幸いなことに、登月(とうげつ)に事情を話したら、すぐに寝間着と普段着を用意してもらうことができた。
 母の形見よりも随分と上等なそれらに、菊花(きっか)はオロオロと困惑する。

 だって、菊花には過ぎたものだ。
 こんな上等なもの、冠婚葬祭でだって着られない。慌てて突き返そうとする菊花に、登月は押し返しながらこう言った。

「私が推薦したせいで、あなたはそのような目に遭ったのです。これくらい、させてください。お母様の形見だったのでしょう? 守れず、申し訳ございません」

「頭を上げてください、登月様!」

 頭を下げてそう言われてしまっては、受け取るしかない。
 登月ほどの人が、田舎娘でしかない菊花に頭を下げるなんて、してはいけないことなのだ。

「では、受け取ってくれますね?」

 にっこり。
 登月の細い目がさらに細くなる。

 反論は許さない。
 そう言われているような気がして、菊花はコクコクとうなずきながら手を出した。

 改めて受け取った服は、どれも軽くて柔らかな触り心地だった。
 少し前に大路で見た、都人たちがまとっていた煌びやかな服よりも上等そうである。

(こんな服、一生かかったって私には買えそうにないわ)

 さすが後宮、と菊花はもらったばかりの服をまじまじと眺めた。
 ゆったりとした袖や(スカート)は、歩くたびにふわふわと揺れそうだ。

 透明感のある生地だから、風に吹かれて(たなび)く様はさぞ美しいに違いない。
 淡い色合いも、菊花の好みだった。似合うかどうかは別として。

(ただ、残念なことに、着るのが私っていう……)

 菊花のようなぽっちゃり体形の人は、暗い色合いのものを着る方が引き締まって見えるものだ。
 菊花の母も彼女が気にしているのを知っていたから、比較的地味な色合いのものを作ってくれていた。

「登月様」

「どうしました? もしかして、気に入りませんか?」

「いえ、とてもすてきですし、好みの色なんですけれど……これ、私に似合うでしょうか?」

 もらったばかりの服をあてて見せる。

 田舎娘には恐れ多い貴族のような服は、あてているだけで目が(くら)みそうだ。
 登月はそんな菊花と服を見比べて「似合っていると思いますよ」と笑った。

「今までの服は地味な色合いのものでしたが、あなたは全体的に淡い色合いをしていますので、こういう色味の方が女性らしくて良いかと。白状しますと、この服は私が用意したものではないのです。あなたを宮女にどうかと紹介してくださった方が、もしものためにと用意したものなので。着てあげたら喜ぶと思いますよ」

「そんな奇特な方がいらっしゃるのですか⁉︎」

「いらっしゃるのですよ。今はお教えできませんけれどね」

 一体誰ですかと聞く前に、登月は釘を刺すようにそう言った。
 途端に、菊花はションボリと肩を落とす。

「そうなんですか。その方のおかげで三食昼寝付きで勉強までできるわけだから、お礼を言いたかったんですけど……今はということは、いつかは教えてもらえるのでしょうか?」

「そうですね。時期がくれば」

 そう遠くない未来ですよ、とつぶやくように登月は言った。
 菊花を登月に推薦してくれた人が誰なのか、彼女には見当もつかない。

 だって菊花は天涯孤独の身。
 特別親しくしていた人なんて思いつかないし、あえて挙げるなら、蛇の(はく)になる。

(でも白が推薦できるわけがないし……。そもそも白とは、もう何年も会っていない。またいつか、どこかで会えたら良いのだけれど)

 白銀に金を混ぜたような神々しい鱗を思い出して、菊花は懐しむように、胸に手を当てたのだった。