03/魔法公国ユートピア・アムールの盛夏(七月)/




 わたくしの誕生日の翌朝、わたくしは、シルバニア家のわたくし専属の侍女であるトゥルースに身支度を整えてもらい、赤いリボンで飾られた可愛らしい白のサマードレスに身を包む。
 甘い花々の香油を纏う、優しくブラッシングされたピンク色のふわふわの髪の前髪を横流しにし、ドレスとお揃いの赤いリボンの付いたカチューシャを装着する。
 由緒正しい魔将貴族には、それぞれに家紋があり、社交の場で、その家紋に使われている色を纏うのが常識とされていますわ。
 シルバニア家の家紋は、白銀色の両翼と鋭い嘴、鋭い鉤爪のある二本の足で獲物を捕える、魔獣の中でも鳥類に分類される、フレスベルグを象っておりますの。
 それゆえに、お祖母様やお母様、パーニャ叔父様は白色や銀色の衣装を身に纏います。
 ですが、わたくしのお父様。レオニード・アカイン・シルバニアは元はアカイン本家の次男。シルバニア家に婿養子として入ってからも、赤い立て髪と黒い角のある顔に、グネグネと動く、黒い鱗で覆われた頭があるような長い尻尾を持つ、二つに分かれた蹄の四本足の魔獣キメラを象った赤と黒のアカイン家の家紋の色、赤い色の服に白色を合わせて着ています。
 お祖母様やお母様と社交の場に行く時には白と銀のドレスを纏わされますが、お父様と一緒の時は、この白と赤のドレスを纏わされます。
 今日は昨日から、憧れのアンナちゃん様と仲良しのアレク、そして少し意地悪なヴァンお兄様が、西部のアカイン本家の城があるヴァルナから、この北部のシルバニア本家の城があるアムールに訪れ、ひと月、ここで夏の間だけ、わたくしたちと一緒に過ごすのです。
 パーニャ叔父様がおっしゃるには、この期間のことを夏季休暇といって、遠方から魔法学院に通う為にユートピアに住んでいる者たちが故郷に帰ったり、避暑地で家族や仲間と過ごしたりする、新しい文化なのだそうです。
 わたくしはそれを去年知り、とても楽しみにしていたのです。
 去年、この赤いリボンの付いたカチューシャをしたわたくしに、よく似合うと言って、赤い花を差し出し、告白されたアレクと毎日一緒に過ごせることを。
 今日は、もう、お父様は夜明け前に、貴族院の議員としてのお仕事をする為に、魔王城のあるシロノワール公爵家の領地にして首都ステュクスへと向かわれてしまいました。
 本当は今日も白と銀のサマードレスを準備してあったのですが、トゥルースに今日は白と赤の服がいいと駄々をこねたら、ニコニコしながら、この服装一式を出してくれたのですわ。
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
 黄金色の瞳をキラキラさせて、いつもよりそわそわした様子でわたくしを見送るトゥルースは、わたくしに何か期待しているようでしたけど、一体、何を期待したのかしら?
 本当は食堂でアレクやアンナちゃん様に会えるのをとても楽しみしているのだけど、はしゃいで素直な感情を表すのは、侍女であるトゥルースがいる手前、憚られます。
 貴族令嬢として、お祖母様やお母様のように賢く優雅に振る舞わなければなりません。
 それが上位貴族、由緒正しいユートピアの魔将貴族なのです。
 感情を表に出し、暴れ回る、魔獣と同列に扱われた"魔物"と呼ばれた魔族とは違うのです。
「行ってきますわ」
 わたくしは、はしゃぎたい気持ちを抑えて、澄ました顔で食堂へと向かいました。
「おはようございます、お祖母様。それにお母様にアンナ様」
 目上の順に、わたくしは、習った通りに、サマードレスの端を軽く持ち、膝を曲げて挨拶をした。
「おはよう、リーザ……」
 昨夜、お酒を少し飲み過ぎて、げっそりした顔をしているお母様が、額に手を当て、キャベツのスープを啜っている。
「おはよう、エリザヴェータ。昨夜はよく眠れたかい?」
 一晩寝かせ、マヨネーズがよく馴染んだ角切り野菜とゆで卵のサラダを口に運びながら、お祖母様がわたくしに質問してきた。
「ええ、とても、よく眠れましたわ」
 わたくしは自分の席に着き、作り笑顔で可愛らしくお祖母様の質問に答え、隣の席でソーセージを食べているアレクに挨拶する。
「アレク、おはよう」
「おはよう、……エリザ……ヴェータ」
 最後のほうは取って付けたみたいに、不安そうな声てアレクはわたくしに挨拶を返してくれた。
 わたくしが、昨日、リーザの愛称で呼ばれるのが嫌と言ったのをちゃんと覚えてくれていたらしい。
