プロローグ イタリアンの店で働く女子高生
里中賢がその子の存在をはっきりと認識したのは高校1年の冬、12月中旬の出来事だった。
その日賢が偶々家族と行ったイタリアンのお店でその子はバイトしていた。
名前は黒木梨沙。整った容姿をしていて、顔は割と童顔で髪の毛はボブカット。可愛いと綺麗の中間くらいにいる感じで、身長は155cmくらい。
たしか学校では隣りのクラスで映画愛好会所属の内気な女の子だったはず。
だがバイト先での彼女は見ていても快活そのもの。元気にテキパキオーダーをこなしていた。その元気な様子を見て賢は微笑ましく思った。彼女の笑顔は営業スマイルのはずなのに妙に輝いて見えた。
彼女も賢のことを認識しており、気さくに話しかけてきた。
「里中君でしょ?1年C組の」
「そうだけど。君はたしかB組の黒木さんだよね?」
「覚えててくれたんだ!嬉しい!」
「いつからバイトしてるの?」
「8月から!」
「そうなんだ...」
「賢、知り合い?」
母親の里中明子が興味津々で話に割り込む。
「ああ、紹介が遅れてごめん。こちら同学年の黒木さん。こっちは俺の母と妹です」
「はじめまして!」
黒木さんが元気に挨拶する。
「はじめまして、息子がお世話になっております」
「ます!」
明子と妹の里中珠緒も元気に返す。
「いいえ、こちらこそ!ところで里中君、それ『テルマ』のパンフレットでしょ?』
「うん、家族で映画観て来たんだ」
「面白かった?」
「うん、超面白かった」
「そっか、私も絶対観に行かなきゃなぁ...おっと!仕事仕事!ごゆっくりどうぞ!」
「ありがとう」
黒木さんは嵐のように去って行った。
「仲良さそうね」
母親の明子が聞いてきた。
「学校だとあまり話したことないんだけどね」
賢も返す。
「全然そんなふうには見えなかったけど」
「学校とキャラが違う」
「そんなものかしら」
「そういうものだよ」
賢はひとりごちた。
翌日学校に着いた賢は、黒木さんと廊下でばったり出会った。
「おはよう」
声をかけてみた。
「お、おはよう...」
黒木さんからは昨日のテンションはどこ行ったんだよ、というレベルのローテンションが返ってきた。同一人物か、と疑うレベルである。
「『テルマ』早く観れるといいね」
「そ、そうだね」
「はは...じゃあまた」
「うん、また...」
女の子っていうのはよくわからないなと思いつつ賢は自分の教室に入っていった。黒木さんは学校では本当に内気な女の子だったらしい。
1話 悪友
「賢、あんた最近そわそわしてるけど女でもできた?」
C組で賢と同じクラスの遠藤柚子葉が突然ずいっと聞いてきた。柚子葉はソフトボール部所属のイケイケ系女子で席替えで隣の席になって以来頻繁に賢に話しかけて来るようになっている悪友である。梨沙とは違うタイプに整った容姿をしており顔は綺麗な感じで口元のホクロがアクセントになっている。髪の毛はポニーテールに結っていて身長は168cmと女子にしては背が高い方だ。
「なわけないだろ」
賢は淡々と答える。
「本当かなぁ、最近妙にそわそわしてるように見えるけど」
「なんだよそわそわって。いつも通りだろ?」
「いーや違うね、明らかに様子が違う。隠しててもいいことないよ。吐いちゃえ、吐いちゃえ」
「だから、隠し事なんてねぇし。てか、柚子葉、なんでおまえはいつも上から目線なんだよ。おまえこそモテるんだから俺みたいなのにかまってないで青春を満喫してこいよ」
「あたしは青春満喫してるよ。賢一筋だし」
「はいはい、ありがとよ」
身も蓋もない会話が終わる。賢は柚子葉の軽口などてんで本気にしていないのだ。
「モテる男はつらいねぇ。この幸せ者がぁ」
柚子葉が席を外したと思ったら、今度も悪友の黒鉄春人が絡んできた。
「モテてねえよ。おひとりさまだよ。なんか文句あるか」
賢も春人の絡みがうざいことこの上ないという感じで答える。
「柚子葉の奴は本気だと思うぜ。じゃなきゃあんなに絡んでくるか?」
「あいつは誰に対してもあんな感じだよ。いちいち真に受けてられるか」
「素直じゃねぇなぁ」
「ほっとけ」
「で、実際気になってる子はいるんだろ。ホラ吐け。オラ吐け。いいから吐け」
「うるせえなぁ。まあ、いるっちゃいるが恋愛話じゃないぞ」
「ほほぉ、いるにはいるのか」
「いちいち癪に触る奴だなおまえ...実は最近家族でイタリアンに行ったんだけど、そこで隣りのクラスの......」
賢はつい先日のイタリアンでの出来事を春人に話して聞かせた。
その数分後。
「面白いな。よし行くぞ、そのイタリアン!」
春人が何これいいアイデアじゃん的なノリで宣言してきた。
「何が面白いだ。黒木さん困らせてどうすんだ!」
「いやぁ、だって賢の話聞いてたら学校での内気な黒木さんとイタリアンでの快活な黒木さんどっちがホントの黒木さんだべってなるじゃんかよ!行って確かめるのが一番手っ取り早いだろ?」
「いや、どう考えてもイタリアンでの黒木さんは営業トークモードだろ?」
「話聞いてるかぎりそうとは言い切れないぜ?だって、向こうから話しかけてきて映画の話にまでなったんだろ。明らかに営業トークの域を越えてるって!」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。もう一度行ってみればはっきりするって!おーい、柚子葉!みんなで今度イタリアン食べに行こうぜー!」
結局席に戻ろうとしていた柚子葉にまで話が広がってしまった。
「何々?賢が吐いたぁ?」
柚子葉が可笑しそうに返してくる。
「いやさ、実はさ......」
春人がこれこれこうでと話をまとめる。
「やっぱ面白いことになってるじゃん!行こうよ、そのイタリアン!私が黒木さんのこと吟味してあげる♩」
「おいおい...」
こうして賢たちのイタリアン行きはあっさり決まってしまったのだった。
2話 食事会
次の土曜日。
「いらっしゃいませー!あれ?里中君、その2人、確かC組の人達だよね、どうしたのみんなして?」
黒木さんは驚いた様子でみんなを交互に見比べている。そりゃそうなるだろ。賢は心の中で1人ため息をついた。
「いや、この間来た時美味しかったから今度はみんなで来ようって話になって」
賢は苦しい言い訳をする。
「あ、そういうことですか!みなさん、どうもありがとうございます!ご注文お決まりになりましたらお呼びください!」
黒木さんは大して疑問をもたなかったらしく他のテーブルに向かっていってしまった。
「本当に明るいわね、黒木さん...。さて、私はローマ風うす焼きピッツァにするわ。2人はどうする?」
「俺は王道のトマトスパゲッティにする」
春人が答える。
「じゃあ俺はボンゴレスパゲッティにするよ」
賢も決めた。
「じゃあ注文するね。すいませーん!」
「はい、ただいま伺います!」
柚子葉が声をかけると黒木さんが飛んできた。
「それじゃあ注文を、と、まずその前に自己紹介か。私は遠藤柚子葉。ソフトボール部所属。で、こっちが...」
「黒鉄春人っていいます。将棋同好会所属でーす。よろしく!」
「どうも。黒木梨沙といいます。よろしくお願いします。私は映画愛好会所属なんですけど、たしか里中君は美術部所属だったっけ?」
「うんそうだよ。よく知ってるね」
「えへへ」
黒木さんは恥ずかしそうにしていた。
「『テルマ』は観てきた?」
賢はストレートに聞いてみる。
「観てきた!主役の田所隆太が超カッコ良かった!」
「それはよかった」
その会話の様子を春人はニヤニヤ、柚子葉は少しぶすっとした感じで聞いている。
「あ、すいません...ご注文をどうぞ」
賢と黒木さんは一瞬で我に帰る。
「じゃあ注文するわね。私はローマ風うす焼きピッツァ、春人はトマトソーススパゲッティ、賢はボンゴレスパゲッティで全員ランチセットでお願いします。セットの飲み物はホットコーヒーでいい?」
「いいよ」
「同じく」
柚子葉が注文し春人と賢が相槌をうつ。
「ランチセットですね。かしこまりました。里中君、うちのコーヒーは美味しいよぉ。前回は飲まなかったでしょう?」
「ああ、うん」
たしかに賢は前回コーヒーを頼んでいない。頼んだのはハーブティーだった。
「何か特別なコーヒー豆使ってるの?」
「うん、コーヒー豆もこだわってるし、うちのお店は抽出法が特別なの!」
「抽出法が特別?」
「うん、うちのお店はドリップじゃなくてエスプレッソ抽出なの!」
「エスプレッソ抽出?」
「そう、コーヒー豆の旨味をぎゅっと濃縮出来るんだよ!」
「そ、そうなんだ」
賢はすっかり黒木さんのハイテンションペースに呑まれてしまっていた。
「コーヒーは食前と食後どちらがよろしいですか?」
黒木さんが改まってみんなに尋ねる。
「私は食後がいいな。2人は?」
「俺も食後がいい。賢は?」
「じゃ俺も食後で」
柚子葉が仕切る。
「注文かしこまりました。では、出来あがるまで少々お待ちくださいませ」
黒木さんは颯爽とキッチンにオーダーを通しに消えていった。
「やっぱり学校とは別人だ...」
賢がひとりごちていると、
「賢、黒木さんのあれは営業トークだよ。ご愁傷様」
柚子葉が悪びれずに言い放つ。
「はぁ...やっぱりそうか。お店のコーヒーについて熱く語ってたしな。じゃ、やっぱり学校での黒木さんが素なのかなぁ」
賢もため息をしつつ補足する。
「えぇ、どこが営業トークだよ。普通、賢が美術部所属なんて情報知らないし、『テルマ』の話で盛り上がってたじゃんか!」
春人が食い下がる。
「ちょっとアンテナ張ってたら気づくわよそれぐらいの情報。『テルマ』だって営業トークにぴったりの共通話題だし」
柚子葉はそっけない。
「えー、それはちょっと勘繰り過ぎだろ。柚子葉、もしかしておまえ、『黒木さんを吟味してあげる』とか言って賢が黒木さんに持ってかれるの阻止しようとしてるだけなんじゃねぇの?」
「ば、馬鹿言わないでよ。そんな意地悪なことするわけないでしょ!」
柚子葉が顔を真っ赤にして反論する。
「おい2人共、声が大きいって」
賢が苦言を呈して2人を止める羽目になった。
イタリアンからの帰路。
3人は満足げに歩いていた。
「いやぁ、トマトスパゲッティ美味しかったわ。あと梨沙ちゃんの言う通りコーヒーも美味かったなぁ」
春人は早速黒木さんのことを「梨沙ちゃん」呼びである。軽い奴だ。
「ローマ風うす焼きピッツァも絶品だったわ。また来たいわね」
柚子葉も幸せそうだ。
「ボンゴレも美味かった。あれは家じゃ出せない味だわ。それに黒木さんの言ってたコーヒー...。本当に美味しかったなあ。クレマなんか浮かんでてさぁ...」
賢もご満悦だ。
「ところで本題だけど、学校での内気な黒木さんとイタリアンでの快活な黒木さんどっちがホントの黒木さんなんだろうな」
賢が切り出す。
「どっちもホントだべ」
「いや、学校での黒木さんがホントでしょ」
春人と柚子葉で意見が割れた。
「賢はどっちの黒木さんが好みなんだ?」
春人がズケズケと聞いてきた。
「だから恋愛じゃねーっての。でもどちらかと言えばイタリアンでの黒木さんの方が喋りやすいのは確かだな。あと魅力的だ」
賢が答える。
「み...魅力的?!そうよね...イタリアンでの黒木さんの方がとっつきやすいのはたしかだわ」
柚子葉もこれについては同意する。
「一度学校で梨沙ちゃん誘って昼飯一緒に食べて駄弁ってみたらいいんじゃね。学食でいいからさ。そしたら少しはモヤモヤも晴れるだろ」
春人が提案する。
「いいね、面白そう」
柚子葉もこれに乗っかる。
「うーん、たしかにそれがいいかもな」
賢も渋々これに応じた。何か黒木さんのことがわかるかもしれない、そんな気がした。
3話 学食
週が明けて月曜日の朝。
賢は隣りのBクラスに顔を出していた。
ちょうどいい塩梅に廊下側の席に知り合いが座っている。同じ美術部に所属する女子の郡山美鶴である。顔は端正だが嫌味がなく全体的にキリっとした雰囲気をまとった女子だ。美鶴はちょうど教科書を広げているところだった。
「美鶴、ちょっといい?」
「ん、どしたの、賢っち?」
不思議そうな顔で美鶴が顔を上げる。
「悪いんだけど黒木さんを呼んで来てくれないかな?ちょっと用事があるんだ」
「別にいいけど、月曜日の朝から女子の呼び出しって、賢っち、度胸あるね」
「いいから頼むよ」
「了解」
美鶴はノソノソと教室の奥に向かっていく。黒木さんが見えた。黒木さんは美鶴から話を聞くと恥ずかしそうにこちらに向かって来た。
「美鶴、ありがとう」
「どういたしまして。今度チョコ奢ってね」
「わかってる。借り1つな」
美鶴は満足そうに席に着いた。
「さ、里中君、用事って何?」
黒木さんが歯痒そうに聞いてくる。
「あぁ、実は用事って程じゃないんだけど...遠藤と黒鉄が黒木さんと一緒に昼食取りながらおしゃべりしてみたいって言ってるんだ。だから、よかったら今日の昼学食に行かない?」
「さ、里中君が嫌じゃなかったら、い、行きます...」
「もちろん大丈夫だよ!よかった!じゃ、また昼休みに!」
賢は黒木さんにニッコリと笑いかける。黒木さんも気恥ずかしそうにニコリと笑って返した。どうやら作戦は成功したようである。
そして昼休み。
4人は学食に一堂に会していた。
賢はカレー、春人がカツ丼、柚子葉はラーメン、黒木さんは炒飯を頼んでいた。
「黒木さん、この間はありがとう!ピッツァもコーヒーも美味かった!」
「へへ、よかった」
柚子葉の話しかけに黒木さんが嬉しそうに反応する。黒木さんが油断したその瞬間だった。
「ところでさ、黒木さんなんで学校とイタリアンでキャラ使い分けてるの?」
柚子葉がどストレートな質問を投げつけた。
「ぶふっ!」
これには賢も春人も驚いて口の中の物を吹き出しそうになる。あまりにも唐突すぎではないか。もっとライトな話題から入っていけばいいのに。賢はそう思った。
