生徒会の引き継ぎ会も終わり、春休みに入った。今日は幼馴染の健人と雑貨屋に来ている。生徒会最初の集まりに行く前に「やらないって言ったから行かない」とごねたところ、私の大好きなアレを買ってくれると約束してくれたのだ。
 そのため、今日の目的はアレを買うことなのである。“ようやく”出会える喜びで、私はお目当てのものまで小走りしていく。

 というのも、実は健人は不幸体質で、ここに辿り着くまでに二回の不幸に見舞われた。一回目はお決まりだが、車が通ったせいで水たまりの水をかけられ、二回目は自動改札機のトラブルで足止めを食らうというものだ。いつものことながら、楽しみで仕方ない私にとってはアレに会えないことがもどかしかったのだ。
 そして、私はやっと手に取ることができたのだ。

「はぁ〜〜〜可愛い」

 尻尾はふさふさで柔らかく、つぶらな目はきゅるきゅると潤んでいて、お腹は頬を擦り付けたくなるようにぼてっと膨らんでいる……そう、『たぬたぬたぬき』こと通称『たぬたぬ』だ。私はこのキャラクターが大好きでグッズを集めている。
 この子はそれなりな大きさということもあって、そこそこのお値段だ。前回は手持ちが足りなくて買えなかったのだが、今日から自分のものになると思うと我慢できずにそのもふもふを抱きしめた。やはり私の癒しは『たぬたぬ』しかいない。

「ほう、やけに狸が部屋にいるとは思っていたが、朱莉はこれが好きなんだな?」

 最上の癒しを堪能していたのに、不快な声が聞こえた。何でここにいるんだ、コイツ。

「よ、よう、久徳じゃないか」

 突然の登場に健人も少し動揺している。私はげんなりした顔で久徳を一瞥した後、『たぬたぬ』を手に健人の腕を引っ張った。

「相変わらず朱莉はつれないな。未来の夫が会いに来たんだ、もっと歓迎してほしい」

 健人は久徳の妄言にきょとんとしている。私はそんな健人に「無視していい」と耳打ちした。だが、人が好い彼がそんなことできるわけもなく「奇遇だな?」なんて困った顔で久徳に返している。

 そうして会計が終わり、私たちは健人の家に行った。健人のお母さんがご飯を振舞ってくれるらしいのだ。さすがに久徳も健人の家には着いて来ず、「仕方ないな」と言って帰っていった。春休みにあいつの顔を見るなんて不愉快極まりない。

「何だったんだろうな? 朱莉って久徳と仲良かったのか?」

 家に入ってから健人は私に問いかけた。全くそんなことはなく、生徒会で初めて話したと言えば、ますます不思議そうな表情を浮かべていた。そりゃそうだ。何故あんなに馴れ馴れしくできるのか私だって聞きたい。

 それから健人のお母さんが作ってくれたご馳走を満喫して家に帰った。帰宅後はすぐにお風呂に入って歯を磨き、『たぬたぬ』を抱えて部屋へ行けば、あいつはいた。

「遅かったな、寂しかったんだが?」
「はあ」

 条件反射で嘆息を漏らす。いつから久徳はここで待機してきたのか聞きたくもない。自然と癒しを求めて『たぬたぬ』を撫でていたら、久徳がこちらを指差した。

「そいつも早く帰りたかったと言っている」
「あ、そ」

 そう口にしたと同時だった。もごもごと手元で『たぬたぬ』が動いた。

「え」

 咄嗟に持ち上げて『たぬたぬ』を注視する。ぱちり、ぱちり。『たぬたぬ』の瞼が動き、そのキュルンと潤んだ瞳が私を見つめ返した。

「やっほー、あかりちゃん」
「しゃ、喋ったああ!」

 ぴょんっと私の腕から抜け出して、フサフサの尻尾を揺らしながらぺこりと頭を下げた。

「ぼく、たぬたぬ。よろしくね」

 ぐ、ぐはあっ……!!
 かわいい……!!!

 私の心を完全に鷲掴んだ動く『たぬたぬ』と久徳の顔を交互に見た。今に限っては歓喜の眼差しを向けていることだろう。

「ぬいぐるみ程度なら僅かな力を入れたら動かせることができる。どうだ、お気に召したか?」
「ま、まあ……。あのさ、このたぬたぬってずっと動くの?」
「俺が力を与え続ければな。つまりどういうことだか分かるか?」
「あ……」

 一瞬で導き出された答えは無論「血を与える」ということ。大好きな『たぬたぬ』が動いてもふもふウフフさせてくれるなんて、これ以上ない悦びがあるだろうか。

 否、ない。

「ぐ……卑怯だ……」
「くれるのだろう? その極上の血を」

 私の前までやってきた久徳は見る見るうちに吸血鬼の姿になった。銀色の輝く髪がさらりと揺れ、私の顔を覗き込んだ。既にがしりと両肩を掴まれている。

「嬉しいな、朱莉が嫌がらずに血をくれるようになるなんて」
「そう仕向けたんでしょ、早く」

 いただきます。と妖艶に微笑んだ久徳は前とは逆の首筋に牙を立てた。私は目を瞑って迫り来る痛みの後に感じる浮ついたような感覚に耐えた。だんだんと力が抜けてきて、私の足ががくがくと震え出す。

 そして私はまた意識を失った。




 翌朝、ペチペチと何かに頬を叩かれて目を覚ました。少し痛む頭で状況を整理する。

「あかりちゃん、あさだよー」

 私を起こしていたのは『たぬたぬ』だった。

「たぬたぬ、おはよう」
「だいじょうぶ? ち、なくなった?」
「うんうん、無くなってないよ。ありがとう」

 可愛いすぎて私はむぎゅうと抱きしめた。血を吸われるのは嫌だが、心のオアシスを覚えてしまった私にもう後戻りはできない。これからも血をあげ続けるという選択肢しかなくなった。

「く、くるしい、あかりちゃん」
「あ、ごめんごめん」

 すぐに私は力を抜いて離した。動く『たぬたぬ』を見ていると自然と口角が上がる。たぬたぬと過ごす春休みを頭で思い描いたが、どうしても久徳の存在も脳裏に出てきた。


 そして、春休み最後の日。また吸血鬼が女の人を襲った知らせが回った。久徳は「もう解決してもいい」と以前に言っていたが、本当に解決する気はあるのだろうか。そもそも、どうして久徳に解決する義理があるのか?
 何にせよ、解決してほしいと思う。ただでさえ久徳に吸われるようになってから、貧血の日々を送っているのに、もしも他の吸血鬼にも襲われてたのでは血が本当になくなってしまうからだ。