「お兄さまがくれたのって、元々は女性へ贈るつもりだった物だったじゃない。調子が良いんだから! ……でもそう言うなら、くれた口紅をつけていくことにするわ」
瑠花はじゃれつくように淳一の腕を掴むと、そのまま自分の部屋へと向かって廊下を歩き出す。
美織は顔を伏せたまま、ふたりの足音がこのまま遠ざかっていくのを待っていたが、途中でぴたりと止まったことで、嫌な予感を覚えつつ恐々と顔をあげる。
目があった瞬間、瑠花は軽く口角をあげて美織に意地悪く笑いかけ、口を開く。
「今日はあんたに、私のお付きとして来てもらうことにするわ。さっさと準備しなさい」
それは、共に天川家へ行かなくてはいけないということで、天川尚人も苦手な美織にとって、気乗りしない要求だった。それでも、自分に拒否権がないことは分かっているため、美織は瑠花に向かって小さく頷き返すしかなかった。
天川家は、浅羽家から歩いて十分のところにある。
広い敷地を取り囲む塀に沿って進んでいくと立派な門が見えてきて、綺麗な朱色の紅をさし、新しく新調したばかりの訪問着を身に纏った瑠璃が、斜め後ろにいる美織へと顎で指示を送る。
鮮やかな花柄が入った黄色地の着物を着た艶やかな瑠花と違って、薄い小豆色の単色という質素な着物姿の美織は、付き人がそうするように、天川家の門を叩いた。
繰り返し叩いていると、やがて脇戸が開き、天川家の使用人らしき年配の男性が、美織に向かって「何用だ」と尋ねた。
声が出ない美織は、後ろを振り返って、使用人に向かって瑠花の存在を伝える。瑠花は男と目が合うと、にっこりと華のある笑みを浮かべた。
「尚人さんに会いに婚約者が来たとお伝えください」
それを聞いて、男は慌てて門を開ける。瑠花は「ありがとう」と上からの物言いで感謝を述べると、邪魔だとばかりに美織を手で押しやってから、先に門扉をくぐり抜けた。
美織は気づかれないようにため息をついてから、気が進まない中、瑠花を追いかけるように歩き出す。
多少なりとも霊力を持つ美織は、天川家の敷地内へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのを感じ取り、わずかに背筋を振るわせる。
悪寒は、悪しきあやかしが簡単に入り込めぬように施された結界によるものであり、あやかし達から敵と見做されている陰陽道を司る一族は、みんな同様に屋敷を取り囲むように霊力を駆使して結界を張っているのだ。
しばらく結界の中に身を置くと、次第に慣れてきて気にならなくなってくるが、天川家の霊力とは相性が悪いのか、結界の外に出た後もしばらく尾を引き、体調を崩すこともあるため、美織は苦手なのである。