今日とて私は貧血気味だった。いくら久徳が血を吸うのを加減したからといって、事実、私の血は減っているわけで。
ありがたいことに今日は体育の授業がないので座学だけで済む。体育の前日は吸われないようにしたいが阻止できた試しは今のところない。
私からしてみれば、嫁にしろと言うのならばそういう気遣いのできる男になれと言いたいのだが。
そんなこんな文句を心の中で垂れながら教室に入れば、張本人のお出ましだ。
「おはよう、朱莉。今日の調子はどうだ?」
体調を気遣ったって無駄だ。久徳が全く私に優しくないことなんて分かりきっているのだから。
「変わらず私は貧血ですけど?」
「それは遠慮した甲斐がないな」
「あのさ、普通はもっと遠慮したらよかった。ってならない? 久徳って本当に優しくないよね」
「優しい男よりも多少、強引な男の方がモテるらしいぞ?」
少女漫画だけだよ、このモラハラ野郎が。と返しながら席に座れば、俄然、真面目な表情で詰め寄ってきた。
「な、なに」
急にそういった顔をされると少し動揺してしまう。久徳の目を見れずにいるのを悟られないように、鞄から教科書を出した。すると、久徳が耳元に口を寄せ、低い忍び声でこう言った。
「一年一組、甘城亮太に近付くな。吸血鬼だ」
ようやく、そこで面を起こす。
「いいな? そいつが例のやつだ」
ーー噂の吸血鬼。それが、まさかこの学校にいるなんて。
昨日、正体が謎の同級生ー阿久田ーがいることが判明したところなのに、例の吸血鬼が新入生だなんてどうかしている。この学校に人外を惹きつける何かあるとでもいうのだろうか。
どちらにせよ、歴とした人間の私にはさっぱり分からない案件なので、人間以外で何とかしてください。
それから5日後のこと。体育の前日に血を奪いやがったせいで、私は準備運動の段階で立ちくらみがして、休みを余儀なくされた。
開始早々に保健室に行く羽目になった私はとぼとぼと一人で廊下を歩く。高校生活の先行きが不安で仕方ない。
肩を落として保健室に入ると、先着がいた。色素の薄い髪の男子生徒で、今すぐにでも帰ったほうがいいくらいには顔が真っ青だった。
保健室の先生はそんな彼と私を見ながら口を開いた。
「また奥山さんねー。甘城くんといい、そろそろ常連さんね」
「え?」
今、〝あまぎ〟と言ったか? あまぎと言えば例の吸血鬼は〝甘城〟という名前だったような……。
いや、でもこんなに体調が悪そうな吸血鬼いないか。きっと別人だ。私の知ってる吸血鬼は人間の生き血を吸ってピンピンと生きている。
「どうかしたの?」
「な、何でもないです」
「そう。奥山さんは今日も貧血?」
頷きながら、先生から記入用紙を受け取る。生憎慣れてしまったので、あっという間に書き終えた。
そして、用紙を先生に差し出す。だが、突然スイッチが切れたかのように先生はだらりと腕を下ろした。意識を失っているように見える。
私は急なことに束の間、呆気に取られてしまった。
「先生……?」
私が先生の肩に手をかけると同時に、か細い声が聞こえてきた。
「た、多分、寝ているだけです……」
男子生徒の方を振り向くと、おどおどとした様子で私の方を見ていた。
「寝てるの?」
聞き返した言葉に返事をしたのは、顔の青い男子生徒ではなく、あいつだった。
「そうだ、俺が眠らせた」
「ひぃっ!」
知らぬ間に後ろに立っていた久徳に吃驚して前のめりに転けそうになる。しかも、吸血鬼の姿だったから余計に驚いた。
「甘城に近付くなと言っただろう。後でお仕置きが必要だな」
「いやいや、私はどの〝あまぎ〟か知らないし。ってか今にも倒れそうなこの男子が吸血鬼とは到底思えないんだけど」
不機嫌そうに眉根を寄せながら久徳が甘城を見下ろしている。
一方で甘城はさらに顔を青くして、狼狽えている。
「あ、あわわ……」
