吸血鬼事件から約二週間が経った。ゴールデンウィークに入り、私は久徳に絡まれるか一人で映画を見る日々を過ごしている。
 それは三日目の夜だった。私は健人の家でご飯を食べていた。

「健人、なんか食べる量多くない?」

 健人の前に並ぶ料理はどれもこれも見るからに一人前ではない。魚の切り身は皿に二つ乗り、米もサラダも山盛り。しかも、その後に健人は米と味噌汁をおかわりしていた。

「なんか食っても食っても膨れねえっていうか。いや、食べたら腹は膨れるけど食べた気がしないみたいな」
「そうなのよ、健人ったら最近こんな調子で。いっぱい食べるのはいことなんだけどねぇ」

 健人のお母さんは三杯目のご飯を出しながら困ったように、はにかんだ。私はどうも変に感じて、じっと健人の横顔を見つめる。何だか私には健人が少しやつれ、僅かに痩せたようにも見える。

「ねえ、ちょっと痩せた? 気のせいならいいけど、大丈夫なの?」
「うーん、部活の後とかもすげえ疲れるのに、寝ても疲れ取れなくてさ、やっぱやばいよなぁ」
「やばいでしょ、病院行きなよ」

 それから健人はゴールデンウィークが明けるとちゃんと病院に行ったようだった。しかしながら、身体的な異変は見つからず、あるとしてもストレスが溜まっているか、何らかの精神的影響かもしれないということであった。

 そんな健人の様子は日が経つにつれても治ることなく、むしろおかしくなる一方だった。
 健人が持ってくる昼食の量は日毎に増えていき、どうしてだか反比例するように少しずつ痩せていった。
 さらに、異変はこれだけにとどまらず、精神面にも出てきた。先週はやけに鬱ぎ込んだ状態だったのに、今週はやたら饒舌なのだ。かと思えば今日は気が立っている。
 明らかに普通でないのに、健人は私の話に耳を傾けてくれない。今日とて私は説得を試みた。

「大きい病院で精密検査とか受けたら?」
「この前、病院行って問題なかっただろ」
「でもそれから悪化してるじゃん」
「はあ?」

 健人はドンッと拳を机の上に強く叩きつける。その目はまるで彼でないようであった。濁りのなかにギラギラと暴力的なものを潜めたような瞳。少なくとも、私の知っている健人ではない。

「健人……?」

 唖然としていたら、健人は荷物をまとめ始めた。

「お前には関係ないだろ、ほっとけよ」

 音を立てて荒々しく腰を上げたと思えば、私を冷ややかに見下ろして教室を出て行ってしまった。

 どうしちゃったのよ、健人。
 健人は絶対に人に怒ったりしない。私のことをお前なんて呼ばない。何より、自分の心配をしてくれる相手に冷たくなんかしない。
 やっぱりおかしい。非現実の存在を認識した今、〝そういう影響〟ではないかと勘繰ってしまう。だが、どのようにして突き止めて解決したらいいのだろうか。
 あまり頼りたくなかったが、唯一の友人であり幼馴染のためだ。私は静かに本を読む久徳の元に歩み寄る。久徳は毎日、昼休みはご飯を食べずに読書をしている。

「ねえ、久徳」

 すっと面を上げた久徳と目が合う。何やら嬉しげに、その綺麗な顔に笑みを浮かべた。

「どうした? 朱莉から話しかけるなんて珍しいではないか」
「聞きたいことがあるの、来て」

 オカルトな話になると予想して、私は人気のない場所に久徳を連れてきた。周りに人がいないか見回して、私は口を開いた。

「健人の様子がおかしいの。ゴールデンウィークぐらいから、すごく食べるようになったのに、だんだん痩せてる」
「ほう……」
「怒ることなんてないのに、今日なんて机叩いて教室出て行ったのよ。絶対何かあると思うの……」

 あんなに怒る健人を見るのは初めてで、正直のところ参っていた。私は涙目になりながら項垂れていく。

「それで、教えたとして何をくれるんだ?」
「もちろん、血をあげる」
「血、か……」

 久徳はそう呟きながら、こちらに詰め寄ってきて私を壁に追い込んだ。そして顎を持ち上げる。

「しおらしい姿もそそるものがあるな」
「な……!」
「見返りだが、血は狸のお礼で貰っているからな、他のものがいい」

 にんまりと口角を上げたと思えば、流れるように私の唇に触れるだけのキスをした。

「嫁に来い。そうすれば何でも調べてや--バチンッ!!!

 久徳の言葉を遮り、大きな音が鳴り響く。私が久徳の頬をしばいた音だ。

「もういい……! 好き勝手言いやがって! 自分で何とかするし!」

 私は制服の袖で唇を拭ってその場を去った。


*****


 ああは言ったものも、他にアテがあるわけでもなかった。『たぬたぬ』を抱きしめながら、私はどうしたらいいか悩んだ。さっぱり、思いつかないまま夕食の時間になった。

「ねえ、お母さん。健人が変でさ」
「健人くんがどうしたの?」
「なんか大食いになったかと思えば痩せていく一方で……その上、怒りっぽいの」
「健人くんが怒るなんて想像できないわねえ」

 でしょ? と言わんばかりに私は肉じゃがのじゃがいもを口に入れながら、お母さんに向かって頷く。
 すると、お父さんはビールをグラスに注ぎながら私に問いかけた。

「健人くんといえば、小さい時にも変なのに取り憑かれていたな。そういう類じゃないのか?」

 私の記憶にはないことで、手を止めて考える。

「うーん……そんなのあった?」
「お母さんが悪いものにでも憑かれたのよって言ったらあり得ないって否定してたじゃない、あれよ」
「ええ……?」
「ほら、健人くんが妙にやつれて年末に寝込んでただろ。それを約束だからって無理やり朱莉が初詣に連れてったんじゃないか」

 そういえばそんな日もあったかもしれない。と薄々ながら蘇る記憶をさらに引っ張り出す。あれは確か小学生のとき。十歳くらいの話だったと思う。

 家の近くにある赤羽神社に弱った健人を連れ出して、後からお母さんとお父さんに怒られた。
 だが、初詣から帰ってきた途端に青白かった健人の顔が健康的な色に戻り、虚ろだった瞳にも光が差していた。
 健人のお母さんは「赤羽神社にいる神様のおかげね。連れてってくれてありがとう」と私に礼を述べた。私といえば、現実的でない出来事に気味が悪くなって早々に帰ったと思う。

 もしかして、今回も赤羽神社に健人を連れて行けば良くなるのかもしれない。十歳のときと今の症状が『憑き物』によるものであれば、だが。