた。

お千代さんは縋るような思いで伊藤野枝を読み漁っていた。その自由恋愛の女神と崇められた女流作家は活動家の大杉栄と無政府運動に傾倒し憲兵に捕まって獄死する。結婚制度の否定や廃娼などアナーキズムを盛り込んだ作風はお千代さんの琴線に触れたようだ。

スフィンクス船長が良かれと持ってくる強引な縁談話に辟易していたのだ。そこで彼女は一計を案じた。結婚相手に枷を嵌める策として愛玩動物を飼養しはじめた。動物嫌いの男は少なくない。スフィンクス船長は跡取り息子に船を委ねたいと願っていたのでお千代さんはそれを利用した。

夫の留守を預かる間の話し相手と用心棒が欲しい。愛くるしい猛禽である裸電球なら間男を退けてくれる。そう主張した。また古来エジプトでは鳥を神のしもべとみなしすべての飛ぶ者に翼を与えた。太陽神の肖像画にさえ羽を付け加えたほどである。まるくてふわっとした鶏冠をもちお日様のように明るく啼く裸電球は魅力的な伴侶だ。

「ちょうど、お父様はカルナックに御用でお寄りになるのでしょう?」と言葉巧みに牽制した。船長は船長でエジプト航路の励みに娘には言えぬ営みをしており不承不承エジプト原産の裸電球を土産に持ち帰るはめになった。この経緯がルサンチマンを気取る竹中を大いに面白がらせた。話が弾んで「君、奇しくも我が書架に裸電球の本がある」と誘われるまでの関係になった。ただ竹中の洋服は女の香りがする。

そこでお千代さんは、竹中の部屋にそれらしき人の姿を見かけた。竹中は自分に見える姿に気づき、お千代さんを訪ねる。
「もしもし、君はひょっとして」
竹中の部屋でお千代さんが目を覚ました。
「君は僕が視えている人物が見えるのですか?」
●お目井の影
「見えまするがうつつの人とは思えません。いでたちも今様とは違います」
「どのような姿か」
お千代さんは顔を赤らめ「それを乙女に申せよと?」
それを聞いて竹中はやっぱりか、と確信した。
「青墓の目井だ。透き通るような単衣の女ではないかね」
お千代さんは竹中に頭を下げた形で目井を探す。
「存じております。美濃の傀儡女ですね。しかし平安の歌い手がなぜ?」
「それは芸の一つだ。夜は客と閨を共にする。しかも歌は呪術であるのだよ」
一冊の古びた洋書を手渡された。お千代さんはイングリッシュも堪能だ。
表題を音読し口ごもる。「ハトホルの……秘儀書?」