「ひっ……!」

 こ、皇帝様がいる!
 緊張というよりも、恐怖で身がすくむようだった。
 ヒュージニア帝国皇帝、ディアボロ様。

――大変、大変、大変よ!

 毎日のように極悪非道の所業をしているというウワサだった。
 敵と戦うときは必ず根絶やしにする……、毎日のシャワーはモンスターの血……、その目で睨まれたら地獄に落とされる……などなど、挙げだせばキリがない。
 もちろん、ただのウワサだ。
 そんな証拠はどこにもない。
 だけど、私みたいな下級の者には、きちんとした情報が入ってこないのもまた事実だった。
 
「どうして上手くいかないのだ。やはり無理か……? いや、やり方を変えれば何とかなるかもしれない」

 皇帝様の前には大きな黒い鍋が置かれている。
 グツグツと何かを煮ているようだった。
 ……なんとなく人間の骨みたいな物が見えるんですけど。
 も、もしかして、人間の死体を食べるつもりなんじゃ……。
 そんなことを考えていたら余計怖くなってきてしまった。

「落ち着きなさい、キュリティ。まだ気づかれていないわ。元来た道を戻りましょう。静かに……静かに……」

 精神を整えるため小声で呟く。
 目立たないように帰ろう……。
 コソコソ隠れながら歩き出したときだった。

「もう少し強く魔力を込めてみるか…………ぐわっ!」

 ドンッ! と大きな音がして、鍋から白い光が飛び出した。
 と、思ったら、こっちに向かって勢い良く飛んでくる。
 避ける間もなく、私のお腹に直撃した。

「うっ!」

 思ったより強い衝撃で、後ろに吹っ飛ばされた。
 地面にすっ転がる。

「き、君、大丈夫か! すまない、私の不注意だ!」

 皇帝様がすごい勢いで走ってきている気がする。
 これはかなりまずい。
 は、早く逃げなきゃ食べられる。
 慌てて立ち上がろうとするけど、体が全然動かない。
 あっという間に、皇帝様が目の前にきてしまった。
 せ、せめて食欲を無くさないと。

「大丈夫か!? けがはないか!? 本当に申し訳ない!」
「わ、私はまずいです……」
「ま、まずい!? 大変だ! 今すぐ医者を呼ぶからしっかりしろ! おい、誰か来てくれ! 医者を……!」

 皇帝様が何かを叫んでいるけど、よく聞こえない。
 急速に頭がぼんやりしてきた。
 走馬灯のようにやり残したことが思い浮かぶ。
 し、死ぬ前にかわいい犬を飼いたかった……。
 そして、私は気を失った。


□□□


「……うっ……あれ? ……こ、ここはどこ……?」

 気がついたら、目の前が真っ白だった。
 私の身体は何か柔らかい物に包まれている。
 そうか、ここが天国か。
 どうやら、私は死んでしまったらしい。

「目が覚めたか……?」
「え?」

 私のすぐ隣から男の人の声が聞こえてきた。
 誰だろう?
 神様かな。

「こ、皇帝様!?」

 横を見ると皇帝様が座っていた。
 も、もしかして、私たちは一緒に死んでしまったのだろうか。
 
「気分は大丈夫か?」
「ぇあ……」
 
 いや、違う。
 皇帝様を見たショックで頭がはっきりしてきた。
 私は白いお部屋のベッドに寝ているのだ。
 そして、ここはどこか知らないお部屋だ。

「まずはこれを飲みなさい。温かいハーブティーだ」
「あ、ありがとうございます……」

 皇帝様が白いカップを渡してくれた。
 中には薄黄色の温かいお茶が入っている。
 ハーブのスッキリした香りが沸き立つ。
 一口飲むと気持ちが落ち着いてきた。

「どうだ? 落ち着いたか?」
「は、はい、もう大丈夫です。それで……このお部屋はどこでしょうか? というより、私はどうしたのですか?」
「ここは私の屋敷の一室だ。そして、先ほどは本当に申し訳なかった。すまない」

 突然、皇帝様が頭を下げた。
 まったく予想もしていないことで、大変にびっくりした。

「こ、皇帝様!? どうされたのですか!? どうか頭を上げてくださいませ!」
「私はとある魔法実験をしていたのだが、力の加減を間違えてしまった。その結果、君に多大な被害を与えてしまい誠に申し訳なかった」

 皇帝様からは極悪非道のような雰囲気は少しも感じない。
 真摯に真摯に謝ってくれている。
 本当に単なるウワサだったのかもしれない。

「そして、君に伝えなければいけないことは他にもあるんだ。…………どうか、落ち着いて聞いてほしい」

 皇帝様はさらに真剣な瞳になって私を見てきた。
 あまりの緊張感に心臓が破裂しそうなほどドキドキしてくる。
 な、何を言われるんだろう。
 恐怖と緊張とでクラクラしてきた。

「い、いったい、どうされたんですか?」
「私は君を…………妊娠させてしまったかもしれない」

 皇帝様は絞り出すように言った。