異界転生譚シールド・アンド・マジック

前回のあらすじ
坑道に潜る準備を整えた一行。
いざ、廃鉱山。





 坑道は、暗く、狭かった。
 大柄な土蜘蛛(ロンガクルルロ)達がすれ違えるように、実際にはかなり広い方なのだろうが、暗闇と、周囲がすべて土壁に囲まれているという圧迫感が、実際以上に狭苦しく感じさせていた。

 《金糸雀の息吹》のおかげか息苦しさは感じられなかったが、それでもどこか息詰まるような感じがあった。体ではなく心の息苦しさだった。
 二メートル近い鎧である未来などは余程狭苦しく感じるのだろう、何度となく居心地悪そうに身をよじっては、のそりのそりとやや屈み気味に歩いている。

 一方で実に快適そうに歩いているのはピオーチョである。もとより土蜘蛛(ロンガクルルロ)というのは鉱山暮らしの種族であるらしいから、むしろこの環境の方が、野外よりも快適なのかもしれない。

 しばらく歩くうちに、坑道は枝分かれした。

「坑道は、鉱床に沿って掘られる。んでこの鉱床ってのは天然自然のものだから、規則正しくってわけにはいかない。そいつに沿っていくんだから坑道も捻じれるし、何度も分岐するし、時には昇降機を使って垂直にも掘る」
「うへぇ……地図はないんですか?」
「あるけど、役に立たないと思うよ」

 一応と見せてもらえたが、縦横無尽に走る坑道は立体的で、かつあまりにも複雑で、とてもではないが一瞥しただけでは理解できない有様だった。

「おまけにいまは石食い(シュトノマンジャント)どもが勝手に掘った穴もあるだろうからね。まあ地図通りにはいかないよ」
「ええっ。迷ったらどうするんですかこれ!?」
「安心おし。土蜘蛛(ロンガクルルロ)は迷わないんだ」

 鉱山育ちの根拠のない自慢かと思いきや、ピオーチョは大真面目な顔で腰のあたりを叩いた。

「大昔の御先祖様の頃からの特性らしいんだがね。あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)はみんな、腰のあたりから魔力を細ーく細ーく伸ばして、歩いてきた道に残していくのさ。あたしらはこれを栞糸って呼んでる。こいつをたどるからあたしらは道に迷わないし、その糸の古さや具合から、今自分がどこにいるかもわかる」

 これはまったく便利な技能だった。
 とはいえ、

「あんたらにはないんだから、絶対離れるんじゃないよ」

 とのことである。

 あいにく《エンズビル・オンライン》にはマッピング関係の魔法はなかったので、さしもの千知千能(マジック・マスター)の紙月と言えど、この言葉には従わざるを得なかった。元々逆らう気もなかったが。

「それで、まずどこへ向かうんです?」
「クズ石……まあ目的の鉱石は大概そこらにほっぽっておかれたからね、それらを拾いながら、ちょっと広めのところまで行こうか」

 提案されればそれに応じるしかない二人である。

 二人は目を皿のようにして坑道を歩いていたのだが、そこはそれ、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の石を見る目と比べてしまえば見ていないも同然だった。
 ピオーチョは何でもない風に歩きながら時折不意に屈んでは石を取り上げて、特に確認するでもなく二人に投げてよこした。
 二人がじっくりと見比べてみても、それは普通の石と区別がつかない。

「本当にこれなんですか?」
「石の区別がつかなくなったら、土蜘蛛(ロンガクルルロ)は名乗れないね」
「御見それしました」
「照れるじゃないか」

 それからもピオーチョはしばしば石を見つけては二人に寄越し、二人はそれをもう確認することもせずインベントリに放り込んでいった。一応同じ分類でストックされるので、同じ石ではあるらしいということも確認できた。

 三十分ほども歩いただろうか。

「ふん。結構拾ったねえ。あんたら重くないかね」
「いえ、大丈夫です」
「さすがにそんな大鎧着てるだけあって力持ちだ。《自在蔵(ポスタープロ)》も随分大容量だね」
「あはは」

 まさかインベントリに突っ込んでます、重量は感じません、などとは言えない。笑って誤魔化す外にない。

「あんまり重いようだったらいったん帰ろうかとも思ってたけど、この調子だったら石食い(シュトノマンジャント)どもと一当てしてもよさそうだね」
「そういえば、こんな深い坑道で、どうやって石食い(シュトノマンジャント)たちを見つける予定だったんですか?」
「出たとこ勝負……嘘だよ、そんな顔すんない」

 少し歩くと、急に視界が開けた。ある種の集積所でもあったのか、広場のようになっている。

「ここらでいいか。……石食い(シュトノマンジャント)どもはね、あたしらがいくらほっつき歩いても反応しない。あいつらは肉は食わないんだ」
「そりゃ、石食い(シュトノマンジャント)ですもんね」
「そっちの鎧はいい具合に囮になりそうだけど……」
「ひぃっ」
「冗談さ。本命はこっちさね」

 言って、ピオーチョは《自在蔵(ポスタープロ)》から革袋を取り出すと、広間の真ん中あたりに置いて見せた。

「それは?」
「金属のきれっぱしだとか、宝石の屑だとか、まあ売り物にならんやつさね。だがやつらにゃ食い物になる」
「成程。それでやってきたところを狩ろうってわけだ」
「でも、石食い(シュトノマンジャント)はちゃんとあれが石だってわかるのかな」
「あたしら土蜘蛛(ロンガクルルロ)が目で見て肌で感じるように、石食い(シュトノマンジャント)も石の匂いがわかる……らしい。ま、それでもすぐには来ないだろうから、少し休もうかね」

 三人は広間から出て、革袋のよく見える横道に腰を下ろして休むことにした。





用語解説

・ないときもある。
前回のあらすじ
用語解説がなかった。





 餌の石を置いて十分かそこらしたころである。
 何をするでもなくただ待つという行為に紙月と未来がいい加減焦れ始めたころ、奇妙な足音が響いた。

「む……」
「なんですかこれ?」
「外れだね」
「外れ」

 何が来るのかと身構えていると、広間に奇妙な姿がやってきた。
 大きさ自体は、大型の犬程度だろうか。話に聞いた石食い(シュトノマンジャント)と同じ程度である。だが姿が奇妙だった。

 それはしいて言うならば、六つの足が生えた卵だった。前後があるとするならば、恐らく尖った方が後ろで、丸い方が前方なのだろう。丸い目のようなものが、見て取れた。だがそれ以外は何もない。ただただつるんとしており、口も何も見えないのである。

「……あれが、石食い(シュトノマンジャント)ですか?」
「まあ、似たようなもんではある」

 その何かが革袋を確認し始めると、ピオーチョはつるはしを片手に大声で怒鳴りつけた。

「おら、さっさとそれからお離れ! あんたのじゃあないよ!」
『ぴゃあっ! 驚いたであります!』
「……喋った」
「喋ったね……」
「残念なことにね」

 現れた奇妙な生き物なのだか何だかに三人は接近してみたが、見れば見るほど生き物とは思われない奇妙な姿である。近くで見ればその足などはどう見ても機械仕掛けであるし、目なども、眼球と言うより赤い宝石などから磨きだされたレンズのように思われた。

「こいつは?」
「まあ、石食い(シュトノマンジャント)みたいなもんだよ」
『酷いであります! 自分達はあのような魔獣とは違うのであります! 断固抗議であります!』
「うっわ見た目と裏腹によく喋る」
「こいつら無駄にお喋りなのさ。だから囀石(バビルシュトノ)って呼ばれている」

 それはお喋りな石とか、そのような意味であった。

「言葉……交易共通語(リンガフランカ)をしゃべるってことは、ええっ、隣人種なんですか?」
「残念なことにね」
『自分達はちょっと変わった種族でありますから、なかなか受け入れてもらえないのは仕方がないであります』

 囀石(バビルシュトノ)というのは、文字通り物言う鉱石生命体なのだという。
 その本体というのは、灼熱の心臓と言われる非常に高熱の炉心であり、それを守るように鉱石や金属などを加工して鎧を作り、着込んでいるのだとか。

