血が嫌いだと打ち明けた甘城は、元々から八の字であろう眉の尻をさらに下げている。ぐっと握り込んだ拳を膝の上に置いて、甘城が真剣な眼差しを私たちに向けた。
「あれは八年前……僕が十歳の時です。突然、吸血鬼に魔界へ連れ去られ、血を吸われて吸血鬼になりました……」
血を吸われて吸血鬼になる? じゃあ私はどうなるの?
つい最近になって疑問に思っていた「何故、私は吸血鬼にならないのか」について思考を持っていかれそうになった。しかし、甘城の話は続いており、すぐに意識を傾けた。
「それで、吸血鬼は僕が男だと分かった途端に、あろうことか捨てたのです……ひどすぎますよね……吸血鬼なんて悪魔のようなものですよ。だから、僕は吸血鬼なんて嫌いなんです」
甘城は切歯扼腕する。ここにきて彼が初めて見せる怒りと憎悪の感情。
私にはとても彼が人間の生き血を吸うようには感じられない。やはり、久徳の思い違いではなかろうか。とはいえ、それを口にできる空気ではなく、私は押し黙ってどちらかが口を開くのを待った。
「……何より、元人間の僕が人間の血吸うなんてそんな悍ましいことできません」
無表情を貫いていた久徳の顔が些か動きを見せた。そして小さく「悍ましい、か……」と呟いた。どこか虚無感を漂わせていたが、ふっと乾いた笑いを落とした。
「そうは言うが、血を吸わなければ吸血鬼は活動できない。これは自然の摂理。人間が飲食をしなければいけないように、吸血鬼も血を飲まなければ生きていけない」
話しながら、おもむろに歩き出した久徳は私と甘城の間に入った。まるで、それは私を守るような仕草にも見えた。
「今日中に必ず血を飲め。言っておくが、この女は俺のだ」
「ぼ、ぼくは血を飲みませんってば」
「いいか? 生きる吸血鬼が血を飲むのは自明だ。つまりだ、既にお前は人間の血を吸っている。その証拠に一週間ほどの不調が続いたら突如、体調が回復しているはずだ」
それから久徳は〝錯乱状態〟の説明をした。吸血鬼は一定期間、血を摂取しないと飢餓が限界に達し、近くにいる最も栄養価の高い生物を無意識に襲って多量の血を吸うことだそうだ。
この〝錯乱状態〟に陥った吸血鬼は質の悪いことに記憶がないのだとか。
「なるほど……」
納得の言葉が私の口から漏れる。
そんな中、甘城は信じられないといった様子だ。だが、私は強制的に保健室を退出させられたので、その後の彼のことは分からない。
余談だが、後から確認したところ私は吸血鬼にはなっていないらしい。どうやら同性の吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になってしまうそう。
私は、心から安堵した。
*****
保健室の日の一件から2日、甘城は学校に来ていないと久徳から聞いた。どうやら、人が襲われたというニュースもないので、久徳の言いつけ通りに血を吸ったのかもしれない。
「やっぱり甘城だったのかなあ」
自分の席で頬杖を付いて、私はぼんやりと彼の顔を浮かべた。すると、側に立っていた久徳はため息混じりに答える。
「初めからそう言っていただろう」
「だって、あんなに顔面蒼白の吸血鬼がいるとか思わないじゃん」
「とにかく、まだ気は抜けない。たとえ未だに甘城が摂取していないとしても死のラインは超えていない」
「え、吸血鬼ってやっぱ死ぬの?」
暗黙の了解で、その言葉は伏せて話していたというのに驚いて口に出してしまう。私は咄嗟に自分の口元を押さえた。
「所詮は生き物なのだから、いずれは死ぬに決まっている。死なないのであれば、生きるために飲む必要もない」
「確かに。でも私には久徳が必要以上に貰っているようにも見えるけど」
「人間も最低限の食事では飽き足らず、嗜好品も飲み食いするだろう?」
その通りのため、何も言い返せなかった。とはいえ、栄養摂取と嗜好のために私の血だけを吸われたのでは限界がある。
血以外に吸血鬼も何か食べたり飲んだりしたらいいのに。
そういえば、お昼ご飯の時に久徳が物を食べているところを見たことがないが、吸血鬼は血以外のものは全く摂らないのだろうか。
ともあれ、何か食べたところで私の血が吸われなくなるわけではないので聞かないでおいた。
それから、その日の帰り道。久徳は私を家に送り届けた後、こんな警告をした。
「今夜も明日の夜も必ず家にいるように、分かったな?」
いつも今夜としか言わないため、その言葉が妙に引っかかった。
「明日?」
「明日もだ。ともあれ、明日と言わず毎日だ。未だに甘城が人を襲う可能性があるからな」
「あーはいはい」
