こんなこと、しちゃいけない。
そうは分かっているけど、体は止まらなかった。マナーよりも、知りたいという欲望の方が勝ってしまった。
私は今、莉央の後をつけている。いわゆる尾行ってやつ。
今日、一緒に帰ろうって誘ったら、用事があるからって断られた。誰だって、たまには一緒に帰れない日があるくらいは知っているし、否定する気はない。
ただ、私が気になるのはその言い訳だ。
委員会にも、部活動にもさほど熱心じゃない莉央は、その類で呼ばれることはまずないと思う。
その上、彼女は何かに秀でているかって言われると、正直そうではない。だから、褒められたり賞を取ったりするということも考えられない。
なのに、だ。莉央は私にこう言った。
『先生が、職員室に来いってさ』
うちで職員室に来いと言われるのは、基本的にすごく褒められる時だけ。遅刻とか点数が悪すぎるとかだと、生徒相談室っていう部屋に呼ばれる。
つまり、莉央は何かすごいことを成し遂げたということになる。だけど今までからここ最近で、莉央がそういうことをしたのを私は聞いていない。
だから違和感を覚えて、廊下を歩く莉央の後ろをついて行っているわけだ。
彼女は普段と変わり映えしない歩き方で進んでいく。私は物陰に身を隠しながら、彼女を追っていく。莉央は階段を登って廊下の角を曲がって、とある場所の前で足を止めた。
ほら、やっぱり。彼女の止まった先にあるのは、職員室じゃなかった。全くといっていいほど繋がりも関連もない場所。
屋上へ繋がる扉の前だった。
こんなところに来て、莉央は一体どうするんだろう?
私の疑問は深まるばかり。
莉央は周囲を見回して、誰かに見られていないかを確認しているようだった。そして、視界に人が映らないことを確かめると扉を開けた。
どうやら、誰かに見つかったりはしたくないらしい。……私は見ていたけどね。
莉央の姿は薄暗い扉の向こうに消える。私は閉まりかけていた扉の隙間に手を入れて静かに開き、尾行を続けた。
暗黒の薄い膜が掛かっていた狭い通路から一転、青空が広がるアスファルトの上に出る。一瞬、輝く太陽の光に目が眩んだ。
姿が日光に晒されない程度の場所から、心地よい晴天の下を歩く莉央を覗く。彼女の行く先に、人影があった。男子だった。
屋上に張り巡らされたフェンスに寄りかかるその背中は、街を一望している。
「先輩」
莉央がその人に声をかけた。
先輩?私は首を傾げる。
その人がゆっくりと振り向いたのと、私の瞳が見開かれたのは多分同じタイミングだったと思う。
「やぁ、来てくれてありがとう」
そう莉央に言ったのは、紛れもない西谷先輩だった。
何であの人がここにいるの?ていうか、来てくれてありがとうってどういうこと?まさか、先輩が莉央を呼んだとか?
理解が追いつかない私のことなんていざ知らず、先輩と莉央は話し始める。私は驚きの真実を知ることになる。
「どうしてこんなところに呼び出したんですか?いつも通り通学路途中とかでいいじゃないですか」
「いや、今日は普段とは違うからさ。その区切り?みたいなものを付けたくて、ここにした」
えっ、待って。いつも通り?通学路?さっぱり分からない。それに、その話し方じゃまるで……。
ううん、そんなことはないはず。莉央に限って、そんなことは。私は頭を振って疑いの考えを払った。
「区切り?何のための?私たちは幼馴染ですけど、そこに区切りでもつけるんですか?」
「ああ、そうだよ」
西谷先輩は笑って、莉央に近づいた。手を伸ばせば指が触れる、そのぐらいまでの距離で足を止める。
心臓がうるさい。冷や汗がじわりと浮き出てくる。なぜだか、この光景を見ていると気分が悪くなってきた。
「なぁ、莉央。俺さ、お前といる時間がすごく落ち着く。自分でいられる気がする」
「今更、何言っているんですか?」
「わからない?」
先輩は莉央に、少し寂しそうな表情を見せた。こんな表情、私は見たことない。もしかしたら、莉央にだけ見せるのかも。そう考えると、胸に針が刺さったような痛みが走った。
「俺、莉央とずっといたい。お前と一緒にいたいんだ。お前だけが欲しい」
「えっ、それって……?」
西谷先輩が手を伸ばす。細くてしなやかな指が、莉央の頬をそっと撫でた。莉央の白い肌がほんのりとした紅に染まる。
「俺と、付き合って欲しい」
ズキン。今までのなんかと比べ物にならないほどの痛みが、胸の奥深くを走った。痛い、心臓が、心が痛い。
先輩が放った言葉が耳に入った瞬間、鼓膜を伝って脳に届く信号が痛みとなって全身を駆け巡る。
「付き、合う……?本気で言っているんですか……?」
「ああ、本気だ」
「でも、私には親友が……」
莉央は先輩から目を逸らした。ああ、こんな時でも彼女は私のことを考えてくれているんだ。そのことに優しさを感じ、そして不覚ながらも喜んだ。
莉央が、断ってくれれば。私を優先してくれれば。そんな、自分勝手な想いが脳内を占める。でも、悪い考えほど現実にはならない。
「親友、とかじゃない。俺は莉央の気持ちが知りたいんだ。莉央が、どう思っているかを」
「私の、想い……」
先輩の真っ直ぐな瞳が莉央を見つめる。真剣な視線に、彼女は顔を上げた。そして、思い詰めた表情で先輩を数秒間眺めてから、不意に表情が柔らかくなる。
それは、吹っ切れたような顔。しがらみから解放されて、自身に素直になったような顔だった。
もうだめだ、と理由もなく思った。心がミシリと軋む。
「私なんかで良ければ、よろしくお願いします」
そう言い切った莉央は、心の底から嬉しそうな笑顔だった。目に薄らと涙を浮かべ、隠そうとしても隠しきれていない喜びが唇の震えから分かる。
「ありがとう。これから、ずっと愛するから」
「はい」
先輩は莉央を自分の胸に寄せて、抱いた。長い腕が彼女の体をぎゅっと抱きしめる。
「!!!」
「ん、何だ?」
激しい物音が聞こえて、先輩が顔を上げた。騒音は莉央にも聞こえたらしく、辺りをキョロキョロと見回す。だけど、何もない。
「誰かいたのかな……?」
「いや、誰もいないし、何もないから大丈夫だろ」
多分、2人が聞いたのは私が扉を開けた音。思いっきり扉を開けたりなんかしたから。思いっきり走ったりしたからだと思う。
だけど、しょうがないじゃん。こんなの、こんなの耐えられっこない。
燃えるように熱い目頭。ボロボロと床に落ちていく涙。何度拭ってもすぐに視界が水の中にいるみたいに滲んでくる。
熱い熱い、苦しい苦しい……。
無茶苦茶に足を回して、痛くなるくらい目を擦り続ける。
もう、何が何だか分からない。多分私は、見てはいけないものを見てしまったんだ。
心が重い。締め付けられるように苦しい。上手く呼吸ができない。
何で、何で何で何でなの……っ!
いつも私に優しく接してくれた莉央の笑顔と、さきほど目にしてしまった戸惑いと喜びを模した笑顔。その二つが重なり合っては、ぼやけて、返そうかと思えばまた浮かび上がる。
莉央は騙していたの?
ずっと私に嘘をついていたの?
隠していたの?
分からない……もう何も、分からない。
先輩と莉央は最初から繋がっていたってこと?
そして先輩は、莉央が好きだった?
あれは、告白だったの?
何も理解できない。何も信じられない。
私は……私は……っ!