「じゃあこれ、見た目通りの生き物というよりは、鎧姿なんだな」
『そうであります。自分達はその用途や棲み処の環境によって手足を変えることのできる非常に器用な種族なんでありますよ』
「非常に異様な種族の間違いだろ」
『もー、そちらの土蜘蛛(ロンガクルルロ)殿は失敬であります!』

 アタッチメントを変えることができることと言い、見た目と言い、まるでロボットである。おまけにその声自体合成音声のような響きで、なんだかファンタジー世界に急にSFが紛れ込んできたようで落ち着かない。
 もっともそんな風にジャンル違いに悩むのは紙月位のもので、ピオーチョはひたすら鬱陶しそうであるし、未来などは純粋にロボットだロボットだと感動している。

「しかし、囀石(バビルシュトノ)ね。なんでまたこんなところに?」
『自分達は外殻を作ったり維持するのに鉱石を必要とするでありますからな。廃鉱山などで要らない石なんかを頂戴することがよくあるのであります』
「要するに泥棒だよ」
『有効活用と言ってほしいであります』

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)や人族は必要としない類の鉱石でも、囀石(バビルシュトノ)なら活用できることもよくあることであるらしい。逆に言えば、囀石(バビルシュトノ)の飯にしかならないような鉱石ともいえるのだろうが。

「まあいいや。俺は紙月。こっちは相方の未来」
「未来です」
『これはご親切に! それで……じー』
囀石(バビルシュトノ)なんぞに名乗る名はないよ」
「ピオーチョさん、よほど嫌いなんですね」
「ふん」

 取り付く島もない。

「で、あんたは?」
『自分達は、あまり細かく自分というものを分けていないのであります』
「うん?」
『自分達は数多くの体を持っているのでありますけれど、根っこの魂の部分では繋がっているのであります。なのでどの自分が特別ということはあんまり考えないのでありますよ。しいて言うならば、この自分はこの廃鉱山を棲み処にしているので、廃鉱山の囀石(バビルシュトノ)その一といった区別がある程度でありますな』

 ピオーチョはわけがわからないという風に肩をすくめるばかりだったが、紙月と未来は何となくではあるがその生態を理解した。
 要するにロボットという理解の仕方だ。コンピュータネットワークでつながれた無数の個体はどれも同期しており、全体として一つの生き物として機能しているのだ。クラウドコンピューティングシステムとか呼ばれるそれと似たようなものだと考えていいだろう。

 とはいえ、実際にその個体と触れる紙月たちにとってはやや不便だ。

「じゃあ取り敢えずミノの山の囀石(バビルシュトノ)だからミノってことで」
『かしこまり、であります!』
「で、ミノ。その鉱石は石食い(シュトノマンジャント)を釣るための餌だからお前にはやれないんだ」

 ピオーチョがふてくされてすっかり会話に参加する気がないらしいのを見て取って、紙月がそのように説明すると、ミノは大袈裟に驚いたようなジェスチャーをして見せた。

『おお! もしかして紙月殿たちは石食い(シュトノマンジャント)狩りに来てくれたのでありますか!?』
「いや、まあメインは石掘りなんだけど、できれば片付けたいと思ってる」
石食い(シュトノマンジャント)たちさえ片付ければ石掘りなどいくらでもお手伝いするでありますよ!』
「おお、マジか」
『マジであります! 自分達も石食い(シュトノマンジャント)の被害にはうんざりしていたのであります!』
「ちょうど人出も足りなそうなとこだったし、ミノにも協力してもらって――」
「駄目だね!」

 ぴしゃりとピオーチョが遮った。

「ええ? でも俺達だけじゃ」
囀石(バビルシュトノ)なんか信用できるもんかい! そいつらと石食い(シュトノマンジャント)と何が違うってんだい!」
「そりゃあ……」

 怒鳴りつけられ、紙月はまじまじとミノを眺めてみた。
 石を食べて体を作る習性があり、人の去った廃鉱山を棲み処にし、とても隣人とは思えない見た目をしている。

「…………しゃ、しゃべる……」
『それだけでありますかァ!?』
「いやだって、なあ」
「喋るだけならあんたらだけで十分だよ! 囀石(バビルシュトノ)なんかまっぴらごめんだ!」

 ミノはそれでも、自分たちは少なくとも噛みついたりしないし、話せばわかるし、なんなら『自分達』のため込んできた小粋な冗句を披露することもできると売り込んできたが、勿論ピオーチョの反応はなしのつぶてである。

「ねえピオーチョさん」
「なんだいミライ。あたしゃあんたみたいな子供が相手でも意見を変えたりは、」
「いや、そうじゃなくて」

 わめくミノになだめる紙月、すっかりこじれてしまったピオーチョの中、一人冷静な未来が、置いてあった袋を指さした。

「餌、かかったみたいだけど」
「え」
「え」
『え』

 振り向いた先では、犬ほどもある巨大な鉱石質のネズミが、革袋に頭を突っ込んで鉱石をかじっているではないか。

「あっ、こいつ!」
『あ、駄目であります』
「なんだい、止めるんじゃ」
『増援であります』

 囀石(バビルシュトノ)の鋭敏なセンサーに引っかかったらしい。見れば、あちらこちらの坑道から、どろどろとおどろおどろしい足音が響いてくるではないか。

「まずいな。久しぶりの餌に興奮してるらしい」
「えー、肉は齧らないんでしたっけ」
「腹減っててそれどころじゃないかもしれんね」
「つまり?」

 ピオーチョはつるはしをしまって、駆け出した。

「逃げろ!」

 勿論、一同それに続いた。






用語解説

囀石(バビルシュトノ)(babil-ŝtono)
 火の神ヴィトラアルトゥロの従属種。隣人種の一つ。
 灼熱の心臓と呼ばれる非常に高温の炉心を本体として持ち、それを守るように鉱石や金属で様々な鎧を作り纏っている。現代人にはまるでロボットのようにも見えるだろう。
 鉱石生命種である彼らは一つの魂でつながっており、それぞれの個体にあまり重きを置かない。さながらネットワークでつながれたクラウドコンピューティングのようである。勿論、経年などによって個体ごとに差別化はされるようで、かなり特殊化された個体などもあるようだが、やはり魂のバックアップがあるという感覚は他の種族には理解しがたい感覚のようだ。
 鉱石を食事として、また鎧の整備・維持に用いるため、同じく山を掘る土蜘蛛(ロンガクルルロ)とは衝突したり、共存したりと縁が深い。
 火の神の加護を受け、宝石や鉱石などを発掘する才能の他、種族特有の特殊な技術を数多く持つ。

前回のあらすじ
お喋りな囀石(バビルシュトノ)と遭遇した一行。
早速石食い(シュトノマンジャント)たちの大群に追われて逃げ出すのであった。





 石を拾いながらゆっくり歩いてきた行きと異なり、とにかく逃げの一手の全力疾走であった帰りは、早いものであった。
 坑道の入り口までたどり着き、ようやく一息ついた一行は、どっと崩れ落ちるように倒れ伏した。石食い(シュトノマンジャント)は群れると聞いていたが、あそこまでどっとやってくるとは、思いもしなかったのである。

「やれやれ、あれじゃあちょっとやり方を考えなきゃいけないね」
「そもそもどうやって退治するつもりだったんです?」
「餌につられて群がってきたところを、あんたの魔法で一網打尽、ってのを繰り返そうかとね」
「成程……って、あの調子じゃ崩落しかねねえな」
「崩落、崩落ね……いっそみんなまとめて押しつぶされちまえば楽なんだけど」

 とにかくいったん休憩しようと、ピオーチョは小型の炉のようなものに火をおこし、薬缶を火にかけた。この炉は火精晶(ファヰロクリスタロ)なる魔法の石が使われているらしい。

「ちょいと高いが、あたしら職人の手にかかりゃ簡単に作れるからね」
「へえ、じゃあ仕事が終わったら、俺達にも一つ作ってもらえます?」
「出来高制だよ」
「うへぇ」

 薬缶で甘茶(ドルチャテオ)が濃いめに煮出され、各人に金属のマグカップが寄越された。といっても、ミノの分はない。

「……というか、飲めんのか、そもそも」
『自分達、普通の飲食とは相性が悪いのでお気になさらずであります』
「ふん、石食い石に飲ませる茶はないよ」
囀石(バビルシュトノ)であります!』

