現世と常世が隣り合わせで、時には交わりながら存在する世界。
人間が暮らす現世には、あやかしたちが人の肉を食らおうと、曖昧な境界線を越えて常世からやってくる。
凶悪なあやかしたちを払えるのは、陰陽師と呼ばれる退魔の力を持つ者達だけ。そのため、陰陽師達は国の権力者を動かせるほどの力を持っていた。
陰陽道を司るその者達には、一族の力を保つために霊力のある娘を花嫁に迎える決まりがあり、わずかながらでも霊力を持って生まれた娘達にとっては、その者達に選ばれることが自分の、何より家の名誉となっていた。
数ある一族の中でも、とりわけ能力が高いとされているのは天川家。その当主の息子、尚人は異能を有する年頃の娘達の憧れの存在となってはいるが、すでにその花嫁の座は、浅羽家の娘が手にしていた。
権力者の屋敷がずらりと軒を連ねている街の中心地の一角に、浅羽家の屋敷はあった。
綺麗に整えられた広い庭に面した廊下では、天川尚人の婚約者の座を勝ち取った娘、浅羽瑠花が、背中を隠すほどに伸びた栗色の髪を怒りで揺らしながら、自分の足元で土下座をしているひとつ年上の華奢な娘を睨みつけている。
「もう、信じられない! この子ったら、本当に役に立たないんだから!」
遠巻きに見ている女中達の視線を気にすることなく、瑠花は足元にいる娘を大声で怒鳴りつけた。
華奢な娘、美織が怯えたように顔を上げると、瑠花と目が合い、その瞬間、頬に強い痛みが走った。反動で横に倒れてから、瑠花に頬を叩かれたのだと、ようやく美織は理解する。
「違うのです」と訴えかけようとしても、いつも通り声を発することすら叶わず、口を開け閉めするだけで終わる。そんな美織の様子が気に障ったようで、瑠花は再度、美織の頬を叩く。
ヒリヒリとした痛みで涙が込み上げてくるが、反発しようとは全く思わない。美織の中にある感情は、我慢と諦めのみだった。
女中達が見て見ぬふりをする中、廊下を歩いて近づいてきた瑠花の兄の淳一が、やれやれといった様子で声をかけた。
「瑠花、まだ家に居たのか。尚人さんと会えるって、今日は朝から張り切っていたくせに」
「それがね、聞いてよお兄ちゃん! 昨日、口紅を買いに行かせたんだけど、この子ったら、色を間違えて買ってきたの。信じられない!」