「ええと...特に意識して使い分けてるつもりはないんだけどね、あのね...」
黒木さんがポツリポツリと話し始める。
「学校での私って...なんて言えばいいのかな、自分だけの強みがなくてね...勉強もスポーツも普通だし。美人でもないし...ずっと自信がもてなかったの...」
いや充分美人だろと同時に思う賢と春人だったがここは突っ込むところではないと判断し黒木さんの話を促す。
「でもね、あのイタリアンレストランに8月から働き始めてから、商品の何もかもが本物って感じでね...自信をもってお客様に本物の商品を紹介出来る喜びっていうのを感じるようになったんだ...そうして働いているうちにテンションが上がって来るようになって、学校とは違う私になってたんだと思う。その、たぶんだけど...」
黒木さんはそこで恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「やっぱりああいう私ってキャラに合わないかな?」
声がどんどん小さくなっていく。
「そんなことないよ!イタリアンでの黒木さんはとっても魅力的だよ!」
賢は気づくと叫んでいた。
「み、魅力的!?」
黒木さんの顔が真っ赤になった。
「ぶはっ!」
春人が吹き出した。
「何真っ昼間から学食で女の子口説いてるのよ。時と場所をわきまえなさい!」
何故か柚子葉までも顔を蒸気させている。
「違う!誤解だ!イタリアンでの黒木さんもキャラに合ってるって話だ!揚げ足取るな!」
賢は必死に弁解する。
「ご、誤解ですか...」
なぜか黒木さんがシュンとしてしまった。
「とことん失敬な奴ね...」
柚子葉は呆れている。
「賢、ぷふふ、おまえ、面白過ぎだ...あー、おかしい!」
春人は大爆笑している。こいつはこいつで失礼な奴だ。
「でも、話聞けてよかったわ。つまり学校での黒木さんもイタリアンでの黒木さんもどっちもホントの黒木さんだってことね」
柚子葉がひとりごちた。
「え、ホントの私?」
黒木さんが不思議そうに尋ねる。
「いやぁ、学校での黒木さんとイタリアンでの黒木さんがあまりに別人だからみんな気になってたんだよ。理由がわかってスッキリした!」
賢もスッキリした気分になった。
「せっかくのご縁だし梨沙ちゃん俺らの友達になってくれないかな?LINE交換しよ?」
春人がちゃっかり申し出る。
「あ、ぜ、是非!お友達になりたいです!」
黒木さんは再び顔を真っ赤にして叫んだ。
「ありがとう」
春人がニッと笑ってそれに返した。
この後3人は黒木さんとLINEアドレスを交換し合った。
「ありがとうございます!」
黒木さんは嬉しそうに携帯を胸に当てた。
「それでさ、梨沙ちゃんが良かったらなんだけど、友達になったんだから、名前お互い呼び捨てにしない?俺らはもうそうやってんだ、な、柚子葉?」
春人が再び突然提案した。
「俺も黒木さんのこと下の名前で呼びたい」
賢もここぞとばかりに乗っかる。
「はぅ...!」
黒木さんはまた顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
「だからいきなりハードル上げてどうすんのよあんたたち!黒木さん無理強いはしないから安心して。このお調子者の馬鹿2人はあとできっちりシメテおくから!」
柚子葉が憤怒の形相になる。
「...じゃないです」
「えっ?」
掠れた黒木さんの声に柚子葉が反応する。
「い、いやじゃないです。わ、私も3人のこと下の名前で呼びたいです」
今度ははっきり聞こえた。
「そう...なら心配いらないわね。じゃあ、まず私が柚子葉、で、こっちが春人、それでこいつが賢ね」
「柚子葉ちゃん、春人君、ま、賢君...」
「んで私らは黒木さんのことこれから梨沙って呼ぶから、よろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
「よろしく梨沙」
春人がニッと笑う。
「俺の方もよろしく、梨沙」
賢も負けずに続いた。
「よ、よろしくお願いします!」
多少緊張してたようだがこうして賢たち3人は梨沙と友達となった。
4話 柚子葉の気持ち
1月中旬。
黒木梨沙と友達になってから1ヶ月が過ぎた。4人全員がバラバラの部活に入っているため集まるのは昼休みの学食か土日に限定されてしまう。
そこでここ1ヶ月で賢たちには新しいルーティンが出来た。1ヶ月に2度土曜の日に梨沙の勤めるイタリアンに通うのだ。
梨沙の勤めるイタリアンは、ランチはスパゲッティかピッツァにコーヒーとサラダとパンがついて980円と本格イタリアンにしては破格のお値段。高校生の財布にも優しい価格設定である。
それでも毎月食事会で2,000円の出費は馬鹿に出来ない。
賢は月火水曜日と週に3回、夜6時から9時まで、駅前のスーパーでレジのバイトをすることに決めた。面接をあっさり通過し1週間の研修も無事終了。もう普通に仕事をしている。
水曜日の夜8時30分頃「あと少しでバイト上がりだなぁ」と考えながらルーティン的にレジ作業をこなしていると突然声をかけられた。
「よっ、お疲れさん」
「え、あ...柚子葉じゃん。一体どうしたこんな時間に?」
「普通に買い物だよ。これお願い。」
レジ台にチョコレートと豆乳飲料紅茶が置かれる。
「120円が一点、98円が一点、合計で218円になります」
「220円からお願いね」
「お釣りが2円になります」
「今日はバイトは何時上がり?」
「あと30分で上がりだよ」
「じゃあ、駅前のマックで待ってる」
「門限ないのか?」
「うちはそういうところフリーなんだよ。あんまり遅く帰ったら叱られるけどね」
「そうか、わかった。終わったらすぐ行く」
「あいよ」
そうして柚子葉は機嫌良さそうに店を出ていった。
40分後。
賢はマックに着いていた。
柚子葉はすぐに見つけることができた。
「柚子葉、お待たせ」
「バイトお疲れ!早かったね」
「今日は珍しくこの時間帯にお客さん少なかったからすぐ上がることが出来たんだ」
「そうなんだ。何か頼んできたら?」
「そうするわ。ハンバーガーとメロンソーダにしよう。ちょっと待ってて」
「りょーかい!」
柚子葉はわざとらしく敬礼してみせる。
その様子に苦笑しながら賢はカウンターに並びに行った。
さらに数分後。
「今度こそお待たせ!」
「あいよ。座りなよ」
「言われんでも座るわ」
賢は強がってみせる。
「賢のそういうところマジ可愛いね」
「可愛いって言うな。そんなことよりどうしたんだよこんな時間に。夜の10時過ぎたら補導されるぞ」
「大丈夫だよ。それまでには帰るから」
「よかった。で、用件は何?」
「友達とマックするだけでなのにいちいち用件が必要なわけ?」
「そうか、たしかにそうだな」
「で、バイトの方は慣れた?」
「ああ、慣れてきたよ。先輩達が丁寧に教えてくれたしさ」
「そう、ならよかった」
「ああ」
「ところでさ!梨沙のことなんだけど!」
突然柚子葉が叫んだ。
「梨沙のこと?」
賢が訝しげに問い返す。
「そう、梨沙のこと...。正直、あれだけギャップがあるとさ、ギャップ萌えって言うの?男の子はグッと来ちゃうんじゃないかなと思って...」
「まあ、言われてみればそうかもな」
「え、マジ?!」
「イタリアンで輝いてる梨沙は素敵じゃん。学校での梨沙もなんで内気なのか理由わかったら違和感なくなったしさ」
「マジかぁ...」
「え、柚子葉もそう思ってたんじゃないのか?」
「たしかにそうだけど...」
「じゃあ何が問題なんだよ?」
すると柚子葉は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「私はさ、賢を梨沙にとられるのが怖いんだ...」
数秒の沈黙の時間が流れる。
「あの、それはどうゆう...」
「言葉のまんま!私は賢のことが好きなの!賢一筋だ、って言ったじゃん!」
柚子葉は泣きそうな顔で続けた。
賢はえー、となってしまった。突然過ぎる。
「いや、それは嬉しいけどさ...一体俺のどこがいいんだ?...俺、どこにでもいる普通の男子って言うか、むしろ非モテ街道まっしぐらじゃんか...」
「賢が自分のいいところに気がついてないだけだよ。賢、誰に対しても分け隔てなく優しいし、素敵な絵が描けるし...賢のこと好きな女の子何人か知ってるよ」
「全部初耳だよ!」
「賢、鈍いからなぁ」
柚子葉は目に涙を浮かべながら可笑しそうに笑っている。
賢は突然の柚子葉の告白に気持ちが大混乱していた。これは現実なのか?まずそこから疑うレベルだ。これからどういうスタンスで柚子葉に接していけばいいのか全くわからなくなった。
「ありがとう...でも、ごめん、今まで全然考えたことなかったから、どう受け止めればいいのか全然わからない。こんな状態で柚子葉の気持ちには答えられないよ...」
「それはいいの!私が勝手に賢のこと一方的に好きなだけだから聞いてもらえればそれでいいの。だから今すぐ付き合ってとは言わない。これからの私を見ていてほしいの!」
「うん、そ、そうか、わかった」
賢はやっとの思いで声を絞り出した。
「だから梨沙には負けない。それだけは覚悟しておいてね...」
柚子葉はニカっと微笑んでシェイクを口に運んだ。
「そ、そうか...」
柚子葉の言葉はいつもど直球だ。間抜けな返事しか出来ない賢であった。
5話 ジレンマ
1月下旬。
賢は最近熟睡することができず寝不足に悩まされていた。理由は明白。柚子葉の告白が原因である。黒木梨沙のギャップに惹かれつつあったところにここにきて柚子葉の告白である。動揺するのも無理はない。しかも誰にも相談することが出来ない。八方塞がりである。
賢は慣れない感情に疲れながら朝食に降りてきた。
「お兄ちゃん、おっそい!」
妹の里中珠緒が嘯く。
「今日は随分ゆっくりなのね」
母親の里中明子があらあらといった感じでぼやく。
「悪い。よく眠れなくてさ」
賢が答えて「いただきます」と手を合わせ朝食のサラダとトーストに齧り付く。
「もしかして恋の病?」
明子があっけらかんと尋ねる。
「ぶふっ...げほっ!ごほ!」
賢はむせてしまった。
「あら、図星だったの?」
明子はニコニコと笑っている。
「どうしてそれを?」
「観てればわかるわよ」
「もしかしてあのイタリアンのお姉ちゃん?」
珠緒が野次馬根性丸出しで聞いてくる。
「うっせぇ、あっち行ってろ」
「はーい!」
珠緒は可笑しそうにだが素直にリビングから出ていった。
「それでどんな状況なの?」
明子が優しいトーンで聞いてくる。
「女の子に告白されたんだよ。だけど自分の気持ちが整理出来なくてまともな返事が出来なかった。まあ、今でも気持ちの整理は出来ていないんだけど」
賢は素直に差し障りのないところを答えていく。
「それってイタリアンで会った黒木さんっていう女の子?」
「違う。別の女子」
「あら、それは大変ね」
明子がふふっと笑う。
「恋愛に正解なんてないわ。とにかく誠実にね。でも自分の気持ちがはっきりわかったときはちゃんとその気持ちをその子に伝えること。それが出来れば問題はないわ。お母さんは賢を信じてる」
明子ははっきりと言い切った。
それはなによりも今の賢にとって心強い言葉だった。
「ありがとう」
自然と感謝の言葉が口に出た。
6話 黒木梨沙
私が賢君をはっきりと認識したのは秋、10月に開催された文化祭での出来事がきっかけだった。映画愛好会の当番が終わり校内をゆっくり回っていた私は美術部の展示会で素敵な絵に出会うことになる。それは鮮やかな色遣いで太陽が海から昇る場面を切り取ったかのような絵だった。青、群青、緑、黄色、オレンジ、赤、白の色がところ狭しとキャンバスを埋めていた。そして、美術部の展示会でそのとき案内係の当番をやっていたのが賢君だった。
「これ俺の自信作なんですよ」
絵の前で佇んでいた私に賢君は突然声をかけてきた。最初はビクっとしたが彼のおおらかな雰囲気で少し経てば平気になった。
「日の出ってその日の始まりを伝えるものじゃないですか。そこも好きなんですけど、でも特に暗い海の向こう側から日がさす場面ってそれまでどんな嫌なことがあってもそこですべてがリセットされてもう一度何にでもチャレンジ出来るそんな勇気をもらえるような気がするんです」
賢君が語る。
「い、いいですね」
私も相槌を打つ。
「ほら、夜明け前って1番世界が暗闇に包まれてる時じゃないですか。それがだんだんと水平線がオレンジ色に光ってしばらくすると太陽が昇って来る。その光景がギャップがあってたまらなく好きなんです」
賢君はそう続けた。
「素敵ですね」
自然とその言葉が口をついた。
「すいません。熱く語っちゃって。他の部員の絵も展示しているので、是非ゆっくりご覧になっていってください。」
そう言うと賢君は案内係の席へと戻っていった。
賢君がその後話しかけて来ることはなかったが、私はその後もしばらく賢君の絵に見惚れていたのだった。
「素敵な絵を描く人だなぁ...」
それが賢君の第一印象だった。
その後何事もなく2ヶ月が過ぎた。
私は8月から近所のイタリアンのお店でアルバイトをしていた。そのお店は本場志向のイタリアンをリーズナブルにを合言葉にお客様に自信をもって本物の商品を紹介しようというお店だった。私も働いているうちにテンションが上がってきて学校とは違うハキハキとした私を出せるようになっていた。
そんな12月に賢君が家族とお店にやってきた。クリスマスはまだちょっと先だったので軽く食事に寄ってみたという感じだろう。胸が高なった。自分で言うのもなんだけどここでの私はかなりテキパキした動きをしていると思う。だから...