 坑道を出てもピオーチョとミノの険悪さはほぐれもしないようで、紙月もこれには参った。

「なあミノ、廃鉱山にはお前の仲間はどれくらいいるんだ?」
『現状、この廃鉱山内には、この自分を合わせて三十二の自分達がいるであります』
「結構いるな」
『でも自分達は何分石でできているだけあって石食い(シュトノマンジャント)との相性が悪いのであります』
「そりゃ食ってくれって言ってるようなもんだしな……」

 しかし、三十二というのは結構な数である。それもこの廃鉱山を棲み処にしているということは、素人の紙月たちがピオーチョの案内について行くより、よほど自由自在に動き回れることは間違いない。

「なあ、ピオーチョさん」
「嫌なもんは嫌だよ」
「そうは言ったってなあ……なあ、どうしてそんなに嫌がるんです」
「どうして? どうしてだって?」

 ふん、とピオーチョは疲れとも苛立ちともとれぬ溜息を吐いて、それからゆっくりと甘茶(ドルチャテオ)を啜り始めた。

 ピオーチョはこのミノの町で生まれ育った生粋のミノっ子だという。
 やがて終わりが来るにしても、自分が死ぬ時までは精々このミノの町に尽くしたい。そう思って、土蜘蛛(ロンガクルルロ)として職人仕事に明け暮れ、また若さのままに冒険屋としての仕事も始めた。
 そのどちらともをまさかこの年になるまで続けるとは思わなかったけれどね、とピオーチョは笑った。

 毎日のように山から掘り出されてくる鉱石やクズ石、精錬される金や銀、鉄、鉱山というのは土蜘蛛(ロンガクルルロ)にとって正しく宝箱だ。ピオーチョは直接山に潜りはしなかったけれど、それでも掘り出し物には目をかけ、丁寧な仕事ぶりも徐々に評価され始めていた。
 まだ十代の若造であるピオーチョは、それでも周囲の職人たちの仕事をよく学び、よく取り入れ、成人したてとしては随分取り上げてもらったものだという。

 そのピオーチョが十六の頃である。
 ピオーチョは一人の囀石(バビルシュトノ)とたまたま知り合って、親交を深めていた。
 囀石(バビルシュトノ)というのは何も廃鉱山にばかり住み着くものではない、現役の鉱山ともなれば積極的に自分達を売り込んで鉱夫として潜ったし、ちょいとつまみ食いはするが、その働きぶりは土蜘蛛(ロンガクルルロ)と比較してもまだ優れているほどだった。

 その囀石(バビルシュトノ)と仲が良くなったのは何も真っ当な理由からではなかった。たまたま山を覗きに行ったときに、ちょうどつまみ食いしようとしているところを発見してしまい、黙っている代わりにたまに鉱石を融通してもらうという、いわば共犯として二人の仲は始まったのであった。

 勿論、その程度のことは子供たちの戯れとして、大人たちはとっくに気付いていただろう。その上で景気の好さから見逃されていたのだ。それでもピオーチョにとっては、それは胸が沸き立つようにドキドキする、特別な関係だった。
 大人たちに黙って悪いことをしているんだという刺激に、囀石(バビルシュトノ)という特別変わった友人! 思春期のピオーチョにこれ以上に面白いことはなかった。

 ピオーチョは囀石(バビルシュトノ)から多くのことを学んだ。石の見分け方、炉の火の操り方、異なる金属同士を合わせた合金の比率。若いピオーチョにとって、囀石(バビルシュトノ)は教師であり、友であり、もはや姉妹と言ってよかった。

 だからある日のこと、ピオーチョは小遣いをはたいて買った大振りの紅玉を囀石(バビルシュトノ)にプレゼントしたのだという。

「だというのに、あいつは……!」

 囀石(バビルシュトノ)はプレゼントを喜び、そして食べてしまったのだという。

「うわぁ」
「うわぁ」
土蜘蛛(ロンガクルルロ)が宝石を渡すってことの意味が分かってないんだよ!」

 細工の得意な土蜘蛛(ロンガクルルロ)が、細工を施していない宝石を捧げるということは、これから細工を施していくように、末永く善き付き合いをしていきましょうねというそう言う長い親交を願ってのことなのだという。偏屈で頑固な土蜘蛛(ロンガクルルロ)が友情に捧げるものとしてこれ以上のものはないのである。

『え、えーと、自分達も土蜘蛛(ロンガクルルロ)の習慣に詳しいわけではないので、』
「だからってもらったもん食うか!? その場で!? 宝石狂いの土蜘蛛(ロンガクルルロ)が、宝石を渡してんだぞ!?」
『あうあう』

 その瞬間、二人の間の友情は盛大に亀裂が走ったどころではなく完全に崩壊して喧嘩別れになったという。

「あれ以来、あたしは囀石(バビルシュトノ)なんて生き物を信用してないんだ。隣人だなんだって言って、結局は価値観が違い過ぎるのさ。まだ石食い(シュトノマンジャント)どもの方が近いんだろうね」

 これには二人もフォローのしようがなかった。





用語解説

甘茶(ドルチャテオ)(dolĉa teo)
 甘みの強い植物性の花草茶。
 同じ名称ではあるが何種類かの甘茶(ドルチャテオ)が存在し、帝国全土で広く飲まれる。

前回のあらすじ
聞くも涙語るも涙のピオーチョの過去話であった。いいね。





「とにかく、あたしゃ囀石(バビルシュトノ)と組むなんて御免だね」

 こう言いだしたピオーチョはまるで話を聞かず、一同は少し時間をおいて頭を冷やそうと、それぞれにばらけて休憩することとなった。いくら間をおいても、顔を合わせていては意味がない。

 ピオーチョは坑道前にどっかりと腰を据えて茶を啜り、ミノはこれに気圧されるようにすたこらさっさと姿を消した。
 残された紙月と未来はと言えば、掘り返されてはげ山になった鉱山を何とはなしに眺めながら散策などしてみたが、やはりこれといった妙案など思いつくべくもない。

「見た感じ(キン)属性として、やっぱり火なんだろうけど」
「幸い窒息死は考えなくてよさそうなんだけどね」
「でもあんだけ数がいると、俺が焼く前にこっちに辿り着かれちまうからなあ」
「思った以上に横穴が多かったから、ぼくのシールド系だと後ろから来られた時が怖いよね」
「どうにかして一か所にまとめて、焼いて、だなあ」

 この一か所にまとめて、というのが難しい所だった。
 先ほど見た感じ、単に焼き払うだけならそれほど大した敵ではなさそうなのだ。ところがそれが無尽蔵に湧いて出てくるとなると、話は別だ。紙月の《SP(スキルポイント)》もこの程度の敵相手ならば無尽蔵ともいえるのだが、しかしそれに比例して紙月自身の集中力は無尽蔵ではないのだ。一匹ずつ焼いていくのではらちが明かない。
 しかし、ちょっとやそっとの餌を用意したところで、あれだけの数はまとまってはくれないだろう。やはり、手数を用意して追い込むなりなんなりして、ひとところに集めておきたい。

「暗視も効いて窒息もしないし、縦横無尽に走り回れる囀石(バビルシュトノ)はちょうどいいんだけどなあ」

 彼ら自身が食べられかねないという懸念はあるが、対抗手段がないだけであって逃げきれない訳ではなさそうなので、いっそ囮にして集めてもらうというのも手は手である。属性付与系の魔法で火属性でも付与してやって、追い立ててもらうというのも手だ。

 しかしそれにはまず、案内人でもありこの即席パーティの一応の柱であるところのピオーチョにお伺いを立てなければならないのである。
 そしてそのピオーチョの機嫌はと言えば、絶望的である。
 これが単純な好き嫌いならば大人になれよと諭すばかりであるが、しかし思春期にトラウマじみたダメージを残したエピソードなんか聞いてしまうと迂闊なことは言えない。別人ならぬ別囀石(バビルシュトノ)なのだからとは思うが、一度種族全体に対して固まってしまった観念はそうそう溶け去ってはくれないものだろう。

