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 胸騒ぎと不安。俺は〝この日〟であるにも関わらず、家を出た。人間よりは速く移動できるとはいえ、いつものように飛び回れないのが煩わしい。
 そして、街を周った末に辿り着いたのは公園だった。俺は公園の真ん中で倒れている朱莉と側に立つ二人まで歩み寄る。
 何故、阿久田も一緒にいるかは謎だが、今日のところはいい。
 俺は甘城を強く睨みながら立ち止まる。すると、彼らは訝しむ表情をこちらに向けた。
 〝今の俺〟が二人の知る姿ではないからに他ない。

「俺の女だと忠告したはずだが?」

 甘城だけが目を見開いた。唇を噛みながら下を向いた甘城の額に汗が浮かぶ。

「……その、確かに襲ったのも事実ですが、岡山さんが自ら俺に血をくれると言ったんです……」
「誰だか知らねえけど、それは俺も見てたから本当のことだぜ。岡山はこいつに飲めって言ったんだ」

 言いたいことはあるが、ひとまず俺は朱莉を抱えながらこう言った。

「この女は〝岡山〟ではなく、〝奥山〟だ。名前も知らずに血を奪うとは図々しい奴だな」
「ええっ!? え、いや、だって、ええ?」

 たいそう驚いたように甘城は俺と阿久田の顔を交互に見ている。阿久田も一瞬は驚いたものも、悪びれる様子もなく謝った。

「それは悪ぃ。岡山だと思ってたぜ」
「もうー! 僕まで岡山さんって呼んじゃったじゃん!」

 途端に言い合いしだす甘城と阿久田。どうやら二人は仲が良いのか? だとすれば阿久田から吸血鬼の気配を感じたのも納得がいく。
 かと言って、これで阿久田の正体が掴めたわけでもないが、現時点で害はないので追及は避ける。

「ともかく、今日が〝朔月〟で良かったと思え、甘城」

 ごくりと甘城が固唾を呑んだのが見て取れる。
 朔月の日は全ての吸血鬼は『力』を使えない。それ故、俺も〝初めの姿〟に戻ってしまうのだ。
 俺は続けて低い声で言った。

「この姿のことを他言すれば、どうなるか分かっているな? 俺との力差は歴然だ。俺は人間以外には容赦しない。ああ、言っておくが阿久田真樹(まさき)もだ」
「え、俺?」
「お前の正体は知らないが、人間でないことは判っている」

 ではな。そう言って踵を返したときだ。甘城が待ってください、と俺を呼び止めた。無言で振り向く。

「……あの、その……トイレットペーパーが必要なんですっ!」

 真剣な面持ちの甘城に思わず「は?」という声が出る。

「ほ、欲しいのは僕じゃないです。奥山さんが意識を失う前にトイレットペーパーと呟いたんです。きっと、よっぽど欲しかったに違いありません!」

 結局、俺は二人がトイレットペーパーを買ってくるのを待ってから、朱莉を家に送り届けた。
 幸い、朱莉が目覚めることはなく、この姿を見られることはなかった。


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 吸血鬼は飲む量を加減できないのか、と部屋で目覚めて初めに思った。
 どうやら、私はトイレットペーパーと共に送り届けられたらしい。ちなみに「買った後に貧血で道で倒れていたところを男性が家に運んでくれた」ということになっているらしい。
 これらは全て翌日に久徳から聞かされた話だ。私は大事を取って学校を休んでいたわけだが、もちろん私の部屋の窓からアイツは現れた。

「何故、よりにもよって昨日に出歩く?」

 開口一番、ご機嫌斜めな様子で責められた。挙げ句の果てに、「しばらく狸はお預けだ。これは罰だぞ」などと言って、愛しの『たぬたぬ』の術を解いてさっさと帰ってしまった。
 昨日も吸われた手前、血をあげる代わりに動かしてくれとも頼めず、私は寂しい夜を過ごした。

 それから土日を迎えたが、久徳は珍しくも私のもとへ来なかった。久しぶりに顔を見ない休日を過ごせて嬉しい反面、『たぬたぬ』が動いていないことが恋しくてならなかった。

 月曜日の朝。教室に入っても久徳は私の元に来なかった。だからと言って私から挨拶するわけでもなく、私は横目で久徳を見ながら席に着いた。

 はあ、まだ怒ってるの?

