音もなくすすっと姿を現し、魁に向かって深くお辞儀をした老婆は、魁の傍らにいる美織に目を止めた。


「彼女に、朱果を食べさせてやろうと思ってな」


「さようですか」と呟いた老婆の顔はまるで人形のようで、喜怒哀楽が全く読み取れない。

すると上空から「魁様」と、羽ばたく音と共に山伏姿の天狗が舞い降りてきて、「賽の河原でまた……」と前置きしてから、声を顰めて何やら耳打ちする。

魁は「あいつらはいつも揉め事を起こす」とぼやいてから、美織の方へ顔を向けた。


「美織、朱果を好きなだけもぎとっておいで」


先ほどから出ている朱果というものがわからず、キョトンとした美織へと老婆が話しかけた。


「食べ頃のものを教えるから、私についておいで。ここは広いから迷子にならないでおくれよ。戻って来られなくなったら大変だからね」


淡々とした口調で注意してから、老婆は小さく水の音を立てながら滑るように進み始めた。よく見れば老婆に足はなく、その代わりに蛇の尾が水中で揺らめいている。

さまざまなあやかしを目にしてきたから、美織はそれに特段驚くこともなく、老婆の後を追いかけた。


「鬼灯のような形をしている赤い実が朱果と呼ばれる果実だよ。常世には、現世でも見かける食べ物がたくさんあるが、朱果は常世にしかないものだ」


林の中を少し進んだところで、老婆が動き止めて、上を見上げる。木はとても背が高く、青々した小さな葉をつけた枝がいくつも伸びている。よく目を凝らすと、上の方の枝にとても小さい赤い実が成っていた。

もちろん手は届かない。そこまで木登りすることも難しそうだと美織が感じていると、ぽつりと老婆が問いかけてきた。


「人間の娘さん。常世に来てどれくらい経つのかい?」

「三ヶ月です」

「そうかい。そろそろ判断を仰ぐのにいい頃合いだね」


なんの判断かと首を傾げた美織に小さく笑って、老婆は説明する。


「現世に戻るか、それとも、あやかしとなって常世で暮らすかの判断だよ」

「私も、あやかしになれるのですか?」

「なれるよ。こう見えて、私も元人間だ」


実は、このままここで暮らせたら良いのにと、美織はここ最近、頻繁に思い始めるようになっていた。

同時に、それは人である自分にも許されることなのだろうかと疑問を抱くようになっていたため、一気に胸が高鳴る。


「常世で暮らしていれば、自然と霊力が備わり、また高まってもいく。それに順応するように、体も人からあやかしのそれに少しずつ近づいていく。完全に変わるには、年月して三年ほどかかるが」


三年を長いとも感じるが、それだけ待てば常世の一員となれる……何より、魁のそばにいられると考えると、心が希望で満ち溢れていく。