ナギサの店内には、まだ明かりがついていた。
窓から中を覗いて、奥のテーブル席にユウさんが座っているのを確認すると、入り口のドアをノックする。
「こんばんは。夜遅くにすみません」
声をかけると、すぐにユウさんがドアを開けてくれた。
「真波ちゃん。どうしたの、こんな時間に」
「すみません……どうしても、ユウさんと話したいことがあって……」
彼は目を見開き、それから「どうぞ」と中に入れてくれた。
店内に足を踏み入れると、テーブルの上に置かれた四角柱のような形の木枠と、丸められた和紙の束が目に入った。私の視線に気づいたのか、ユウさんが説明してくれる。
「明日は龍神祭だからね、灯籠を作ってたんだ」
「そうなんですか。忙しいのに、ごめんなさい」
「いいよ、いいよ。もうほとんど終わってるから。それで、話って?」
促されて、私はなにを伝えればいいのか逡巡する。ただとにかくユウさんに会わなきゃ、という思いだけで走ってきたので、なにを訊くのか考えていなかった。
どう話せばいいのかと迷いながら目を泳がせて、キッチンの戸棚に飾られた桜貝のネックレスを視界にとらえた。
「あのネックレスって……」
思わず呟くと、彼は「ああ」と微笑んだ。そして、愛おしげな眼差しをネックレスに向けながら口を開く。
「凪沙と俺の桜貝だよ。子どものころに海岸で拾った貝殻を、ふたりで分けて持ってたんだ、ずっと……」
ナギサさんの名前を聞いた瞬間、ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになった。
「……あの、急にすみません。よかったら、でいいんですけど……」
「うん?」
唐突な私の言葉に、ユウさんは首を傾げて軽く目を見張った。
「……ナギサさんが亡くなったときのこと、聞かせてもらえませんか……」
どこまで話していいのか分からず、ひどく不躾な質問になってしまった。それでも彼は、ぱちぱちと瞬きをしてから、「うん、いいよ」と笑ってくれる。
「凪沙は、高校一年の夏休み……龍神祭の前日、海で溺れて亡くなった。……ちょうど今日が十回目の命日なんだ」
彼は目尻に優しい笑みを浮かべながら言った。
「海に落ちてしまった男の子を見つけて、助けようと飛び込んで……ちゃんと男の子を父親に引き渡したあと、自分は力尽きて、溺れちゃったんだ」
ああ、やっぱり、と目の前が暗くなる。想像が当たってしまった。絶対に当たってほしくなかったのに。
「そして、俺の目の前で、亡くなった……」
ひゅっ、と喉が鳴った。呼吸を忘れたまま、これ以上ないくらいに目を見張り、言葉を失って彼を見つめる。
「俺は遠くから、溺れた子を助けるために海に向かう凪沙を見つけて、必死に追いかけた。そして凪沙が溺れて海に沈んだあとすぐに追いついて、なんとか引き上げたんだ。でも、凪沙はもう意識がなくて……」
ユウさんの目に、じわりと涙がにじんだ。ゆっくりと溢れて、頬に伝い落ちる。微笑みながら、泣いていた。
目の前でたったひとりの大切な人の命が失われていくのを見届けるのは、どんな気持ちだったろう。私には想像することすらできない。
「でも、救急車の中で、一瞬だけ意識が戻ったんだ。目を開けて少し喋ってくれて……。でも、すぐにまた意識を失って、そのまま二度と目覚めなかった」
ユウさんは幾筋もの涙をこぼしながら続けた。
「あのとき俺があと一分でも早く追いついてたら。そしてちゃんとした救助の方法を知ってたら、ちゃんと心肺蘇生をやれてたら、凪沙は死ななくて済んだかもしれない……何度も何度も何度も、そう思った。でも、今さらそんなこと思ったって、遅いんだ。……俺は全部、なにもかも、間に合わなかった」
静かな口調だったけれど、その奥には、どうにもならない激しい後悔と、大きすぎる悲しみが秘められているのが分かった。
私はもうなにも言えなくて、唇を噛みしめていることしかできない。
「……真波ちゃんは、今日、きっと、大切な誰かのために、そんなに必死な顔をして、息を切らしてここに来たんだよね」
しばらくして涙を拭ったユウさんが、じっと私を見つめて言った。
私は声も出せないまま、こくりとうなずいた。
「俺は凪沙を……すごくすごく大切な人を守れなかった。絶対に俺がなんとかする、絶対に助けるって思ってたのに、できなかった。失敗した」
彼はひとつ息を吐き出して、切なくなるほど静かに続ける。
「……死ぬほど後悔したよ。今もずっとしてる」
あまりにも重い言葉が、私の胸に深々と突き刺さった。ユウさんの痛みが伝わってきて、息が苦しい。
だからね、とユウさんが優しく微笑んだ。
「真波ちゃんには、そんな思いをしてほしくない。自分にできる限りのことを全部やって、後悔しないようにしてほしい」
私は堪えきれずに嗚咽を洩らしながら、何度も何度もうなずいた。
ユウさんは涙に潤んだ声で、「頑張ってね」と囁いた。
