きっともう大丈夫と、美織は自分自身に言い聞かせ、それと共に、私は皆と喋りたいと、強く、強く、願う。
美織は繰り返し深呼吸し、絞り出すように声を出そうとした。
「……け……け、い……けい、さま……」
掠れていた声に、徐々に力が戻ってくる。少しばかり咳き込んでから、もう一度大きく息を吸い込み、美織はか細くも可愛らしい声で、大切な名前を口にした。
「魁様、ありがとうございます。……み、みなさんも、ありがとうございます」
言い切ってからにっこり笑った美織を、魁は抱きしめて、額に口付ける。それを目の当たりにした女中たちは、「あらまあ」とうっとりした顔で呟いた。
贄どころか、魁からまるで恋人のように大切に扱われる日々を過ごし、三カ月が経った。
「美織様」とお歯黒に呼びかけられ振り返った美織は、数秒間、面食らった後、ふふっと小さく笑う。
目の代わりに、“の“の文字がふたつ顔に書かれてあったからだ。
「ほら! これなら美織様もいちいち驚かされずに済むだろう?」
狐顔の女の手には筆が握りしめられていて、得意げに笑っている。
「本当なら、驚いてしまう私の方が気を遣わないといけないのに。……しっかり落ちますよね?」
美織は申し訳なく思いながら問いかけるが、狐顔の女に「べっぴんさんだわ」と感心した風に言われて、揶揄われていると気づいていないお歯黒はとっても嬉しそうだ。
賑やかにしていると、戸口から魁に「美織」と声がかけられる。美織は「はい」と返事をして、魁の元に走り寄っていった。
今日は朱果の林という場所に出掛ける予定となっている。屋敷の玄関を出ると、そこに牛車が準備されていて、美織は魁と共に屋形に乗り込んだ。
外からの見た目よりも広い内部に驚きつつも、街の外の様子を眺められるように、美織は物見の側に陣取った。
そんな美織の隣りに腰を下ろした魁は、少ししか歩いていないというのに息切れし、顔色も優れない彼女をじっと見つめる。
街並みは現世のものと何も変わらない、ただし街を闊歩しているのは人の形をしていても一つ目だったり、女性の首が突然伸びたり、もしくは顔のみ猫や狐だったりと、ここはやはり、あやかしの世界なのだと美織は改めて実感する。
やがて景色は、緑が多く、のどかなものへと変わっていった。水田の傍らを真っ直ぐ進んだあと、林の中で牛車がぴたりと止まる。
美織は魁の手を借りつつ、屋形から、くるぶしまで浸かるほどの水の中へと恐る恐る降り立ち、手を引かれながら歩き出す。進むたびにぴしゃりぴしゃりと水音はすれど、濡れるような感覚はないため、美織は不思議な気持ちで足元を見つめる。
「魁様、お久しぶりでございます」