「里中君でしょ?1年C組の」
自信をもって話しかけることが出来た。
思えばこれが初恋の始まりだった。
7話 カラオケ
2月下旬。
賢たちはいつものようにイタリアンで食事会に来ていた。梨沙は別のテーブルで接客をしていて今はいない。
「中間テストの結果どうだった?」
柚子葉が尋ねる。
「俺はいつも通り」
春人が自信満々に答える。
「はいはい、あんたは頭の出来が私とは違うものね。また平均90点台?」
「まあ、そんなとこ」
「うざいわぁ。賢はどうだったの?」
「今回はあんまりよくなかったな。平均70点台だったと思う」
賢は淡々と答える。
「へぇ、賢いつも平均80点台なのにね」
柚子葉は意外といった反応をする。
「そういう柚子葉は平均何点なんだよ?」
「80点台。ソフトボール部にしては出来る方でしょ?」
柚子葉は得意げだ。
「ああ、そうかい。勉強もスポーツも出来てよござんすね。ところで柚子葉、おまえたち春以降はこの土曜日の食事会どうするんだ?ソフトボールの対外試合始まったら参加出来なくなるだろ?」
賢は自分の不甲斐無さが恥ずかしくなって話題を変えた。
「そうなんだよね、実際来る時間なくなると思う」
柚子葉は残念そうにぼそりと答える。
「俺もイタリアンのお店に野郎2人だけで来るっていうのはちょっと気がひけるなぁ」
春人も複雑そうに言う。
「俺は来るぞ。1人でも」
「えっ?」
賢の宣言に春人と柚子葉が同時に反応した。
「だってここのイタリアンめっちゃ美味しいし」
「元気な梨沙にも会えるしねー」
「なんだよ、感じ悪いなぁ」
柚子葉の意地悪に賢がムキになる。
「別にー」
「おまたせしました。ご注文はいかがなさいますか?」
梨沙がやって来た。
「梨沙、頑張ってるね!私はボンゴレスパゲッティね。2人は?」
「俺はカルボナーラスパゲッティ、賢は?」
「俺は万願寺とうがらしのペペロンチーノスパゲッティで」
「かしこまりました、お飲み物はどうなさいますか?」
「みんな食後にコーヒーで」
「ありがとうございます、ではごゆっくりしていってください」
「ありがとう」
柚子葉が返事した。賢の中では不思議なことだが柚子葉にとって恋のライバルのはずの梨沙の存在がどうやら友達としては成立するらしい。賢はほっとひと安心した。
「ところで梨沙、今日何時上がり?」
「えっ!えーとあと1時間で上がりだけど...」
「じゃあ、この後みんなでカラオケに行こう!」
柚子葉がとんでもない提案をぶちかました。
「ぶふっ!」
この提案に春人も賢も吹き出してしまう。なぜ柚子葉はいつもやることなすこと突然なのか?賢にはさっぱり理解出来ない思考である。
「どう、カラオケ行きたくない?私今日超歌いたいんだけど!」
「どうっておまえ、いきなり過ぎるだろ?」
賢がぼやく。
「えっ、無理?」
「俺は行けるぜ」
春人が答えた。こいつはこいつで考え方が柔軟だ。
「賢は無理なの?」
「いや、行こうと思えば行ける」
「OK!梨沙もみんなと一緒に行こうよ!」
「私、今までカラオケ一度も行ったことがなくて...」
梨沙は困り顔だ。
「じゃあ今日は梨沙のカラオケデビューだ!」
柚子葉の勢いは止まらない。もはや暴走機関車である。
「えーと、うん、わかった。私もみんなと一緒ならカラオケ一度行ってみたい...」
梨沙がついに折れた。
「よし決まり!集合は余裕持って1時間半後ね!」
その場は柚子葉の1人舞台となった。
「なんでいきなりカラオケなんて言い出したんだ?」
賢は柚子葉に尋ねた。
3人は食後のコーヒーを飲んでいた。今日賢が食べた万願寺とうがらしのペペロンチーノスパゲッティも最高に美味しかった。やっぱりここのお店には外れがない。
「さっきの話の続きよ。春になったらソフトボール部の対外試合で土日両方とも潰れてみんなでイタリアンに集まれなくなるから今のうちにみんなで遊んでおこうと思って」
「それにしたって今日の今日ってのは急過ぎるだろ」
「思い立ったが吉日っていうでしょ」
柚子葉はどうだと言わんばかりである。
「楽しめればなんでもいいよー」
春人は余裕である。
「まあ、梨沙が初めてのカラオケ楽しめればいいんだけど...」
そして、約束の時間になり4人はカラオケルームに集まっていた。機種はジョイサウンドでなく曲数の多いダムスタジアムである。
「まずはわたくし遠藤柚子葉から!曲はシェルルの『バズーカ』!」
始まってしまった。柚子葉は初っ端からノリノリで歌っている。
賢が視線をやると梨沙が見るからにガチガチになっている。そりゃそうだ。いきなりこのノリはきつい。
「盛り上げようとしなくていいからまずは知ってる曲を選んでみたら?」
賢が梨沙にアドバイスする。
「えーと、青い鳥の『羽根をください』とかなら歌えると思う」
「結構古い有名どころだね、じゃそれで行こう」
方向性が決まった。
「じゃ、次は俺ね!ストローベリーの『夏花火』!」
今度は春人が歌い始める。90年代ソングだ。こちらもノリノリである。
すぐに順番は回ってくる。
次は賢だ。
「俺は森下雄三の『陽だまりスケッチ』で行く」
チョイスは80年代ソングのバラード系にしておいた。これなら次の梨沙が歌いやすいはずだからだ。
そしてとうとう梨沙の順番が回ってきた。
「私は青い鳥の『羽根をください』で...』
梨沙の歌唱が始まった。
梨沙は声がいい。よく響くのである。カラオケは初めてと言っていたがそんなの信じられない上手さである。
そして4人とも1曲目を歌い終わったところで暫し談笑の時間となった。
「梨沙歌えるじゃん!初めてとは思えないよ!信じられないくらい上手いじゃん!」
柚子葉が褒めちぎる。
「ありがとう...そうかな...そうだといいなぁ」
梨沙はちょっと照れ顔である。
「全然初心者って感じしなかった!上手いよ!」
春人も感心しきりである。
「梨沙がカラオケ楽しめているようでよかった」
賢はほっと一安心といったところだ。
「遅まきながら今日は来てくれてありがとう、梨沙...」
柚子葉が神妙な感じになる。
「ううん、こっちこそ誘ってくれてありがとう」
梨沙が慌てて答える。
「春になったら賢は通えるらしいけど私は梨沙のイタリアンに通えなくなって学食でしか会う機会なくなるから一度みんなで遊んでおきたかったんだ」
「そうか、そうだね...誘ってくれて本当にありがとう...」
「せっかく来たんだから楽しんでいってね。よっしゃー、次の曲に行くぞー!次はね...」
春になったら柚子葉はイタリアンに来れないし春人も来なくなる。だからこそ今日一日をいい思い出にしよう。そう思う賢であった。
8話 部活訪問
3月下旬の木曜日のこと。
期末試験も終わり、生徒たちが春休みの到来を楽しみに浮かれ出した頃、
「賢君、ちょっといいかな?」
梨沙が突然口を開いた。
「ん、何?」
賢が尋ねる。
「実はさ、春休みに入る前に賢君の美術部に是非遊びに行きたいんだ」
「かまわないけど、突然どうしたの?」
賢は不思議そうに首を傾げる。
今は昼休み、場所は学食。同席している柚子葉も春人も目を丸くしている。すぐにその表情は柚子葉はムスっと、春人はニヤニヤに変わった。
「文化祭で観た日の出の絵をもう一度観たいんだ...」
梨沙が素直に答える。最近は学校でも梨沙は積極的に自分の意見を言えるようになってきた。いい傾向だ。
「あー、あの日の出の絵か!いいよ、それなら大歓迎!それにしてもよくあの絵のこと覚えていてくれたね!たしか梨沙と最初にまともに喋ったときの絵のことだよね?」
「うん、素敵な絵だったから。あの時のことも覚えててくれたんだ...」
「へへへ、割と物覚えはいい方だからさ。あとよかったら少しうちの部の体験していくといいよ、明日の金曜日はどうかな?映画愛好会は大丈夫なの?」
「うん、明日はちょうど愛好会ない日だから大丈夫」
「じゃあ決まり!」
「私も明日美術部見学に行こうかなぁ」
柚子葉が口を挟む。
「おまえは明日も部活だろ」
「ちぇっ、バレてたか」
柚子葉は頬をふくらませて悔しがる。
その様子を見て春人が笑いを堪える。
柚子葉には悪いがここは梨沙の願いを叶えてあげよう、そう思う賢だった。
「わあ、やっぱり素敵な絵だ!」
金曜日。
約束通り梨沙は美術部に遊びに来ていた。
賢の日の出の絵を観て目をキラキラさせている。それだけで賢は梨沙を連れてきてよかったと思えた。
今日の美術部の部室にいるは賢の他には郡山美鶴だけだった。美鶴は梨沙と同じクラスの女子で以前梨沙を呼び出してもらったことがある。その時の借りを返すためにこの前ポポッキーをあげている。他の部員は全員外にスケッチに行ってしまったようである。美鶴は一人黙々と石膏デッサンをやっていた。が、美鶴も梨沙に気づいて鉛筆の手を止める。
「やあ、梨沙っち。お疲れ様!美術部に興味あるの?うちは大歓迎だよ!」
美鶴は楽しげである。
「今日は賢君の日の出の絵を観せてもらいに来たんだ。あと、少し体験もさせてもらう予定だよ」
「そっかそっか、ゆっくり楽しんでいってね」
美鶴は気を利かせたつもりなのかさっさと話を終わらせてしまった。美鶴は不思議な間合いをもっている。
「じゃ、まずは顔彩だ。主に俺が使っているだけだけどね。これには和紙を使うんだ。この顔彩は膠がもう混ぜられているから水で絵の具を溶かすだけで使えて便利なんだよ」
「膠って何?」
「日本絵の具の接着剤っていったところかな。さあ描いてみて描いてみて。」
「じゃあ夜の空に浮かぶ月を描いてみる!」
「いいね!頑張って!」
「ありがとう」
梨沙は楽しそうに夜の海にぼんやりと浮かぶ月を描いていく。多少幼な子っぽい描き方だ。
そんな梨沙を賢は何か気持ちが温かくなる感覚を覚えながらぼーっと眺めていた。
「この温かい感情はなんだろう?」
自分でもわからない感情だった。
9話 帰り道
賢と梨沙は美術部が終わった後一緒の帰路についていた。因みに賢も梨沙も一緒の最寄り駅である。
「賢君は凄いよ。自分ってものをちゃんと持っていて...だからあんな素敵な絵が描けるんだね」
梨沙が切り出した。
「自分ってものをちゃんと持ってる、ってどういうこと?」
「まんまの意味だよ。言葉を変えたら、自分なりの考え方をちゃんと持っている、ってことかなぁ...」
「いや、でもそれはみんなそうなんじゃないか?それぞれの人間がそれぞれの個性を持っているわけだし。」
「少なくとも私はそうじゃないんだ。前にも言ったんだけど私学校ではあんまり自分に自信持てなくて...。だからいつも他の誰かの物差しで物事を考えちゃう癖があるんだ。でもそれって誰かの考えに隷属してしまう、ってことなんだよ。隷属関係が生じてしまう...。厄介だよね。自分が周りより精神的に幼いんだな、って感じちゃうんだ。だからあまり交友関係も増やさないようにしてるんだ」
「そっか、そういう悩みがあるのか...」
「うん、恥ずかしいんだけど...」
「イタリアンのときは違うよね?」
「うん!本物を紹介する、本物のサービスを提供する、って明確な目標があるからブレることはないかな」
「それ、学校でも出来ないのかな?」
「難しいなぁ。勉強もスポーツも普通だし。いや、普通以下かもしれないし...」
「そうかぁ、でもそれじゃ学校つらくない?」
「うん、つらいときが多い」
「なかなかすぐには出来ないかもしれないけどまず今出来ることをちゃんとやる。それにつきるんじゃないかと俺は思う。」
「具体的には?」
「今実際、俺に梨沙自身の考えをちゃんと言えているじゃない?」
「それは相手が賢君だからだよ」
「それでいいんだよ。俺だけじゃない。柚子葉も春人も梨沙の味方だからさ。まずはこのメンツ相手には自分の考えをちゃんと言えるようになって自信がついたら周りの人たちにも広げていくようにするのはどうかな?」
「そうかぁ...それならあまり怖くないかな」
「ってこれも俺の考えの提案だから無理して採用しなくてもいいんだよ?」
「もー!賢君の意地悪!」
「ははは、結局は梨沙次第ってことになっちゃうんだよ。ただ、一度切りの人生なんだからさ、ポジティブに生きた方が得だと思うよ」
「うん、そうだね!」
梨沙は今日一番の笑顔を見せた。
10話 ソフトボール対外試合
春休みになった。
この日は賢、春人、梨沙の3人で柚子葉のソフトボールの対外試合の応援に来ている。因みに柚子葉は1年生にしてすでにレギュラーを勝ち取り8番サードを務めている。やはり柚子葉は只者ではない。
試合は3回裏7-6の乱打線になってきておりこの回先頭で柚子葉が今日2打席目の左バッターボックスに入っていた。第1打席はチェンジアップにタイミングが合わず三振している。
「気張れよ、柚子葉ー!」
春人が檄を飛ばす。
「打ってけ、柚子葉ー!」
賢も負けてない。
「頑張れー、柚子葉ちゃん!」
梨沙も大声を出して応援する。
柚子葉はピッチャーに集中している。
初級ボール、2球目ストライクと来た3球目ストレートだった。
カキーン!
金属バットの大きな金属音を残し打球はレフト前に転がり、柚子葉は快足を飛ばしあっという間に一塁を駆け抜けた。綺麗な流し打ちだった。
「やったー!!柚子葉が打ったー!!」
賢たちは大はしゃぎだ。
「いいぞ、柚子葉!」
チームメンバーたちも拍手しながら盛り上がっている。
柚子葉は塁上で控えめにガッツポーズをとる。
この後2アウト二塁となり2番バッターのタイムリーツーベースで柚子葉は本塁へと帰ってきた。試合は7-7の同点となる。3番バッターはセンターフライに倒れて攻守交代になった。
試合は4回に入る。
「柚子葉の奴凄いな。あのピッチャーの投げた球相当速かったはずなのに」
「やるなぁ柚子葉」
「凄いね、柚子葉ちゃん!」
「おーい、柚子葉ー!!」
春人が叫ぶ。
サードの守備に着こうとしていた柚子葉が春人の声に気づく。
「ナイスバッティング!!」
もう一声春人が叫んだ。
賢も梨沙も拍手で柚子葉を讃える。
柚子葉は笑顔で帽子の鍔に指を当て春人たちに答えた。
さて、この回相手チームは3番バッターからの上位打線だ。
こちらの3年生のピッチャーもこの回は意地を見せ3番4番バッターを空振り三振に打ち取った。
そして5番バッターも...とはいかなかった...。
カキーン!!