「俺たち三人でどうにかする手段、ねえ」
「毒ガスとか水攻めとか?」
「鉱山が使えなくなる手段は駄目だろ」
「ピオーチョさんが言ってた、崩落とか」
「だから崩しちまったらさ」
「ほら、植物系の魔法で補強入れて、広間だけ崩すとか」
「あー」

 いろいろと話し合ってみたが、やはり敵に数がある以上、どうにかして一網打尽にしなければならないという問題が立ちはだかるのであった。

「こういうときギルマスとかなら楽だったんだろうけどなあ」
「あー、『軍団ひとり』だ」
「それそれ」

 前の世界で《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》と呼ばれたギルドの長は、死霊術によってアンデッドを呼び出し戦わせることのできる死霊術師(ネクロマンサー)と呼ばれる《職業(ジョブ)》だった。

 それ自体はそれなりにあり触れたことだったのだが、問題は現実の金銭(リアル・マネー)現実の幸運(リアル・ラック)に飽かせた最上級装備と、現実を犠牲にしているとしか思えない廃プレイによって成し遂げられた極端な召喚寄りの戦法である。

 ざっくりと言えば、『軍団ひとり』。たったひとりで狩場を占領し、ギルドを相手にし、そして勝利してしまうだけの実力。圧倒的な数と数と数、とにかく数で圧殺する物量戦法。そしてそれが、金銭的にも費やした時間的にも、どう考えても効率が悪すぎるという浪漫でしかないという一点。

 脳髄という浪漫の地平線の向こうからやってきた男。
 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》。
 それはたった一人の男から始まったのだった。

「ひとりプロジェクト×だよな」
「あんまりお喋りしない人だから僕よく知らないんだけど」
「サブマスとはそれなりに仲良かったみたいだけどな」

 よくわからないが、しかしその業績ばかりは有名な人というのが、ギルドメンバーのギルドマスターに対する一般的な評価であったように思う。それを言ったら他のメンバー間でも、大して絡みがなければ同じようなものだったが。

 紙月と未来、つまりペイパームーンとMETOの『無敵砲台』の二人にしても、METOの移動速度の低さといい、完全に拠点に固定したままの動かないプレイスタイルと言い、他のプレイヤーと共闘しにくいので、一緒に狩りをしたことなど全然ない。

 紙月は割と積極的に誰にでも話しかけていく方だったが、未来は相手との距離感を計るところがあった。例えばそれなりに話すこともあったエイシスというプレイヤーとも、趣味の界隈ではお喋りすることもあるが、気難しいところが感じられて、あまり突っ込んだところまでは話さなかった。

 エイシスはゲーム自体よりもゲーム内にちりばめられたフレーバーテキストを集めることが趣味であるという蒐集家で、彼が持っていない、あるいは入手しづらいアイテムなどの交換を持ち掛けられることがしばしばあった。

 フレーバーテキスト集めが主体でアイテム自体の価値は二の次だというのは本当らしく、恐ろしく価値のあるアイテムを紙月からすれば十把一絡げのアイテムと交換してくれたこともあったし、逆にどこででも手に入るアイテムをフレーバーテキストが気に入ったからという理由で後生大事に持ち歩いていたりもした。

 未来はこの口数の少ない、しかし蒐集したフレーバーテキストについて語るときばかりは多弁な、言ってみればオタク器質なところを苦手としていたようだったが、紙月としてはそこに垣間見える人間性というものが何となく楽しかった気がする。
 またチャットで話をしていても、同じことは二度言わないし、以前間違えたことは二度としないし、同じようなフレーバーテキストの細かな違いについても語ったりなど、賢いところが窺えた。

 今頃はどうしているだろうか。
 いまもまだフレーバーテキストを集めては一喜一憂しているのだろうか。魔法《技能(スキル)》関係のフレーバーテキストをいちいちスクリーンショットして送りつけてはゲーム内のアイテムや通貨と交換してもらっていたのが懐かしい。良い小遣い稼ぎだった。
 《技能(スキル)》関係のフレーバーテキストはその《技能(スキル)》を覚えるジョブでないと見れないから、なかなかレアであるらしく、食いつきがよかったのだ。

 人はどんなにアレな人でも付き合い方さえ覚えれば付き合っていけるものなのになあ、などと紙月が黄昏れている時であった。

『たたた大変でありますよ!』

 合成音声の平坦な響きのせいでいまいち緊急性がわからないものの、ジェスチャーばかりは大きいミノが飛び込んできたのは。

「どうした?」
『ピオーチョ殿が一人で行ってしまったのであります!』

 人はどんなにアレな人でも付き合い方さえ覚えれば、覚えれば、なあ。
 ずつうが、いたかった。





用語解説

・『軍団ひとり』
 ギルド《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》の発足人にして、最初の《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》。
 死霊術師(ネクロマンサー)のアンデッドで、石油王なのではないかと言われる財力と、運営と組んでいるのではないかと言われる豪運、そしていつ仕事しているのかと言われる廃プレイによってある種の頂点を極めた男(?)。
 「サーバーがたがた言わせてやる」との名言が残る通り、アンデッドを大量召還してPvPの対戦相手を処理落ちで動けなくしたという事例がある。

・エイシス
 《選りすぐりの浪漫狂(ニューロマンサー)》のひとり。
 《暗殺者(アサシン)》系統の最上位職である産廃《職業(ジョブ)死神(グリムリーパー)の数少ないうちの一人。ほとんど完璧にその存在を隠し通すことができ、PvPでは突然死亡して何かと思ったらこいつのせいだったという事例が多く見られた。
 姿を隠すスキルを常時使用しており、同じギルドのメンバーでさえその姿を見たものはまれというコミュ障で、誰がいつどうやって勧誘したのか長らく謎であった。

前回のあらすじ
ひとりで突っ走ってしまったピオーチョ。
ずつうが、いたい。





 多弁気味なミノの説明を要約してみれば、こうだった。

 ピオーチョに追い払われたものの、なんとか石食い(シュトノマンジャント)の被害を解決したいし、嫌われたままでいるというのもよろしくないと思い、ほとぼりが覚めただろうころを見計らって戻ってきたところ、肝心のピオーチョの姿がない。
 もしやみんなもう再び潜ってしまったのかと慌てて坑道に向かうと、そこには囀石(バビルシュトノ)と組むくらいなら一人で行くという書置きが残されていたのだという。

「一人で行ってどうするつもりなんだあのばあさん……」
「と、とにかく追いかけないと!」
「つっても、俺達だけじゃ迷っちまうしなあ」
『あ、居場所はわかってるであります』
「え」
「え」

 なんでも、ピオーチョが坑道に潜って少しした頃には、坑道内の他の囀石(バビルシュトノ)に捕捉されており、その後、気づかれないように尾行中だという。

『自分達は何しろ呼吸もしなけりゃ鼓動もないでありますからな、死体と一緒なので尾行は得意なのであります!』
「その自虐ネタ、エッジがきつすぎる」

 ともあれ、これは助かった。
 聞けば例の広間を目指しているようだとのことで、二人もさっそくミノの案内でこれを追いかけることにした。

 坑道を行くミノの走りは実に滑らかで、音も静かだ。成程これに尾行されれば気付く由もなさそうである。

『何しろ地下はお喋りするものが少ないでありますからなあ! 自分達も静かにするように設計しているのであります!』

 すべてを台無しにするお喋りさえなければいいのだが。

 ともあれ三人は速やかに坑道を駆け抜け、すぐにも広間に辿り着いた。広間にはすでに石食い(シュトノマンジャント)たちの姿はなく、代わりにピオーチョが一人せっせと何かを組み立てているようだった。

