目の前に迫る久徳の顔。顎を固定され、くいっと上げられた。

「んんっ」

 間髪入れず、塞がれた唇。私のファーストキスが! なんて思った直後に、十年前に奪われていたことに気付く。

「っん、や、」

 久徳の胸板を押すがびくともしない。私はだんだんと怖くなって、足の力が抜けてきた。
 すると、それに勘付いた久徳はすかさず私をベッドに押し倒した。

「な、何すん……っ?!」

 最後まで言葉が出なかったのは、そこにいたのはまさしく私の知る、“あの時の吸血鬼”だったからだ。

 銀色の輝く髪と血のような紅の瞳。

 わなわなと私の体は小刻みに震えた。普段の威勢なんてとっくになくなって、叫ぶことすらできない。

「さあ、十年待ち続けたんだ。その甘い血を」
「い、いやっ」
「意外と可愛い声で怯えるんだな」
「……なっ!」
「フッ……怖がらなくていい。君は俺に身を委ねるだけでいいんだ」

 到頭、私の首に吐息がかかる。がっしりと両手を掴まれ、上にのし掛かられているので、全く身動きがとれない。

「いただきます」
「……っ!」

 チクリと鋭い痛みが首に突き刺さる。だが、その痛みは一瞬の間だけで、すぐに蕩けるような、ぼんやりとするようなそんな感覚に変わった。

 そして、知らぬ間に私は気を失った。


 *****


 翌朝、三回目アラームで目が覚めた。体が重く、頭がくらくらする。
 のそりと体を起こして鏡の前で自分の首元を確認する。そこには赤い点が二つ並んでいる。
 やはり昨日の出来事は夢でもなく現実だったらしい。少しくらいは夢だと淡い期待を抱いたのだが。

「朱莉ー! そろそろ起きなさーい」

 お母さんの声が聞こえる。休みたいくらいに気分が悪いが、今まで健康体で生きてきたのに、とつぜん貧血だなんて言えば病院にでも連れて行かれそうだったので学校には行くことにした。

「顔色悪いけど大丈夫?」

 朝の支度をして制服でリビングに行けば、開口一番そう言われた。

「うん、映画見てたから寝不足なだけ」
「だめよ。夜更かししちゃ。スマホ取り上げるよ」
「わかってる」

 朝ごはんは半分だけ食べて、家を出た。
 いつもよりも遅いスピードで学校まで歩く。普段は気にかけない並木道の桜に目が行く。蕾は先のあたりがちらほら黄色くなり出しており、来月になれば4月で進級なのか、なんて思った。

「おはよう、朱莉」
「げ、」

 昇降口で待ち構えていたのはもちろんのこと久徳。顔も見たくない気分だ。しかも急に名前呼びに変わっている。

「昨日はすまなかった、つい貰いすぎた」
「謝るくらいなら二度とその面見せるな」

 私は靴を履き替えながら顔も見ずにトゲトゲしい言葉を吐く。

「今日の生徒会で会うから無理な願いだ。それに、今後も頂戴したいんでな」
「断固拒否」
「そうだな、嫁にもらいたい」
「断固きょ……はあっ?」

 さすがに「断固拒否」だけで流せる話ではなく、私はついに久徳の顔を見た。黒い髪に黒い瞳。“人間の”久徳の顔だ。

「まあ、そのつもりで十年待った末に色々と手を回して出会っているからな、断られても困る」
「は?」
「その極上の血を誰にも渡したくないんだ。そうだな、1000年に一度の女ともいえよう」

 そんなアイドルの謳い文句みたいに言われても嬉しくない。というか血が美味しいと言われても嬉しいわけがない。むしろ最悪だ。
 吸血鬼相手にどんな私の常識を言ったって無意味な気がして、久徳をガン無視して歩き始める。
 いつもより遅く着いたせいで昇降口にいる生徒は駆け込んできた生徒くらいなもので、私も急がなければならなかった。

「今夜も行きたいところだが、昨日吸い過ぎたから貧血気味だろう」

 はい、そうですね。あんたのせいで私は朝からお母さんに映画を見て寝不足だと嘘つきましたけど。と、心の中で答える。

「そうか、嘘までついて俺に会いに学校へ来てくれたのか」
「は?」
「やはり、10年前から相思相愛だったのだな」
「え?」
「ん? どうした?」

 急いでいたはずなのに、私は驚きのあまり立ち止まってしまった。もしかして心読んだ? それとも実は家でのやり取りを知っている?

「いや、今朝は行っていない」
「え……」

“今朝は”のとこにも突っ込みたいけど、まじで心読めるのか。今もなお読まれてるのか。

「365日ずっと読めるわけではないから安心しろ」
「ほっ……いやいや、じゃなくて、ちょっと安心しちゃったけど読まれる日あるなら全然安心できなくない?!」
「やっと喋ってくれたな」

 そう言って久徳が笑ったと同時にチャイムが鳴った。本鈴だ。

「もうめんどくさい……」

 調子が悪いことをいいことに私は人生で初めて保健室に行った。万年健康体であることが自慢だったのにな。