強烈な低空ライナーの打球がサードの柚子葉目掛けて飛んでいった。柚子葉はあまりの打球スピードに反応出来ず、ボールはその右脚首に直撃して跳ね返りファールグラウンドに転々と転がった。サード強襲ヒットである。
「あぁ!!」
梨沙が悲鳴を上げた。
「うわっ、これはヤバいぞ!」
「骨折してないだろうな...」
春人も賢も心配する。
だが、柚子葉の根性は凄まじかった。
痛いはずの右脚にかまうことなくすぐにボールを拾いに走り、すぐさまショートにボールを返したことで、2塁を狙ったバッターランナーはそこでタッチアウトとなったのだ。
4回の表が終わった。
試合はここで一時中断となる。
激痛が後からきたのだろうその場にうずくまる柚子葉の周りにナインと救急ボックスを持った女性監督が駆け寄る。
「立てるか?」
監督が尋ねる。
「はい、大丈夫です...」
柚子葉が痛そうにしながらも気丈に答える。
「肩を貸しなさい。右脚が地面につかないように。すぐに病院で診てもらわないと...」
監督は非常事態にも関わらず冷静に対処してくれた。
柚子葉は選手交代となった。
柚子葉はすぐに病院で診てもらうことになり試合途中でグラウンドを後にした。
当然春人、賢、梨沙も柚子葉について病院に行くことになった。
病院の待合室。柚子葉の負傷退場から2時間後。賢たちはずっとこの待合室で柚子葉が出てくるのを待っていた。そして松葉杖をついた柚子葉が病室から現れた。
「怪我の具合はどう?」
梨沙が恐る恐る聞く。
「ただの打撲で済んだみたい。お医者さんも驚いてたよ...私、見た目以上に頑丈だった。えっへん!」
「ったく、心配かけさせやがって...」
春人がボヤく。
「骨折したかと思ったよ..まあよかねーんだけど、とりあえずよかった...」
賢も安堵の息をつく。
「この松葉杖も1週間したら要らなくなるってさ。今も一応念のためってことらしいよ」
柚子葉がお茶目に説明する。
「ホントに人騒がせなやつだな」
安心した賢が悪態をつく。
「ごめん、ご心配をおかけしました」
柚子葉が丁寧に謝る。
「まあ、骨折じゃなくてよかったじゃん!とりあえず柚子葉はこの後静養だな。俺たちが家に送ってやるよ、なあ?」
春人が切り出す。
「うん、そうしよう」
「了解」
梨沙と賢もそれに続く。
「ありがとう」
柚子葉はそれにニカっと笑顔で答えた。
11話 ライバル
春休み後半の金曜日。
梨沙はお見舞いを兼ねて柚子葉の家にお邪魔していた。今日は女子会ということで賢と春人はいない。
「かっこ良くて可愛い部屋だね」
梨沙が柚子葉の部屋の第一印象を述べた。
部屋の壁にはソフトボール関係のポスターや男性アイドルのポスターが貼ってあるが部屋自体は整理されていて綺麗だ。
「ありがとう。今麦茶持ってくるからね」
柚子葉が答える。
「えっ、気にしなくていいよ。まだ脚も治ってないのに...階段危ないよ」
「大丈夫、大丈夫。もうほとんど痛くないから」
梨沙は改めて柚子葉の驚異の回復力に感心した。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「うん、梨沙は座布団か私のベッドに座って待っていて!」
そう言うと梨沙は元気に階下に降りていった。
「今日はお見舞いで来たはずなのに逆に気を遣わせちゃったなぁ」
梨沙は座布団に座りながら1人反省した。
お見舞いと言っても今日梨沙は柚子葉に誘われたのである。
「2人で女子会をやろう。賢と春人は抜きでね♪」
柚子葉はLINEでそう言っていた。
緊張する。柚子葉と2人きりという状況は初めてだからだ。だが先日の賢の言葉を思い出す。
「柚子葉も春人も梨沙の味方だからさ。まずはこのメンツ相手には自分の考えをちゃんと言えるようになって...」
たしかに賢はそう言っていた。ならば今日は柚子葉とさらに仲良くなる絶好のチャンスだ。
「お待たせー、はい麦茶」
柚子葉が戻ってきた。
「ありがとう」
梨沙の前のテーブルに麦茶が置かれた。
「この前は試合観に来てくれて本当にありがとう!ごめんね、あんな結果になっちゃって...」
「いや不可抗力でしょ」
「そう言ってくれると助かる」
「えへへ...」
「ところでさ」
「うん、何?」
「梨沙は賢のことどう思ってる?」
柚子葉が唐突に切り出した。
「ごほっ、げほっ」
梨沙は麦茶が気管に入ってむせてしまった。
なぜ柚子葉はこうも直球勝負なのか。
「どう思ってるって友達としてじゃなくて異性としてということだよね?」
「うん、異性として」
「好きだよ。あんな誠実な人見たことがないから」
梨沙も直球で答えた。柚子葉相手に駆け引きするのはフェアじゃないと思ったから。だが好きという言葉が自然と口をついたことには自分でも驚いた。
「そっか、やっぱりね」
柚子葉はひとりごちている。
「柚子葉ちゃんももしかして賢君のことが好きなの?」
「えへへ、正解。私も賢のことが好き...」
「そっか」
暫しの沈黙が流れた。
「じゃ私たちライバルなんだね...」
「そういうこと。私今まで梨沙に賢をとられるのが怖かったんだよね。でも友達やめようとかそういうことじゃないんだ。お互い隠し事なしで頑張ろうって意味で確認しておきたかったんだ」
「そっかー、うん、わかった」
「なんか梨沙、イタリアン以外でもものをはっきり言うようになったわね...」
「へへ、これも賢君のおかげなんだ」
「うっ、進展速いわね。私もうかうかしてられないわ...」
「負けないよー」
「望むところよ、じゃ私は肉食系でガンガンアプローチかける方向で行くわ。実は私賢にはもう告白済みなの」
「えぇー、へ、返事は?」
「保留。ってか私自身が答えを求めなかったの」
「そうだったんだ...」
「抜け駆けしちゃってごめんなさい。でもここからはフェアプレー精神で行くから」
「うん、わかった!頑張ろう!」
2人はライバルであるにもかかわらずもうすでに親友となっていた。
12話 将棋道場
これまた春休みの後半。日曜日の午前10時。
この日黒鉄春人は将棋同好会の会長であり4月の学校が始まったら3年生になる藤堂大介と共に渋谷区千駄ヶ谷にある日本将棋連盟東京将棋会館道場に来ていた。むろん将棋を指すためである。高校生は1日800円で利用することができる。
春人はアマチュアの初段、大介は四段である。そして春人は只今8連勝中。あと2連勝で二段に昇格できる。因みに今日は賢、梨沙、柚子葉は一緒ではない。将棋は個人戦だし3人に応援されても困るので「応援したい」という3人の申し出を春人自身が断ったのだ。
「高校生2人、お願いします」
「はい、じゃカード書いてくださいね」
「わかりました」
2人とも慣れた手付きで受け付けを済ませる。あとは同等レベルの実力者とマッチングしてもらうのを待つだけだ。
しばらくして
「黒鉄さん、橋下さん、受け付けまでお越しください」
春人のマッチングが決まった。
「春人、練習通りの力が出せれば絶対二段になれるからな。頑張れよ」
大介が発破をかける。
「大丈夫です。俺があまり緊張しないたちなのは会長がよく知ってるでしょ?」
春人が返す。
「よし、じゃ昼飯までは別行動な」
「了解です」
「君が黒鉄君かい?」
初老の男性が春人に声をかける。
「はい、そうです。橋下さんでよろしいですか?」
「そうだよ、よろしくお願いね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
橋下という初老の男性は二段だった。
この場合春人が先手となる。
「では、よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
お互い一礼して対局が始まる。
春人の得意戦法の四間飛車穴熊をとる。
橋下は美濃囲いのようだ。
序盤はお互い王様を囲うのに手を費やし中盤で攻め合いになった。
原則として攻め合いになると穴熊囲いは守りが固いはずである。しかし橋下は穴熊崩しが上手かった。
終盤戦あっという間に春人の囲いが崩される。
春人の完敗だった。
「まいりました」
春人は投了した。
「ありがとうございました」
お互い一礼し、勝った橋下がカードを受け付けに持っていく。
「あー、ちくしょう」
1人になった春人は悔しがる。普段おちゃらけてる春人もこと将棋に関してだけはガチの真剣勝負なのである。負けたら当然悔しい。
「黒鉄ちょっと休憩でお願いします」
まだ1局しか指していないがショックを癒すため春人は休憩に入る。
連勝は8でストップしてしまった。しかしまだ14勝2敗で二段に昇格する可能性が残っている。
ここでズルズルと連敗するわけにはいかない。
春人は気分転換のため大介の試合を見学することにした。
観ると大介は横歩取りという超攻撃的戦法で戦っていた。試合はすでに終盤戦に突入しており明らかに大介が押している。
「まいりました」
「ありがとうございました」
ついに相手が投了した。
勝った大介がカードを受け付けに持っていく。
「対局どうだった?」
大介が聞いてくる。
「完敗でした。相手の人強かったです」
「そうか、9連勝はならずか。よし、ちょっと早いけど昼食休憩にしよう。藤堂休憩入ります」
受け付けの人にそう告げて、カードを休憩ボックスにしまうと大介は春人の元に戻って来た。
「よし、じゃ、モスに行こうぜ。昼はハンバーガーだ」
「わかりました」
大介が先導して2人は近くのモスに向かった。
モスの店内。2人はハンバーガーを食べている。因みに大介はモスバーガーとシェイク、春人はロースカツバーガーとメロンソーダを注文した。無論春人は「カツ」で縁起を担いでいる。
「相手が悪かったな。おまえあまり緊張するタイプじゃないから負けたのは純粋に実力差だよ」
大介がズバズバと切り込んでくる。
「はい、穴熊囲いがあっという間に崩されてしまいました...」
「前から思ってたんだけどおまえ穴熊囲いの固さに安心して攻守のバランスが崩れる癖があるよな」
「そうかもしれません」
春人はこのときホントに賢たちを連れて来なくてよかったと思った。将棋に関してだけは春人はおちゃらけることができず対局に負けた上に先輩から説教(教育)を食らっている。こんな自分は見せられない。
「これ食べ終わったら練習対局してやるよ。ポケット将棋盤持ってるか?」
「はい、持っています」
「よっしゃ、早指し将棋やるからな。元気だせよ?」
「ありがとうございます」
春人は大介には頭が上がらない。
その後2人はお店の迷惑にならない程度の時間で早指し将棋を打ち将棋会館道場に戻ったのであった。
戻ってからの春人は破竹の勢いで連勝していった。大介の指導対局が効いたみたいである。
あっという間に5連勝し昇格まであと1勝と迫る。
時刻はもう夕方になっていた。
「黒鉄休憩入ります」
あと1勝で昇格。しかし5連戦はキツかった。
ヒートアップした頭をクールダウンさせるために一時休憩を入れる。
ちょうどタイミングよく大介も対局が終わったところだった。また勝ったようである。大介は本当に強い。大介が五段になるためには18連勝しなければならずハードルは相当高いはずなのだが案外あっさりと五段になってしまうのではないか、そう春人は思ってしまった。
「おまえも対局終わったのか」
「はい、勝ちました」
「そうか、あと1勝だな」
「はい、あと1勝です」
「じゃ、ちょっと外でジュースでも飲んでリフレッシュするか。すいません、藤堂休憩入ります。」
そう言って大介はカードを休憩ボックスに入れると道場の横手にある自販機へと向かった。
「さすがのおまえも少しは緊張してきたか?」
大介が真剣に聞いてくる。
「はい、緊張してます」
「ここから2敗したら目も当てられないぞ」
「縁起でもない事言わないでくださいよ」
「でもそれで死ぬわけじゃない」
「それは確かにそうですが...」
「おまえの実力ならまた近いうちチャンスは来るよ」
「だから2敗する前提で話を進めないでくださいよ」
「緊張してる人間に言っていいのかわからないが、その緊張も楽しめ。その緊張もおまえの財産になる」
「わかりました」
「よし、じゃ行ってこい!」
「はい、行ってきます」
結果として大介の発破は功を奏した。春人は次の対局に大激戦の末競り勝ち14勝1敗で二段昇格を決めたのだ。受け付けで二段の免状をもらう。
春人はまた休憩に入る。今度は余韻を楽しむためである。
暫くして大介がやってきた。また勝ったらしい。どれだけ強いというのか。
「昇段おめでとう」
大介が春人の肩を叩き労う。
「ありがとうございます...」
「今日はここまでにしておこう。昇段祝いをしなくちゃな。これから家に遊びに来いよ。祝勝会やるぞ」
「えぇ...それはご迷惑になるんじゃ...」
「いいからいいから!」
こうなると大介は止まらない。
「わかりました。それじゃお言葉に甘えて」
「よし、決まり。すいません黒鉄と藤堂上がります!」
「はい、お疲れ様でした」
受け付けの人が労ってくれた。
大介の家。
「お疲れー!」
「お疲れ様です」
「いやー、よかったなおまえ。まさか春休み中に二段になっちゃうとはな」
「ありがとうございます」
「なんか最近調子良さそうだな?」
「はい、友達が増えまして...」
「なんだそいつらに応援に来てもらったらよかったのに」
「いや自分普段とテンション違いすぎて、とても友達は呼べないっす」
「おまえも面倒くさい男だな」
「すいません」
「でも結果はちゃんと報告してやれよ」
「えー、キャラじゃないっすよ」
「いいから!ちゃんと報告してやれ」
「わ、わかりました」
こうして祝勝会は午後9時半まで続いたのだった。
13話 進級
春休み明け。賢たちは無事2年に進級することができた。そしてクラス替えの結果、4人とも2年A組で同じクラスとなった。今年度はさらに楽しくなりそうだ。
「おはよう、賢君」
「おはよう梨沙。今年は同じクラスだね。どうぞよろしく」
「こちらこそよろしく」
梨沙と賢が笑顔で挨拶を交わす。
「私も同じクラスなんだけど!」
柚子葉がムスッとしながら割り込む。
「悪い悪い。おはよう柚子葉」
「おはよう柚子葉ちゃん」
「おはよう、賢に梨沙、ん?春人は?」
「おはよーっす」
「あら、いたの」
「いたの、とはひでーな。今日は報告があるんだ」
「報告って?」
「わたくし黒鉄春人、先日無事将棋のアマチュア二段に昇格しました!」
「おぉ、それって強いの?」
「まあ、アマチュアでちと強いくらいだけどよ...それでも昇格するの苦労したんだからな!14勝1敗でやっと昇格だったんだから!」
「14勝1敗?!超強いじゃん!」
「もっと褒めていいぞ」
「うざいわぁ」
「なんでだよ?!」
「まあまあ2人共、それでお祝いはまだ?」
「もう同好会の先輩に祝勝会開いてもらったよ」
「そっか、じゃもうお祝いはしなくていいな」
「おい?!」
「ははは、冗談冗談。でもお祝いは何がいい?」
「4人でパーティ?」
梨沙が尋ねる。
「いや、パーティ的なものはもう先輩に開いてもらったから映画とか買い物とかの方がいいな」
春人が呟く。
「映画いいね!」
「春人の趣味はミステリーだよ?」
柚子葉が口をはさむ。
「いいねミステリー!名作映画をリバイバル上映している映画館があってね、そこで今『検察側の証人』っていう名作ミステリー映画が上映中なの!マレーネ・デートリヒが主演してるんだよ!みんなで観に行こうよ!」
梨沙が熱く語る。
「マレーネ・デートリヒって誰?」
「往年の名女優だよ!」
「うーん、そっか!梨沙は映画愛好会だったっけ。私も観てみたいけど賢と春人は?」
「行く」
「是非観たい。ナイスチョイス梨沙!」
賢も春人も乗り気だ。
即決だった。
「じゃ、日程ね。私はソフトボール部の休みは4月の18日と25日の日曜日だけなんだけど夜だったらいつでもいいわよ」
「俺は18日空いてるよ」
「俺も」
「私は18日バイト上がりの午後3時以降なら空いてるよ。ちょっと待ってね。上映時間スマホで調べるから...あ、午後4時半上映回あるよ!これにしよう!」
梨沙は以前と比較して随分はっきりと自分の意見を言うようになった。賢はそれが嬉しかった。
14話 映画の後
そして4月18日午後6時半。映画を観終えた4人はマックでお茶をしながら各々の感想を言い合っていた。
「いやー、見応えあったな」
賢が口を開く。
「まさか被告人の有罪を証明するはずの検察側の証人の女性が愛する被告人を助けるために弁護士に論破される道を選ぶなんてな。びっくりだった」
春人も息が荒い。
「その演技も迫真の演技だったわね。無罪が確定した被告人=真犯人があっさり別の女性に乗り換えて激昂した証人の女性に刺されて死ぬ、っていう設定もショックだったわ」
柚子葉もショックを受けたという割に雄弁に語る。
「へへ、私のツボは弁護士のおじいちゃんかな。さんざん検察側の証人に振り回されたにもかかわらず、裏切られた女性が真犯人を殺してしまったのをみて『今度はこの女の弁護につかなくては』って言うシーン、人情があってすごくかっこよかった」
梨沙も高揚している。
「っていうか、春人、これがお祝いでよかったのか?俺らが楽しんじゃったけど」
「充分だよ。超面白いミステリーが観れたからな。しかもみんなで。ありがとう梨沙」
「えへへ、どういたしまして」
「これからは同じクラスだからこういう機会も増え...あれっ...結局1年のときと変わらないんじゃねえの?みんな忙しいし」
賢が疑問を呈する。
「学食に集まれるでしょ。それに4人全員集まれなくてもいいじゃない。2人でも3人でも」
そう言ったところで柚子葉は梨沙の耳元で小さくつぶやいた。
「機会は平等。恨みっこなしだからね」
「うん、負けないよー」
梨沙も返す。
「なんだよおまえら、急にひそひそ話始めて」
「ううん、なんでもない」
柚子葉と梨沙2人同時に答えた。
「面白そうだな。俺も混ぜてよ」
春人が軽口を叩く。
「ダメ、これは女の闘いなんだから」
梨沙が突き放す。
「ほほぉ、女の闘いねぇ」
「あんたは黙ってる!」
「はいはい、わかりましたよ」
春人はすべてを察したかのように了承した。
「賢、おまえこれから大変だな」
春人が賢をからかう。
「そうだな、誠実な態度で臨まないとな...」
「おっ、おまえもただの鈍い奴じゃなかったか」
「うるせー、それよりお祝いの続きだ。ナゲットとポテト奢ってやるよ」
「おお?!無理しなくていいんだぞ」
「バイトしてるんだからこれくらいなら奢れるんだよ」
「じゃお言葉に甘えることにするわ。サンキュ」
「ああ、ちょっと待ってろ。注文してくる」
そう言って賢はしばらく席を外した。
「フェアプレー精神でいけよおまえら。じゃないと友達なくすぞ?」
春人が柚子葉と梨沙に釘を刺す。
「私はもう告白しちゃってるんだけどね」
柚子葉が正直に答える。
「はぁ?!で返事は?」
「返事は聞かなかった。というか断られそうになったけたど、これからの私を見てって伝えた」
「賢の奴...つまり柚子葉の方は保留か。梨沙の方は?」
「まだ気持ち伝えてない...」
「そっか...」
春人はシェイクをズズっとすすり考え込む。
そして...
