打ち合わせが終わった後、川原くんは「お疲れ様でした」と頭を下げて真っ先に生徒会室を出て行った。道心は「お花摘みに行ってきますね」と言い残しお手洗いに行く。偶然にも新田と二人きりになり、無意味に窓の鍵が閉まっているか確認していると「さっさと帰ればいいじゃないですか、変態会長」と突然の帰宅を勧めてきた。
「一応言っておくけど俺は変態じゃないし、それに最近は道心と一緒に帰ってるんだよ」
「へえ、好きだから?」

 挑発するように背中をパイプ椅子の背もたれに預け、不敵に笑ってきた。何を言い返そうか迷っていると「それと俺は、道心のことが好きだよ」と、昨日のくさいセリフを一言一句違わず言葉にしてケタケタ笑ってきた。

「うるさいな、好きだよ。悪いか」
「中学生みたいですね、会長」
「どうでもいいから。用が無いならお前早く帰れよ」
「私はあの子と一緒に帰る約束してるので」
「なんだよ。仲良しだな……」

 くだらない話をしていると、生徒会室のドアが開きハンカチで手を拭きながら道心が戻ってきた。

「それじゃあ帰ろっか。会長も」

 いつものように誘ってくれて、思わず心の中で胸をなでおろした。これで「それじゃあ会長、また明日です」と言われていたら、一晩中落ち込んでいたかもしれない。そんな俺の思考を読んだのか、新田はまたにやにやと笑って「よかったですねー会長」と口にしていた。
 俺はいい加減、彼女を無視することに決めた。



 新田は自転車通学をしているようで、駐輪場から白色の自転車を持ってくると「莉奈のカバン持ったげるよ」と言い、返事も待たずに荷物を前かごの中に入れた。

「会長は男だからちゃんと持ってね」
「あ、じゃあ私が会長の荷物持ちますよ!」
「それじゃあ私があんたの荷物運ぶ意味ないじゃん」

 道心は、なんというか少し抜けているところがある。新田のように有無を言わさずカバンを奪い取ろうとしてきたが、持たせるわけにはいかないからしっかりと担ぎ直した。不服そうに頬を膨らませているのが、また可愛らしいと感じてしまう。

「そういえば、変態はどこの大学受けるんですか?」

 三人で大通りを歩いていると、一番そういうことに興味無さそうな新田が訊ねてきた。

「俺は変態じゃない」
「それじゃあ変態先輩、教えてください」
「……一応、北峰」

 わかりやすく、二人の目の色が変わったのがわかった。

「すご、先輩頭よかったんだ」
「北峰って、県内トップレベルの大学ですよね?すごいです!」

 こういう反応をされてしまうのが、俺は正直苦手だった。中学のときも偏差値の高い高校を受けて、周囲から頑張ってと応援されて、結果的に落ちたのだ。憐れむような視線を送られたのを、今でも鮮明に覚えている。

「でも会長、そんなすごいところ受けるのに、大事な時期にこんなことしてても大丈夫なんですか……?」

 道心のこの反応も、正直予想はできていた。だから今まで、意図的にそういう話にならないように会話をコントロールしていたつもりだった。

「先生に、推薦貰うなら生徒会は入っといた方がいいって言われたんだよ。一応勉強も頑張ってるけど、選んでくれたのに適当な仕事もできないから」
「ほえーまっじめー変態天才センパイじゃん」

 新田のような半分以上興味のない適当な反応は、正直なところありがたくもあった。縁起でもない話だが、こういうやつは落ちた時に盛大に笑ってくれる。落ちるのは深刻な問題だけど、必要以上に深刻な空気にならずに済む。それは二年前に、将人のおかげでわかったことだ。

「無理だけはしないでくださいね。会長がいなくても、私が二倍頑張ればいいだけですから!」
「今のところ一般入試の試験対策もちゃんと進めてるから」

 それこそ、高校三年に上がるずっと前から大学入試のための勉強は続けてきた。もう失敗はしたくないからだ。そのおかげで、遅くとも夏休みに入るまでは、帰宅してからの勉強だけで十分だと思っている。
 その後、先に道心と手を振って別れた。またからからかわれるんだろうなと予想して身構えていたが、予想に反して新田は真剣な表情を浮かべてこちらを見つめていた。

「なんだよ」
「横セン、受験の負担になるなら無理に来なくていいから」
「昨日サボってた後輩に言われてもな」

 場を和ませる冗談のつもりだったけど、それが癪に障ったのか少々ムッとされた。

「私はもう休まない」
「道心となに話したらそんなにモチベーション上がるんだよ」
「ただの世間話しかしてない。とにかく、無理ならその時は私が二人分頑張るから」

 俺と一緒に帰るつもりはないのか、新田は自転車にまたがりペダルに片足を掛けた。

「案外いい奴だな、お前」
「別に。中学の頃、受験に失敗した時の事思い出しただけ」
「そっか。俺と一緒だ」

 一緒という言葉に興味を示したのか、彼女はまたがった自転車から降りた。

「やっぱり途中まで一緒に帰りましょ」

 本当に、ころころ呼称と態度の変わる後輩だ。
それから歩きながら話をして、実は新田は俺が中学時代に受験した高校を受けて、同じように落ちた過去があることを知った。この学校でそういうケースはよくあることだけど、まさか彼女もそうだったとは思わなかった。

