02/誕生日と聖女伝説/



 ーー遠い昔、この世界は十二柱の神によりつくられたという。
 地上には神の声が届き、人族はその神々の声を聞き恩恵を受け、魔族は見捨てられた土地へと追い出されて飢えに苦しんでいた。世界は神々によって支配されていた。
 それが、今から約二千年ほど前。神話の時代の終わり。
 かつて神により隔たれていた、現在のユートピア・魔界とエーデンハルト・人界の間にある境界が人界の初代勇者ハルトと初代魔王の戦いによって壊された。
 神による"終末の宣言"。
 宙は暗くなり、世界から光が消えた。
 しばらくして、地上から伸びる光の柱を見たという者や黄金色の竜が飛び去ったのを見たという者。荒地だった土地が一瞬にして黄金色の花に埋め尽くされたのを見たという者などその証言は皆ばらばらだった。
 光の柱も黄金色の竜も幻だったかもしれないものだが、黄金色の花だけが地上に遺された。
 魔界と人界を隔てる境界が無くなったことにより魔族と人族の戦争が始まった。
 人族の軍を指揮していたのが、この世界を創造したとされる十三柱の神の一柱・予言神エルを信仰するエルレーゲンの教皇アダム。対する魔族軍を率いていたのは魔王妃リリスだった。
 魔族と人族は殺し合い、多くの犠牲者が出た。
 そんな時、頭から白いベールを被り、その手に黄金色の花の苗が入った籠を携え、巡礼の旅の途中だった白髪の聖女リゼが魔界の地を踏んだ。
 聖女リゼは魔族も人族も関係なく、民の傷を癒し、争う種族の間に入り、聖女は問うた。
『わたしたちは同じ世界に生きているのに、神様がくれたこの大切な生命を、何故、奪い合うのか?』
 神より祝福を受けた聖女の心からの叫びが二つの種族の争いを諌め、その手が二つ国の復興の助けとなった。
 そして、かつて最初の戦地となった砂漠だったエーデンハルト・人界最西端の地アケローンには、その広大な平原に、今も聖女が手にしていた黄金色の花が咲き乱れているーー。

「聖女様に感銘を受けた者たちは聖女様が亡き後も、聖女様の意志を継ぎ、ユートピアとエーデンハルトで争いが起こるたびに幾度もそれを阻止してきた! だから聖女様が創設なさった魔法学院を守るのも我々の役目だ! 俺はそれを誇りに思う……」
「まぁ〜! 相変わらずパンちゃんは物知りなのね♪」
 今年、成人を迎え、魔法学院を首席で卒業され、その学院で教師となることが決まったパーニャ叔父様はお酒を飲んで顔を真っ赤にしながら、わたくしの誕生日会だというのに、わたくしたちの授業後の勢いで皆の前で聖女伝説を語った。
 わたくしやアレク、お母様たちも飽々として聞いているパーニャ叔父様の聖女伝説の話を、ただ一人嫌な顔もせず、むしろ話の合間に相槌を打ち、無垢な少女のように瞳をキラキラさせて話を聞いているアレクのお母様・アンナおば…いえ、"アンナちゃん"様は凄いと思います。
 由緒ある四大魔将貴族のひとつアカイン家特有の赤い髪に黄金色の瞳を持つ妖艶な黒いドレスを纏う、かつての魔王妃時代のわたくしの姿を彷彿とさせる美女。この場には参加されていないけれど、魔法騎士団の団長であり、アカイン家の現代の当主アスモデウス・アカイン伯爵の伴侶であり、アレクとヴァンお兄様の母親であり、その妖艶な姿から"モデル"のお仕事をしながら自由な"アイドル"として活躍されている"アンナちゃん"ことアンナ・アカイン様は今のわたくしの憧れですの。
 わたくしが魔王妃だった頃は"モデル"としてお仕事をするなんて発想も"アイドル"なんて概念もありませんでしたもの。
 まぁ、あの時代の"モデル"はお互いの姿を絵に描き合うだけで、今の時代みたいに衣服や装飾品を纏って、その商品を購入しもらう為の広告塔としての役割がありますから、その意味合いも違いますわね。
 あの頃は、ただ、生きる事。自分たちの生命を、その日一日、世界に留めておくことに必死でしたから……

 それにしても、この時代、かつての魔族領地で聖女リゼがここまで支持されているなんて誰が予想出来たでしょうか。
 それにしても、この時代、かつての魔族領地で聖女リゼがここまで支持されているなんて誰が予想出来たでしょうか。
 世界最高峰の魔法学院、ユートピア魔法学院入学以来、首席の由緒正しい魔将貴族の後継者パンテレイモン・シルバニアがまさかの聖女狂信者だなんて……

