いちばんの難題と思われた軍の掌握が、衛兵隊長のコメントにより、あっさりと達成されそうな見込みとなった。
もちろん、陸軍官や海軍官の反応を見ないといけないが、グレイス二世の信任がもっとも厚かったコールマンの判断に、彼より歳下の陸軍官らが反対するとは思えなかった。
(もはや障壁はない。あとはただひたすらに、理想の政治の実現に向けて邁進するのみ)
とはいえレオ第二王子も、まだ弱冠二十一歳の青年。
政治以上に、熱く胸を焦がしているものがあった。
(さあ、コーデリアさんに何と言おう。今プロポーズできたら最高だが、さすがにコールマンと料理長は、王が病に倒れたばかりで何と不謹慎なと眉をひそめるだろう……)
そんな葛藤に悩んでいると、ランがそばに来て、
「あのね、レオ王子さん。実はーー」
と、昨夜コールマンと料理長が、電撃的に仲間になったことを告げた。
「本当か!?」
驚きすぎて呆然となった第二王子に、コールマンがウインクをし、料理長は頭を掻いてみせた。
「まさかそんなことが……奇跡だ」
そうつぶやいた第二王子を、光る瞳で見つめているお嬢様がいた。
コーデリアである。
昨夜、第二王子は、ニコラス宰相に向かってこう語った。
『遠い将来、この一連の出来事すべては、きっと伝説になる。「眠り姫」や「灰の姫」のように、人々に語り継がれていくだろう。であるならば、主役は僕やランではなく、数奇な運命に翻弄された彼女であるべきなのだ』
コーデリアは、無事に主役としての役目を果たした。
クーデターは成功した。
悪役の王太子に復讐し、ざまぁ見ろと言うこともできた。
もはややるべきことはない。
静かに王宮を去り、実家に帰るだけ。
そして、レオ殿下が新しい王となり、ランが王妃になるのを、陰から応援していよう。
そう思うと、自然に涙が出て、瞳が光るのである。
「【睡眠薬】、上手に服ませましたね」
レオ第二王子が、コーデリアに近づいて、どこかぎこちない口調で言った。
「それなんですが……」
コーデリアも、やはりぎこちなく答える。
「私がやるのはどうしても自信がなくて、料理長さんに協力してもらいました」
さっと第二王子が振り向くと、注目された料理長が顔を真っ赤にした。
「あ、はい、その……コーデリア様の頼みとあれば、へへへ」
第二王子は料理長とコーデリアを交互に見た。
「ははーん。義姉(ねえ)さんは、美貌という最大の武器を使ったね」
第二王子が不器用な軽口を叩くと、
「そんな! 必死にお願いしただけですわ。それに、もう義姉さんではありません」
あまりに真剣なコーデリアの返答に、ランとエリナが声を揃えて笑った。
「ちょっと、笑わないでくれる? 私が真剣なのが、そんなにおかしい?」
「だって、奥さん」
女主人を大好きなエリナが、笑いを止めようともせずに言った。
「レオ王子様、じゃなかった、愛しのレオ陛下にだけは、武器を使うような女に見られたくないって、奥さんの顔に書いてあるんですもの」
あー、言っちゃったー、とランが口に手を当てて、なぜか自分が恥ずかしそうに身をよじった。
(い、愛しのレオ陛下って、何言ってんのよ!)
穴があったら入りたい、とコーデリアは下を向いて、ドギマギした顔を懸命に隠した。
(愛しの……レオ陛下?)
では僕は、あれほど彼女に無愛想にしてきたけど、嫌われてはいなかったのだなーーと、少し自信が出てきたレオ第二王子。
「レオ陛下ね。そう、その自覚を持たねば」
新しいシェナ王国の「国王」が、エヘンと咳払いをした。
「さあてと、これから忙しくなる。まずは王に即位しないといけないが、王妃がいないと格好がつかない。コーデリアさん、お願いしてもいいかな?」
震えを帯びた新国王の声。
コーデリアが、顔をわずかに上げた。
「……お願い、とおっしゃいますと、私が、陛下とランさんの結婚の見届け人になればいいんですの?」
「何言ってんのよ!」
間髪入れずにランがコーデリアの肩を叩くと、力加減を間違えたため、コーデリアがくるっと回ってしまった。
「あ、ごめんなさい。つい」
謝るランを、切ない目つきで見つめるコーデリア。するとランは、
「私は働かないで美食を食べたいだけで、王妃になんか絶対なりません。新しい王室で、毒見役として雇ってくれたらそれで十分」
「じゃあ、王妃って?」
「コーデリアさん」
レオ一世が、磨き上げられた床に片膝をついた。
「僕は今日かぎりで、女嫌いを卒業します。あなたが好きです。結婚して下さい」
コーデリアに言葉はなかった。
突然、光が生じ、全世界がまばゆく光ったように見えた。
そして彼女は、瞬時にすべてを理解し、すべてを受け入れた。
(そうだったのね。では私も自覚を持たねば。この国を建て直そうとする、心優しい新国王を、私は全身全霊で支えていかねばならない)
重大な責任に身震いする新王妃。
ふと床に目がとまる。
だらしなく寝そべって、イビキをかいている元婚約者。
(あなたに感謝はしないけど、こうして幸せになれたからーー)
ざまぁ見ろとは、もう言わない。
その代わりに、私たちの愛する祖国が生まれ変わったさまを、百年後にどうぞご覧あそばせーーとコーデリアは、温かいもので満たされた胸の内で言った。