甘城が私の肩に込める力は強くなっていく。それとともに、抵う力もなくなっていった。
 正直のところ、私は怖かった。どくどくと心臓が鳴っているのが自分でも分かる。
 どれだけ血を吸われるのだろうか。錯乱してるヤツから吸われると痛いのだろうか。なんてことを虚ろな甘城の目を見ながら考えた。

 何でこんな時はストーカーしてないのよ、久徳。こういう時に出てきてよね。

「……もう、役立たず…………」

 小さく呟きながら私はついに腕をだらりと下ろす。諦めて、目を閉じようとしたその時。

「がはぁっ!」

 衝撃音とともに私の視界から甘城が忽然と消えた。

「やっべ! 蹴りすぎた! 思ったよりぶっ飛んじまったぜ、ハハッ」

 続け様に降ってきた声の主を見る。そこにいたのは思わぬ人物だった。

「岡山だっけ、大丈夫か?」

 こちらに阿久田が手を差し出している。驚いて名前の訂正もできないまま、その手を握れば、ぐっと腕を引っ張られた。私は立ち上がって軽く砂埃を叩きながら、遠くに倒れている甘城を窺う。
 すると、阿久田が足を踏み出した。

「アイツ、どうしちまったんだよ。女襲うキャラじゃねえだろ」

 そんなことを言いながら甘城の方に歩いていくので、不覚にも私は少し笑ってしまう。確かに、普段のあの様子では想像がつかない。むしろ襲われそうである。

「ねえ、近づかない方がいいと思うけど」

 私は阿久田の背中に言葉をかけるが、彼が止まる気配はなく、段々と甘城と阿久田の距離が縮まっていく。

「俺は襲われねえよ。ってかお前こそ早くどっか行った方がいいぜ」

 阿久田がこちらに顔を少し向けて手を振った。
 何故そんなにも自信満々なんだと思った矢先、阿久田は人間じゃないと久徳が言っていたことを思い出した。つまり、任せても大丈夫なのか?
 私は二人を視界に入れながらゆっくりと一歩ずつ後退る。
 私の知る限り、血を飲まなければ甘城は回復しないが、どうやら彼らは知り合いのようなので何とかしてくれるのだろう。

「ふぅ……」

 公園の端近くまで辿り着くと、私は安堵の息を小さく吐く。そして、振り向いて足を踏み出そうとしたその一刹那。何か降り立ったような、どすっという重たい音が背後から聞こえた。

「えっ?」

 私は錆びたロボットのようにぎこちない動きで振り向く。

「逃げろぉおーー岡山ぁーーーっ!」

 届いてくる阿久田の叫びと、こちらへ伸びる甘城の右腕。動揺している私の体は思うように動いてくれなくて、かろうじて後ろに一歩下がる。
 また捕まってしまう、そう思ったのも束の間、ピタリと甘城の体が止まった。

「……ぐっ」

 甘城は自分の右腕を左手で握って、腕を下ろした。

「はあ……はあ……逃、げて、ください……」
「甘城……?」
「は、やく……空白の時間が、あったということは、きっと、錯乱状態に……。やっぱり、僕は人の血は……飲みたくない……そ、れに、あなたは僕を、庇ってくれたから……あなたの血は、もっと、飲みたく、ない……」

 涙を流しながら苦しそうに甘城は言う。自分の生死に関わっているというのに、ここへきて正気を取り戻して「血は飲みたくない」なんて。
 甘城は優しすぎる。
 こんなに優しい人が吸血鬼になってしまうだなんてあんまりだ。彼の人生が可哀想でならない。

 ぐっと拳を握り込む。私は一つの賭けに出ることにした。

「ねえ、甘城。私の血、飲んで」
「は? 何言ってんだよ、岡山」

 後ろで様子を伺ってた阿久田が私と甘城の間に入る。そろそろ名前が気になって仕方ないが、今はそんな話をしている場合じゃない。

「錯乱状態じゃない今なら飲む量を加減できるかもしれない。だから、とにかく早く」

 阿久田は顔に似合わない苦い表情をしながら甘城の方を見た。甘城は首を振っている。

「でき、ません……ぼく、言われてから、自分で、飲もうとしたんです……でも、無理だった……怖いん、です……」
「信じて、大丈夫だから。私ね、しょっちゅう、あの吸血鬼に血吸われてんの」

 どうも、私は甘城(こいつ)に甘くなってしまう。またアイツに拗ねられてしまうかもしれない、と面倒なほうの吸血鬼を思い浮かべる。

「ほら、顔見たくないならあっち向くからさ」

 私は甘城のすぐ側で背を向けて立った。すると、怖じ怖じと優しく私の肩に手をかけた。
 続いて首に鋭く冷たい感覚。牙が立てられたのが分かる。だが、その牙は私の皮膚を刺すことはなく、一度離れた。

「や、やっぱり……」
「…………私の血さ、千年に一度とか言われてて、それくらい美味しいらしいよ」
「えっ……?」
「そう聞いたら飲んでみたくならない? 千年に一度しか味わえないジュースとか私飲んでみたいけどなー」

 振り返って甘城に笑いかけた。何故か甘城は頬を染めて、ポカンと口を開けている。
 変な顔、と思っていたらパシッという乾いた音が鳴った。

「男ならビシッと決めてしまえ」

 阿久田がにかっと笑みを浮かべた。そこで甘城はようやく肩の力を抜いて頷く。
 その姿に私は安心し、また反対を向こうとしたら腕を握られた。

「面と、向かってで、大丈夫です……」

 腕と反対の肩を引かれ、私たちは向き直った。手にはちゃんと力がこもっており、何だか少し緊張でドキドキとしてしまった。

「ありがとう……ございます、岡山さん」

 思ったことはすぐに口に出るタイプの私でも、さすがにこの雰囲気で「私は奥山です」なんて言えるわけもない。
 静かに目を瞑る。

「いただきます」

 その言葉の直後に、私の首に痛みが走る。だが、それはすぐさまフワリとした感覚に変わった。
 そして、私の体は次第に力が抜けていった。私は遠退く意識の中で、大事なことを思い出す。

「トイレット……ペーパー……」
 
 そこで私の意識は途絶えた。