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 日の傾き始めた神社には手水舎の龍の口から滴る水と、揺れる葉だけが音を立てている。
 皆が重たい表情で朱莉の帰りを待つ中、また阿久田が突拍子もなくぴたりと静止した。
 俺はすぐさま阿久田の頭上を見る。果然、そこには冥界への扉である漆黒の空間がある。

『……ククッ、私はただ退屈凌ぎをしていただけではないぞ……フッ、利用させてもらおうじゃないか。その唯一無二の輝きを』

 唯一無二の輝き? なるほど、厄介だな。
 冥王が朱莉の魂の輝き(エタンセル)に目を付けている、そういうことか。

 とはいえ、前々から朱莉の魂の輝き(エタンセル)が類を見ないことには俺も気付いていた。
 朱莉は〝あの子〟の生まれ変わりのはずなのに、何故朱莉だけが輝き方が違うのか気にはなっていたが、多少の問題は俺が解決すれば良いと判断していた。だが、冥王が関わってくるとなると、話は別だ。
 どうしたものか、と冥王の声が聞こえてくる漆黒の穴を睨む。

『ではな、妖どもよ』

 漆黒の穴から二つの光が勢いよく飛び出してきた。その光は幸田と妖狸にそれぞれ入る。
 次いで、緩やかに朱莉が降りてきた。俺はすかさず朱莉の体を受け止めて、地面に降り立つ。
 徐々に小さくなる漆黒を見上げた後に、動かないままの阿久田を一瞥する。

「ん、あれ、私……」

 腕の中にいる朱莉の瞼がゆっくりと開く。阿久田の意識も戻ったのか、朱莉の姿を目にして安堵した顔をしていた。

「目覚めたか?」
「うん……? 久徳……?」

 何故、俺に抱えられているのか分からないというようにこちらを見ている。

「意識を失った状態で冥界から帰って来たんだ。あちらで何があった? 彼はどうやら助かったみたいだが」
「冥界? えっそれより健人は元に戻ったってこと?!」

 慌てて降りようとする朱莉をさっと降ろす。その時にコロン、と何かが落ちる音がして、朱莉はその場にしゃがんだ。

「ん? 何これ?」

 朱莉の視線の先には薔薇の形をした宝石があった。それはビー玉ほどのサイズで、どす黒く鈍い光を放っている。
 拾おうと手を伸ばした彼女の腕を俺は掴んだ。

「触るな。おそらく、それは魔界のものだ」

 興味があるのか、阿久田と甘城が近寄ってきた。

「うわー、漆黒の薔薇なんていかにも厨二病じゃね、悪趣味だぜ」
「でも、真樹。よく見るとちょっと綺麗だよ?」

 少し恐怖心があるのか、甘城は取ってみることはせず、眺めているだけだ。

「ほうほう、おそらく(そいつ)から出たものヤナ」

 狐は顎をくいっと、未だ倒れている狸に向かって動かした。

「多分、冥王のものやない……なんじゃきな臭いことになっとるのぅ」

 俺は目を細めて薔薇の宝石を見下ろす。狐も宝石を見据えながら低い声で呟いた。

「ただの狸ではなかったわけヤ、通りでナァ……」
「何のつもりかは知らないが、冥王がわざわざ俺たちにそれを寄越したとなると」
「おん、利用と言っとったし何やら巻き込まれたらしいデ、お前さん」

 狐が尻尾を振りながら朱莉に視線をやる。自分に言葉がかけられていると気づいた朱莉は不思議そうに首を傾げた。

「え? 私がどうして?」
「まあ、頑張りなはれヤ。とまあ、そんなことより結果的に男は助かったんじゃ、早く酒を寄越すんヤデ」
「全然、そんなことよりじゃないんだけど!?」

 覗き込むように朱莉は狐に顔を近づける。そんな朱莉の鼻と眉がピクリと動く。おそらく鼻先に酒の匂いが掠めたのだろう。

「ねえ、教えてよ。私は何に巻き込まれるの?」 
「たった今、考えたって仕方のないことヤ〜。ほれほれ、ワシには見えておるぞ。そこの洋酒の箱がのぅ! 早よぉくれ早よ!」
「あーもう……わかったわかった」

