あたたかな日差しの下を、手に手を取って歩き行く。
日に照らされて、白銀色の髪が光り輝いていた。
菊花は眩しそうに、それを見上げる。
煮詰めた蜜のように甘い視線。
菊花の唇がむずむずしてくる。
宮女候補として後宮へやって来てから、約一年。
まさかこんな日が来ようとは、誰が思うだろうか。
ただの田舎娘でしかなかった少女、菊花。
彼女は正式に、蛇香帝の正妃となった。
といっても、大々的なお披露目はまだ先である。
今日は今から、引っ越し。菊花の少ない持ち物はすでに運ばれ、あとは彼女だけとなっている。
花弁が敷き詰められた小径の先にあるのは、これから菊花が生きていく場所──蛇香帝の後宮である。
香樹と菊花の名前から取って、名を菊香殿というらしい。
菊香殿は、蛇晶帝の後宮よりもこぢんまりしているそうだ。
香樹曰く、家は小さければ小さいほど良いのだとか。
「その方が、おまえとくっついていられる」
「くっつかなくちゃいけないほど小さな家なの?」
夜、戯れながらそんなことを言い合ったのは、つい最近のことである。
気持ちが通じ合ってから、香樹は以前にも増して菊花をそばに置きたがるようになった。
夜と寒い日だけだったのが、最近はずっとである。
菊花の看病で、そばにいる居心地の良さにすっかり味をしめてしまったらしい。
困った皇帝陛下である。
蛇晶帝だが、彼はまだ生きている。
菊花はてっきり、黄一族の後始末が終わったらお別れだと思っていたのだが、そういうわけにはいかないらしい。
「孫を見るまでは死ねぬ! 菊花、頼む! ぜひ、女の子を! 女の子を見せておくれ!」
菊花の隣で、香樹が「子の性別は男側で決まると教わったのに、何を言っているのだこのじじいは」と言っていたが、見事に聞き流されていた。
香樹の兄は、すべての刑が執行されるのを見届けた日に、ひっそりと姿を消した。
香樹は淡々と、
「おそらくは呪いが解けて自由になったのだろう」
と言っていたけれど、菊花は知っている。本当は、もっと一緒にいたかったことを。
「あっ」
菊香殿の屋根が見えてきた。
サラサラと聞こえるのは水の音だろうか。
戌の国より結婚祝いで噴水が贈られたと言っていたから、それかもしれない。
後宮へ来た初日、噴水を齧り付くように見入っていた菊花のことを、登月が覚えていたらしい。
それを聞いたリリーベルが王妃と相談し、贈るに至ったのだとか。
登月といえば、彼は宦官を二分していた月派の頭を次の世代へ引き継いだそうだ。
「これからはのんびりと、あなたと陛下に茶を振る舞って生きていきます」
と、まるで隠居した老人のようなことを言いながら、登月は笑っていた。
その顔が少し寂しげに見えたのは、もしかしたら落陽のせいかもしれない。
落陽が罪に問われることはなかったけれど、珠瑛を推薦した以上自身にも咎はあるとして、彼は自ら後宮を去った。
リリーベルは、菊花の回復を待たずして戌の国へと帰っていった。
菊花と香樹を見ていたら、夫君に逢いたくてたまらなくなったそうだ。
一刻も早く逢いたいのだと、用意した馬車ではなく早馬で駆けて行った。
つい先日届いたばかりの手紙には、さっそく「夫が鬱陶しい」なんて愚痴が書いてあったけれど、次の行では「夫がかわいくてたまらん」と書いてあって、結局惚気だった。
王妃からは孫の催促をされているらしいが、惚気るくらいだからそう遠くない未来に王妃の願いは叶いそうだとも思う。
(私もいつかは、香樹との間に子どもがほしいわ)
香樹との子どもは、卵で生まれるという。
どのように生まれて、どのように育つのか。菊花は興味津々である。
楽しげにほおを緩ませる菊花に、香樹も笑みが浮かぶ。
「何を考えている?」
「あなたとの子どもはどんな子かしらって考えていたわ」
「……それなのだが」
言いづらそうに淀む香樹。
らしくない彼に、菊花は首をかしげた。
「うん?」
「しばらくは、その……二人きりが良い」
駄目か、とねだるように耳元でささやかれては、たまったものではない。
とんでもない破壊力だ。
菊花は、熱で耳が溶けるのではないかと思った。
溶けないように両手で耳を押さえ、真っ赤になった顔で香樹をにらむ。
そこに居たのは、情けない顔で佇む一人の男。
冷酷だと恐れられている皇帝陛下にはとても見えない、甘ったれた表情を浮かべている。
「もう」
臆病なくせに、愛する人を守りたい一心で皇帝陛下にまでなった、菊花の大好きな人。
本当は知っている。
二人きりが良い理由がそれだけではないことを。
見た目によらず、彼は家族を大事にする人なのだ。
(おじさまと……まだ離れたくないのでしょう?)