「2人共後悔が残らないようにな。2人共応援してるから。負けた方は俺が引き取ってやる!」
いかにも春人らしい軽口で締めた。
「うっさい、バカち!」
柚子葉もそれに軽口で答える。
「頑張る!」
梨沙は真面目に答える。
春人のこういう馬鹿っぽいところが今の2人にとっては救いだった。
そこに、
「おっ、なんだか楽しそうだな」
ナゲットとポテトを持って賢が戻ってきて秘密談義はお開きとなったのであった。
里中賢がその子の存在をはっきりと認識したのは高校1年の冬、12月中旬の出来事だった。
その日賢が偶々家族と行ったイタリアンのお店でその子はバイトしていた。
名前は黒木梨沙。整った容姿をしていて、顔は割と童顔で髪の毛はボブカット。可愛いと綺麗の中間くらいにいる感じで、身長は155cmくらい。
たしか学校では隣りのクラスで映画愛好会所属の内気な女の子だったはず。
だがバイト先での彼女は見ていても快活そのもの。元気にテキパキオーダーをこなしていた。その元気な様子を見て賢は微笑ましく思った。彼女の笑顔は営業スマイルのはずなのに妙に輝いて見えた。
彼女も賢のことを認識しており、気さくに話しかけてきた。
「里中君でしょ?1年C組の」
「そうだけど。君はたしかB組の黒木さんだよね?」
「覚えててくれたんだ!嬉しい!」
「いつからバイトしてるの?」
「8月から!」
「そうなんだ...」
「賢、知り合い?」
母親の里中明子が興味津々で話に割り込む。
「ああ、紹介が遅れてごめん。こちら同学年の黒木さん。こっちは俺の母と妹です」
「はじめまして!」
黒木さんが元気に挨拶する。
「はじめまして、息子がお世話になっております」
「ます!」
明子と妹の里中珠緒も元気に返す。
「いいえ、こちらこそ!ところで里中君、それ『テルマ』のパンフレットでしょ?』
「うん、家族で映画観て来たんだ」
「面白かった?」
「うん、超面白かった」
「そっか、私も絶対観に行かなきゃなぁ...おっと!仕事仕事!ごゆっくりどうぞ!」
「ありがとう」
黒木さんは嵐のように去って行った。
「仲良さそうね」
母親の明子が聞いてきた。
「学校だとあまり話したことないんだけどね」
賢も返す。
「全然そんなふうには見えなかったけど」
「学校とキャラが違う」
「そんなものかしら」
「そういうものだよ」
賢はひとりごちた。
翌日学校に着いた賢は、黒木さんと廊下でばったり出会った。
「おはよう」
声をかけてみた。
「お、おはよう...」
黒木さんからは昨日のテンションはどこ行ったんだよ、というレベルのローテンションが返ってきた。同一人物か、と疑うレベルである。
「『テルマ』早く観れるといいね」
「そ、そうだね」
「はは...じゃあまた」
「うん、また...」
女の子っていうのはよくわからないなと思いつつ賢は自分の教室に入っていった。黒木さんは学校では本当に内気な女の子だったらしい。
1話 悪友
「賢、あんた最近そわそわしてるけど女でもできた?」
C組で賢と同じクラスの遠藤柚子葉が突然ずいっと聞いてきた。柚子葉はソフトボール部所属のイケイケ系女子で席替えで隣の席になって以来頻繁に賢に話しかけて来るようになっている悪友である。梨沙とは違うタイプに整った容姿をしており顔は綺麗な感じで口元のホクロがアクセントになっている。髪の毛はポニーテールに結っていて身長は168cmと女子にしては背が高い方だ。
「なわけないだろ」
賢は淡々と答える。
「本当かなぁ、最近妙にそわそわしてるように見えるけど」
「なんだよそわそわって。いつも通りだろ?」
「いーや違うね、明らかに様子が違う。隠しててもいいことないよ。吐いちゃえ、吐いちゃえ」
「だから、隠し事なんてねぇし。てか、柚子葉、なんでおまえはいつも上から目線なんだよ。おまえこそモテるんだから俺みたいなのにかまってないで青春を満喫してこいよ」
「あたしは青春満喫してるよ。賢一筋だし」
「はいはい、ありがとよ」
身も蓋もない会話が終わる。賢は柚子葉の軽口などてんで本気にしていないのだ。
「モテる男はつらいねぇ。この幸せ者がぁ」
柚子葉が席を外したと思ったら、今度も悪友の黒鉄春人が絡んできた。
「モテてねえよ。おひとりさまだよ。なんか文句あるか」
賢も春人の絡みがうざいことこの上ないという感じで答える。
「柚子葉の奴は本気だと思うぜ。じゃなきゃあんなに絡んでくるか?」
「あいつは誰に対してもあんな感じだよ。いちいち真に受けてられるか」
「素直じゃねぇなぁ」
「ほっとけ」
「で、実際気になってる子はいるんだろ。ホラ吐け。オラ吐け。いいから吐け」
「うるせえなぁ。まあ、いるっちゃいるが恋愛話じゃないぞ」
「ほほぉ、いるにはいるのか」
「いちいち癪に触る奴だなおまえ...実は最近家族でイタリアンに行ったんだけど、そこで隣りのクラスの......」
賢はつい先日のイタリアンでの出来事を春人に話して聞かせた。
その数分後。
「面白いな。よし行くぞ、そのイタリアン!」
春人が何これいいアイデアじゃん的なノリで宣言してきた。
「何が面白いだ。黒木さん困らせてどうすんだ!」
「いやぁ、だって賢の話聞いてたら学校での内気な黒木さんとイタリアンでの快活な黒木さんどっちがホントの黒木さんだべってなるじゃんかよ!行って確かめるのが一番手っ取り早いだろ?」
「いや、どう考えてもイタリアンでの黒木さんは営業トークモードだろ?」
「話聞いてるかぎりそうとは言い切れないぜ?だって、向こうから話しかけてきて映画の話にまでなったんだろ。明らかに営業トークの域を越えてるって!」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。もう一度行ってみればはっきりするって!おーい、柚子葉!みんなで今度イタリアン食べに行こうぜー!」
結局席に戻ろうとしていた柚子葉にまで話が広がってしまった。
「何々?賢が吐いたぁ?」
柚子葉が可笑しそうに返してくる。
「いやさ、実はさ......」
春人がこれこれこうでと話をまとめる。
「やっぱ面白いことになってるじゃん!行こうよ、そのイタリアン!私が黒木さんのこと吟味してあげる♩」
「おいおい...」
こうして賢たちのイタリアン行きはあっさり決まってしまったのだった。
2話 食事会
次の土曜日。
「いらっしゃいませー!あれ?里中君、その2人、確かC組の人達だよね、どうしたのみんなして?」
黒木さんは驚いた様子でみんなを交互に見比べている。そりゃそうなるだろ。賢は心の中で1人ため息をついた。
「いや、この間来た時美味しかったから今度はみんなで来ようって話になって」
賢は苦しい言い訳をする。
「あ、そういうことですか!みなさん、どうもありがとうございます!ご注文お決まりになりましたらお呼びください!」
黒木さんは大して疑問をもたなかったらしく他のテーブルに向かっていってしまった。
「本当に明るいわね、黒木さん...。さて、私はローマ風うす焼きピッツァにするわ。2人はどうする?」
「俺は王道のトマトスパゲッティにする」
春人が答える。
「じゃあ俺はボンゴレスパゲッティにするよ」
賢も決めた。
「じゃあ注文するね。すいませーん!」
「はい、ただいま伺います!」
柚子葉が声をかけると黒木さんが飛んできた。
「それじゃあ注文を、と、まずその前に自己紹介か。私は遠藤柚子葉。ソフトボール部所属。で、こっちが...」
「黒鉄春人っていいます。将棋同好会所属でーす。よろしく!」
「どうも。黒木梨沙といいます。よろしくお願いします。私は映画愛好会所属なんですけど、たしか里中君は美術部所属だったっけ?」
「うんそうだよ。よく知ってるね」
「えへへ」
黒木さんは恥ずかしそうにしていた。
「『テルマ』は観てきた?」
賢はストレートに聞いてみる。
「観てきた!主役の田所隆太が超カッコ良かった!」
「それはよかった」
その会話の様子を春人はニヤニヤ、柚子葉は少しぶすっとした感じで聞いている。
「あ、すいません...ご注文をどうぞ」
賢と黒木さんは一瞬で我に帰る。
「じゃあ注文するわね。私はローマ風うす焼きピッツァ、春人はトマトソーススパゲッティ、賢はボンゴレスパゲッティで全員ランチセットでお願いします。セットの飲み物はホットコーヒーでいい?」
「いいよ」
「同じく」
柚子葉が注文し春人と賢が相槌をうつ。
「ランチセットですね。かしこまりました。里中君、うちのコーヒーは美味しいよぉ。前回は飲まなかったでしょう?」
「ああ、うん」
たしかに賢は前回コーヒーを頼んでいない。頼んだのはハーブティーだった。
「何か特別なコーヒー豆使ってるの?」
「うん、コーヒー豆もこだわってるし、うちのお店は抽出法が特別なの!」
「抽出法が特別?」
「うん、うちのお店はドリップじゃなくてエスプレッソ抽出なの!」
「エスプレッソ抽出?」
「そう、コーヒー豆の旨味をぎゅっと濃縮出来るんだよ!」
「そ、そうなんだ」
賢はすっかり黒木さんのハイテンションペースに呑まれてしまっていた。
「コーヒーは食前と食後どちらがよろしいですか?」
黒木さんが改まってみんなに尋ねる。
「私は食後がいいな。2人は?」
「俺も食後がいい。賢は?」
「じゃ俺も食後で」
柚子葉が仕切る。
「注文かしこまりました。では、出来あがるまで少々お待ちくださいませ」
黒木さんは颯爽とキッチンにオーダーを通しに消えていった。
「やっぱり学校とは別人だ...」
賢がひとりごちていると、
「賢、黒木さんのあれは営業トークだよ。ご愁傷様」
柚子葉が悪びれずに言い放つ。
「はぁ...やっぱりそうか。お店のコーヒーについて熱く語ってたしな。じゃ、やっぱり学校での黒木さんが素なのかなぁ」
賢もため息をしつつ補足する。
「えぇ、どこが営業トークだよ。普通、賢が美術部所属なんて情報知らないし、『テルマ』の話で盛り上がってたじゃんか!」
春人が食い下がる。
「ちょっとアンテナ張ってたら気づくわよそれぐらいの情報。『テルマ』だって営業トークにぴったりの共通話題だし」
柚子葉はそっけない。
「えー、それはちょっと勘繰り過ぎだろ。柚子葉、もしかしておまえ、『黒木さんを吟味してあげる』とか言って賢が黒木さんに持ってかれるの阻止しようとしてるだけなんじゃねぇの?」
「ば、馬鹿言わないでよ。そんな意地悪なことするわけないでしょ!」
柚子葉が顔を真っ赤にして反論する。
「おい2人共、声が大きいって」
賢が苦言を呈して2人を止める羽目になった。
イタリアンからの帰路。
3人は満足げに歩いていた。
「いやぁ、トマトスパゲッティ美味しかったわ。あと梨沙ちゃんの言う通りコーヒーも美味かったなぁ」
春人は早速黒木さんのことを「梨沙ちゃん」呼びである。軽い奴だ。
「ローマ風うす焼きピッツァも絶品だったわ。また来たいわね」
柚子葉も幸せそうだ。
「ボンゴレも美味かった。あれは家じゃ出せない味だわ。それに黒木さんの言ってたコーヒー...。本当に美味しかったなあ。クレマなんか浮かんでてさぁ...」
賢もご満悦だ。
「ところで本題だけど、学校での内気な黒木さんとイタリアンでの快活な黒木さんどっちがホントの黒木さんなんだろうな」
賢が切り出す。
「どっちもホントだべ」
「いや、学校での黒木さんがホントでしょ」
春人と柚子葉で意見が割れた。
「賢はどっちの黒木さんが好みなんだ?」
春人がズケズケと聞いてきた。
「だから恋愛じゃねーっての。でもどちらかと言えばイタリアンでの黒木さんの方が喋りやすいのは確かだな。あと魅力的だ」
賢が答える。
「み...魅力的?!そうよね...イタリアンでの黒木さんの方がとっつきやすいのはたしかだわ」
柚子葉もこれについては同意する。
「一度学校で梨沙ちゃん誘って昼飯一緒に食べて駄弁ってみたらいいんじゃね。学食でいいからさ。そしたら少しはモヤモヤも晴れるだろ」
春人が提案する。
「いいね、面白そう」
柚子葉もこれに乗っかる。
「うーん、たしかにそれがいいかもな」
賢も渋々これに応じた。何か黒木さんのことがわかるかもしれない、そんな気がした。
3話 学食
週が明けて月曜日の朝。
賢は隣りのBクラスに顔を出していた。
ちょうどいい塩梅に廊下側の席に知り合いが座っている。同じ美術部に所属する女子の郡山美鶴である。顔は端正だが嫌味がなく全体的にキリっとした雰囲気をまとった女子だ。美鶴はちょうど教科書を広げているところだった。
「美鶴、ちょっといい?」
「ん、どしたの、賢っち?」
不思議そうな顔で美鶴が顔を上げる。
「悪いんだけど黒木さんを呼んで来てくれないかな?ちょっと用事があるんだ」
「別にいいけど、月曜日の朝から女子の呼び出しって、賢っち、度胸あるね」
「いいから頼むよ」
「了解」
美鶴はノソノソと教室の奥に向かっていく。黒木さんが見えた。黒木さんは美鶴から話を聞くと恥ずかしそうにこちらに向かって来た。
「美鶴、ありがとう」
「どういたしまして。今度チョコ奢ってね」
「わかってる。借り1つな」
美鶴は満足そうに席に着いた。
「さ、里中君、用事って何?」
黒木さんが歯痒そうに聞いてくる。
「あぁ、実は用事って程じゃないんだけど...遠藤と黒鉄が黒木さんと一緒に昼食取りながらおしゃべりしてみたいって言ってるんだ。だから、よかったら今日の昼学食に行かない?」
「さ、里中君が嫌じゃなかったら、い、行きます...」
「もちろん大丈夫だよ!よかった!じゃ、また昼休みに!」
賢は黒木さんにニッコリと笑いかける。黒木さんも気恥ずかしそうにニコリと笑って返した。どうやら作戦は成功したようである。
そして昼休み。
4人は学食に一堂に会していた。
賢はカレー、春人がカツ丼、柚子葉はラーメン、黒木さんは炒飯を頼んでいた。
「黒木さん、この間はありがとう!ピッツァもコーヒーも美味かった!」
「へへ、よかった」
柚子葉の話しかけに黒木さんが嬉しそうに反応する。黒木さんが油断したその瞬間だった。