くどい話になると面倒なので早々に切り上げて家に入った。
翌日のこと。
あの引っかかりについて理解することとなる。久徳は学校に来ず、休みだったのである。
担任の先生曰く体調不良らしいが、前日から休むことを決めていたとしか思えない。
かといって、他にどんな理由で休むのかは、さっぱり想像がつかない。
予測したところで答え合わせができるわけでもないので、久しぶりのぼっち時間を気楽に満喫することにした。
そうして、授業はあっという間に終わった。帰りも一人なので、早々に私は真っ直ぐと帰宅する。
「ただいまー」
リビングに入りながらキッチンにいるお母さんに声をかける。するとパタパタと足音を立ててこちらへ来た。
「おかえり。ねえ、帰ってきてすぐに悪いんだけど、ちょっとお使い頼まれてくれない?」
どうしてもトイレットペーパーを買わなければならなかったのに、今日出かけた時に買い忘れてしまったらしい。
トイレットペーパーの枯渇問題はシビアなので、私はすぐに家を出た。
お駄賃も貰ったのでアイスでもついでに買おうと思う。
家の近くのスーパーまでは徒歩10分ほど。桜はとっくに散ってしまって、葉桜となっている。所々、花びらが地面にへばりつき残っている道を歩きながら、私はどのアイスを買うか考えた。
「…………ん?」
公園の前で私は足を止めた。公園内に誰かが倒れていたからだ。私は恐る恐るうつ伏せで横たわる人の近くまで歩み寄った。見覚えのあるシルエットだと思った矢先だ。
「きゃあっ!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
だが、背中の痛みと砂の感触で押し倒されたことを理解した。痛みで反射的に瞑っていた目を開けば、そこにいたのは彼だった。
「甘城……!」
この前、私が見たときよりもずっと髪の毛は白に近く、瞳は明るい赤茶色だった。この甘城は紛れもなく〝吸血鬼〟だ。しかも、久徳の言っていた〝錯乱状態〟であるに違いなかった。
焦点を失ったような眼差しで私を見下ろし、その口からはだらりと涎が垂れているのだ。どう見ても話が通じる状態ではない。
「……いっ!」
甘城の手は私の両肩を強く地に押し付けており、私は痛みで声を漏らした。何とか反抗しようと私も甘城の肩を押すが敵うはずもない。
半開きの口から僅かに見える鋭い歯が目に入る。
このまま血を吸われるしかないの……?
「あれは八年前……僕が十歳の時です。突然、吸血鬼に魔界へ連れ去られ、血を吸われて吸血鬼になりました……」
血を吸われて吸血鬼になる? じゃあ私はどうなるの?
つい最近になって疑問に思っていた「何故、私は吸血鬼にならないのか」について思考を持っていかれそうになった。しかし、甘城の話は続いており、すぐに意識を傾けた。
「それで、吸血鬼は僕が男だと分かった途端に、あろうことか捨てたのです……ひどすぎますよね……吸血鬼なんて悪魔のようなものですよ。だから、僕は吸血鬼なんて嫌いなんです」
甘城は切歯扼腕する。ここにきて彼が初めて見せる怒りと憎悪の感情。
私にはとても彼が人間の生き血を吸うようには感じられない。やはり、久徳の思い違いではなかろうか。とはいえ、それを口にできる空気ではなく、私は押し黙ってどちらかが口を開くのを待った。
「……何より、元人間の僕が人間の血吸うなんてそんな悍ましいことできません」
無表情を貫いていた久徳の顔が些か動きを見せた。そして小さく「悍ましい、か……」と呟いた。どこか虚無感を漂わせていたが、ふっと乾いた笑いを落とした。
「そうは言うが、血を吸わなければ吸血鬼は活動できない。これは自然の摂理。人間が飲食をしなければいけないように、吸血鬼も血を飲まなければ生きていけない」
話しながら、おもむろに歩き出した久徳は私と甘城の間に入った。まるで、それは私を守るような仕草にも見えた。
「今日中に必ず血を飲め。言っておくが、この女は俺のだ」
「ぼ、ぼくは血を飲みませんってば」
「いいか? 生きる吸血鬼が血を飲むのは自明だ。つまりだ、既にお前は人間の血を吸っている。その証拠に一週間ほどの不調が続いたら突如、体調が回復しているはずだ」
それから久徳は〝錯乱状態〟の説明をした。吸血鬼は一定期間、血を摂取しないと飢餓が限界に達し、近くにいる最も栄養価の高い生物を無意識に襲って多量の血を吸うことだそうだ。
この〝錯乱状態〟に陥った吸血鬼は質の悪いことに記憶がないのだとか。
「なるほど……」
納得の言葉が私の口から漏れる。
そんな中、甘城は信じられないといった様子だ。だが、私は強制的に保健室を退出させられたので、その後の彼のことは分からない。