 聖女リゼが亡くなった後も、わたくしが必死でこの土地の民を守ったというのに、あの無礼な女は……

 かつて魔王妃だったわたくしの時代でも習得が難しかった上級回復魔法により、あの戦乱の中、魔族領の民たちの傷を癒してくれていた初代シロノワール公爵ことオリエンス・シロノワール。彼が人族側の攻撃により深手の傷を負ってしまいました。
 彼より回復魔法が得意ではなかったわたくしたちはどうする事も出来ずにいました。
 そんな時、あの女。白いベールを被った白髪の聖女がやって来て、オリエンスの傷を癒してくれました。
「女。わたくしは魔王妃リリス。魔族を束ねる者として礼を言う」
「私はオリエンス。私の傷を治してくれて、ありがとう、お嬢さん」
 わたくしとオリエンスは聖女に感謝の言葉を述べました。
「いいえ、当然の事をしただけです。わたしは、リゼ。わたしはこれで失礼します」
 聖女は白いベールで顔を隠したままそう言って、その場を立ち去ろうとしました。
 ベールの間からリゼの顔がちらりと見えました。
「君は……"アリシア"? ……いや、まさか、……"リーゼロッテ"!」
 立ち去ろうとしたリゼの、ベールの間から覗く、その顔を見て、オリエンスはそう口にして、リゼに駆け寄り、その手を掴もうとしました。
「!」
 白いベールと髪の間から、大きく見開かれたピンク色のリゼの瞳とその顔がオリエンスの傍らにいたわたくしにもはっきりと見えました。
 パシン!
 先程までオリエンスを癒していた、白い手袋に覆われた細い腕が、オリエンスの手を払い退け、その衝撃でオリエンスは倒れました。
 わたくしたちは慌てて倒れたオリエンスに駆け寄りました。
「わたくしの名は"リゼ"。神様のお告げにより世界を旅する者です!」
「待て! リゼ! 君は……!」
 オリエンスの言葉を最後まで聞かず、白いベールで顔を隠し、リゼは逃げるように走り出し、その場を後にしました。
 その際、抱えていた籠に入っていた黄金色の花の苗が落ちました。
「リーゼロッテ……」
 その花はオリエンスが植物が育ちにくい人族から魔界と呼ばれたこの土地で、魔王様に信頼され、育ててオリエンス自身が名前をつけたリーゼロッテという名の花でした。
 オリエンスにはかつて愛した女性と生まれたばかりの娘がいましたが、人族から迫害により離れ離れになってしまいました。
 平和になった今の時代、魔族と人族の違いは体内に魔力を取り込みそれを運用する器官があるかどうかの違いだけで、人族も魔道具を使えば魔族と同じ魔法が使えるというのに、昔の人族たちは、魔法を広めるために人族の土地を訪れた魔族たちを悪き者として迫害し、魔道具を奪い、その多くを殺してきました。
 愛した女性と生まれたばかりの娘の髪色の花に、オリエンスは生死の分からない生まれたばかりの娘の名前をつけたのだと話してくれました。
 紫がかった黒髪と黄金色の瞳のオリエンスの娘であれば、その瞳も黄金色のはずなのに、髪の色も瞳の色も違う女をオリエンスは自分の娘だと思ったのか、わたくしには分かりません。
 今のわたくしの知る限り、オリエンスの愛した女性の容姿は分かりませんが、現代の魔王であるカエラ様がその娘の容姿に違いのではと思いました。
 聖女リゼ自身、魔王妃であるわたくしに、オリエンスの娘ではないと、はっきりと否定しましたわ。
 オリエンスは、ずっと愛した女性と娘が生きている事を信じて、独り身を一生貫きました。
 わたくしが与えた爵位を弟に譲り、与えた土地の一部を聖女リゼに譲ると遺言を託して……