まるで、久徳が甘城を脅しているかのようだ。それもあって、なんだか甘城が酷い仕打ちを受けた子犬みたいで、だんだん可哀想に思えてきた。
あまり他人にこういう感情は湧かないのだが、どうも庇いたくなる雰囲気を彼はしていた。
「そ……その……」
「お前だろう、巷で噂の吸血鬼は。人間界を荒らして何が目的だ?」
「ふぇえ?! い、いやいやぼ、ぼぼ僕じゃないです……」
大袈裟に手と首を振る姿は必死に見えて、どこか図星をさしたかのようにも思える。
だが、涙目の彼を見ていると、やはり庇護欲が出てくる。
「違うって言ってるし違うんじゃない? 吸血鬼かどうかも分かんないでしょ」
「何故、その吸血鬼を庇う? 朱莉は初対面のはずだろう」
「いや、まあそうなんだけど」
ますます不愉快そうに顔を歪める久徳が怒り出しているのがありありと見てとれる。
怒りの感情を目にするのは初めてということもあり、正直のところ怖くなって言い淀んでしまった。確かな理由もないから尚更だ。
すると、申し訳なさそうに甘城は口を開いた。
「あの、その……確かに僕は吸血鬼なんですが、噂の吸血鬼ではありません……人間界を荒らすだなんて、とんでもない……だ、だって、僕は平穏に暮らすために、人間界にやっと戻ってきたんです……」
戻ってきた、という発言に引っかかる。てっきりこの間の話を聞いて、私は人間界にいる吸血鬼は「魔界で生まれ、魔界からやってきた存在」だと認識していたからだ。
私はその話だけでも着いていけずにいたのに、さらに衝撃的なことが甘城の口から告げられて瞠目した。
「そ、それに、僕は血を飲みません……血が嫌いなんです」
そんな吸血鬼がいるなんて、人間の私が聞いても奇妙な話だ。そうだというのに、久徳は先ほどから表情を変えずに口を真一文字に結んでいる。驚いていないらしい。
「甘城が噂の吸血鬼」だと言い張る久徳と、「血が嫌いだから飲まない」と自供している甘城。果たして、どちらが真実なのか。
非現実には関わりたくなかったのに、知りたいと感じてしまっている自分がいた。
ありがたいことに今日は体育の授業がないので座学だけで済む。体育の前日は吸われないようにしたいが阻止できた試しは今のところない。
私からしてみれば、嫁にしろと言うのならばそういう気遣いのできる男になれと言いたいのだが。
そんなこんな文句を心の中で垂れながら教室に入れば、張本人のお出ましだ。
「おはよう、朱莉。今日の調子はどうだ?」
体調を気遣ったって無駄だ。久徳が全く私に優しくないことなんて分かりきっているのだから。
「変わらず私は貧血ですけど?」
「それは遠慮した甲斐がないな」
「あのさ、普通はもっと遠慮したらよかった。ってならない? 久徳って本当に優しくないよね」
「優しい男よりも多少、強引な男の方がモテるらしいぞ?」
少女漫画だけだよ、このモラハラ野郎が。と返しながら席に座れば、俄然、真面目な表情で詰め寄ってきた。
「な、なに」
急にそういった顔をされると少し動揺してしまう。久徳の目を見れずにいるのを悟られないように、鞄から教科書を出した。すると、久徳が耳元に口を寄せ、低い忍び声でこう言った。
「一年一組、甘城亮太に近付くな。吸血鬼だ」
ようやく、そこで面を起こす。
「いいな? そいつが例のやつだ」
ーー噂の吸血鬼。それが、まさかこの学校にいるなんて。
昨日、正体が謎の同級生ー阿久田ーがいることが判明したところなのに、例の吸血鬼が新入生だなんてどうかしている。この学校に人外を惹きつける何かあるとでもいうのだろうか。
どちらにせよ、歴とした人間の私にはさっぱり分からない案件なので、人間以外で何とかしてください。
それから5日後のこと。体育の前日に血を奪いやがったせいで、私は準備運動の段階で立ちくらみがして、休みを余儀なくされた。
開始早々に保健室に行く羽目になった私はとぼとぼと一人で廊下を歩く。高校生活の先行きが不安で仕方ない。