「ピオーチョさん!」
「来たなお邪魔虫」
「いやお邪魔する気はないですけど、何してるんですか」
「仕掛けだよ仕掛け。あいつらを一掃するね」

 一人で自棄になったのかとも思ったが、どうやらしっかりとした考えはあるようだった。

 何か筒のようなものをあちらこちらに埋めるピオーチョの姿は職人じみて頼りになるが、しかし何をやっているのかわからないというのは不安である。

「仕掛けって……勝算あるんですか?」
「なきゃやらないよ」

 ピオーチョは手の中で筒をもてあそんで、言った。

「こいつは発破という」
「発破……火薬か!」
「そうさ。こいつは火精の同調励起作用を利用して、遠隔で爆破できるようになってる。こいつを辺り一帯に仕掛けた」

 そう言われてあたりを見れば、確かに掘り返されたような跡がいくつも見える。そのすべてが爆薬なのだとすれば、ぞっとするのもさもありなんである。

「崩落させる気ですか!?」
「一応計算はできてる。前々から考えちゃあいたからね。この広間なら、被害は最小限で済む」

 ピオーチョの計算によれば、仕掛けた発破をきちんと爆破すれば、この広間だけを正確に崩落させ、他の坑道への被害は最小限に済むという。この計算に関しては囀石(バビルシュトノ)のミノも概ね正しいと判断した。この鉱山だけでも三十二体いるという数に頼った計算であるから、頼りにはなる。

 問題はその計算式がどうなっているのか紙月たちにはわからないので、検算のしようがないということだが。

「まああたしを信じな」

 胸を張って言われるが、勿論信じられる要素などない。ないが、なにしろこちらは計算ができないので信じる外にない。ほかにどうしようもない。ピオーチョがミノの計算に文句を言わなかったので、奇しくも賛成票が半数になってしまっているのだ。

「で、崩落させるとして、どうやって石食い(シュトノマンジャント)たちを集めるんです?」
「なあに、餌はまだあるからね。さっきの調子で集まりゃ、随分やれるだろうさ」
「集まったとして、どうやって確認するんです」
「そりゃ目で見てだよ」
「それじゃ発破が間に合わないですよね!?」
「そうだよ」

 余りにも穏やかな返答に、紙月は重々しく息を飲んだ。未来は何のことかわからないという顔をしているが、これはつまりそういうことなのだ。石食いたちが集まるのを目で見てから、安全圏まで逃げて、それから発破を起爆するのではとても間に合わない。削らなければならない部分が出てきてしまう。

「ばあさん、あんた自爆する気か!?」
「年寄り一人で片がつくなら安いもんだろ」
『だだだ駄目でありますよ! 命は無駄にしてはいけないのであります!』
「いくらでも予備のあるお前たちに何がわかる!?」
『それは、でも、だからこそ、予備がない命は、無駄にしてはいけないのであります!』
「ふん、お為ごかしを」

 ピオーチョは考えを変える気はないようだった。手元の筒は今度は発破ではない。親指を押し込む部分がついたそれが、恐らく起爆スイッチなのだろう。

「もともと、こうしようこうしようと考えてはいたのさ」

 声はいっそ穏やかである。

「山が閉まって、細工の仕事も冒険屋の仕事も減っていって、最後になんにもなくなっちまって死んでいくよりは、この町のために何か成し遂げてから死にたかった。それがどんなことであっても、この町で生まれ、この町で育ったからには、この町のために死にたかった」

 本当は一人でさっさと片を付けるつもりだったらしい。
 しかし発破の準備を整えたころには、石食い(シュトノマンジャント)の危険は街中に広まり、冒険屋事務所でも、勝手に侵入しないようにと釘を刺されたのだそうだ。

「あれでも長いからね。あたしが何をしようとしているのか、見当がついてたんだろうさ。あたしもあの爺さんに言われりゃあ、それを破ってまでどうこうしようたあ言えない。そこにやってきたのが今回の依頼さ」

 石食い(シュトノマンジャント)たちを討伐できる、渡りに船の依頼だと、そう思ったのだそうだ。竜殺しなどと言う大層な二つ名のついた冒険屋も、やってきてみればただの若造で、このくらいならば目を盗むのも容易かろうと。

「この依頼を無事に終えたところでさ、あたしにゃもう先がないんだ。詰まんない余生を送るより、パッと一花咲かさせておくれよ」
「そんな……ピオーチョさん」
「止めろ未来、やらせてやろうぜ」
「そんな、紙月」

 未来の鎧をごんごんと叩いてやって、そして紙月はにっかり笑うのだった。

「その代わり、ばあさん、俺達も好きにやらせてもらいますぜ」





用語解説

・ないんです。
前回のあらすじ
自爆覚悟のピオーチョ。
それならばと紙月は策を練るが。





 作戦はこうだった。

「まず、俺の魔法で広間につながる坑道を一つに絞ります」
「敵の侵入経路を絞るわけだね」
「そういうこと」

 この坑道を爆破する工程でも、ミノの計算能力には助けられた。これをもとに再計算が行われ、発破の位置に微調整が加えられ、そして次の段階である。

「いくらばあさんが餌を持ってきているとはいえ、敵は大群だ。すっかりこの広間に誘い込む前に餌切れになっちまう」
「だからって今から餌用に石やら金属やらを持ってくるってのは勘弁しておくれよ」
「大丈夫、そこは俺が魔法で用意する」
「魔法でえ?」
「そして石食い(シュトノマンジャント)どもがやってきたら、すっかり集まった時点で発破の出番だ」
「それで、あんたらはどうやって逃げるんだい」
「逃げない」
「なんだって?」
「未来、耐えられそうか?」
「ええ? ……ああ、()()()()()使()()ってことね。地竜よりは軽いと思うよ」
「というわけだ」
「どういうわけだよ」
「作戦開始ってことさ」

 布陣はこうなった。
 開けた坑道から一番離れた壁を背にして発破役のピオーチョと、護衛のミノ。
 そしてそれを守るようにして未来が立ちふさがり、その背に紙月がしがみつくいつものスタイル。

「さって……じゃあ、まず餌やりだ! 今日ここで見たことは内緒にしてくれよ!」

 紙月は右手で広間の中央あたりを指さし、左手を踊るように空に舞わせる。右手でクリック。左手でショートカットキー。いつもの動きだ。
 今日使うのは《火球(ファイア・ボール)》でも《土槍(アース・ランス)》でもない。

「この世界じゃ新技披露! ぶちかませ! 《金刃(レザー・エッジ)》! 三十六連!」

 ずずず、とわずかに地面が揺れ、引き換えに、地面から何本もの金属製の剣が飛び出してくる。それが三十六回分、盛大に地面を切り刻みながら溢れ出てくる。
 《金刃(レザー・エッジ)》は《土槍(アース・ランス)》と同じような特性と欠点を持った金属性の最初等魔法《技能(スキル)》であるが、比較して攻撃力が高いという違いがある。

 そして紙月の期待していたところに、

「よしやっぱり消えない!」

 あとに残るという点がある。

 元のゲーム内ではすぐに消えてしまった金属の刃だが、ここは一応は現実世界である。土が崩れたり火が消えたりはしても、地竜に刺した《寄生木(ミストルティン)》が消えなかったように、土から生やした金属製の刃もまた消えないのである。

 ではこの金属の山にさらに《金刃(レザー・エッジ)》を使用すればどうなるか。

「《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》《金刃(レザー・エッジ)》!!!!!!!」

 使えば使うほどにそこには金属製の刃が積み重なっていく。がちゃりがちゃりと激しく打ち合わせながら無数の刃が溢れていく。

「こ、こりゃあ……理屈に合わないじゃあないか……」
「実際、この鉄がどっから湧いてきてるのか、そもそもまともな金属なのかは、それは俺にもわからない」
「恐ろしいこと言うねあんた!?」
「だがわかるのは……釣れたってことさ!」

 間もなく、どろどろとおどろおどろしい足音が去来する。
 山と積まれた金属の刃に阻まれてこちらにまでは到達できないが、いや、到達する気もないようだが、悍ましいほどの石食い(シュトノマンジャント)たちの群れが、《金刃(レザー・エッジ)》の刃を恐ろしい音を立ててかじり、砕き、貪り食っていく。

 これではどんなに分厚い装甲に身を包んだところで、いや、装甲に頼れば頼るほどにいい餌となってしまっただろう。またどんなにか鋭い武器だって、このように齧られてしまえばかたもない。
 かといって貧弱な装備で挑めば、この強固な鱗を貫く事もまたできない。

