漣とユウさんが示し合わせたように、目をまん丸にして同時に私を見た。
「……ナギサさんはきっと恨んでなんかない。ユウさんがそう言うんだから、絶対にそう」
「真波……」
「相手が許してくれてるのに、いつまでもぐじぐじ自分のこと責めてたって仕方ないじゃん」
 唖然としたように私を見つめる漣の瞳に、きっと今までしたこともないような表情をしている私が映っていた。
「漣の気持ちは分かるけど、いや、私は同じ立場じゃないから想像するしかないんだけど、きっとすごくつらいだろうし、責任感じるだろうし、後悔するのも分かるよ、でも……そんなことは、きっとナギサさんは、全く望んでない。せっかく助かった命だから、笑って幸せに生きてほしいって思ってるはずだよ。だったら、きっと……」
 呼吸を整えて、決意を固める。
 きつい言葉になってしまうという自覚はあった。
 口下手な私が選んだこの言葉が最適なものかどうか分からないけれど、でも、言わなきゃいけない言葉だと思った。
 ユウさんはすごくすごく優しいから、きっと言えない。ナギサさんも、もう自分の口から思いを伝えることができない。おじいちゃんもおばあちゃんも、漣にこんなきついことは絶対に言えないだろう。漣の家族も、家族だからこそ、きっと言えない。
 他の誰にも言えない。私にしか言えない。
 だから、私が言わなきゃいけないんだ。
「……漣の罪悪感や後悔は、たぶん、ただの自己満足でしかないんだよ。だって、そんなの誰も求めてないんだから」
 その瞬間、漣の顔が大きく歪んだ。それを見られたくないのか、彼は苦しげな吐息を洩らしながら海へと視線を向ける。
 つられて目を向けると、そこには、一面の夕焼けが広がっていた。
 色鮮やかに燃え上がる空と海。その境界線に、炎の塊のように濃いオレンジの大きな夕陽が、じりじりと沈んでいく。
 ふいにユウさんが「俺はね」と静かに口を開いた。
「漣くんに会えて、すべて打ち明けてくれて、嬉しかったよ」
 漣が息を呑み、ユウさんに目を向ける。彼は本当に嬉しそうに笑っていた。
「凪沙が命を懸けて救った子が、こんなに大きくなって、こんなにいい子に育ってくれて、自分を責めずにはいられないくらい優しい子になってくれて、それを知ることができて、本当に嬉しかった」
 ユウさんの声が、じわりとにじむ。向かい合う漣の顔も、くしゃりと歪んだ。
「漣くんが鳥浦に来てくれてよかった。漣くんに会えてよかった」
「……あ、」
「漣くん。生きててくれて、ありがとう」
 漣も、ユウさんも、泣いていた。
 止めどなく流れて頬を伝い落ちるふたりの涙が、燃えるような夕焼け色に輝いている。
「……まあ、欲を言えば、漣くんが毎日楽しく笑顔で暮らして、めいっぱい幸せな人生を送ってくれたら、もっともっと嬉しいけどね」
 いたずらっぽく笑ったユウさんが、突然、弾かれたように動き出した。
 波打ち際に向かって、まっすぐに駆けていく。途中でスニーカーを脱ぎ捨て、オレンジ色に染まる砂を裸足で踏みながら走り、ざぶざぶと海に入っていく。
 膝のあたりまで水に浸かったとき、彼は足を止めた。
「凪沙———!!」
 ユウさんが両手を口に当て、一面の夕焼けの海に向かって、愛する人の名前を大声で呼ぶ。
「凪沙!!」
 私と漣も彼のあとを追って、そして彼の隣に並んだ。
「凪沙が守った子が、会いに来てくれたぞー! もう高校生だってさ! すげえよな! ちゃんと無事に大きくなってくれてるよ! しかもさ、めっちゃしっかり者で優しくて本当にいい子なんだぞ! やったな、嬉しいな! なあ、凪沙!!」
 ユウさんは笑顔だった。でも、涙は流れ続けている。
「……凪沙、凪沙……」
 すがるように呼ぶ声は、ひどく優しく、切なく潤んでいた。涙を手で拭った彼が、ふいに空を仰いで口を大きく開けた。
「……ああ———!!」
 声の限りに、空へ叫ぶ。
 すると、漣も一歩前に出て、海に向かって声を張り上げた。
「あああ———!!」
 胸に鋭く突き刺さるような、空気がびりびりと震えるほどの声だった。
「ぅあ、あああ———!!」
 泣き叫びながら、漣はがくりと崩れ落ちた。波の中にへたり込み、ぼろぼろと涙を流し、それでも声を上げ続ける。
「あ———っ!!」
「あああ———!!」
 慟哭するふたりの声が重なり、海に溶けていく。それを見ている私の頬も、いつの間にか涙に濡れていた。
 誰かのために流す涙がこんなにも熱いだなんて、私は今まで知らなかった。
「わあああ———!!」
「うわああ———!!」
 泣きわめくユウさんと漣の、意味をなさない叫びが、私の耳には確かに、ナギサさんへと贈る言葉——『大好き』『愛してる』、そして『ありがとう』、『ごめんなさい』に聞こえる気がした。
 この胸に溢れる気持ちを、痛いくらいに締めつける思いを、どんな言葉で表わせばいいのだろう。
 苦しくて、切なくて、やるせない。
 どうして彼らの身に、こんなにもひどい、悲しいことが起こったのだろうと思うと、悔しくてたまらなかった。
 家族のいないユウさんが、誰よりも愛していたナギサさんを亡くしたこと。
 自分の身を顧みずに他人を救ったナギサさんが、亡くなってしまったこと。
 誰かの命と引き換えに助かった漣が、その罪悪感で苦しみ続けたこと。
 そのすべてが、神様の仕業と言うには、運命の悪戯と言うには、あまりにも残酷だった。
 でも、漣の、ユウさんの、ナギサさんの思いを知ったことで、私の心は確かに、まるで潮が満ちてくるように、とても柔らかくて温かいものでいっぱいになっていた。
 オレンジ色の光に包まれながら、私たちはいつまでも海を眺めていた。


 あたりがすっかり夜闇に沈んだころ、龍神祭が始まった。
 青い砂浜に佇む私たちのもとに、太鼓の音とともに灯籠行列が近づいてくる。
 海沿いの道を見上げると、人々が手に持つ灯籠の明かりが、海の中を漂う光のようにゆらゆらと揺れていた。
 行列が砂浜にたどり着くと、篝火が焚かれた。みんなが自分の灯籠を火にくべていく。たくさんの灯籠を呑み込んだ炎は大きく燃え上がった。
 ごうごうと音を立てながら夜空へと立ち昇る炎と、雪のように舞い落ちてくる火の粉をぼんやり眺めていたとき、ふと爪先がなにかに触れて、かさりと音が鳴った。見ると、貝殻のようだ。
 しゃがみ込んで拾い上げ、火にかざしてみると、ピンク色に透き通っていた。
 桜貝だ。ユウさんが教えてくれた、幸せを呼ぶ貝。
 今にも壊れそうなほど薄くて華奢な貝殻を、私はそっと手のひらで包んでポケットに入れた。