 想像以上に拗ねられていてかなり面倒臭い。『たぬたぬ』は復活して欲しいが、ここで私が声をかけたら何だか負けなような気もする。

 そうして放課後になっても久徳は一言も話さずに帰っていった。これは予想外だ。今日は日直当番だったので、日誌を書いていたら話しかけてくると思っていた。
 本当に面倒な吸血鬼だ。甘城に血をやっただけであんなにも怒るとは想像以上である。

 やれやれ、癒しが戻ってくるのはいつになるのやら。
 なんて半ば呆れながらも私は昇降口を出た。すると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。

「奥山さーん」

 顔色の良い甘城が笑顔で手を振りながら小走りしてきた。知らぬ間に私の名前が訂正されているが、それ以上に両手に持っている袋に気を取られた。大量のお菓子が入っており、甘城の動きに合わせてガサゴソと揺れている。

「はあ……はあ……」

 私の前まで来ると甘城は立ち止まり、息を整えた。

「……ふぅ、この間は、ありがとうございました!」
「元気そうで何より」
「はい、おかげさまで! 今まで飲んだどんな(もの)よりも美味しかったです!」

 屈託のない笑みを浮かべる甘城。血が美味しいと言われて初めて嬉しい気持ちになった。
 久徳もこんな風だったら少しは血をくれてやってもいいのに、あいつには感謝というものが足りない。

「まあ、これからも頑張って」
「はい……やっぱり、怖いですけど、これからは誰も襲わないよう自分で飲めるよう頑張ります。あっそうだ、お菓子いりませんか?」

 甘城はお菓子の袋を持ち上げて揺さぶった。

「こんなにいっぱいどうしたの?」
「自分で飲めなかったから、いつもお菓子で空腹を紛らわせてたんです。そうしたらお菓子を好きだと思われたのか、色んな人が僕にお菓子をくれるんです」

 確かに彼にお菓子をあげたくなる気持ちは分かる。現に私はお菓子どころ血をあげたほどだ。やはり、その他大勢にとっても彼に対する庇護欲というのは共通思念に違いない。

「じゃあ、何か一つもらおうかなー」

 袋の中身を覗き込もうとした時だ、首根っこを何かに掴まれた。

「うぐッ」

 首が絞まり、私の喉から苦痛な声が出る。それと同時に甘城が「ひぃえっ」と何かに怯えながら一歩後ずさった。

「何故、俺が怒っていると分かっていながら余計に苛立たせるようなことをする」
「ひぃっ! す、すすすみません、お礼くらい言わせてもらいたくて……」
「用が済んだのなら、さっさとどっかに行け」

 涙目で一目散に逃げていく甘城を、私は咳き込みながら目で追った。

「朱莉は何故あいつに対して、そんなにも友好的なんだ?」
「別に友好的にしてるつもりはないけど、あの子なんか可哀想なんだもん」
「ほう、俺は可哀想ではないと?」
「可哀想な要素ある?」
「お前は勘違いしているだろうが、俺も元は人間だ。俺かて血を吸われたせいでこうなったんだぞ?」

 はあ。と私は気の抜けた返事をする。同情を誘う嘘なんじゃないかと疑っていたら「今夜、覚悟しておけ」と言われ、手を引かれた。

「もう、痛いってば。離してよ」

 巷で噂の吸血鬼事件は一件落着だが、私とこの吸血鬼との関係は終わりそうにない。

 だがしかし、私を巻き込む非現実はこれで終わりではなかったのだ。
 ーー幼馴染の健人にあんなことが起こるなんて。