 その勢いたるやまるで金属の硬さなどものともしないもので、成程石食い(シュトノマンジャント)という生き物が怖れられるわけである。

「やべっ、思ったよりもいる。お代わりいりそうだな」
「紙月、そろそろぼく準備するね」
「おう、頼む。ミノ、お客さん入り切ったか?」
『もうそろそろ………いまので最後であります!』
「よし、未来!」
「うん、いくよ!」

 返事とともに、瞬時に未来の鎧が、まるで大樹に包み込まれたような異形の鎧に切り替わる。土属性に対して非常に高い耐性のある《ドライアドの破魔鎧》である。そしてそろいの《ドライアドの破魔楯》を上方に構え、未来はどっしりと腰を落とし、膝をつく。

「『タワー・シールド・オブ・エント』!」

 ここには植物の気配というものがないが、それでもあたり一面の土から養分を吸い取り、《ドライアドの破魔楯》はドーム状に変化して一行を包み込む。

「おお、おお、いったいこりゃあ!?」
「発破やる前に心臓発作起こすなよ!」
「しゃらくさい!」

「《金城(キャスル・オ)鉄壁(ブ・アイロン)》!!」

 続けて絶対防御の輝きが、この木製のドームを取り囲み、著しくその強度を高めていく。
 かつてここではない世界、ここではないどこかで、何者にも貫くこと能わずと語られた神話の鉄壁がいま、完成した。

「ばあさん!」
「覚悟をおし!」
「とっくに!」
「よし……発破!」

 かちり、とスイッチが押され、何もかもが吹き飛んでしまった。
 ような気がするほど、それは圧倒的な衝撃だった。

 計算ずくで仕掛けられた発破はその全てが同時に起爆し、その衝撃は的確に広間上層の岩盤を突き崩し、これを落盤せしめたのだった。





用語解説

・《金刃(レザー・エッジ)
 《魔術師(キャスター)》やその系列の《職業(ジョブ)》覚える最初等の金属性魔法《技能(スキル)》。
 敵の足元から金属製の刃を繰り出す《技能(スキル)》で、水場では使えず、また飛行する敵にも通用しない。
 攻撃力は《土槍(アース・ランス)》よりやや強く、《詠唱時間(キャストタイム)》はやや長いといったところ。紙月からすればほとんど関係ないが。
『《金刃(レザー・エッジ)》は危険な術じゃ。硬く、鋭く、容易く人を傷つける。決して髭剃りになぞ使うでないぞ。こうなるからの』

前回のあらすじ
崩落する坑道。
果たして一行の命運やいかに。





 全身がばらばらになってそれでもまだ生きていたのならばこのような心地がしただろうか。

 冒険屋ピオーチョは、土蜘蛛(ロンガクルルロ)の目でも見通せぬ、土で覆われた闇の中で、ようやく息を吐いた。体中が出鱈目に痛みを叫んでいて、少しでも動けばその叫びは割れんばかりとなった。
 その体中からの悲鳴を聞いて、ピオーチョは唇の端をひん曲げた。なんだい。すっかり枯れ果てたと思っていたけれど、まだまだ痛みを叫ぶくらいには元気じゃないかと。

 土蜘蛛(ロンガクルルロ)は山の神に愛されている。そう言われる通り、土蜘蛛(ロンガクルルロ)は少なくとも山の中では息が詰まるということがない。生き埋めにされても、それが原因で死ぬことはない。もっともこれがありがたいことなのかそうでない事なのかは意見が分かれるところだった。
 普通に穴に潜る分には大層ありがたいことは確かなのだが、生き埋めになって、それから息が詰まるのではなく餓えで死ぬことになるというのは余りありがたくない話なのだ。まして、身動きできない恐怖で気が狂って死ぬなど、たまったものではない。

 あたしの場合はどうだろうね。

 ピオーチョは身じろいだが、どうにも、手のひら分一枚分も動かしようにない程隙間というものがなく、かなりしっかりと生き埋めになってしまったようだった。幸いにも傷はないようで、激しい出血の感覚はないが、しかしとにかく打ち身であちこち痛かった。

 果たして飢えで死ぬのが早いか、気が狂って死ぬのが早いが、それとも年を食って老衰で死ぬのが早いか。笑い飛ばしてみようにも、あまりにも笑えない未来だった。

 未来。

 思えばあの若者たちの未来に対しては酷いことをしてしまった。
 シヅキとミライと言っただろうか。
 自分の我を通すためにこんなことをして、自分の我に巻き込んでこんな目に遭わせてしまった。
 ミライが掲げたとてつもない盾があっても、ピオーチョはこうして生き埋めの目に遭ってしまっている。落盤を真正面から受けたあの二人はどうなっただろうか。《金糸雀の息吹》は渡しているから、良くて同じように生き埋めか。悪ければ落石の直撃を受けて、潰れて死んでしまっているかもしれなかった。

 自分が死ぬことに関してはとうに覚悟ができているつもりだった。
 若者たちを巻き込んだことに対する後悔だけがあるように思っていた。

 しかしいまこうして身動きも取れず、ただただ死を待つことしかできない身となってみると、何故だか不思議と途端に死ぬのが恐ろしくなってきた。
 いままで漠然と、ただ唐突に訪れて唐突に終わるのだろうと考えていた死というものは、ある朝突然に人生が終わるだろうという想像の形とは違って、恐ろしくゆっくりとこの身に迫っているようだった。
 或いはそれは土蜘蛛(ロンガクルルロ)の信奉する山の神ウヌオクルロとよく似た形をしていた。不定形の泥でできた巨人が、決して開かれぬ一つ目でじっとこちらを見据えながら、のっそりと、しかし着実に距離を縮めようとしているのだった。

 神を信じれば技は磨かれる。
 しかし、神を思えば狂気に晒される。

 いまの自分はどちらなのだろうか。ピオーチョはかちかちと奥歯のなる音を聞きながらそう思った。
 かちかち、かちかち、奥歯のなる音ばかりが聞こえる。かみ合わせは悪いわけじゃあなかったのに、不思議と止めようと思えば思うほどに、がちがちと、がちがちと、歯の根は合わなくなってくる。
 何にも聞こえない土の中で、心臓の音も、呼吸の音も、だんだんと聞こえなくなってきて、その代わりに、がちがちと、がちがちと、歯の根の合わぬ音ばかりが聞こえてくる。

 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち。
 がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち。

 助けてくれ!

 叫び声があふれだしたのは唐突だった。
 張り詰めた空気袋が破けるように、悲鳴は途端にあふれ出した。

 助けてくれ!
 ここから出しておくれ!
 死にたくない!
 あたしゃまだ死にたくないよ!
 いやだ!
 いやだ!
 まだ!
 まだ!

 何がしたいとか、やり残したことがとか、そんなことは思い浮かばなかった。
 ただただひたすらに、()()、死にたくなかった。
 もし来年死ぬのだとしても、来月死ぬのだとしても、来週死ぬのだとしても、明日死ぬのだとしても。
 ()()、この瞬間、ピオーチョは死にたくなかった。死が恐ろしかった。

 ぐしゃぐしゃとみっともなく泣き崩れながら、死にたくない死にたくないと叫ぶ老婆が、それが、老練の冒険屋ピオーチョの姿だった。

 そしてその願いは呆気なくも次の瞬間にかなえられた。

『その調子だったらまだまだ死にそうにないでありますな』

 声と共にごそりと頭上の岩が取り除けられ、覗き込んだのはつるんとした卵型、囀石(バビルシュトノ)の赤い目だった。

「あ……ああ……?」
『全く、崩落させた後は掘り返してくれだなんて囀石(バビルシュトノ)扱いが荒いでありますよ。計画がずさんであります』

 ミノと呼ばれるようになった囀石(バビルシュトノ)は、太く力仕事に向いた腕に取り替えて、せっせと石や岩をどけては、すっかり脱力したピオーチョの体を、風の流れる坑道にまで引きずり上げた。

『こんなに泣きはらして、いくつになってもピオーチョ殿は泣き虫でありますなあ』
「だ、誰が泣き虫だい!」
『説得力ないでありますよ。昔から、嬉しくても泣いて、悲しくても泣いて、怒っても泣いて、囀石(バビルシュトノ)には泣くという機能がないのでもうちょっと分かりやすい感情表現が好ましいのであります』
「昔からって、あんた、なにを」