「ところでさ、黒木さんなんで学校とイタリアンでキャラ使い分けてるの?」
柚子葉がどストレートな質問を投げつけた。
「ぶふっ!」
これには賢も春人も驚いて口の中の物を吹き出しそうになる。あまりにも唐突すぎではないか。もっとライトな話題から入っていけばいいのに。賢はそう思った。
「ええと...特に意識して使い分けてるつもりはないんだけどね、あのね...」
黒木さんがポツリポツリと話し始める。
「学校での私って...なんて言えばいいのかな、自分だけの強みがなくてね...勉強もスポーツも普通だし。美人でもないし...ずっと自信がもてなかったの...」
いや充分美人だろと同時に思う賢と春人だったがここは突っ込むところではないと判断し黒木さんの話を促す。
「でもね、あのイタリアンレストランに8月から働き始めてから、商品の何もかもが本物って感じでね...自信をもってお客様に本物の商品を紹介出来る喜びっていうのを感じるようになったんだ...そうして働いているうちにテンションが上がって来るようになって、学校とは違う私になってたんだと思う。その、たぶんだけど...」
黒木さんはそこで恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「やっぱりああいう私ってキャラに合わないかな?」
声がどんどん小さくなっていく。
「そんなことないよ!イタリアンでの黒木さんはとっても魅力的だよ!」
賢は気づくと叫んでいた。
「み、魅力的!?」
黒木さんの顔が真っ赤になった。
「ぶはっ!」
春人が吹き出した。
「何真っ昼間から学食で女の子口説いてるのよ。時と場所をわきまえなさい!」
何故か柚子葉までも顔を蒸気させている。
「違う!誤解だ!イタリアンでの黒木さんもキャラに合ってるって話だ!揚げ足取るな!」
賢は必死に弁解する。
「ご、誤解ですか...」
なぜか黒木さんがシュンとしてしまった。
「とことん失敬な奴ね...」
柚子葉は呆れている。
「賢、ぷふふ、おまえ、面白過ぎだ...あー、おかしい!」
春人は大爆笑している。こいつはこいつで失礼な奴だ。
「でも、話聞けてよかったわ。つまり学校での黒木さんもイタリアンでの黒木さんもどっちもホントの黒木さんだってことね」
柚子葉がひとりごちた。
「え、ホントの私?」
黒木さんが不思議そうに尋ねる。
「いやぁ、学校での黒木さんとイタリアンでの黒木さんがあまりに別人だからみんな気になってたんだよ。理由がわかってスッキリした!」
賢もスッキリした気分になった。
「せっかくのご縁だし梨沙ちゃん俺らの友達になってくれないかな?LINE交換しよ?」
春人がちゃっかり申し出る。
「あ、ぜ、是非!お友達になりたいです!」
黒木さんは再び顔を真っ赤にして叫んだ。
「ありがとう」
春人がニッと笑ってそれに返した。
この後3人は黒木さんとLINEアドレスを交換し合った。
「ありがとうございます!」
黒木さんは嬉しそうに携帯を胸に当てた。
「それでさ、梨沙ちゃんが良かったらなんだけど、友達になったんだから、名前お互い呼び捨てにしない?俺らはもうそうやってんだ、な、柚子葉?」
春人が再び突然提案した。
「俺も黒木さんのこと下の名前で呼びたい」
賢もここぞとばかりに乗っかる。
「はぅ...!」
黒木さんはまた顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
「だからいきなりハードル上げてどうすんのよあんたたち!黒木さん無理強いはしないから安心して。このお調子者の馬鹿2人はあとできっちりシメテおくから!」
柚子葉が憤怒の形相になる。
「...じゃないです」
「えっ?」
掠れた黒木さんの声に柚子葉が反応する。
「い、いやじゃないです。わ、私も3人のこと下の名前で呼びたいです」
今度ははっきり聞こえた。
「そう...なら心配いらないわね。じゃあ、まず私が柚子葉、で、こっちが春人、それでこいつが賢ね」
「柚子葉ちゃん、春人君、ま、賢君...」
「んで私らは黒木さんのことこれから梨沙って呼ぶから、よろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
「よろしく梨沙」
春人がニッと笑う。
「俺の方もよろしく、梨沙」
賢も負けずに続いた。
「よ、よろしくお願いします!」
多少緊張してたようだがこうして賢たち3人は梨沙と友達となった。
4話 柚子葉の気持ち
1月中旬。
黒木梨沙と友達になってから1ヶ月が過ぎた。4人全員がバラバラの部活に入っているため集まるのは昼休みの学食か土日に限定されてしまう。
そこでここ1ヶ月で賢たちには新しいルーティンが出来た。1ヶ月に2度土曜の日に梨沙の勤めるイタリアンに通うのだ。
梨沙の勤めるイタリアンは、ランチはスパゲッティかピッツァにコーヒーとサラダとパンがついて980円と本格イタリアンにしては破格のお値段。高校生の財布にも優しい価格設定である。
それでも毎月食事会で2,000円の出費は馬鹿に出来ない。
賢は月火水曜日と週に3回、夜6時から9時まで、駅前のスーパーでレジのバイトをすることに決めた。面接をあっさり通過し1週間の研修も無事終了。もう普通に仕事をしている。
水曜日の夜8時30分頃「あと少しでバイト上がりだなぁ」と考えながらルーティン的にレジ作業をこなしていると突然声をかけられた。
「よっ、お疲れさん」
「え、あ...柚子葉じゃん。一体どうしたこんな時間に?」
「普通に買い物だよ。これお願い。」
レジ台にチョコレートと豆乳飲料紅茶が置かれる。
「120円が一点、98円が一点、合計で218円になります」
「220円からお願いね」
「お釣りが2円になります」
「今日はバイトは何時上がり?」
「あと30分で上がりだよ」
「じゃあ、駅前のマックで待ってる」
「門限ないのか?」
「うちはそういうところフリーなんだよ。あんまり遅く帰ったら叱られるけどね」
「そうか、わかった。終わったらすぐ行く」
「あいよ」
そうして柚子葉は機嫌良さそうに店を出ていった。
40分後。
賢はマックに着いていた。
柚子葉はすぐに見つけることができた。
「柚子葉、お待たせ」
「バイトお疲れ!早かったね」
「今日は珍しくこの時間帯にお客さん少なかったからすぐ上がることが出来たんだ」
「そうなんだ。何か頼んできたら?」
「そうするわ。ハンバーガーとメロンソーダにしよう。ちょっと待ってて」
「りょーかい!」
柚子葉はわざとらしく敬礼してみせる。
その様子に苦笑しながら賢はカウンターに並びに行った。
さらに数分後。
「今度こそお待たせ!」
「あいよ。座りなよ」
「言われんでも座るわ」
賢は強がってみせる。
「賢のそういうところマジ可愛いね」
「可愛いって言うな。そんなことよりどうしたんだよこんな時間に。夜の10時過ぎたら補導されるぞ」
「大丈夫だよ。それまでには帰るから」
「よかった。で、用件は何?」
「友達とマックするだけでなのにいちいち用件が必要なわけ?」
「そうか、たしかにそうだな」
「で、バイトの方は慣れた?」
「ああ、慣れてきたよ。先輩達が丁寧に教えてくれたしさ」
「そう、ならよかった」
「ああ」
「ところでさ!梨沙のことなんだけど!」
突然柚子葉が叫んだ。
「梨沙のこと?」
賢が訝しげに問い返す。
「そう、梨沙のこと...。正直、あれだけギャップがあるとさ、ギャップ萌えって言うの?男の子はグッと来ちゃうんじゃないかなと思って...」
「まあ、言われてみればそうかもな」
「え、マジ?!」
「イタリアンで輝いてる梨沙は素敵じゃん。学校での梨沙もなんで内気なのか理由わかったら違和感なくなったしさ」
「マジかぁ...」
「え、柚子葉もそう思ってたんじゃないのか?」
「たしかにそうだけど...」
「じゃあ何が問題なんだよ?」
すると柚子葉は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「私はさ、賢を梨沙にとられるのが怖いんだ...」
数秒の沈黙の時間が流れる。
「あの、それはどうゆう...」
「言葉のまんま!私は賢のことが好きなの!賢一筋だ、って言ったじゃん!」
柚子葉は泣きそうな顔で続けた。
賢はえー、となってしまった。突然過ぎる。
「いや、それは嬉しいけどさ...一体俺のどこがいいんだ?...俺、どこにでもいる普通の男子って言うか、むしろ非モテ街道まっしぐらじゃんか...」
「賢が自分のいいところに気がついてないだけだよ。賢、誰に対しても分け隔てなく優しいし、素敵な絵が描けるし...賢のこと好きな女の子何人か知ってるよ」
「全部初耳だよ!」
「賢、鈍いからなぁ」
柚子葉は目に涙を浮かべながら可笑しそうに笑っている。
賢は突然の柚子葉の告白に気持ちが大混乱していた。これは現実なのか?まずそこから疑うレベルだ。これからどういうスタンスで柚子葉に接していけばいいのか全くわからなくなった。
「ありがとう...でも、ごめん、今まで全然考えたことなかったから、どう受け止めればいいのか全然わからない。こんな状態で柚子葉の気持ちには答えられないよ...」
「それはいいの!私が勝手に賢のこと一方的に好きなだけだから聞いてもらえればそれでいいの。だから今すぐ付き合ってとは言わない。これからの私を見ていてほしいの!」
「うん、そ、そうか、わかった」
賢はやっとの思いで声を絞り出した。
「だから梨沙には負けない。それだけは覚悟しておいてね...」
柚子葉はニカっと微笑んでシェイクを口に運んだ。
「そ、そうか...」
柚子葉の言葉はいつもど直球だ。間抜けな返事しか出来ない賢であった。
5話 ジレンマ
1月下旬。
賢は最近熟睡することができず寝不足に悩まされていた。理由は明白。柚子葉の告白が原因である。黒木梨沙のギャップに惹かれつつあったところにここにきて柚子葉の告白である。動揺するのも無理はない。しかも誰にも相談することが出来ない。八方塞がりである。
賢は慣れない感情に疲れながら朝食に降りてきた。
「お兄ちゃん、おっそい!」
妹の里中珠緒が嘯く。
「今日は随分ゆっくりなのね」
母親の里中明子があらあらといった感じでぼやく。
「悪い。よく眠れなくてさ」
賢が答えて「いただきます」と手を合わせ朝食のサラダとトーストに齧り付く。
「もしかして恋の病?」
明子があっけらかんと尋ねる。
「ぶふっ...げほっ!ごほ!」
賢はむせてしまった。
「あら、図星だったの?」
明子はニコニコと笑っている。
「どうしてそれを?」
「観てればわかるわよ」
「もしかしてあのイタリアンのお姉ちゃん?」
珠緒が野次馬根性丸出しで聞いてくる。
「うっせぇ、あっち行ってろ」
「はーい!」
珠緒は可笑しそうにだが素直にリビングから出ていった。
「それでどんな状況なの?」
明子が優しいトーンで聞いてくる。
「女の子に告白されたんだよ。だけど自分の気持ちが整理出来なくてまともな返事が出来なかった。まあ、今でも気持ちの整理は出来ていないんだけど」
賢は素直に差し障りのないところを答えていく。
「それってイタリアンで会った黒木さんっていう女の子?」
「違う。別の女子」
「あら、それは大変ね」
明子がふふっと笑う。
「恋愛に正解なんてないわ。とにかく誠実にね。でも自分の気持ちがはっきりわかったときはちゃんとその気持ちをその子に伝えること。それが出来れば問題はないわ。お母さんは賢を信じてる」
明子ははっきりと言い切った。
それはなによりも今の賢にとって心強い言葉だった。
「ありがとう」
自然と感謝の言葉が口に出た。
6話 黒木梨沙
私が賢君をはっきりと認識したのは秋、10月に開催された文化祭での出来事がきっかけだった。映画愛好会の当番が終わり校内をゆっくり回っていた私は美術部の展示会で素敵な絵に出会うことになる。それは鮮やかな色遣いで太陽が海から昇る場面を切り取ったかのような絵だった。青、群青、緑、黄色、オレンジ、赤、白の色がところ狭しとキャンバスを埋めていた。そして、美術部の展示会でそのとき案内係の当番をやっていたのが賢君だった。
「これ俺の自信作なんですよ」
絵の前で佇んでいた私に賢君は突然声をかけてきた。最初はビクっとしたが彼のおおらかな雰囲気で少し経てば平気になった。
「日の出ってその日の始まりを伝えるものじゃないですか。そこも好きなんですけど、でも特に暗い海の向こう側から日がさす場面ってそれまでどんな嫌なことがあってもそこですべてがリセットされてもう一度何にでもチャレンジ出来るそんな勇気をもらえるような気がするんです」
賢君が語る。
「い、いいですね」
私も相槌を打つ。
「ほら、夜明け前って1番世界が暗闇に包まれてる時じゃないですか。それがだんだんと水平線がオレンジ色に光ってしばらくすると太陽が昇って来る。その光景がギャップがあってたまらなく好きなんです」
賢君はそう続けた。
「素敵ですね」
自然とその言葉が口をついた。
「すいません。熱く語っちゃって。他の部員の絵も展示しているので、是非ゆっくりご覧になっていってください。」
そう言うと賢君は案内係の席へと戻っていった。
賢君がその後話しかけて来ることはなかったが、私はその後もしばらく賢君の絵に見惚れていたのだった。
「素敵な絵を描く人だなぁ...」
それが賢君の第一印象だった。
その後何事もなく2ヶ月が過ぎた。
私は8月から近所のイタリアンのお店でアルバイトをしていた。そのお店は本場志向のイタリアンをリーズナブルにを合言葉にお客様に自信をもって本物の商品を紹介しようというお店だった。私も働いているうちにテンションが上がってきて学校とは違うハキハキとした私を出せるようになっていた。
そんな12月に賢君が家族とお店にやってきた。クリスマスはまだちょっと先だったので軽く食事に寄ってみたという感じだろう。胸が高なった。自分で言うのもなんだけどここでの私はかなりテキパキした動きをしていると思う。だから...
