「華菜、起きなー!」

 お母さんの大声で、私はゆっくりと目を覚ました。
 
 ああ、この天国のような心地よさから出たくないな……。

 だけど、今から起きて準備しなきゃ学校に間に合わないことも知っている。
 ゆるゆるとベッドから這い出て、着替えを始めた。

 何気なく壁にかかったカレンダーを見て、今日から7月が始まることを知る。

 春先はブカブカで慣れなかった中学校の制服も、今となってはすっかり体に馴染んでいた。

 中学生に上がった春、私は意を決して入学式に参加した。クラスの子とも頑張ってかかわるようにし、何よりコミュニケーションに気をつけた。

 その結果、今は、学校が楽しい。

 鏡の中の自分ににっこりと微笑んで、私は今日も、気合を入れる。

「よしっ!」

 身なりを整えて朝食を食べ、一度自室に戻って荷物を取り、再び下に降りる。

「前髪……ちゃんと整ってるね。ポニーテールも……跳ねてないっ!」

 そして、鏡の前で最後の確認をしてから家を出た。

「行ってきまーす」

 日差しが眩しい街は、すっかり夏の陽気で満たされていた。熱気を帯びた風は肌に汗を滲ませる。電柱にとまった蝉が大合唱を奏でる。

 夏によく見る光景の中を、私は笑顔で通り過ぎた。学校に着くと、そこは真っ白いシャツを見に纏った生徒でいっぱいになっている。

 私はキョロキョロと視線を彷徨わせて、ある人を探した。集団で登校した人、一人でてくてくと歩いている人、自転車を押している人……。

「おっはよー、華菜っ!」

「うわぁっ!」

 背後から突然大声が飛んできたかと思えば、バシンと背中に衝撃が走る。
 ヒリヒリと痛む皮膚をさすりながら振り向くと、笑顔で手を振る莉央(りお)がいた。

「もぉー、びっくりするからそれは辞めてって言ったじゃん」

「ごめんごめん。つい癖でさー」

 笑顔で謝罪する莉央には、罪悪感とか申し訳なさとか、そういう類の感情は見えない。
 棒読みかよ……。

「でも!代わりにいいこと教えてあげる。ほら、あそこ見て!」

 いいこととか言って誤魔化す気か……って思ったけど、ついつい莉央の指さす方を見てしまう。
 そして、私は瞳を大きく開いた。

「あっ、西谷先輩!」

「ねっ、いいことでしょ〜?」

 莉央の言葉に、私は素直に首を振った。
 誤魔化すとか言ってごめん。今のも全部許す。

 探し続けていた人の姿が、ようやく見つかった。中学校に入学する前から会っていて、好きで、でも近づかない人。
 二つ年上の先輩、西谷光輝先輩。

 あの夏祭りの時、先輩は番長とか言われていたから周りからは恐れられているイメージを持っていたけど、実際には全然違かった。

 頭は良いし、困っている人がいたらさりげなく助けているし、部活は熱心で活躍しているし。

 今日だって、ほら。一人で歩いているところに、同級生らしき男子が話しかけに行った。先輩はその人の存在に気づいて笑顔になり、何か話し始める。二人は笑い合いながら校舎の中に入っていった。

「はぁ……今日もかっこいい」

「全く、華菜って本当に好きだよね、先輩のこと」

「いやだってカッコいいじゃん。うちの学校で一番だよ、多分」

 莉央は肩をすくめるが、私の心は先輩でいっぱいだ。

 いやだってカッコ良すぎない?
 今のだって何?
 キリッとした真面目な表情から友達が来た途端に崩す笑顔が素敵すぎる!

「はぁ……華菜には何を言っても意味ないか」
 
 莉央は苦笑いで息を吐いた。
 
「ねぇ、あとさ、莉央」

「ん、今度は何の質問?」

「なんで今日、学校来るの遅いの?」

 莉央の顔が一瞬だけ強張った。
 莉央は普段なら私よりも早く教室にいる。だから、さっきのおどかしも教室内で、が当たり前だったのだ。

 不意に真剣な表情で尋ねられた莉央は、「あー……」と私から視線を逸らす。まるで、何かを隠そうとしているみたいに。

「えっと、寝坊したんだよね、うん」

「……そっか」

 親友の違和感を覚えつつも、私は再び前を向いて笑顔を作った。