放課後になると、うつむいたまますぐに教室を出た。早足で駅に向かい、電車に飛び乗る。
 鳥浦の駅に着いてからは、わざとゆっくり歩いた。それでも気がついたら家の前に来ていた。
 ただいま、と絶対に誰にも聞こえない声で呟き、玄関で靴を脱ぐ。洗面所で手を洗っていると、洗濯物を干し終えたらしいおばあちゃんがかごを抱えて入ってきた。
「あら、まあちゃん。お帰りなさい」
 いつものように笑顔で声をかけられる。
 初めのころは慣れなかったけれど、最近はなんとか普通に「ただいま」などと対応できるようになっていた。
 でも、今日は、だめだった。我ながら強張った表情と声で「うん」と呟くことしかできない。
 おばあちゃんは不思議そうな顔で少し首を傾げてからまた笑顔に戻り、「おやつのビスケットがあるよ」といつものように言う。私が帰宅すると、おばあちゃんは律儀に毎日おやつを出してくれるのだ。せっかく用意してくれたのだから、と思っていつもはお礼を言って食べているけれど、今日はそんな気分にはなれなかった。
 私はうつむいたまま、「ごめんなさい、食欲ないから」と洗面所を出た。するとおばあちゃんが慌てたようにあとを追ってきた。
「どうしたんね、まあちゃん。学校でなんかあった?」
 私は引きつりそうな顔に必死に笑みを浮かべて、「別になにもないよ」と答える。それでもおばあちゃんは眉を寄せて覗き込んできた。
「もしかして……お友達と喧嘩したん?」
 遠慮がちな表情から、私の中学時代のことをなにか知っているのだと悟る。もしかしてお父さんが伝えたのだろうか。言わないでほしかったのに。
 私はぐっと拳に力を込めて、ふるふると首を振って否定する。
「……もう部屋に戻るね」
 歩き出した私を、おばあちゃんがまた追いかけてきて、
「たまごアイスもあるよ」
 と唐突に言った。予想もしなかった言葉をかけられて、思わず足を止める。
 たまごアイスというのは、水風船のような半透明のゴム袋の中に、バニラ味のアイスクリームが入っている氷菓だ。なんで今おばあちゃんは、わざわざそれを言ったのか。
「……いらない。せっかくだけど、お腹空いてないから……」
 よく分からないけれど、私は首を横に振る。それでもおばあちゃんは、取り繕うような笑顔を浮かべながら「でも」と食い下がるように続けた。
「ほら、あの、たまごアイスだよ? まあちゃんが……」
 おばあちゃんの言葉を遮るように、私は思わず、
「だから、いらないってば!」
 と叫んだ。おばあちゃんの目が大きく見開かれる。声を荒らげてしまった自分に動揺しながらも、私は勢いを止められずにきつい口調で続けた。
「私もう高校生だよ? そんな子ども向けのアイスなんかいらないよ」
 おばあちゃんは大きく息を吸ってから、「……そうやねえ」と項垂れた。
 縮こまった小さな肩に罪悪感を覚えたけれど、上手く言葉が出てこなくて、小さく「ごめん」とだけ呟いた。
「……今日は疲れたから、部屋に行くね。晩ご飯もいらない……」
 振り切るようにして、部屋の戸に手をかける。でも、おばあちゃんはまだ諦めてくれなかった。
「まあちゃん、大丈夫なん? 力になれるかは分からんけど、話ならいくらでも聞くよ。ばあちゃんに話してみないね」
 しつこい。心配してくれているのは分かるけれど、話したくないと気づいてほしい。
「本当になんにもないから、気にしないで」
「そんなん言うてもねえ……」
 困ったように手で首を押さえたおばあちゃんが、ぽつりと呟いた。
「話してくれんと分からんからねえ……。きっとお母さんも心配しとるよ……」
 お母さん、という単語が耳に入った瞬間、ぎりぎりのところで持ちこたえていた細い糸が、ぷつりと切れる音がした。
「——そんなわけないじゃん! もう、うるさい! 知ったような口きかないで!!」
 鋭く言ったそのとき、「おい!」とうしろから強く手を引かれた。驚いて振り向くと、いつの間に帰ってきたのか、漣がそこに立っていた。今日は部活がなかったんだろうか。
 彼はひどく怒ったような顔をしていた。
「お前……どうしてそんなこと言えるんだよ。ばあちゃんはな……」
 責めるような口調に、私はきつく彼を睨み返した。
 きっと漣の目には、私はひどく恩知らずで非情な孫だと映っていることだろう。でも、家族に恵まれて、みんなからたくさん愛されてきた漣に、私の気持ちなんて分かるわけがないのだ。
 なんにも知らないくせに。私がどんな思いをしてきたか、今どんな思いをしているか、なんにも知らないくせに。偉そうに口出しなんてしないで。そもそも、漣がこうやっていちいち私に構うせいで、私は女子たちに睨まれてしまったんだ。
「うるさいなあ、もう、放っといてよ!」
 私は漣の手を振り払い、その肩を強く押してかたわらをすり抜けると、まっすぐに玄関に向かった。もう全部全部嫌だ、とはち切れそうな心が叫んでいた。