前回のあらすじ
天狗嫌いの実態を知った紙月は、子供相手にと激怒する。
そういうときどうするか。答えは決まっている。
ぼくら、冒険屋だぜ?
いつもそうだった。
スピザエトは貸し出されたという名目で自分を閉じ込める天幕の中で、一人膝を抱えていた。
いつもそうだった。
いつもスピザエトの意見というものは、取り上げられるということがなかった。取り上げられることがあってもその中身とは別のところで推し量られるばかりだった。
いつだってスピザエトの意見が真面目に取り上げられたことはなかった。
スピザエトの立場がそうさせたし、スピザエトの父の立場がそうさせたし、周囲の全ての立場や関係性というものがそうさせた。
スピザエトはそうあるように求められる形を演じるばかりで精一杯だった。その中身を考えることはとうになくなった。ただ父のようにあれと呪いのように繰り返され、ただ父のようであるなと呪いのように褒められ、父ならこのようなことはしないぞと呪いのように窘められ、呪われて、呪われて、呪われてきた。
人生とは呪いのようなものだ。
以前、月のない夜に、父はひっそりとスピザエトにそう語ってくれた。
――お前が父のようにあれと言われるのはな。
父のうち開けた秘密は、とっぷりと暗い呪いに満ちていた。
――私が同じように、お前の祖父のようにあれと言われていたからだよ。
人生とは呪いのようなものだ。
誰も自分の好きなように生きていくことなどできない。
誰もが自分の決めたいと思うところとは別のところで人生を決められ、その呪いに従うように人生という織物を織りあげていく。
スピザエトの人生はスピザエトのものではなかった。巨大な織物に描かれた、大叢海の物語の、その中の色糸の一本に過ぎなかった。
スピザエトの持ってきた情報を持て余し、天狗の情報だからとためらう平原の民の気持ちは痛いほどに分かった。自分たち天狗が嫌われているということをよく知っていたからではない。それ以上に、ずっと言われ続けてきたことに反抗するのは難しいのだということを、よくよく知っていたからだった。
平原の民にとって、草原の民は、呪いに近いほど長く長く続く敵なのだ。怨敵なのだ。ただ呪いに近いほど古く古くから続く縁の為に、切っても切れないというだけなのだ。
古くから忌み嫌ってきた天狗の意見を聞き入れることが、彼らにとってどれだけの苦痛であることか。長きにわたって一族全体を蝕み、支え、痛めつけ、永らえてきた呪いに逆らうことは、その歴史が長ければ長いほど、耐えがたい苦痛を伴うことなのだ。
だから、スピザエトは平原の民を恨まない。
だってそれは仕方がないことなのだ。
スピザエトは幼いから、まだ呪いの影響が少ないから、こうして加護の外へ飛び出して、そうして試すことができた。
しかし人々はそうではないのだ。人々は鳥かごから飛び出すには、あまりにも歴史という呪いに縛られ過ぎていた。
だから。
だから。
だから。
「よう、俯いてないで、行こうぜ」
だから、その声は、スピザエトにとって初めて聞く声だった。
初めて聞く響きで、初めて聞く奏でで、初めて聞く言葉だった。
「ちょうどぼくら休憩時間でね。なにしたって文句は言われないんだ」
開かれた天幕の中に、鋭く光が差し込んでくる。
目にも痛く、肌にも熱く、そしてどこまでも鮮烈な光が注いでくる。
「お前ができないって言うんなら、俺たちがやってやる」
それは、
「お前が怖いって言うんなら、俺たちが代わってやる」
まるで、
「お前が行きたいって言うんなら、俺たちが連れて行ってやる」
祝いのように、スピザエトの胸に響いた。
「本当に、いいのか?」
「本当にいいとも」
「本当に、本当にいいのか?」
「本当に、本当にいいよ」
「わしは、だって、わしは、天狗じゃぞ」
「それなら俺達は冒険屋さ」
「ぼうけん、や」
「そうとも」
「そうだとも」
「俺達は人の冒険請け負って、人の代わりに、人の為に、人のついでに、冒険なんかしたいって酔狂ものなんだ」
「いまさら天狗の一人くらい、背負ったって軽すぎるくらいさ」
それはスピザエトの知らない言葉だった。
それはスピザエトの知らない世界だった。
こわかった。
不安だった。
震えるほどに、見知らぬ世界が恐ろしかった。
いつだって呪いを恐れていた。いつだって呪いに震えていた。いつだって呪いを疎んでいた。いつだって呪いのせいにしてきた。
ああ、でも、いつだって呪いが悪いのだと、呪われていることを享受し続けてきたのは誰だ。
スピザエトは唐突に理解した。
それは自分なのだと。自分のせいなのだと。
呪いを呪いたらしめるのは、それを受け入れる自分のせいなのだと。
「じゃあ、じゃあ、じゃあ!」
ならば、踏み出さなければならなかった。
目を焼き、肌を焼き、くじけそうになる程に熱い灼熱の太陽のもとへ、踏み出さなければならなかった。
「わしは……わしを!」
かつて父が、呪いの中で自分に託したように。
きっと祖父が、呪いの中で父に託したように。
果てなき呪いを、いつの日か解けるようにと。
「――助けてくれ!」
その叫びは、まるで祈りのようで。
「請け負ったぜ、その願い!」
そして、誓いのようであった。
用語解説
・請け負ったぜ
帝国法においては、冒険屋が依頼を請けることを禁じる法はない。
天狗嫌いの実態を知った紙月は、子供相手にと激怒する。
そういうときどうするか。答えは決まっている。
ぼくら、冒険屋だぜ?