肩を落として保健室に入ると、先着がいた。色素の薄い髪の男子生徒で、今すぐにでも帰ったほうがいいくらいには顔が真っ青だった。
保健室の先生はそんな彼と私を見ながら口を開いた。
「また奥山さんねー。甘城くんといい、そろそろ常連さんね」
「え?」
今、〝あまぎ〟と言ったか? あまぎと言えば例の吸血鬼は〝甘城〟という名前だったような……。
いや、でもこんなに体調が悪そうな吸血鬼いないか。きっと別人だ。私の知ってる吸血鬼は人間の生き血を吸ってピンピンと生きている。
「どうかしたの?」
「な、何でもないです」
「そう。奥山さんは今日も貧血?」
頷きながら、先生から記入用紙を受け取る。生憎慣れてしまったので、あっという間に書き終えた。
そして、用紙を先生に差し出す。だが、突然スイッチが切れたかのように先生はだらりと腕を下ろした。意識を失っているように見える。
私は急なことに束の間、呆気に取られてしまった。
「先生……?」
私が先生の肩に手をかけると同時に、か細い声が聞こえてきた。
「た、多分、寝ているだけです……」
男子生徒の方を振り向くと、おどおどとした様子で私の方を見ていた。
「寝てるの?」
聞き返した言葉に返事をしたのは、顔の青い男子生徒ではなく、あいつだった。
「そうだ、俺が眠らせた」
「ひぃっ!」
知らぬ間に後ろに立っていた久徳に吃驚して前のめりに転けそうになる。しかも、吸血鬼の姿だったから余計に驚いた。
「甘城に近付くなと言っただろう。後でお仕置きが必要だな」
「いやいや、私はどの〝あまぎ〟か知らないし。ってか今にも倒れそうなこの男子が吸血鬼とは到底思えないんだけど」
不機嫌そうに眉根を寄せながら久徳が甘城を見下ろしている。
一方で甘城はさらに顔を青くして、狼狽えている。
「あ、あわわ……」
まるで、久徳が甘城を脅しているかのようだ。それもあって、なんだか甘城が酷い仕打ちを受けた子犬みたいで、だんだん可哀想に思えてきた。
あまり他人にこういう感情は湧かないのだが、どうも庇いたくなる雰囲気を彼はしていた。
「そ……その……」
「お前だろう、巷で噂の吸血鬼は。人間界を荒らして何が目的だ?」
「ふぇえ?! い、いやいやぼ、ぼぼ僕じゃないです……」
大袈裟に手と首を振る姿は必死に見えて、どこか図星をさしたかのようにも思える。
だが、涙目の彼を見ていると、やはり庇護欲が出てくる。
「違うって言ってるし違うんじゃない? 吸血鬼かどうかも分かんないでしょ」
「何故、その吸血鬼を庇う? 朱莉は初対面のはずだろう」
「いや、まあそうなんだけど」
ますます不愉快そうに顔を歪める久徳が怒り出しているのがありありと見てとれる。
怒りの感情を目にするのは初めてということもあり、正直のところ怖くなって言い淀んでしまった。確かな理由もないから尚更だ。
すると、申し訳なさそうに甘城は口を開いた。
「あの、その……確かに僕は吸血鬼なんですが、噂の吸血鬼ではありません……人間界を荒らすだなんて、とんでもない……だ、だって、僕は平穏に暮らすために、人間界にやっと戻ってきたんです……」
戻ってきた、という発言に引っかかる。てっきりこの間の話を聞いて、私は人間界にいる吸血鬼は「魔界で生まれ、魔界からやってきた存在」だと認識していたからだ。
私はその話だけでも着いていけずにいたのに、さらに衝撃的なことが甘城の口から告げられて瞠目した。
「そ、それに、僕は血を飲みません……血が嫌いなんです」
そんな吸血鬼がいるなんて、人間の私が聞いても奇妙な話だ。そうだというのに、久徳は先ほどから表情を変えずに口を真一文字に結んでいる。驚いていないらしい。
「甘城が噂の吸血鬼」だと言い張る久徳と、「血が嫌いだから飲まない」と自供している甘城。果たして、どちらが真実なのか。
非現実には関わりたくなかったのに、知りたいと感じてしまっている自分がいた。