 ピオーチョはそうして、土に汚れた囀石(バビルシュトノ)の、その赤い目を改めて覗き込んだ。握りこぶしほどもあるだろうその大きな紅玉は、綺麗に研磨されたレンズは、しかし、確かにかつての面影を残していた。

「そりゃあ、あたしがやった……」
囀石(バビルシュトノ)は鉱石を貰うと、無くさないように自分の体の一部にするのであります。そう言う習性があるのでありますよ』
「あ、あんた、あんときの囀石(バビルシュトノ)かい!?」
『ピオーチョという名前の土蜘蛛(ロンガクルルロ)に紅玉を貰ったのは確かにこの自分でありますな』
「な、なんで言わなかったんだい!?」
『それは習性についての話でありますか? 再会した時の話でありますか?』
「どっちもだよ!」

 囀石(バビルシュトノ)は肩をすくめるようにした。それはピオーチョの仕草とよく似ているように見えた。

『自分達、割と空気が読めないのでそう言う失敗多いのでありまして、ぎゃんぎゃん泣かれて出て行けと言われると仕方ないかなあと』
「女の出て行けは構ってほしいってぇのに決まってるだろ!」
『そんな滅茶苦茶な。それで再会の時でありますけれど、なにしろもう何十年もたって個体の変化が激しいので、ちょっと区別がつきかねたと申しますか』
「なんだい、老けたってかい」
『ありていに言えば』
「女が老けたかって言ったら変わりませんよっていうのが甲斐性だろうが!」
『ええー滅茶苦茶でありますよ』

 すっかり打ち付けられて身動きも取れないピオーチョを、ミノは器用に卵形の体に載せて歩き始めた。それはうまく人が載るようにできていた。

『でも、そうでありますね。泣き虫で、声が大きくて、寂しがり屋で。そう言うところは変わっていないでありますよ』
「そういうのは……馬鹿だねえ、全く」

 坑道に、光が差し込んでいた。





用語解説

・ないんだなこれが。
前回のあらすじ
無事救出されたピオーチョ。
主人公組? 多分無事だろ。





 崩落から掘り返されてしばらくの間、屋根のあるところが落ち着かなくなってしまったという後遺症はあったものの、紙月と未来は無事救出され、自然の猛威というものを前に自分たちができることなどたかが知れていると反省を新たにしたのだった。

「崩落を支えるまではできても、支え続けるには《SP(スキルポイント)》が足りなかったな」
「もうちょっと判断が遅かったらまずかったね」
「おう。あんときは助かった」

 崩落を支えた《タワー・シールド・オブ・エント》は一同の命を救ったものの、囀石(バビルシュトノ)たちの救助が来るまでの間を支え続けることはできず、このままでは落盤の直撃を受けるというその直前になって、未来が思いついたのである。

「紙月、一瞬だけ装備解くから僕に抱き着いて!」
「へえ!? あっ、ちょ、まっ」
「よし、もう一回!」

 《技能(スキル)》が解除される直前、未来は一瞬だけ装備の鎧を解除し、小学生の体をさらした。そして紙月がそれに抱き着くや否や、再度装備を着直したのである。
 何かが密着した状態で試したことはなかったのであるが、試してみればやはり予想通り、鎧は紙月の体ももろともに未来に纏われ、無事簡易シェルターの役割を果たしてくれたのだった。

 救助されるまでの間、非常に窮屈な状況で我慢する羽目になったとはいえ、何しろ紙月一人であれば崩落に間違いなく簡単に押しつぶされていただろうから感謝の言葉しかなく、未来の方も何やら自然の猛威に思うところでもあったのか、救助されたときには子供ながらにいくらか男らしい顔立ちになっていた。

 未来たちの陰になるように護っていたピオーチョはやや心配ではあったが、年の割にはやはり頑丈で、打ち身はしたものの数日しない内に自力で歩けるようになっていたというのだから大したものである。

 囀石(バビルシュトノ)のミノなどは崩落の中を早々に掘りぬいて離脱し、揺れが収まったのちは早速三十二体がかりで救出作業に精を出してくれるという如才なさである。

 これで無事依頼は完遂、と言いたいところであったが、問題はあった。

 というのも、目的の鉱石も、石食い(シュトノマンジャント)の素材も、もろともに崩落の下敷きになってしまったせいで、回収に時間がかかっているのだった。

「まあ、崩しちまったらそりゃあそうなるわなあ」

 一応ピオーチョとミノたちが掘り返して、ある程度まとまったら帝都に送りつけてくれる手はずになっているのだが、何しろ大掛かりな崩落であったから、土掘りに慣れた土蜘蛛(ロンガクルルロ)と言えど、またそれ以上に手慣れた囀石(バビルシュトノ)たちと言えど、一朝一夕で片付く仕事ではないようだった。

 囀石(バビルシュトノ)たちからすれば、石食い(シュトノマンジャント)たちを退治してくれた上、その後廃鉱山を好きにしていいという許可も町から得られたので万々歳であるようだったが、ピオーチョにしてみれば街のお歴々からも怒られるし、事務所の所長からも叱られるし、虎の子の発破も使い切ったし、その上しばらくは坑道掘りで忙しく、赤字もいい所であるらしい。
 それでも仕事は仕事であるから、帝都から報酬が届いたあかつきにはきちんと折半してくれるとのことらしいが。

「しかしまあ、仕方がないとか面倒くさいとか散々に手紙には書いてきてるけど」
「いい笑顔だよねえ」

 紙月たちが後を任せて去っていった、その後の事情を手紙にしたためて送ってくれたのだが、これに同封されていた、囀石(バビルシュトノ)の特産であるという光画――つまり写真には、実に清々しい笑顔を浮かべてミノと肩を組むピオーチョの姿があったのだった。

「まあ、何十年来って友達ってことになるんだもんね」
「間は空いちまったけど、その分話すことは多そうだよな」
「ぼくらもそう言う長い付き合いになるかな?」
「お前が俺を捨てない限りは大丈夫じゃないかな」
「ぼくも、紙月が僕のこと育児放棄しなければ大丈夫だよ」

 けらけらと笑って、二人は、それから同時にテーブルに突っ伏した。
 がさがさと荒い紙質の新聞を、未来はくしゃくしゃと畳んだ。

「で、今度は何だって?」
「地竜殺しの次は、山殺しだって」
「ぐへえ」

 地竜殺しという二つ名があまりにも高名すぎて仕事が入らなかったところに、今度はどう話が伝わったのか、魔法で山を砕いた山殺しなどというとんでもない二つ名がついたものである。
 山を砕いたのは発破であるし、砕いたといっても一部分だけであるし、そもそも二人の仕事ではないのだが、はやし立てる方は面白ければそれでいいらしく、気にした風もない。

 これがミノの町だけの下らないうわさ話であるならばよかったのだが、どこの世でも人の口に戸は立たないというか、むしろ人の口空を飛ぶというか、こうして新聞の形になってスプロの町にまで届いてしまっているのである。

 おかげで真っ先に新聞を読むことになったおかみのアドゾは大いに笑って、それから真顔で、あんたたち自分が何をしたかわかってるかい、とまた例のお説教であった。

 二人の平和な冒険屋稼業は、遠そうだった。





用語解説

・光画
 囀石(バビルシュトノ)たちの特産。いわゆる写真。帝都大学など、一部の学者が技術提供を受けて再現もしているようだが、囀石(バビルシュトノ)ほどきれいな写真はまだ難しいようである。
 なお、記録物としては評価を受けているようだが、美術品としての評価はまだこの世界にはないようである。

・新聞
 この世界では、印刷技術こそ未発達なものの、魔法による転写技術は発達しているようで、それなりに多くの刊行物が見られる。
 新聞もその一つで、大きめの町には一社か二社新聞社があるものだし、中には近隣の町まで配達している新聞社もあるようだ。
 帝都新聞などはいくらか遅れるものの、帝国各地へと配達されて読まれているほどだとか。