余談だが、後から確認したところ私は吸血鬼にはなっていないらしい。どうやら同性の吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になってしまうそう。
私は、心から安堵した。
*****
保健室の日の一件から2日、甘城は学校に来ていないと久徳から聞いた。どうやら、人が襲われたというニュースもないので、久徳の言いつけ通りに血を吸ったのかもしれない。
「やっぱり甘城だったのかなあ」
自分の席で頬杖を付いて、私はぼんやりと彼の顔を浮かべた。すると、側に立っていた久徳はため息混じりに答える。
「初めからそう言っていただろう」
「だって、あんなに顔面蒼白の吸血鬼がいるとか思わないじゃん」
「とにかく、まだ気は抜けない。たとえ未だに甘城が摂取していないとしても死のラインは超えていない」
「え、吸血鬼ってやっぱ死ぬの?」
暗黙の了解で、その言葉は伏せて話していたというのに驚いて口に出してしまう。私は咄嗟に自分の口元を押さえた。
「所詮は生き物なのだから、いずれは死ぬに決まっている。死なないのであれば、生きるために飲む必要もない」
「確かに。でも私には久徳が必要以上に貰っているようにも見えるけど」
「人間も最低限の食事では飽き足らず、嗜好品も飲み食いするだろう?」
その通りのため、何も言い返せなかった。とはいえ、栄養摂取と嗜好のために私の血だけを吸われたのでは限界がある。
血以外に吸血鬼も何か食べたり飲んだりしたらいいのに。
そういえば、お昼ご飯の時に久徳が物を食べているところを見たことがないが、吸血鬼は血以外のものは全く摂らないのだろうか。
ともあれ、何か食べたところで私の血が吸われなくなるわけではないので聞かないでおいた。
それから、その日の帰り道。久徳は私を家に送り届けた後、こんな警告をした。
「今夜も明日の夜も必ず家にいるように、分かったな?」
いつも今夜としか言わないため、その言葉が妙に引っかかった。
「明日?」
「明日もだ。ともあれ、明日と言わず毎日だ。未だに甘城が人を襲う可能性があるからな」
「あーはいはい」
くどい話になると面倒なので早々に切り上げて家に入った。
翌日のこと。
あの引っかかりについて理解することとなる。久徳は学校に来ず、休みだったのである。
担任の先生曰く体調不良らしいが、前日から休むことを決めていたとしか思えない。
かといって、他にどんな理由で休むのかは、さっぱり想像がつかない。
予測したところで答え合わせができるわけでもないので、久しぶりのぼっち時間を気楽に満喫することにした。
そうして、授業はあっという間に終わった。帰りも一人なので、早々に私は真っ直ぐと帰宅する。
「ただいまー」
リビングに入りながらキッチンにいるお母さんに声をかける。するとパタパタと足音を立ててこちらへ来た。
「おかえり。ねえ、帰ってきてすぐに悪いんだけど、ちょっとお使い頼まれてくれない?」
どうしてもトイレットペーパーを買わなければならなかったのに、今日出かけた時に買い忘れてしまったらしい。
トイレットペーパーの枯渇問題はシビアなので、私はすぐに家を出た。
お駄賃も貰ったのでアイスでもついでに買おうと思う。
家の近くのスーパーまでは徒歩10分ほど。桜はとっくに散ってしまって、葉桜となっている。所々、花びらが地面にへばりつき残っている道を歩きながら、私はどのアイスを買うか考えた。
「…………ん?」
公園の前で私は足を止めた。公園内に誰かが倒れていたからだ。私は恐る恐るうつ伏せで横たわる人の近くまで歩み寄った。見覚えのあるシルエットだと思った矢先だ。
「きゃあっ!」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
だが、背中の痛みと砂の感触で押し倒されたことを理解した。痛みで反射的に瞑っていた目を開けば、そこにいたのは彼だった。
「甘城……!」
この前、私が見たときよりもずっと髪の毛は白に近く、瞳は明るい赤茶色だった。この甘城は紛れもなく〝吸血鬼〟だ。しかも、久徳の言っていた〝錯乱状態〟であるに違いなかった。
焦点を失ったような眼差しで私を見下ろし、その口からはだらりと涎が垂れているのだ。どう見ても話が通じる状態ではない。
「……いっ!」
甘城の手は私の両肩を強く地に押し付けており、私は痛みで声を漏らした。何とか反抗しようと私も甘城の肩を押すが敵うはずもない。
半開きの口から僅かに見える鋭い歯が目に入る。
このまま血を吸われるしかないの……?