「里中君でしょ?1年C組の」
自信をもって話しかけることが出来た。
思えばこれが初恋の始まりだった。
7話 カラオケ
2月下旬。
賢たちはいつものようにイタリアンで食事会に来ていた。梨沙は別のテーブルで接客をしていて今はいない。
「中間テストの結果どうだった?」
柚子葉が尋ねる。
「俺はいつも通り」
春人が自信満々に答える。
「はいはい、あんたは頭の出来が私とは違うものね。また平均90点台?」
「まあ、そんなとこ」
「うざいわぁ。賢はどうだったの?」
「今回はあんまりよくなかったな。平均70点台だったと思う」
賢は淡々と答える。
「へぇ、賢いつも平均80点台なのにね」
柚子葉は意外といった反応をする。
「そういう柚子葉は平均何点なんだよ?」
「80点台。ソフトボール部にしては出来る方でしょ?」
柚子葉は得意げだ。
「ああ、そうかい。勉強もスポーツも出来てよござんすね。ところで柚子葉、おまえたち春以降はこの土曜日の食事会どうするんだ?ソフトボールの対外試合始まったら参加出来なくなるだろ?」
賢は自分の不甲斐無さが恥ずかしくなって話題を変えた。
「そうなんだよね、実際来る時間なくなると思う」
柚子葉は残念そうにぼそりと答える。
「俺もイタリアンのお店に野郎2人だけで来るっていうのはちょっと気がひけるなぁ」
春人も複雑そうに言う。
「俺は来るぞ。1人でも」
「えっ?」
賢の宣言に春人と柚子葉が同時に反応した。
「だってここのイタリアンめっちゃ美味しいし」
「元気な梨沙にも会えるしねー」
「なんだよ、感じ悪いなぁ」
柚子葉の意地悪に賢がムキになる。
「別にー」
「おまたせしました。ご注文はいかがなさいますか?」
梨沙がやって来た。
「梨沙、頑張ってるね!私はボンゴレスパゲッティね。2人は?」
「俺はカルボナーラスパゲッティ、賢は?」
「俺は万願寺とうがらしのペペロンチーノスパゲッティで」
「かしこまりました、お飲み物はどうなさいますか?」
「みんな食後にコーヒーで」
「ありがとうございます、ではごゆっくりしていってください」
「ありがとう」
柚子葉が返事した。賢の中では不思議なことだが柚子葉にとって恋のライバルのはずの梨沙の存在がどうやら友達としては成立するらしい。賢はほっとひと安心した。
「ところで梨沙、今日何時上がり?」
「えっ!えーとあと1時間で上がりだけど...」
「じゃあ、この後みんなでカラオケに行こう!」
柚子葉がとんでもない提案をぶちかました。
「ぶふっ!」
この提案に春人も賢も吹き出してしまう。なぜ柚子葉はいつもやることなすこと突然なのか?賢にはさっぱり理解出来ない思考である。
「どう、カラオケ行きたくない?私今日超歌いたいんだけど!」
「どうっておまえ、いきなり過ぎるだろ?」
賢がぼやく。
「えっ、無理?」
「俺は行けるぜ」
春人が答えた。こいつはこいつで考え方が柔軟だ。
「賢は無理なの?」
「いや、行こうと思えば行ける」
「OK!梨沙もみんなと一緒に行こうよ!」
「私、今までカラオケ一度も行ったことがなくて...」
梨沙は困り顔だ。
「じゃあ今日は梨沙のカラオケデビューだ!」
柚子葉の勢いは止まらない。もはや暴走機関車である。
「えーと、うん、わかった。私もみんなと一緒ならカラオケ一度行ってみたい...」
梨沙がついに折れた。
「よし決まり!集合は余裕持って1時間半後ね!」
その場は柚子葉の1人舞台となった。
「なんでいきなりカラオケなんて言い出したんだ?」
賢は柚子葉に尋ねた。
3人は食後のコーヒーを飲んでいた。今日賢が食べた万願寺とうがらしのペペロンチーノスパゲッティも最高に美味しかった。やっぱりここのお店には外れがない。
「さっきの話の続きよ。春になったらソフトボール部の対外試合で土日両方とも潰れてみんなでイタリアンに集まれなくなるから今のうちにみんなで遊んでおこうと思って」
「それにしたって今日の今日ってのは急過ぎるだろ」
「思い立ったが吉日っていうでしょ」
柚子葉はどうだと言わんばかりである。
「楽しめればなんでもいいよー」
春人は余裕である。
「まあ、梨沙が初めてのカラオケ楽しめればいいんだけど...」
そして、約束の時間になり4人はカラオケルームに集まっていた。機種はジョイサウンドでなく曲数の多いダムスタジアムである。
「まずはわたくし遠藤柚子葉から!曲はシェルルの『バズーカ』!」
始まってしまった。柚子葉は初っ端からノリノリで歌っている。
賢が視線をやると梨沙が見るからにガチガチになっている。そりゃそうだ。いきなりこのノリはきつい。
「盛り上げようとしなくていいからまずは知ってる曲を選んでみたら?」
賢が梨沙にアドバイスする。
「えーと、青い鳥の『羽根をください』とかなら歌えると思う」
「結構古い有名どころだね、じゃそれで行こう」
方向性が決まった。
「じゃ、次は俺ね!ストローベリーの『夏花火』!」
今度は春人が歌い始める。90年代ソングだ。こちらもノリノリである。
すぐに順番は回ってくる。
次は賢だ。
「俺は森下雄三の『陽だまりスケッチ』で行く」
チョイスは80年代ソングのバラード系にしておいた。これなら次の梨沙が歌いやすいはずだからだ。
そしてとうとう梨沙の順番が回ってきた。
「私は青い鳥の『羽根をください』で...』
梨沙の歌唱が始まった。
梨沙は声がいい。よく響くのである。カラオケは初めてと言っていたがそんなの信じられない上手さである。
そして4人とも1曲目を歌い終わったところで暫し談笑の時間となった。
「梨沙歌えるじゃん!初めてとは思えないよ!信じられないくらい上手いじゃん!」
柚子葉が褒めちぎる。
「ありがとう...そうかな...そうだといいなぁ」
梨沙はちょっと照れ顔である。
「全然初心者って感じしなかった!上手いよ!」
春人も感心しきりである。
「梨沙がカラオケ楽しめているようでよかった」
賢はほっと一安心といったところだ。
「遅まきながら今日は来てくれてありがとう、梨沙...」
柚子葉が神妙な感じになる。
「ううん、こっちこそ誘ってくれてありがとう」
梨沙が慌てて答える。
「春になったら賢は通えるらしいけど私は梨沙のイタリアンに通えなくなって学食でしか会う機会なくなるから一度みんなで遊んでおきたかったんだ」
「そうか、そうだね...誘ってくれて本当にありがとう...」
「せっかく来たんだから楽しんでいってね。よっしゃー、次の曲に行くぞー!次はね...」
春になったら柚子葉はイタリアンに来れないし春人も来なくなる。だからこそ今日一日をいい思い出にしよう。そう思う賢であった。
8話 部活訪問
3月下旬の木曜日のこと。
期末試験も終わり、生徒たちが春休みの到来を楽しみに浮かれ出した頃、
「賢君、ちょっといいかな?」
梨沙が突然口を開いた。
「ん、何?」
賢が尋ねる。
「実はさ、春休みに入る前に賢君の美術部に是非遊びに行きたいんだ」
「かまわないけど、突然どうしたの?」
賢は不思議そうに首を傾げる。
今は昼休み、場所は学食。同席している柚子葉も春人も目を丸くしている。すぐにその表情は柚子葉はムスっと、春人はニヤニヤに変わった。
「文化祭で観た日の出の絵をもう一度観たいんだ...」
梨沙が素直に答える。最近は学校でも梨沙は積極的に自分の意見を言えるようになってきた。いい傾向だ。
「あー、あの日の出の絵か!いいよ、それなら大歓迎!それにしてもよくあの絵のこと覚えていてくれたね!たしか梨沙と最初にまともに喋ったときの絵のことだよね?」
「うん、素敵な絵だったから。あの時のことも覚えててくれたんだ...」
「へへへ、割と物覚えはいい方だからさ。あとよかったら少しうちの部の体験していくといいよ、明日の金曜日はどうかな?映画愛好会は大丈夫なの?」
「うん、明日はちょうど愛好会ない日だから大丈夫」
「じゃあ決まり!」
「私も明日美術部見学に行こうかなぁ」
柚子葉が口を挟む。
「おまえは明日も部活だろ」
「ちぇっ、バレてたか」
柚子葉は頬をふくらませて悔しがる。
その様子を見て春人が笑いを堪える。
柚子葉には悪いがここは梨沙の願いを叶えてあげよう、そう思う賢だった。
「わあ、やっぱり素敵な絵だ!」
金曜日。
約束通り梨沙は美術部に遊びに来ていた。
賢の日の出の絵を観て目をキラキラさせている。それだけで賢は梨沙を連れてきてよかったと思えた。
今日の美術部の部室にいるは賢の他には郡山美鶴だけだった。美鶴は梨沙と同じクラスの女子で以前梨沙を呼び出してもらったことがある。その時の借りを返すためにこの前ポポッキーをあげている。他の部員は全員外にスケッチに行ってしまったようである。美鶴は一人黙々と石膏デッサンをやっていた。が、美鶴も梨沙に気づいて鉛筆の手を止める。
「やあ、梨沙っち。お疲れ様!美術部に興味あるの?うちは大歓迎だよ!」
美鶴は楽しげである。
「今日は賢君の日の出の絵を観せてもらいに来たんだ。あと、少し体験もさせてもらう予定だよ」
「そっかそっか、ゆっくり楽しんでいってね」
美鶴は気を利かせたつもりなのかさっさと話を終わらせてしまった。美鶴は不思議な間合いをもっている。
「じゃ、まずは顔彩だ。主に俺が使っているだけだけどね。これには和紙を使うんだ。この顔彩は膠がもう混ぜられているから水で絵の具を溶かすだけで使えて便利なんだよ」
「膠って何?」
「日本絵の具の接着剤っていったところかな。さあ描いてみて描いてみて。」
「じゃあ夜の空に浮かぶ月を描いてみる!」
「いいね!頑張って!」
「ありがとう」
梨沙は楽しそうに夜の海にぼんやりと浮かぶ月を描いていく。多少幼な子っぽい描き方だ。
そんな梨沙を賢は何か気持ちが温かくなる感覚を覚えながらぼーっと眺めていた。
「この温かい感情はなんだろう?」
自分でもわからない感情だった。
9話 帰り道
賢と梨沙は美術部が終わった後一緒の帰路についていた。因みに賢も梨沙も一緒の最寄り駅である。
「賢君は凄いよ。自分ってものをちゃんと持っていて...だからあんな素敵な絵が描けるんだね」
梨沙が切り出した。
「自分ってものをちゃんと持ってる、ってどういうこと?」
「まんまの意味だよ。言葉を変えたら、自分なりの考え方をちゃんと持っている、ってことかなぁ...」
「いや、でもそれはみんなそうなんじゃないか?それぞれの人間がそれぞれの個性を持っているわけだし。」
「少なくとも私はそうじゃないんだ。前にも言ったんだけど私学校ではあんまり自分に自信持てなくて...。だからいつも他の誰かの物差しで物事を考えちゃう癖があるんだ。でもそれって誰かの考えに隷属してしまう、ってことなんだよ。隷属関係が生じてしまう...。厄介だよね。自分が周りより精神的に幼いんだな、って感じちゃうんだ。だからあまり交友関係も増やさないようにしてるんだ」
「そっか、そういう悩みがあるのか...」
「うん、恥ずかしいんだけど...」
「イタリアンのときは違うよね?」
「うん!本物を紹介する、本物のサービスを提供する、って明確な目標があるからブレることはないかな」
「それ、学校でも出来ないのかな?」
「難しいなぁ。勉強もスポーツも普通だし。いや、普通以下かもしれないし...」
「そうかぁ、でもそれじゃ学校つらくない?」
「うん、つらいときが多い」
「なかなかすぐには出来ないかもしれないけどまず今出来ることをちゃんとやる。それにつきるんじゃないかと俺は思う。」
「具体的には?」
「今実際、俺に梨沙自身の考えをちゃんと言えているじゃない?」
「それは相手が賢君だからだよ」
「それでいいんだよ。俺だけじゃない。柚子葉も春人も梨沙の味方だからさ。まずはこのメンツ相手には自分の考えをちゃんと言えるようになって自信がついたら周りの人たちにも広げていくようにするのはどうかな?」
「そうかぁ...それならあまり怖くないかな」
「ってこれも俺の考えの提案だから無理して採用しなくてもいいんだよ?」
「もー!賢君の意地悪!」
「ははは、結局は梨沙次第ってことになっちゃうんだよ。ただ、一度切りの人生なんだからさ、ポジティブに生きた方が得だと思うよ」
「うん、そうだね!」
梨沙は今日一番の笑顔を見せた。
10話 ソフトボール対外試合
春休みになった。
この日は賢、春人、梨沙の3人で柚子葉のソフトボールの対外試合の応援に来ている。因みに柚子葉は1年生にしてすでにレギュラーを勝ち取り8番サードを務めている。やはり柚子葉は只者ではない。
試合は3回裏7-6の乱打線になってきておりこの回先頭で柚子葉が今日2打席目の左バッターボックスに入っていた。第1打席はチェンジアップにタイミングが合わず三振している。
「気張れよ、柚子葉ー!」
春人が檄を飛ばす。
「打ってけ、柚子葉ー!」
賢も負けてない。
「頑張れー、柚子葉ちゃん!」
梨沙も大声を出して応援する。
柚子葉はピッチャーに集中している。
初級ボール、2球目ストライクと来た3球目ストレートだった。
カキーン!
金属バットの大きな金属音を残し打球はレフト前に転がり、柚子葉は快足を飛ばしあっという間に一塁を駆け抜けた。綺麗な流し打ちだった。
「やったー!!柚子葉が打ったー!!」
賢たちは大はしゃぎだ。
「いいぞ、柚子葉!」
チームメンバーたちも拍手しながら盛り上がっている。
柚子葉は塁上で控えめにガッツポーズをとる。
この後2アウト二塁となり2番バッターのタイムリーツーベースで柚子葉は本塁へと帰ってきた。試合は7-7の同点となる。3番バッターはセンターフライに倒れて攻守交代になった。
試合は4回に入る。
「柚子葉の奴凄いな。あのピッチャーの投げた球相当速かったはずなのに」
「やるなぁ柚子葉」
「凄いね、柚子葉ちゃん!」
「おーい、柚子葉ー!!」
春人が叫ぶ。
サードの守備に着こうとしていた柚子葉が春人の声に気づく。
「ナイスバッティング!!」
もう一声春人が叫んだ。
賢も梨沙も拍手で柚子葉を讃える。
柚子葉は笑顔で帽子の鍔に指を当て春人たちに答えた。
さて、この回相手チームは3番バッターからの上位打線だ。
こちらの3年生のピッチャーもこの回は意地を見せ3番4番バッターを空振り三振に打ち取った。
そして5番バッターも...とはいかなかった...。
カキーン!!