 配膳担当の侍女が、素早く、わたくしのカップにお茶を注ぎ、目の前に甘酸っぱい木苺が浮かんだミルク粥を運んでくる。
 わたくしは、それをひと匙掬い、口に含んだ。
 昨日は、本当は、よく眠れなかった。
 わたくしに愛の告白をしてくれたアレクと、このひと月、ずっと一緒にいられることが夢のようで、興奮していたのもあるけれど、それにも増して、わたくしやアレクが寝室に向かった後も続いていたらしいパーニャ叔父様の聖女語りは広いはずのこの城の階段や廊下まで響き渡っていた。
 この場にいる全員の寝不足の原因であるパーニャ叔父様も、お酒の飲み過ぎで、お母様以上に、げっそりした顔でキャベツのスープを啜っている。
 無理もない。
 パーニャ叔父様は、普段からあんなに話をする方ではないのですから。
 しばらく、静かな、時間が流れ、わたくしのカップに二杯目のお茶が注がれる頃、ヴァンお兄様が、バタバタと足音を響かせて、汗で濡れたオールバックの赤髪を撫で付けて、食堂に入って来ました。
「アレク、おまえ、またグリンピース残してるのかよ? お子様だなぁ。そんなんだから、父様に木刀も握らしてもらえないんだぞ? オレ様は今朝も鍛錬してきたとこだ!」
 ガタンと乱暴にアレクの横の椅子に座り、ソーセージに添えられたグリンピースを皿の端に避けて食べているアレクに対し、ヴァンお兄様は自慢気に話した。
 アレクはヴァンお兄様の言葉を無視して、黙って、グリンピースをフォークの先で突いて潰している。
 雪で覆われている期間の長いアムールでは伝統的な朝食とはいえ、ソーセージに添えられたグリンピースは保存食。
 新鮮な魚介類や香草、野菜などが手に入りやすい西部のヴァルナの料理を食べているアレクからすると、それはあまり美味しいものではないかもしれません。
「グリンピースは嫌いだもん……」
 グリンピースを潰し終えたアレクは、小さな声で呟いた。
 ただの好き嫌いだったようですわね。
「あぁ、オレはいい。ほら、オレは、あのアムール名産の泡立った茶色の飲み物が欲しい」
 アレクの横で、ヴァンお兄様のカップにお茶を淹れようとした侍女を制止し、ヴァンお兄様は別の飲み物を注文した。
 しばらくして、侍女はグラスに注がれた茶色の泡の浮いた飲み物を持って来た。
 ヴァンお兄様は、それを一気に飲み干し、プハーと息を吐いた。
「このアムールで、暑い夏の日の鍛錬で汗を掻いた後は、やっぱ、これだよな!」
 ヴァンお兄様は茶色の飲み物を絶賛した。
 ヴァンお兄様が飲んでいらっしゃるのは、このアムール城に保管されていた古書に記されていたレシピを元に再現された黒パンを原料にして作った古代の飲み物クヴァス。
 アムールでは大人にも子供も人気の、夏に飲む定番の炭酸飲料なのです。
「アレクちゃん、好き嫌いはダメよ。大きくなれないでしょ? それから、ヴァンちゃん、アレクちゃんのことをイジメちゃダメでしょ!」
 向かいの席にいた二人の息子の母親であるアンナちゃん様は、そう二人を嗜めた。
「そいつが、父様に木刀も握らせてもらえないのは事実じゃんか!」
 反抗期を迎えた嫡男であるイヴァンお兄様は、母親であるアンナちゃん様にそう言い返した。
「アレクちゃんは、まだ七才で小さいもの! ヴァンちゃん、アナタがパパから木刀を握るのを許可されたのは、十才の誕生日を過ぎてからでしょ? 弟のアレクちゃんのことを悪く言わないの!」
 わたくしの知る、いつも笑顔の優しいアイドルのアンナちゃんとは程遠い、恐い顔をして、ヴァンお兄様を叱りつけました。
「ママ、ごめんなさい……」
 ヴァンお兄様は震えた声で謝罪しました。
「あら、ごめんなさぁ〜い。アンナちゃんらしくなかったわね☆」
 片目を瞑る、ウィンクを飛ばし、いつものアイドルアンナちゃんに戻る、二児の母親、アンナちゃん様。
「ヴァンちゃん、朝から剣の鍛錬をしたなら、夏季休暇明けの学校に備えて、ちゃんとお勉強するのよ? 課題がないからって、サボっちゃダメよ? その為に、ここに連れてきたんだから♪」
「分かってるよ……」
「パンちゃん、二日酔いのところ申し訳ないけれど、ヴァンちゃんのお勉強を見てあげてね?」
「あぁ、はい……」
  アンナちゃん様が微笑むだけで、相手は言うことを聞いてしまう。
 アンナちゃん様は、やっぱり、わたくしの憧れなのです。
 朝食を食べ終え、ヴァンお兄様はパーニャ叔父様と涼しいテラスでお勉強をすることになり、わたくしとアレクはお母様とアンナちゃん様と庭園を散策することになりました。