「仕方のない人ね」
そう言って、両手を広げてみせれば、
「ありがとう、菊花」
と言って、ひんやりとした体をすり寄せて抱き竦めてくる。
フッと笑んだ香樹の手が菊花の顎に触れ、赤い双眸が甘くにじんで境目をなくした。
「愛しているよ、私のあたため係」
菊花の唇へ、香樹の唇が重なる。
ひんやりとしていた唇が菊花の熱に触れてじわりと熱を帯びていく。
(ああ、これこそ皇帝陛下のあたため係)
徐々になじむ温度に、菊花はうっとりと目を閉じた。
日に照らされて、白銀色の髪が光り輝いていた。
菊花は眩しそうに、それを見上げる。
煮詰めた蜜のように甘い視線。
菊花の唇がむずむずしてくる。
宮女候補として後宮へやって来てから、約一年。
まさかこんな日が来ようとは、誰が思うだろうか。
ただの田舎娘でしかなかった少女、菊花。
彼女は正式に、蛇香帝の正妃となった。
といっても、大々的なお披露目はまだ先である。
今日は今から、引っ越し。菊花の少ない持ち物はすでに運ばれ、あとは彼女だけとなっている。
花弁が敷き詰められた小径の先にあるのは、これから菊花が生きていく場所──蛇香帝の後宮である。
香樹と菊花の名前から取って、名を菊香殿というらしい。
菊香殿は、蛇晶帝の後宮よりもこぢんまりしているそうだ。
香樹曰く、家は小さければ小さいほど良いのだとか。
「その方が、おまえとくっついていられる」
「くっつかなくちゃいけないほど小さな家なの?」
夜、戯れながらそんなことを言い合ったのは、つい最近のことである。
気持ちが通じ合ってから、香樹は以前にも増して菊花をそばに置きたがるようになった。
夜と寒い日だけだったのが、最近はずっとである。
菊花の看病で、そばにいる居心地の良さにすっかり味をしめてしまったらしい。
困った皇帝陛下である。
蛇晶帝だが、彼はまだ生きている。
菊花はてっきり、黄一族の後始末が終わったらお別れだと思っていたのだが、そういうわけにはいかないらしい。
「孫を見るまでは死ねぬ! 菊花、頼む! ぜひ、女の子を! 女の子を見せておくれ!」
菊花の隣で、香樹が「子の性別は男側で決まると教わったのに、何を言っているのだこのじじいは」と言っていたが、見事に聞き流されていた。
香樹の兄は、すべての刑が執行されるのを見届けた日に、ひっそりと姿を消した。
香樹は淡々と、
「おそらくは呪いが解けて自由になったのだろう」
と言っていたけれど、菊花は知っている。本当は、もっと一緒にいたかったことを。
「あっ」
菊香殿の屋根が見えてきた。
サラサラと聞こえるのは水の音だろうか。
戌の国より結婚祝いで噴水が贈られたと言っていたから、それかもしれない。
後宮へ来た初日、噴水を齧り付くように見入っていた菊花のことを、登月が覚えていたらしい。
それを聞いたリリーベルが王妃と相談し、贈るに至ったのだとか。
登月といえば、彼は宦官を二分していた月派の頭を次の世代へ引き継いだそうだ。
「これからはのんびりと、あなたと陛下に茶を振る舞って生きていきます」
と、まるで隠居した老人のようなことを言いながら、登月は笑っていた。
その顔が少し寂しげに見えたのは、もしかしたら落陽のせいかもしれない。
落陽が罪に問われることはなかったけれど、珠瑛を推薦した以上自身にも咎はあるとして、彼は自ら後宮を去った。
リリーベルは、菊花の回復を待たずして戌の国へと帰っていった。
菊花と香樹を見ていたら、夫君に逢いたくてたまらなくなったそうだ。
一刻も早く逢いたいのだと、用意した馬車ではなく早馬で駆けて行った。
つい先日届いたばかりの手紙には、さっそく「夫が鬱陶しい」なんて愚痴が書いてあったけれど、次の行では「夫がかわいくてたまらん」と書いてあって、結局惚気だった。
王妃からは孫の催促をされているらしいが、惚気るくらいだからそう遠くない未来に王妃の願いは叶いそうだとも思う。
(私もいつかは、香樹との間に子どもがほしいわ)
香樹との子どもは、卵で生まれるという。
どのように生まれて、どのように育つのか。菊花は興味津々である。
楽しげにほおを緩ませる菊花に、香樹も笑みが浮かぶ。
「何を考えている?」
「あなたとの子どもはどんな子かしらって考えていたわ」
「……それなのだが」
言いづらそうに淀む香樹。
らしくない彼に、菊花は首をかしげた。
「うん?」
「しばらくは、その……二人きりが良い」
駄目か、とねだるように耳元でささやかれては、たまったものではない。
とんでもない破壊力だ。
菊花は、熱で耳が溶けるのではないかと思った。
溶けないように両手で耳を押さえ、真っ赤になった顔で香樹をにらむ。
そこに居たのは、情けない顔で佇む一人の男。
冷酷だと恐れられている皇帝陛下にはとても見えない、甘ったれた表情を浮かべている。
「もう」
臆病なくせに、愛する人を守りたい一心で皇帝陛下にまでなった、菊花の大好きな人。
本当は知っている。
二人きりが良い理由がそれだけではないことを。
見た目によらず、彼は家族を大事にする人なのだ。
(おじさまと……まだ離れたくないのでしょう?)
「仕方のない人ね」
そう言って、両手を広げてみせれば、
「ありがとう、菊花」
と言って、ひんやりとした体をすり寄せて抱き竦めてくる。
フッと笑んだ香樹の手が菊花の顎に触れ、赤い双眸が甘くにじんで境目をなくした。
「愛しているよ、私のあたため係」
菊花の唇へ、香樹の唇が重なる。
ひんやりとしていた唇が菊花の熱に触れてじわりと熱を帯びていく。
(ああ、これこそ皇帝陛下のあたため係)
徐々になじむ温度に、菊花はうっとりと目を閉じた。