 何を言ったって無駄だと悟った朱莉は不承不承、酒が入った箱を狐の前に置いている。

「はい、狐さま。健人を助けてくれてありがとうございました」
「ふぉ〜! ウイスキーじゃ、ウイスキー!」

 下手な関西弁が抜けるくらいには喜んでいるらしく、狐はくるくると酒の周りを駆け回る。

「このお酒、好きなの?」
「洋酒は好きじゃ! 何よりお供物はたいてい日本酒じゃから、洋酒が飲めるのはラッキーなんヤ。朱莉ちゃん、ありがとヤデ〜」

 朱莉の膝に頬をすりすりと擦り寄せている。そんな様子を甘城と阿久田は微笑ましげに眺めている。

 その様子を傍目に、俺は薔薇の宝石を拾い上げ、くまなく観察していた。
 やはり、魔界の者の魔力を感じる。たかが妖狸にあそこまでの力があったのは、やはりこれが理由か。

 冥王が阿久田と意識を繋げて人間界に放り込んでいることや、〝彼女の魂の輝き(エタンセル)〟が変化したこと。これらは全て関係があるのか? 

 ぐっと俺は宝石を握り込む。
〝彼女〟に危険が及ぶのなら、調べなければ。


*****


 健人が助かってから2日後のこと。
 体力が戻るまで休んでいる健人のもとに、私はお見舞いに来ていた。

「健人、調子どう?」
「昨日よりはだいぶマシだな」

 良かった。と私が言うと、健人は眉尻を下げて俯いた。

「朱莉、本当ごめんな。なんか自分じゃない感覚のどこかで、ダメだって思ってたんだ。それなのに、その……襲ってしまった……」

 少し赤らめながら顔を横に向ける健人は珍しい姿で私は吹き出してしまった。

「あはっ! ふっ……ふふっ……あはは! ははは!」
「何笑ってんだよ、朱莉」
「いや、なんか面白くって、まあ戻ったんだし良いんじゃない?」

 笑いや嬉しさやらで目尻に滲んだ涙を拭いつつ私は笑いかける。
 健人は複雑そうな面持ちをしながらも、はにかんで頷いた。

「そう……だよな。本当に感謝してるよ」
「ほんと、大変だったんだから! 感謝してよねー?」

 実のところ、神社での出来事は途中からあまり覚えていない。すっぽりと抜け落ちたかのように記憶がない。
 だが、記憶がないまでの間に苦労したのも事実。奔走したのだから、少しくらい頼み事させてほしい。
 そんな気持ちで私は両手を合わせた。

「あのね、『たぬたぬ』の新しい座布団が出たの! それ買って!」

 すると、健人の眉間に皺が寄った。

「うーん……ちょっと暫く〝狸〟は勘弁してくれねえか?」
「ええー! たぬたぬは狸でもあるけど『たぬたぬ』なの! でもまあ仕方ないかあ。そしたら、今度のご飯は健人の奢りね」

 分かったよ。と朗らかに笑う健人はいつもの彼だった。そんな優しい雰囲気に戻ったことが何より嬉しくて、もう座布団もご飯もいらないな、なんて密かに思う。



 それから1週間後のことだった。
 昇降口で靴を履き替えて、自分のクラスへ向かおうと歩き出した時だ。背中を誰かに突かれた。
 振り向くと、そこには知らない男子生徒の姿が。

 こちらをじっと見てくる彼の目は随分と切れ長で吊り上がっている。背丈は割とありそうだが、猫背のせいで目線はさほど変わらず、私は見つめ返す。

「えっと?」

 首を傾げて相手が話し出すのを私は待った。

「おはよーさん、朱莉ちゃん。元気かいナ?」
「は、誰?」
「なんやもう、忘れてしもたんか。大事な幼馴染を助けたん言うのにナァ」

 ん? このエセにもならないカタコト関西弁とほのかに漂う酒の匂いは……

「まさか、狐!」
「正解ヤデ。ひとまずキャラ作りで学生生活から身につけよう思ってるネン。元々四組にいたという認識(こと)になってるから、よろしゅうナ」
「は?」

 吸血鬼の次は狐の神様に絡まれるなんて洒落にならない。
 何だか近頃は妙に人間以外と縁があるような気がしてならない。
 あれ? そういえば、つい最近もこんなこと考えたような気がする。はて、いつのことだっただろう?

 何にせよ、久徳に加えて面倒臭いやつがまた近くに現れてしまった。
 穏やかな日々が戻るのはいつになるやら。