窓から中を覗いて、奥のテーブル席にユウさんが座っているのを確認すると、入り口のドアをノックする。
「こんばんは。夜遅くにすみません」
声をかけると、すぐにユウさんがドアを開けてくれた。
「真波ちゃん。どうしたの、こんな時間に」
「すみません……どうしても、ユウさんと話したいことがあって……」
彼は目を見開き、それから「どうぞ」と中に入れてくれた。
店内に足を踏み入れると、テーブルの上に置かれた四角柱のような形の木枠と、丸められた和紙の束が目に入った。私の視線に気づいたのか、ユウさんが説明してくれる。
「明日は龍神祭だからね、灯籠を作ってたんだ」
「そうなんですか。忙しいのに、ごめんなさい」
「いいよ、いいよ。もうほとんど終わってるから。それで、話って?」
促されて、私はなにを伝えればいいのか逡巡する。ただとにかくユウさんに会わなきゃ、という思いだけで走ってきたので、なにを訊くのか考えていなかった。
どう話せばいいのかと迷いながら目を泳がせて、キッチンの戸棚に飾られた桜貝のネックレスを視界にとらえた。
「あのネックレスって……」
思わず呟くと、彼は「ああ」と微笑んだ。そして、愛おしげな眼差しをネックレスに向けながら口を開く。
「凪沙と俺の桜貝だよ。子どものころに海岸で拾った貝殻を、ふたりで分けて持ってたんだ、ずっと……」
ナギサさんの名前を聞いた瞬間、ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになった。
「……あの、急にすみません。よかったら、でいいんですけど……」
「うん?」
唐突な私の言葉に、ユウさんは首を傾げて軽く目を見張った。
「……ナギサさんが亡くなったときのこと、聞かせてもらえませんか……」
どこまで話していいのか分からず、ひどく不躾な質問になってしまった。それでも彼は、ぱちぱちと瞬きをしてから、「うん、いいよ」と笑ってくれる。
「凪沙は、高校一年の夏休み……龍神祭の前日、海で溺れて亡くなった。……ちょうど今日が十回目の命日なんだ」
彼は目尻に優しい笑みを浮かべながら言った。
「海に落ちてしまった男の子を見つけて、助けようと飛び込んで……ちゃんと男の子を父親に引き渡したあと、自分は力尽きて、溺れちゃったんだ」
ああ、やっぱり、と目の前が暗くなる。想像が当たってしまった。絶対に当たってほしくなかったのに。
「そして、俺の目の前で、亡くなった……」
ひゅっ、と喉が鳴った。呼吸を忘れたまま、これ以上ないくらいに目を見張り、言葉を失って彼を見つめる。
「俺は遠くから、溺れた子を助けるために海に向かう凪沙を見つけて、必死に追いかけた。そして凪沙が溺れて海に沈んだあとすぐに追いついて、なんとか引き上げたんだ。でも、凪沙はもう意識がなくて……」
ユウさんの目に、じわりと涙がにじんだ。ゆっくりと溢れて、頬に伝い落ちる。微笑みながら、泣いていた。
目の前でたったひとりの大切な人の命が失われていくのを見届けるのは、どんな気持ちだったろう。私には想像することすらできない。
「でも、救急車の中で、一瞬だけ意識が戻ったんだ。目を開けて少し喋ってくれて……。でも、すぐにまた意識を失って、そのまま二度と目覚めなかった」
ユウさんは幾筋もの涙をこぼしながら続けた。
「あのとき俺があと一分でも早く追いついてたら。そしてちゃんとした救助の方法を知ってたら、ちゃんと心肺蘇生をやれてたら、凪沙は死ななくて済んだかもしれない……何度も何度も何度も、そう思った。でも、今さらそんなこと思ったって、遅いんだ。……俺は全部、なにもかも、間に合わなかった」
静かな口調だったけれど、その奥には、どうにもならない激しい後悔と、大きすぎる悲しみが秘められているのが分かった。
私はもうなにも言えなくて、唇を噛みしめていることしかできない。
「……真波ちゃんは、今日、きっと、大切な誰かのために、そんなに必死な顔をして、息を切らしてここに来たんだよね」
しばらくして涙を拭ったユウさんが、じっと私を見つめて言った。
私は声も出せないまま、こくりとうなずいた。
「俺は凪沙を……すごくすごく大切な人を守れなかった。絶対に俺がなんとかする、絶対に助けるって思ってたのに、できなかった。失敗した」
彼はひとつ息を吐き出して、切なくなるほど静かに続ける。
「……死ぬほど後悔したよ。今もずっとしてる」
あまりにも重い言葉が、私の胸に深々と突き刺さった。ユウさんの痛みが伝わってきて、息が苦しい。
だからね、とユウさんが優しく微笑んだ。
「真波ちゃんには、そんな思いをしてほしくない。自分にできる限りのことを全部やって、後悔しないようにしてほしい」
私は堪えきれずに嗚咽を洩らしながら、何度も何度もうなずいた。
ユウさんは涙に潤んだ声で、「頑張ってね」と囁いた。