いつもそうだった。
スピザエトは貸し出されたという名目で自分を閉じ込める天幕の中で、一人膝を抱えていた。
いつもそうだった。
いつもスピザエトの意見というものは、取り上げられるということがなかった。取り上げられることがあってもその中身とは別のところで推し量られるばかりだった。
いつだってスピザエトの意見が真面目に取り上げられたことはなかった。
スピザエトの立場がそうさせたし、スピザエトの父の立場がそうさせたし、周囲の全ての立場や関係性というものがそうさせた。
スピザエトはそうあるように求められる形を演じるばかりで精一杯だった。その中身を考えることはとうになくなった。ただ父のようにあれと呪いのように繰り返され、ただ父のようであるなと呪いのように褒められ、父ならこのようなことはしないぞと呪いのように窘められ、呪われて、呪われて、呪われてきた。
人生とは呪いのようなものだ。
以前、月のない夜に、父はひっそりとスピザエトにそう語ってくれた。
――お前が父のようにあれと言われるのはな。
父のうち開けた秘密は、とっぷりと暗い呪いに満ちていた。
――私が同じように、お前の祖父のようにあれと言われていたからだよ。
人生とは呪いのようなものだ。
誰も自分の好きなように生きていくことなどできない。
誰もが自分の決めたいと思うところとは別のところで人生を決められ、その呪いに従うように人生という織物を織りあげていく。
スピザエトの人生はスピザエトのものではなかった。巨大な織物に描かれた、大叢海の物語の、その中の色糸の一本に過ぎなかった。
スピザエトの持ってきた情報を持て余し、天狗の情報だからとためらう平原の民の気持ちは痛いほどに分かった。自分たち天狗が嫌われているということをよく知っていたからではない。それ以上に、ずっと言われ続けてきたことに反抗するのは難しいのだということを、よくよく知っていたからだった。
平原の民にとって、草原の民は、呪いに近いほど長く長く続く敵なのだ。怨敵なのだ。ただ呪いに近いほど古く古くから続く縁の為に、切っても切れないというだけなのだ。
古くから忌み嫌ってきた天狗の意見を聞き入れることが、彼らにとってどれだけの苦痛であることか。長きにわたって一族全体を蝕み、支え、痛めつけ、永らえてきた呪いに逆らうことは、その歴史が長ければ長いほど、耐えがたい苦痛を伴うことなのだ。
だから、スピザエトは平原の民を恨まない。
だってそれは仕方がないことなのだ。
スピザエトは幼いから、まだ呪いの影響が少ないから、こうして加護の外へ飛び出して、そうして試すことができた。
しかし人々はそうではないのだ。人々は鳥かごから飛び出すには、あまりにも歴史という呪いに縛られ過ぎていた。
だから。
だから。
だから。
「よう、俯いてないで、行こうぜ」
だから、その声は、スピザエトにとって初めて聞く声だった。
初めて聞く響きで、初めて聞く奏でで、初めて聞く言葉だった。
「ちょうどぼくら休憩時間でね。なにしたって文句は言われないんだ」
開かれた天幕の中に、鋭く光が差し込んでくる。
目にも痛く、肌にも熱く、そしてどこまでも鮮烈な光が注いでくる。
「お前ができないって言うんなら、俺たちがやってやる」
それは、
「お前が怖いって言うんなら、俺たちが代わってやる」
まるで、
「お前が行きたいって言うんなら、俺たちが連れて行ってやる」
祝いのように、スピザエトの胸に響いた。
「本当に、いいのか?」
「本当にいいとも」
「本当に、本当にいいのか?」
「本当に、本当にいいよ」
「わしは、だって、わしは、天狗じゃぞ」
「それなら俺達は冒険屋さ」
「ぼうけん、や」
「そうとも」
「そうだとも」
「俺達は人の冒険請け負って、人の代わりに、人の為に、人のついでに、冒険なんかしたいって酔狂ものなんだ」
「いまさら天狗の一人くらい、背負ったって軽すぎるくらいさ」
それはスピザエトの知らない言葉だった。
それはスピザエトの知らない世界だった。
こわかった。
不安だった。
震えるほどに、見知らぬ世界が恐ろしかった。
いつだって呪いを恐れていた。いつだって呪いに震えていた。いつだって呪いを疎んでいた。いつだって呪いのせいにしてきた。
ああ、でも、いつだって呪いが悪いのだと、呪われていることを享受し続けてきたのは誰だ。
スピザエトは唐突に理解した。
それは自分なのだと。自分のせいなのだと。
呪いを呪いたらしめるのは、それを受け入れる自分のせいなのだと。
「じゃあ、じゃあ、じゃあ!」
ならば、踏み出さなければならなかった。
目を焼き、肌を焼き、くじけそうになる程に熱い灼熱の太陽のもとへ、踏み出さなければならなかった。
「わしは……わしを!」
かつて父が、呪いの中で自分に託したように。
きっと祖父が、呪いの中で父に託したように。
果てなき呪いを、いつの日か解けるようにと。
「――助けてくれ!」
その叫びは、まるで祈りのようで。
「請け負ったぜ、その願い!」
そして、誓いのようであった。
用語解説
・請け負ったぜ
帝国法においては、冒険屋が依頼を請けることを禁じる法はない。