前回のあらすじ
無事山殺しの異名を頂いてしまいますます仕事が入らなくなった二人だった。




 どこかの山が爆破されて見晴しがよくなったらしい、などという無責任な噂が流れはしたけれど、ミノ鉱山はその後も特に盛り上がることもなく、廃鉱山は廃鉱山らしく、落ち着いたものであるらしい。
 発破で崩落させた坑道の整備も順調のようで、とりあえず十分だと思われる量の鉱石と石食い(シュトノマンジャント)の素材を帝都に送りつけたそうだ。なにしろ重いし量もあるし、実際に帝都に届いて、検分を済ませて、支払いがなされて、紙月たちの手元に届くまでは、まだまだかかりそうだった。

「というか、支払いってどうするんだ? 銀貨とか袋に詰めて送ってくるのって危険じゃないか?」
「まあ、あんまり多額だと保険かけてることが多いですけど、冒険屋の支払いは手形が多いですな」

 紙月の疑問に答えたのはムスコロであった。
 最初はむさくるしいばかりで汚らしかったこの男も、あまりに不潔だからと紙月が《浄化(ピュリファイ)》をかけて以来、身だしなみに気を遣うようにはなったようだ。ワイルドななりこそ変わりはしなかったが、少なくとも風呂には入るようで、臭かったり汚かったりということは、ない。鬱陶しくはあるが。

「保険あるんだな。それに、手形?」
「へえ。俺も詳しくはないんですが、そいつを銀行とか、組合とか、書いてある場所に持っていくと現金と換えてもらえるんでさ」
「引き換え期限はあるのか?」
「物によりやす。期限のないものは持ち運びに便利なんで、不精もんは現金化せずに、そのまんま金の代わりに使うこともありやす」

 成程、ムスコロの説明を聞く限り為替手形のようなものであるらしい。
 それに話の中に出てきたように、保険屋や銀行といった組織も存在するようである。

「ムスコロ、お前は銀行とか使ってるのか?」
「いんや。冒険屋で銀行を使うやつは少ないですな。というのも、事務所や、その上の組合が口座を作って金の管理もしてくれるんでさ。別の組合の縄張りまで遠出した時も、ちょいと手間賃は取られやすが、しっかり引き下ろせやす」

 となると、帝国内であればどこでも組合を通して金が引き落とせるわけである。勿論、証明などに手間取ってすぐにというわけにはいかないだろうが。

「そうなると銀行と競合するんじゃないか?」
「既得権益ってやつですかね。そこは縄張りがきちんと引いてあって、組合の口座が使えるのは冒険屋だけなんでさ。で、組合が融資できるのも、冒険屋関連の事業だけって寸法でやす」
「成程。冒険屋ってのは手広いけど、線引きはきちんとしてるんだな」

 実際のところそれがきちんと作用しているのか、諍いが起きていないかなどと言ったことは、紙月たちには判断のつくことではないが。

「それで、保険はどうなんだ?」
「保険がねえ、保険がまた、面倒臭いんでさ」

 面倒臭いことを語れるというのは、この筋肉ダルマが見た目とは違ってなかなかのインテリだという証拠である。

「保険てなあ、もとは船乗りたちのもんなんでさ」
「海上保険ってやつだな」
「そいつです。海路はどうしても危険が多いもんですから、自然に保険てえ仕組みが出来上がったんですな。最初の保険が海路を主に扱ってる商業組合のもんでした」

 その仕組みに興味を示した商人たちが、他の商売でも同じような保険制度を始めて、巷には山のように保険業が溢れかえった。そのあまりの煩雑さに帝国政府がお触れを出して、いまの保険業組合を制定したのだそうである。

 その結果、帝国内であればどこであれ、保険というものは一律決まった額が定められ、保険内容も一字一句同じという決まりになったそうである。実際にはある程度その土地柄や情勢に応じて調整しているようであったが、それでもこれはわかりやすくて、よい。

 では何が面倒くさいかと言うと、冒険屋がこれに絡んだ場合であるという。

「例えば馬車が盗賊に襲われた。荷の二割が奪われた。保険に入ってりゃ、補填が利きやす。人死にや怪我人が出りゃそう言う保険もある」

 これは道理である。

「ところが冒険屋がこの馬車に乗っていて、親切で戦った結果、御者が死んだが荷物は守られた、という場合」
「フムン」
「不要な危険を招いた冒険屋が悪いとして、死んだ御者が入っていた死亡保険は支払われなかったんでさ」
「ええ?」

 なんでもこの世界、盗賊というものは出るものだし、出れば出たで盗賊も道理で動くのだという。荷を全て奪って乗員もすべて殺してということを繰り返しては、やがて人通りはなくなるし、討伐に騎士団も乗り出す。
 なので盗賊もわかっていて、普通は荷は全体の二割までを限度とするし、乗員も犯しはしても殺しはしないのが良いとされる。勿論反抗された場合、殺すことは大いにあり得る。だが無差別に殺したりは、普通、しない。なので商人たちも被害は覚悟したうえで、往来するし、保険屋も、しかたがないことだとして金を出す。

 ところが冒険屋が絡んで、戦ったとなると、これは仕方がなかったでは済まない。積極的に危険に手を出したのだから、これは自分で家に火をつけて火災保険を出してくれというようなもので道理に合わないとして、保険屋は金を出さないのである。

「うーん。なるほど、そういう理屈か」
「こいつが一度裁判沙汰になって、保険屋が勝っちまってからは、なおさらで」

 これは相手が盗賊ではなく魔獣だった場合も同じである。魔獣は何しろ人間の都合など知ったことがない正しく天災であるから、これは保険が利く。利くが、では今度も冒険屋が絡んだ場合はどうなるか。やはり盗賊の時と同じである。

 では、冒険屋自身が保険に入った上で、同じ被害に遭った場合はどうなるだろうか。
 実は冒険屋保険として、危険を織り込み済みの保険がある。

「おお、じゃあ冒険屋にも支払われるんだな」
「ところが」

 冒険屋が魔獣に襲われ、無事魔獣を撃退できれば、勿論保険料は支払われない。
 冒険屋が魔獣を倒せず倒れてしまったとすれば、まあ、一般人より低い配当にはなるが、保険金は支払われる。
 問題は、倒せたが被害が出た場合、である。

「どういうことだ?」
「仮に、豚鬼(オルコ)と戦って、腕を怪我したとしやす」

 冒険屋は医者に行き、治療してもらい、その請求書を保険屋に提示する。これに対して保険金がすぐに支払われるということはなく、何と、実際にそのような被害を負う様な状況だったのかという調査が始まるのである。
 保険屋には引退した冒険屋や、専門の術師などが多く雇われており、傷の様子や、現場の状況から、本当に怪我を負う様な大事だったのかということを調査して、その上でようやく保険金が支払われるか否かということが話し合われるのだそうだ。

「そりゃまた面倒だなあ」
「大仕事を前に保険に入る連中もいやすがね、保険屋も冒険屋の仕事が危険だってわかってるから、随分出し渋るんでさ」
「そりゃ、ほとんど怪我するのわかってるようなもんだからなあ」
「コト大きな依頼となりゃあ、保険屋も鼻を利かせて、子飼いの冒険屋を送り込んでくるんでさ」
「保険屋が冒険屋を? なんでさ」
「間近で検分して調査するってのと、もう一つ」
「もう一つ?」
「保険金を支払わなくていいように、他の冒険屋を守る護衛役なんでさ」
「そりゃあまた、本末転倒というか、何というか」
「保険金払うより、護衛ひとりつけた方が安上りってえこともよくあるみたいなんでさあ」

 不思議な話ではある。
 しかし、この世界では凄腕の冒険屋が一般冒険屋何人分もの働きをするということも珍しくはないようで、そう考えるとどこかで報酬と損失とがひっくり返るのかもしれなかった。

「じゃあまあ、冒険屋が保険に入るのってちょいと面倒なんだな」
「自分がかかわらない、それこそ荷物の輸送とかのときに入るくらいですかね」

 なんにせよ、全ての金銭も荷物もインベントリに突っ込んでそれでおしまいの二人にとっては、あまり関係のない話である。

「お、なんだ経済のお勉強か?」

 世の中ままならないものだととどこかアンニュイな空気の中、いつもの調子でやってきたのは、やはり、ハキロだった。





用語解説

・ないときは平和ってことですな。