 魔王妃だったわたくしが、聖女リゼに二度目に会ったのは、オリエンスが亡くなってすぐ、復興途中のシロノワールの領地でした。
 爵位を受け継いだオリエンスの弟から、オリエンスの死とその遺言を告げられた聖女リゼは、与えられた領地に、この地に生まれた子供たちが、この土地で生きてゆくのに必要な文字や算術、魔法などを教える学舎を建てて欲しいと申し出た。
 そして、それが今の魔法学院の始まり。
 オルト山脈の麓、シロノワール領地の北の外れにあるユートピア魔法学院。
 現代の魔王と元勇者が結ばれたことにより、この国と人族の国・エーデンハルトの平和条約が正式に結ばれ、平和な世界になった現在、聖女リゼの意思により設立されたこの学園は、魔族でも人族でも種族に関係なく、誰でも魔法使いになれる場所として、その門戸を開き、魔法公国ユートピアの象徴となっています。
 聖女リゼが亡くなった後は、わたくしの家系シルバニア家の者が代々その歴代の学院長を務めていますけれど、その次代の後継者候補であるパーニャ叔父様は、先日、本の虫で勉強ばかりで女性に興味がないのを姉であるわたくしのお母様とお祖母様心配され、相談を受けたアンナちゃん様に貴族の女性とのお見合い話を持ち掛けられ、『聖女様と結婚する』宣言をし、その将来を親族一同からより一層心配されています。
「マーシャママにリーナちゃん。それにレオくんも、失敗しちゃってごめんなさぁ〜い! アンナちゃんが、聞き上手なのが、逆に裏目にでちゃった〜!」
 アンナちゃん様は、酔い潰れたパーニャ叔父様を見やると、眉尻を下げ、涙目になりながら謝罪した。
「うちのパパも来れてたらパンくんを説得できてたかもなのに! お仕事なんて! リーザちゃんもごめんね。せっかくの誕生日なのに」
 アンナちゃん様は、可愛らしく頬を膨らませたかと思うと、わたくしに涙目で謝罪してきた。
「いいえ、こうしてお祖母様やお父様たちと一緒に誕生日会を開いてくださっただけでもわたくしは嬉しいですわ。アンナ様、贈り物ありがとうございます」
 わたくしは笑顔でそう返す。
 戦争がなくなり、平和になったとはいえ、魔獣が棲むオルト山脈地帯の警備や都の治安維持のための騎士たちの指揮官である騎士団長がわざわざ姪であるわたくしの誕生日会ごときのために仕事を休んでまで来てもらっては申し訳ない。
 それに、この、わたくしの誕生日会は、パーニャ叔父様のお話を親族一同で聞き、説得するためのものとして開かれたものだと、聡いわたくしは理解しております。
 まあ、いつの間にかパーニャ叔父様の聖女伝説を語る場となってしまい、とても残念な結果になってしまいましたが、今日はわたくし、お父様もお母様もお祖母様もこの食卓に揃っただけでご機嫌でしたのよ。
 でも、皆様、げんなりしていらっしゃいますわね。
 "アイドル"として魅了魔法を得意とするアンナちゃん様でも、パーニャ叔父様の聖女への信仰心を惑わすことは叶いませんでしたのね。
 わたくしが魔王妃だった頃は、男はイチコロ! 
 ただ、ひとりを除いてはですけど、いいえ、何でもありませんわ……
 それにしても、聖女リゼ、恐ろしい影響力ですわ!
「リーザちゃんは優しいのね! まるで天使だわ! アレクちゃんも天使だけど、ヴァンちゃんはもう少し素直に甘えてくれるとママは嬉しいなぁ〜」
 先程までの涙目が嘘のように、笑顔で二人の息子を抱き締めるアンナちゃん様と、豊満なアンナちゃん様の胸に顔を埋められて、逃げ出そうとするヴァンお兄様と顔を赤らめるアレクたち母子の姿をわたくしは微笑ましく見守りました。

 パーニャ叔父様のお話にもあった通り、この二千年。聖女が亡くなった後も、魔族と人族の国の間で戦争になる度に聖女の後継者たちがその仲裁に入り、鎮めてきました。
 神に選ばれ、神の最後の声を聞き、世界を愛した"聖女"とされているリゼは、その姿がなくなった今世でも、この世界を守り続けています。
 そんな彼女を、わたくしは気に入らないのです。
 本当に世界を救ったのは、わたくしの中で、もう名前も顔も思い出せない愛しいあの方だったはずなのに、世界は聖女が救ったと、わたくしの愛しいあの方はこの世界にまるではじめから存在しなかったように扱われて、魔族が、魔王妃リリスが二千年の間に悪き者のように伝えられて、あの時代、つらく苦しい事の方が多かったけれど、それでも魔王妃リリスは懸命に生きた。そんなわたくしの前世が何だったのか、虚しくなるのです。
 そして、腹正しい。
 魔族を守ると誓った自分が、道半ばで倒れ、本当は何も成すことが出来なかったことが……

 ああ、これは多分、嫉妬なのです。

 わたくしも、聖女リゼのように、あんなふうになりたかったのです。
 世界を救おうとしていたあの方の志しを、聖女リゼが成した大業を、わたくしも果たしたかったのです。
 そして、聖女リゼの登場により、消されてしまった愛しいあの方の名声を取り戻したいと思ったのです。
 けれど、失ったものはもう戻らないことをわたくしは知っています。
 この記憶もこの感情も、今のわたくし、エリザヴェータ・シルバニアのものではないのです。
 だけど、あの方との最後の約束だけは果たさなければならないと思うのです。
 わたくしが幸せになることをあの方は望んでいたから、今世では、わたくしは幸せになるのです。
 今は、まだ、わたくしの幸せが何なのか分からないけれど、笑顔になることが幸せだとあの方は教えてくれた。

 今は、ほら、わたくしは家族に囲まれて、食事をして、贈り物をもらって笑っていられるのです。

 こんなふうに笑って、あの見捨てられた土地で、あの方に助けられた同胞と火を囲み、それまで食べ物もなく、お腹を空かせて、皆で一緒に焼きイモを食べた事。一夜にしてあの立派な魔王城が完成し、魔獣に怯えず、寒さに震えることもなく、安心して眠れるようなった事。それはこの世界のどこの記録にも遺されていない遙か昔の出来事。魔王妃になる前の少女リリスが初めて幸せを感じた瞬間でした。

 ーーあの方がくれた祝福。

 世界はもう、あの方のことを忘れてしまったのでしょうか?
 魔族も人族も、それから妖精族、魔獣たち全ての生命の幸せを願っていたあの方のことをーー。

 わたくしの愛しい魔王様。世界は、すっかり変わってしまいましたわ。