強烈な低空ライナーの打球がサードの柚子葉目掛けて飛んでいった。柚子葉はあまりの打球スピードに反応出来ず、ボールはその右脚首に直撃して跳ね返りファールグラウンドに転々と転がった。サード強襲ヒットである。
「あぁ!!」
梨沙が悲鳴を上げた。
「うわっ、これはヤバいぞ!」
「骨折してないだろうな...」
春人も賢も心配する。
だが、柚子葉の根性は凄まじかった。
痛いはずの右脚にかまうことなくすぐにボールを拾いに走り、すぐさまショートにボールを返したことで、2塁を狙ったバッターランナーはそこでタッチアウトとなったのだ。
4回の表が終わった。
試合はここで一時中断となる。
激痛が後からきたのだろうその場にうずくまる柚子葉の周りにナインと救急ボックスを持った女性監督が駆け寄る。
「立てるか?」
監督が尋ねる。
「はい、大丈夫です...」
柚子葉が痛そうにしながらも気丈に答える。
「肩を貸しなさい。右脚が地面につかないように。すぐに病院で診てもらわないと...」
監督は非常事態にも関わらず冷静に対処してくれた。
柚子葉は選手交代となった。
柚子葉はすぐに病院で診てもらうことになり試合途中でグラウンドを後にした。
当然春人、賢、梨沙も柚子葉について病院に行くことになった。
病院の待合室。柚子葉の負傷退場から2時間後。賢たちはずっとこの待合室で柚子葉が出てくるのを待っていた。そして松葉杖をついた柚子葉が病室から現れた。
「怪我の具合はどう?」
梨沙が恐る恐る聞く。
「ただの打撲で済んだみたい。お医者さんも驚いてたよ...私、見た目以上に頑丈だった。えっへん!」
「ったく、心配かけさせやがって...」
春人がボヤく。
「骨折したかと思ったよ..まあよかねーんだけど、とりあえずよかった...」
賢も安堵の息をつく。
「この松葉杖も1週間したら要らなくなるってさ。今も一応念のためってことらしいよ」
柚子葉がお茶目に説明する。
「ホントに人騒がせなやつだな」
安心した賢が悪態をつく。
「ごめん、ご心配をおかけしました」
柚子葉が丁寧に謝る。
「まあ、骨折じゃなくてよかったじゃん!とりあえず柚子葉はこの後静養だな。俺たちが家に送ってやるよ、なあ?」
春人が切り出す。
「うん、そうしよう」
「了解」
梨沙と賢もそれに続く。
「ありがとう」
柚子葉はそれにニカっと笑顔で答えた。
11話 ライバル
春休み後半の金曜日。
梨沙はお見舞いを兼ねて柚子葉の家にお邪魔していた。今日は女子会ということで賢と春人はいない。
「かっこ良くて可愛い部屋だね」
梨沙が柚子葉の部屋の第一印象を述べた。
部屋の壁にはソフトボール関係のポスターや男性アイドルのポスターが貼ってあるが部屋自体は整理されていて綺麗だ。
「ありがとう。今麦茶持ってくるからね」
柚子葉が答える。
「えっ、気にしなくていいよ。まだ脚も治ってないのに...階段危ないよ」
「大丈夫、大丈夫。もうほとんど痛くないから」
梨沙は改めて柚子葉の驚異の回復力に感心した。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「うん、梨沙は座布団か私のベッドに座って待っていて!」
そう言うと梨沙は元気に階下に降りていった。
「今日はお見舞いで来たはずなのに逆に気を遣わせちゃったなぁ」
梨沙は座布団に座りながら1人反省した。
お見舞いと言っても今日梨沙は柚子葉に誘われたのである。
「2人で女子会をやろう。賢と春人は抜きでね♪」
柚子葉はLINEでそう言っていた。
緊張する。柚子葉と2人きりという状況は初めてだからだ。だが先日の賢の言葉を思い出す。
「柚子葉も春人も梨沙の味方だからさ。まずはこのメンツ相手には自分の考えをちゃんと言えるようになって...」
たしかに賢はそう言っていた。ならば今日は柚子葉とさらに仲良くなる絶好のチャンスだ。
「お待たせー、はい麦茶」
柚子葉が戻ってきた。
「ありがとう」
梨沙の前のテーブルに麦茶が置かれた。
「この前は試合観に来てくれて本当にありがとう!ごめんね、あんな結果になっちゃって...」
「いや不可抗力でしょ」
「そう言ってくれると助かる」
「えへへ...」
「ところでさ」
「うん、何?」
「梨沙は賢のことどう思ってる?」
柚子葉が唐突に切り出した。
「ごほっ、げほっ」
梨沙は麦茶が気管に入ってむせてしまった。
なぜ柚子葉はこうも直球勝負なのか。
「どう思ってるって友達としてじゃなくて異性としてということだよね?」
「うん、異性として」
「好きだよ。あんな誠実な人見たことがないから」
梨沙も直球で答えた。柚子葉相手に駆け引きするのはフェアじゃないと思ったから。だが好きという言葉が自然と口をついたことには自分でも驚いた。
「そっか、やっぱりね」
柚子葉はひとりごちている。
「柚子葉ちゃんももしかして賢君のことが好きなの?」
「えへへ、正解。私も賢のことが好き...」
「そっか」
暫しの沈黙が流れた。
「じゃ私たちライバルなんだね...」
「そういうこと。私今まで梨沙に賢をとられるのが怖かったんだよね。でも友達やめようとかそういうことじゃないんだ。お互い隠し事なしで頑張ろうって意味で確認しておきたかったんだ」
「そっかー、うん、わかった」
「なんか梨沙、イタリアン以外でもものをはっきり言うようになったわね...」
「へへ、これも賢君のおかげなんだ」
「うっ、進展速いわね。私もうかうかしてられないわ...」
「負けないよー」
「望むところよ、じゃ私は肉食系でガンガンアプローチかける方向で行くわ。実は私賢にはもう告白済みなの」
「えぇー、へ、返事は?」
「保留。ってか私自身が答えを求めなかったの」
「そうだったんだ...」
「抜け駆けしちゃってごめんなさい。でもここからはフェアプレー精神で行くから」
「うん、わかった!頑張ろう!」
2人はライバルであるにもかかわらずもうすでに親友となっていた。
12話 将棋道場
これまた春休みの後半。日曜日の午前10時。
この日黒鉄春人は将棋同好会の会長であり4月の学校が始まったら3年生になる藤堂大介と共に渋谷区千駄ヶ谷にある日本将棋連盟東京将棋会館道場に来ていた。むろん将棋を指すためである。高校生は1日800円で利用することができる。
春人はアマチュアの初段、大介は四段である。そして春人は只今8連勝中。あと2連勝で二段に昇格できる。因みに今日は賢、梨沙、柚子葉は一緒ではない。将棋は個人戦だし3人に応援されても困るので「応援したい」という3人の申し出を春人自身が断ったのだ。
「高校生2人、お願いします」
「はい、じゃカード書いてくださいね」
「わかりました」
2人とも慣れた手付きで受け付けを済ませる。あとは同等レベルの実力者とマッチングしてもらうのを待つだけだ。
しばらくして
「黒鉄さん、橋下さん、受け付けまでお越しください」
春人のマッチングが決まった。
「春人、練習通りの力が出せれば絶対二段になれるからな。頑張れよ」
大介が発破をかける。
「大丈夫です。俺があまり緊張しないたちなのは会長がよく知ってるでしょ?」
春人が返す。
「よし、じゃ昼飯までは別行動な」
「了解です」
「君が黒鉄君かい?」
初老の男性が春人に声をかける。
「はい、そうです。橋下さんでよろしいですか?」
「そうだよ、よろしくお願いね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
橋下という初老の男性は二段だった。
この場合春人が先手となる。
「では、よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
お互い一礼して対局が始まる。
春人の得意戦法の四間飛車穴熊をとる。
橋下は美濃囲いのようだ。
序盤はお互い王様を囲うのに手を費やし中盤で攻め合いになった。
原則として攻め合いになると穴熊囲いは守りが固いはずである。しかし橋下は穴熊崩しが上手かった。
終盤戦あっという間に春人の囲いが崩される。
春人の完敗だった。
「まいりました」
春人は投了した。
「ありがとうございました」
お互い一礼し、勝った橋下がカードを受け付けに持っていく。
「あー、ちくしょう」
1人になった春人は悔しがる。普段おちゃらけてる春人もこと将棋に関してだけはガチの真剣勝負なのである。負けたら当然悔しい。
「黒鉄ちょっと休憩でお願いします」
まだ1局しか指していないがショックを癒すため春人は休憩に入る。
連勝は8でストップしてしまった。しかしまだ14勝2敗で二段に昇格する可能性が残っている。
ここでズルズルと連敗するわけにはいかない。
春人は気分転換のため大介の試合を見学することにした。
観ると大介は横歩取りという超攻撃的戦法で戦っていた。試合はすでに終盤戦に突入しており明らかに大介が押している。
「まいりました」
「ありがとうございました」
ついに相手が投了した。
勝った大介がカードを受け付けに持っていく。
「対局どうだった?」
大介が聞いてくる。
「完敗でした。相手の人強かったです」
「そうか、9連勝はならずか。よし、ちょっと早いけど昼食休憩にしよう。藤堂休憩入ります」
受け付けの人にそう告げて、カードを休憩ボックスにしまうと大介は春人の元に戻って来た。
「よし、じゃ、モスに行こうぜ。昼はハンバーガーだ」
「わかりました」
大介が先導して2人は近くのモスに向かった。
モスの店内。2人はハンバーガーを食べている。因みに大介はモスバーガーとシェイク、春人はロースカツバーガーとメロンソーダを注文した。無論春人は「カツ」で縁起を担いでいる。
「相手が悪かったな。おまえあまり緊張するタイプじゃないから負けたのは純粋に実力差だよ」
大介がズバズバと切り込んでくる。
「はい、穴熊囲いがあっという間に崩されてしまいました...」
「前から思ってたんだけどおまえ穴熊囲いの固さに安心して攻守のバランスが崩れる癖があるよな」
「そうかもしれません」
春人はこのときホントに賢たちを連れて来なくてよかったと思った。将棋に関してだけは春人はおちゃらけることができず対局に負けた上に先輩から説教(教育)を食らっている。こんな自分は見せられない。
「これ食べ終わったら練習対局してやるよ。ポケット将棋盤持ってるか?」
「はい、持っています」
「よっしゃ、早指し将棋やるからな。元気だせよ?」
「ありがとうございます」
春人は大介には頭が上がらない。
その後2人はお店の迷惑にならない程度の時間で早指し将棋を打ち将棋会館道場に戻ったのであった。
戻ってからの春人は破竹の勢いで連勝していった。大介の指導対局が効いたみたいである。
あっという間に5連勝し昇格まであと1勝と迫る。
時刻はもう夕方になっていた。
「黒鉄休憩入ります」
あと1勝で昇格。しかし5連戦はキツかった。
ヒートアップした頭をクールダウンさせるために一時休憩を入れる。
ちょうどタイミングよく大介も対局が終わったところだった。また勝ったようである。大介は本当に強い。大介が五段になるためには18連勝しなければならずハードルは相当高いはずなのだが案外あっさりと五段になってしまうのではないか、そう春人は思ってしまった。
「おまえも対局終わったのか」
「はい、勝ちました」
「そうか、あと1勝だな」
「はい、あと1勝です」
「じゃ、ちょっと外でジュースでも飲んでリフレッシュするか。すいません、藤堂休憩入ります。」
そう言って大介はカードを休憩ボックスに入れると道場の横手にある自販機へと向かった。
「さすがのおまえも少しは緊張してきたか?」
大介が真剣に聞いてくる。
「はい、緊張してます」
「ここから2敗したら目も当てられないぞ」
「縁起でもない事言わないでくださいよ」
「でもそれで死ぬわけじゃない」
「それは確かにそうですが...」
「おまえの実力ならまた近いうちチャンスは来るよ」
「だから2敗する前提で話を進めないでくださいよ」
「緊張してる人間に言っていいのかわからないが、その緊張も楽しめ。その緊張もおまえの財産になる」
「わかりました」
「よし、じゃ行ってこい!」
「はい、行ってきます」
結果として大介の発破は功を奏した。春人は次の対局に大激戦の末競り勝ち14勝1敗で二段昇格を決めたのだ。受け付けで二段の免状をもらう。
春人はまた休憩に入る。今度は余韻を楽しむためである。
暫くして大介がやってきた。また勝ったらしい。どれだけ強いというのか。
「昇段おめでとう」
大介が春人の肩を叩き労う。
「ありがとうございます...」
「今日はここまでにしておこう。昇段祝いをしなくちゃな。これから家に遊びに来いよ。祝勝会やるぞ」
「えぇ...それはご迷惑になるんじゃ...」
「いいからいいから!」
こうなると大介は止まらない。
「わかりました。それじゃお言葉に甘えて」
「よし、決まり。すいません黒鉄と藤堂上がります!」
「はい、お疲れ様でした」
受け付けの人が労ってくれた。
大介の家。
「お疲れー!」
「お疲れ様です」
「いやー、よかったなおまえ。まさか春休み中に二段になっちゃうとはな」
「ありがとうございます」
「なんか最近調子良さそうだな?」
「はい、友達が増えまして...」
「なんだそいつらに応援に来てもらったらよかったのに」
「いや自分普段とテンション違いすぎて、とても友達は呼べないっす」
「おまえも面倒くさい男だな」
「すいません」
「でも結果はちゃんと報告してやれよ」
「えー、キャラじゃないっすよ」
「いいから!ちゃんと報告してやれ」
「わ、わかりました」
こうして祝勝会は午後9時半まで続いたのだった。
13話 進級
春休み明け。賢たちは無事2年に進級することができた。そしてクラス替えの結果、4人とも2年A組で同じクラスとなった。今年度はさらに楽しくなりそうだ。
「おはよう、賢君」
「おはよう梨沙。今年は同じクラスだね。どうぞよろしく」
「こちらこそよろしく」
梨沙と賢が笑顔で挨拶を交わす。
「私も同じクラスなんだけど!」
柚子葉がムスッとしながら割り込む。
「悪い悪い。おはよう柚子葉」
「おはよう柚子葉ちゃん」
「おはよう、賢に梨沙、ん?春人は?」
「おはよーっす」
「あら、いたの」
「いたの、とはひでーな。今日は報告があるんだ」
「報告って?」
「わたくし黒鉄春人、先日無事将棋のアマチュア二段に昇格しました!」
「おぉ、それって強いの?」
「まあ、アマチュアでちと強いくらいだけどよ...それでも昇格するの苦労したんだからな!14勝1敗でやっと昇格だったんだから!」
「14勝1敗?!超強いじゃん!」
「もっと褒めていいぞ」
「うざいわぁ」
「なんでだよ?!」
「まあまあ2人共、それでお祝いはまだ?」
「もう同好会の先輩に祝勝会開いてもらったよ」
「そっか、じゃもうお祝いはしなくていいな」
「おい?!」
「ははは、冗談冗談。でもお祝いは何がいい?」
「4人でパーティ?」
梨沙が尋ねる。
「いや、パーティ的なものはもう先輩に開いてもらったから映画とか買い物とかの方がいいな」
春人が呟く。
「映画いいね!」
「春人の趣味はミステリーだよ?」
柚子葉が口をはさむ。
「いいねミステリー!名作映画をリバイバル上映している映画館があってね、そこで今『検察側の証人』っていう名作ミステリー映画が上映中なの!マレーネ・デートリヒが主演してるんだよ!みんなで観に行こうよ!」
梨沙が熱く語る。
「マレーネ・デートリヒって誰?」
「往年の名女優だよ!」
「うーん、そっか!梨沙は映画愛好会だったっけ。私も観てみたいけど賢と春人は?」
「行く」
「是非観たい。ナイスチョイス梨沙!」
賢も春人も乗り気だ。
即決だった。
「じゃ、日程ね。私はソフトボール部の休みは4月の18日と25日の日曜日だけなんだけど夜だったらいつでもいいわよ」
「俺は18日空いてるよ」
「俺も」
「私は18日バイト上がりの午後3時以降なら空いてるよ。ちょっと待ってね。上映時間スマホで調べるから...あ、午後4時半上映回あるよ!これにしよう!」
梨沙は以前と比較して随分はっきりと自分の意見を言うようになった。賢はそれが嬉しかった。
14話 映画の後
そして4月18日午後6時半。映画を観終えた4人はマックでお茶をしながら各々の感想を言い合っていた。
「いやー、見応えあったな」
賢が口を開く。
「まさか被告人の有罪を証明するはずの検察側の証人の女性が愛する被告人を助けるために弁護士に論破される道を選ぶなんてな。びっくりだった」
春人も息が荒い。
「その演技も迫真の演技だったわね。無罪が確定した被告人=真犯人があっさり別の女性に乗り換えて激昂した証人の女性に刺されて死ぬ、っていう設定もショックだったわ」
柚子葉もショックを受けたという割に雄弁に語る。
「へへ、私のツボは弁護士のおじいちゃんかな。さんざん検察側の証人に振り回されたにもかかわらず、裏切られた女性が真犯人を殺してしまったのをみて『今度はこの女の弁護につかなくては』って言うシーン、人情があってすごくかっこよかった」
梨沙も高揚している。
「っていうか、春人、これがお祝いでよかったのか?俺らが楽しんじゃったけど」
「充分だよ。超面白いミステリーが観れたからな。しかもみんなで。ありがとう梨沙」
「えへへ、どういたしまして」
「これからは同じクラスだからこういう機会も増え...あれっ...結局1年のときと変わらないんじゃねえの?みんな忙しいし」
賢が疑問を呈する。
「学食に集まれるでしょ。それに4人全員集まれなくてもいいじゃない。2人でも3人でも」
そう言ったところで柚子葉は梨沙の耳元で小さくつぶやいた。
「機会は平等。恨みっこなしだからね」
「うん、負けないよー」
梨沙も返す。
「なんだよおまえら、急にひそひそ話始めて」
「ううん、なんでもない」
柚子葉と梨沙2人同時に答えた。
「面白そうだな。俺も混ぜてよ」
春人が軽口を叩く。
「ダメ、これは女の闘いなんだから」
梨沙が突き放す。
「ほほぉ、女の闘いねぇ」
「あんたは黙ってる!」
「はいはい、わかりましたよ」
春人はすべてを察したかのように了承した。
「賢、おまえこれから大変だな」
春人が賢をからかう。
「そうだな、誠実な態度で臨まないとな...」
「おっ、おまえもただの鈍い奴じゃなかったか」
「うるせー、それよりお祝いの続きだ。ナゲットとポテト奢ってやるよ」
「おお?!無理しなくていいんだぞ」
「バイトしてるんだからこれくらいなら奢れるんだよ」
「じゃお言葉に甘えることにするわ。サンキュ」
「ああ、ちょっと待ってろ。注文してくる」
そう言って賢はしばらく席を外した。
「フェアプレー精神でいけよおまえら。じゃないと友達なくすぞ?」
春人が柚子葉と梨沙に釘を刺す。
「私はもう告白しちゃってるんだけどね」
柚子葉が正直に答える。
「はぁ?!で返事は?」
「返事は聞かなかった。というか断られそうになったけたど、これからの私を見てって伝えた」
「賢の奴...つまり柚子葉の方は保留か。梨沙の方は?」
「まだ気持ち伝えてない...」
「そっか...」
春人はシェイクをズズっとすすり考え込む。
そして...
「2人共後悔が残らないようにな。2人共応援してるから。負けた方は俺が引き取ってやる!」
いかにも春人らしい軽口で締めた。
「うっさい、バカち!」
柚子葉もそれに軽口で答える。
「頑張る!」
梨沙は真面目に答える。
春人のこういう馬鹿っぽいところが今の2人にとっては救いだった。
そこに、
「おっ、なんだか楽しそうだな」
ナゲットとポテトを持って賢が戻ってきて秘密談義はお開きとなったのであった。