「私、受験に落ちて腐ってました。頑張っても結果が出ないことがあるのを思い知ったから。結果よりも過程が大事だって言いますけど、あんなのただの気休めですよ」
「俺もそう思う。努力したのにっていうのは、結果が出なきゃただの言い訳だ」
「横センはすごいっすね。失敗したのに、また難関大を受けようって気になって」
「いや、まだ去年の今頃は、俺も新田みたいに燻ってたよ。いつまで暗い顔してんだよって怒ってくれた親友がいたから、今があるだけ」
「ちゃんと怒ってくれる人がいたんですね。それじゃあ、私にも怒ってみてくださいよ」
「殴ってほしいってこと?」
「嘘?そんな真剣に怒られたんだ」

 今でもあの時のことを思い出すと、左の頬が疼く。

「ま、横センって人に怒れなさそうだから、期待してないです」
「そんなことないぞ。怒るときは怒る」
「それじゃあ、私のことお友達にされたみたいに殴ってみてくださいよ。そしたら目が覚めるかも」
 そう言うや否や、挑発するように目をつぶって顔をこちらへと寄せてくる。さすがに女の子を殴る趣味を持ち合わせてはいないが、ここで何もしなければこの先舐められそうだったから、おでこに手を近づけて親指で中指を弾いてやった。
「いったあ!」
「目を覚まさせてほしいって言ったのは新田だろ」
「だからって女の子にデコピンするとか引くわー」
「それじゃあ、いつまでも過去に縛られてないで、明日からも生徒会活動頑張れ。期待してるから」

 俺の言葉で、額の赤くなった新田が呆気に取られた表情を浮かべた。

「え、期待してくれてるんですか?」
「俺がダメな時、二人分頑張ってくれるんだろ?」
「それは頑張りますけど。でも私のこと、横センあんまり好きじゃないですよね?教室で、莉奈の悪口言ってたし」

 さすがに罪悪感は抱えているのか、道心のことに対する言葉の歯切れが悪かった。平気なふりをして俺らと接しているけれど、ちゃんと心の底では反省しているのかもしれない。

「仮に嫌いでも仕事してくれるなら期待はするし、そもそも道心とこれからも仲良くしてくれるなら嫌う理由もないよ。人間、いくらでも失敗するんだし。間違えたらそこで終わりなんて、寂しいだろ」
「そうですか。横センって、案外自分持ってるんですね」
「どういう意味だよ?」
「ゆらゆら揺れて、流されるまま生きてるような人間なのかと思ってたってことです」

 きっと、新田の見立ては間違っていない。俺は家から近いという理由だけで中学を選び、親に進められた偏差値の高い高校を受け、先生に言われるがまま生徒会に入った。その物事の始まりに、俺の意思はおそらく介在しなかった。

「俺はたぶん、新田の想像通りの人間だよ」

 勘違いされたら、真実を知ったときに落胆されてしまう。だから俺はそういう人間なのだと認めたが、しかし新田は首を横に振った。

「いえ。前まではそうだったのかもしれないけど、今は違いますよ。たぶん、あの子と出会ってから」

 彼女は道心の名前が絡むと、必ずと言っていいほど茶化してくるが、今だけは口元を吊り上げなかった。

「前向きな人なら、私は全然応援します。先輩、莉奈と付き合えるといいっすね」
「新田もな」
 再び自転車にまたがった彼女が首を傾げる。
「なんで?」
「受験勉強、頑張ろうな。俺が卒業した後、また先輩後輩になれるの楽しみにしてる」

 特に他意はなかったけれど、新田は俺の言葉になぜか照れたようで、ペダルに乗せようとした右足が一度空振りしていた。

「まだ受験する大学決めてないし。でも、たぶん先輩と同じところか、南大にするけど」
「南大って女子大だっけ。あそこも偏差値高いな」
「まあ先輩がどうしても同じところに来てほしいって言うなら、北峰目指すのもやぶさかではないですけどね」
「それじゃあ、一緒にリベンジマッチだな。今日からまた勉強頑張れるよ」
「そんな私のことばかり気にしてないで、莉奈の進路とか気にならないんですかー?」

 正直、気になってはいる。けれど、今の俺が積極的に知るべきことでもない。何故なら卒業までにはこの気持ちに決着を付けるつもりでいるからだ。良い結果に転がればその時に知ればいいし、悪い結果であれば知らないままの方が精神衛生上都合がいい。

「今はまだいいよ」
「そすか」

 俺の答えの真意は、聡い彼女には伝わったことだろう。だからそれ以上追及もからかいもせず、今度こそ手を上げて「それじゃ、明日からも頑張りましょ」と言い残して去っていった。